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date 2006/11/10(金)13:13 別宮さま、 小澤征爾は満州生まれで、当時ピアノを勉強しているくらいなので、相応の裕福な家庭だったはずとは思っていましたが アメリカ人やヨーロッパ人って獣のように性行為をする人が多いですね。 ブルガリアに行ったときに、普通の女の子たちが、普通にかなり濃厚なセックスの話題をするのにカルチャーショックを受けました。 変な話題でした。 |
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date 2006/11/10(金)16:19 二等兵であります。自己レスであります。 神保町「書泉」であります。 |
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date 2006/11/10(金)18:39 お知らせ有難ふ御座います!!!! 書泉へ電話だ!!!! |
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date 2006/11/10(金)19:54 二等兵さま さきちゃんさま ご配慮まことにありがとうございます。 別宮 |
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date 2006/11/10(金)20:17 ペルソナングラータさま 戦争画はけっこう各国で特徴ありますよね。第一次大戦のイギリス軍は陰険で、画家も写真家も前線行き禁止で、イギリス兵士の屍体が写った写真は、前線が進み白骨化したもの程度でしょう。反面ドイツは写真一筋で前線における写真は、連合軍の10倍といわれます。ライカの国は違いますね。 フランスは戦意高揚で、かっこをつけたヤラセが大半です。一番光るのはイタリア政府雇員ではなくイタリア民間人画家で他国に雇われた画家のものじゃないでしょうか。第一次大戦で残る戦争画の3割はイタリア人画家でしょう。 そして、ご指摘のロシアはその通りです。日露戦争におけるロシア軍満州行軍図というのは、吹雪の中、兵士が脇の雪中に倒れこみ、どうみても悲惨の一言に尽きます。これはもう反戦画としか思えません。反面日清・日露の日本の戦争画は、戦後になって従軍していない画家が、芸者はべらせドンちゃん騒ぎで提督・将軍と語り合ったもので、リアリズム喪失の典型です。まだ、戦後の民間による漫画風画報の方がみられます。 それと、海軍写真家がどういった原因か、日本海海戦時の写真をネボガトフ降伏時以外、撮影に失敗しています。これは恐るべき失策と思うのですが、海軍反省ザルを見たことがありません。ともあれ、ロシア人画家のなんともいえぬ淋しさを残した戦争画は印象に残ります。まあ、アメリカ人のスリバチ山写真をめでるのも単純ですね。 別宮 |
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date 2006/11/10(金)21:23 ああ,東京に住んでいれば書泉に行けたのに。 く,くやしい…。 |
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date 2006/11/10(金)21:34 別宮様,皆様,いつもお世話になっております。 大阪に帰ってきてから,むやみに 失礼しました。 …さて,いま,国会では麻生大臣に対する風当たりが強いようです。 で,単刀直入に,お尋ねします。 私はSLBMを持つべきだと考えているのですが, ところが,某誌によると,英国がこれから装備するつもりのミサイル原潜(トライデント 御意見をお持ちの方,おきかせくだされば,うれしゅうございます。 さしあたっては, |
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date 2006/11/10(金)21:37 R様,とてもタメになりましたわ(笑)。 ありがとうございます。 |
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date 2006/11/11(土)01:10 別宮様、困ぺい糖さま 人違いもございましたが、あらためて上に引っ越させていただきました。 以前、別宮様がヒトラーと戦争画の関係の興味深い記述をされていましたが(質問集を参照してね)、そのとき、あの絵の作家、Mataniaについて調べた事があります。今回の題名は彼の絵の一つから取りましたけど、「さらば古き戦友」ぐらいの意味でしょうか。馬で涙腺を攻めるか… 彼はナポリ人ですが(芸術ファミリーだった様子)、デッサン力はイタリアのお家芸なのでしょうね。一方、ロシア(ギリシャ)系は、困ぺい糖さまがおっしゃるように、イコンなど、旧習墨守で「ヘタウマ」な絵画になり、これが結構味わい深いものです。戦争画も、どうしても「宗教画」的になっちゃうんですかね。ピカソは芸術してますけど、ロシア構成主義はどうもただヘタウマ路線を突っ走っているように感じます。(人民芸術としては、この方がわかりやすいんですかね… 北の将軍様も、「絵になる男」だし…) 英国と北ドイツ(ベルリン)の共通点は、美術館の代わりとして、博物館が半端じゃない事でしょうか。ベルリンではペルガモン博物館とエジプト博物館を見ただけで、もうおなかがいっぱいになった気がしました。これが美術の代わりなんですかね。あと英独露中に共通する点として、ファッションデザインの面でぱっとしないというのもあります。モードは日仏伊米の四国独占でしょう。絵のセンスとかかわりがあるかもしれません。マタニアの絵にも、デッサン力の上に「ポエジー」がありますが、服飾も同じでしょうか。 お公家さんはイニシアチブを取るのが下手ですから、幕末の薩長、西郷や大久保のような豪胆人士が要りますね。明石の入道がハプスブルグ的婚姻政策ではなくて、もっと直接的な方法で源氏を唆してくれれば、源氏物語が太平記と一緒になって一冊で二度美味しい、という展開になったでしょうね。(いい加減な事を言って、若村様に怒られそうですが…) ペルソナングラータ |
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date 2006/11/11(土)07:20 ペルソナングラータ様 。0・(ノД`)0・。 泣けますわね。 イギリス、ドイツは博物学がさかんでしたからね。特にイギリス人はいろんなブツを特徴やら成立時期で分類していけば、おのずと本質が見えてくる、とえらく力コブが入ってました。 しかし、ドイツのシュリーマンのトロイ探索はじめ、ミッシングリンク探しと言うのは洋の東西を問わず人気があります。アメリカでは沈没船の引き上げがビジネスですね。ビスマルクや飛竜を引き上げようと言う元米海軍もいます。 ところで、明石入道が中国史に出てくる外戚みたいな振舞い方すれば、もう立派に冒険もの。 困ぺい糖 |
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date 2006/11/11(土)08:47 渡来さま 核武装と「唯一の被爆国」を結びつけるのは旧社会党が得意なんでしょうか?民主党はトロイカ3人と若手の意見が違ってますね。こういった世代間政治対立は歴史をみるとだいたいのところ若手が誤っていることが多いのですが、今度は違う印象です。 それと、核兵器は今までのところ戦争を防止しています。そして、大戦争の陰には多くの場合、小国のテロ団体が介在しています。第一次大戦におけるセルビアの黒手組や大東亜戦争における蒋介石の藍衣社がそれです。大国が(小)戦争に怯え、「慎重に」というリベラルや社会主義者の扇動に負けたとき、大戦争になります。いわば小国が大国を戦争に引きずり込むんですね。今では北朝鮮がいい例でしょう。 ところが、小国が核兵器をもちテロ団体にわたりそうとなると、我が国はじっさいに可能な核兵器保有を検討すべきではないでしょうか。 この場合、まずは運搬兵器です。というのはアメリカの了解がなければ核保有は難しいと思います。ところが、アメリカは核保有のドミノ現象を恐れています。ですから、実戦が生じた場合、アメリカから核兵器の分与をうける契約にしておくことが考えられます。そして、それどころでなくなっても、我が国の科学技術をもってすれば、核兵器製造など難しいことではありません。 そして、運搬兵器となると空母・潜水艦・爆撃機・地対地ミサイル(鉄道ミサイル、自走砲タイプなどは?)となり、いずれにせよ精密ミサイルは基礎的に必要です。ですからトマホークの開発が必要です。でもこれは技術はすでにあるので実戦配備とソフト(地形認識)・衛星が必要なだけです。この体系をつくるには全部自前となると目先数兆はかかります。 次にコアの発射系ですが、地上ミサイルを充足させたうえで、それが破壊されたあとの(動く)発射系が必要です。これを潜水艦(でもこれ平時には無用の長物なうえ、他国潜より静かである必要があります。じつは私は空母派)とするならば原潜であることは長期間配備の必要から確実に必要です。大型・静か・原子力推進をゼロからやるには、日本はイギリス以上の金はかかるでしょう。まず通常爆弾搭載を前提として、大型原潜開発を進めるしかありません。ただ総合計で10兆円あればできるでしょう。 8・8艦隊のとき16年かけ国家予算の43%必要という試算でした。そのヒソミに習えば、現在では412兆円になります。日本は本気を出すととんでもないこともできます。でも第一次大戦後のアメリカのようになることも可能です。とにかく世界最長トンネルも最長橋も日本にあるので、本気の一片で世界が驚愕でしょうね。 別宮 |
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date 2006/11/11(土)09:02 ペルソナ・ングラータさま、困ぺい糖さま ご無沙汰しております、若村さきでございます。 最近、割り込むには私自身の力も知識もない話題ばかりで、専ら拝読するのみの日々が続いておりましたが、突然、『源氏物語』になって驚きました。ペルソナ・ングラータさま、私を覚えていてくださり恐縮でございます。 『源氏物語』と『太平記』のコラボレーション、痛快ですね。明石ですと、南北朝ならぬ西東朝時代となりましょうか。 以下、無愛想な、いわゆる「まじレス」になりますが、明石入道は、自分が権力を握ろうというのではなく、娘の幸福、家の面目ということで光源氏と関係を結ぶ人物なので、今一つ迫力に欠けますね。孫娘が男宮を出産すると、早々と遁世してしまいますし。 仮に、明石の入道が暗躍する外戚ばりの権力亡者だったとしても、一旦臣籍降下した源氏が皇位に就くのは、まず皇族身分に復帰するための勅許が必要なので、南朝のようには理論武装できませんね。そうなると、武力闘争だけの勝負ですから、コラボは、本邦の古典ではなく、中国やヨーロッパの方が向いているかもしれません。 若村 さき |
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date 2006/11/11(土)09:15 Rさま 協和会というのはあまり研究されていませんが、板垣征四郎の肝いりで、かなりソ共に似た組織です。二キ三スケは全部アカだというのが当時の定評でした。 戦後、満州の民間人は短期間(重要技術者2万人は長期間)、ソ連に抑留され機械技術の操作を教えねばなりませんでした。これの関係で、中共ソ連派とつきあいができました。高崗や饒漱石といった人脈ですが、粛清され、のち薄一波や膨(月なし)真などに引き継がれ、その倅も太子組で活躍していますから、日系企業(とりわけ三井系)は親しいんでしょう。 小沢征爾は三井不動産関係者が第1の夫人ですから、その関係かもしれません。1980年代は自薦他薦の中国ブローカーが巷にあふれていました。 偏見に満ちているかもしれませんが、全世界で一番性についてタブーがないのはブラジルのような気がします。また、日本のビデオは全世界に氾濫しており、赤面することはなはだしい(東南アジアではJapanese cinemaでそういった意味です)のですが、なぜかと考えたのですが、これは単純で筋があるからでしょう。北欧・ドイツものは筋がないですよね。ただダビングしすぎと下手なテロップ焼入れで見にくいですけれども。 この点で服とストーリーが要らないヨーロッパ人は市場における競争にどうしても劣後しますよね。 別宮 |
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date 2006/11/11(土)17:09 別宮様,早速の御回答,ありがとうございました。 臥薪嘗胆という言葉を思い出します。 ン十兆円か…。 国防力充実のためなら増税も 今日も新刊GETのため大書店群をさすらった(←ダメでした),渡来静 |
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date 2006/11/11(土)23:32 本日夕方に書泉をまわったのですが、駄目でした。 おとなしく並木書房のHPで購入することにします。グスン。 |
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date 2006/11/11(土)23:42 皆様初めまして!突然の割り込みをお許し下さい。 私は福岡在住の者で、月刊核武装論というウェブサイトを運営しております。 もしこの掲示板をご覧の方で福岡近郊にお住まいの方がおられましたら、 まだ若干席が残っておりますので、どうぞお早めに御申込ください。 ----------------------------------------------------------- 参加希望者は下記メールフォームよりお申し込みください。 |
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date 2006/11/12(日)03:17 困ぺい糖様、若村様 若村様、お騒がせしてしまい申し訳ありませんでした。 言い出したものがこんなことを言うのもなんですが、ハンサム貴公子と野心家の土豪のコンビで政府転覆を図る、というパターンのドラマだと、たいてい美男子は、簒奪者にとって途中で用無し、非業の死を遂げておしまい、というパターンになりそうですね… こうなるとますますチャイニーズな雰囲気ですが。 紫式部が政治ネタにまで手を出してしまえば、ダンテもシェイクスピアもラシーヌももはや不戦敗状態ですから、これでよかったかもしれませんね。 我らが大日本帝国海軍は太平洋のあちこちに、日本の国家予算一年分をはるかに超える鉄塊(と貴重な人命も)をまき散らしました。フィリピンでは今日でも山下財宝が隠されていると言われ続けております。幾星霜の後、大和の主砲が歴史的遺物として大英博物館に飾られてたりすることがあるかも…。 そういえば、「世界の艦船」によれば中国は定遠の実物大レプリカなんか作ってるらしいけど、なに考えてるんですかね… (過去の失敗を直視するため、とは思えん…) 本物を引き上げたほうが歴史的意義はありそうですけどね。 アニメの語源は「たましい(Anima)を吹き込む」(→生気を与える)という事ですけど、日本人はやはり物語等を作り、物に魂を入れるのが上手いわけでござるな。(←これもひとりごと) ペルソナングラータ |
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date 2006/11/12(日)07:59 熱烈読者さま ご高配ありがとうございます。じつは著者は、どこに本をおくかなど営業方針については全く無力でして、見当もつきません。ご迷惑をかけております。 並木書房の方針を聞き及びますに、初め1週間、書泉など大規模店舗に配布して、読者層をつかみ、そのあと全国展開するということのようです。 別宮 |
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date 2006/11/12(日)08:26 渡来奥様 亀レスすいません。 弾道ミサイルはまず必要ですが、ポイントはCEPが最低でも100m切ってもらわねば、21世紀の核保有国としては恥ずかしいことだと思います。そして、地下およびハード目標侵徹性能(粘土質地下で30m?)は是非備えねば。 今日本が仮想敵としている独裁国家では国民の命の値段が残念なことにとても安いんです。ですから、従来イメージで空中爆発で地上や浅地下目標で大量死、大量破壊を齎しても、実は敵体制にはまったくコタエません。ずるい狐は2、3年寝たふりをして、またぞろ報復を口実に悪さを仕掛けようとするものです。 技術的なハードルは別宮様のご指摘どおり、日本にとっては低いものです。いつでも実用化できますが、せっかくの費用、総花的にならず、重点投資して欲しいものです。各部局がオレがオレがで仕様テンコ盛りにしちゃうのも国産兵器がバカ高くなる要因ですから。 まあ、5年間10兆もかければ、当座中央山系の地下100mとかに抗堪可能なサイロを掘って、INFクラスの奴を100基は据えられるんじゃないかとドンブリ勘定。北京、平壌、ウラジオくらいはこれで十分でしょう。 地獄少女の定番フレーズがリフレイン 困ぺい糖 |
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date 2006/11/12(日)09:12 若村さま ペルソナングラータさま 初めに、須磨から京都に攻め上れといったのは私ですので、責任があるので感想を・・・。 『源氏物語』を書く側にたって思うのは、ものすごく大部なことです。別人説のある宇治10帖を除いても量は尋常ではありません。そして、『源氏物語』には筋があって、かつ架空です。じつは歴史物語・大河小説というのは、初めに筋をつくらなくとも、時代を追えばいいのですから、大掛かりな小説に仕上げることは可能です(結果として正確な史実はまず追えません)。 ところが、架空物語(フィクション)は初めに筋を決めなければ、やはり相当に難しいと思います。例えば、推理小説は全部架空ですから、初めに筋を決めるしかなく、中心となるトリックを決めておき、それからそれに合った筋立てを考えるのが普通でしょう。『源氏物語』の前後をみても、伝承物語・日記・和歌集などはあっても、本格フィクションはないと思います。つまり構想力というのは重大で、ある作家は「章立て」(版元に示す目次)ができると、もう終わった気分になるといいます。 源氏物語について、新聞小説のようなもので、構想などなく散漫に書き進めたんだ、という識者はいますが、自分の才能程度からしか想像できない限界でしょう。それを自分でやってみたら系図から始まり、時間前後までグチャグチャになること請け合いです。紫式部は、やはり5年以上、10代から、日常普段に白昼夢をみるような調子で構想を暖めていたとしか思えません。常人のなせる業ではないと確信します。心理小説という点で、明治以降の私小説と比較する人もいますが、私小説というのは筋がないのが特徴です。そうすると登場人物の一貫性・個性造りなど必要なくイージーです。 小説というのは、あまりにも現実に立脚していないと童話になってしまいます。かといって回顧小説・歴史小説は、まったく架空でないという点で、現実におぶさっています。紫式部は女でしょうから(ですよね)、光源氏の心理を描写することは簡単ではなかったと思います(ですよね?)。男の小説家が女性心理を描写すると「オネェ言葉」になるという卑しさもありません。嵐が丘のブロンテ姉妹も数人で毎晩筋お話し合って小説をつくったようです。紫式部がチームを組んだ形跡もありません。 どうも散漫になりましたが、源氏物語を読んで、平安時代に没入できるというのは、ある意味とんでもないことですね。でも、悪ガキはふと筋を変えたくなります。 別宮 |
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date 2006/11/13(月)06:12 別宮さま。 若村でございます。 『源氏物語』に関するご賢察、基本的に賛同いたします。 ただ少々付け加えたいことがございます。 『源氏物語』が、執筆前に全体的な構想を持っていたということ、基本的に紫式部個人の作品であることは、首肯できることです。 ただ『源氏』は破綻のない一つの長編物語であるわけですが、それと同時に各巻の独立性の高い物語でもあります。 おそらくは『源氏』は、全体が一遍に発表されたのではなく、巻ごとに(あるいは数巻ごとに)周囲に読まれていったのではないかと考えられます。現在の連載小説のごとく、少しずつ発表され、完成に向かっていったのでしょう。また、『紫式部日記』を読むと、周囲の女房たちが製本の仕事に従事していたらしいことがわかります。 そうしますと、『源氏』が徐々に形作られつつある途上、主たる読者である姫君や女房たちの感想や批評が紫式部の創作のヒントになったこともあったでしょう。 また、『紫式部日記』には、藤原道長が、紫式部の私室に闖入し、『源氏』の草稿本を持ち去ったエピソードも書かれており、彼も『源氏』の内容に何らかの影響を与えていたかもしれません。丸谷才一『輝く日の宮』には、小説ですが、当時高級品であった紙を与えたのは道長であった、といったことが書かれています。 ところで、『源氏物語』は完成まで一体何年かかったのでしょうね。 私が今まで読み通した最も長い古典は『南総里見八犬伝』ですが、馬琴は29年かかって完成しました。『源氏物語』は量はその半分くらいですので、10数年といったところでしょうか。 |
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date 2006/11/13(月)08:09 はじめまして皆様。 |
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date 2006/11/13(月)10:22 若村さま 非常にわかりやすい説明をいただきありがとうございます。イメージが湧いてきました。インターネットで入稿する時代じゃありませんからね。 ちょっとトリビアルなことですが、紫式部は「日本紀の局」と呼ばれていたようですが、この場合の日本紀は『日本書紀』と『続日本紀』『日本後紀』『続?』あたりをいうのだと思います。また、『源氏物語』の語彙の豊富さからみても、じっさいに(漢文ですが)読んでいたと思います。 ただ、紫式部は草稿を書いたとき、これらの本(それ以外も)手許に置いたと思います。ですが、当時の書写本は仕立が巻本ですよね。すると引用を今のように付箋をつけておいてというのはできません。調べるとなると、巻本をころがして、記憶で「ここだ」とみつけねばならなくなります。しかしながら、続日本紀だけでも30巻(文庫本3冊くらい?)に達します。この3つはどうしても両立しないように思えます。 すると紫式部は、形はわかりませんが、自分の印象に残った部分は暗記していたんでしょうか?こういったことは、自分程度の常人と思うと失敗するのですが、表現のうえの天才は認めますが、記憶力でも天才だったんでしょうか?古い時代の(詩人でなく)作家というのは、「史料編纂所勤務員」というのが多いですよね。それ以外は口承書写です。紫式部は双方にあてはまりません。 次に、草稿(梗概)も高い紙を使い、これに周囲のヒントなど加え(これだと自分に匹敵する教養人を集めていたことになり、平安宮廷の実力が偲ばれます)推敲し本原稿にしたとします。この場合、どうしても単位あたりの分量が一定になると思うんですよ。例えば原稿用紙10枚とか。でも、一定していませんよね。それに不思議なのはタイトルです。タイトルをつけたのも一人であるように思えます。ただ、「源氏名」が後世生じたくらいであって、並ではなく、これも紫式部自身が決めたと考えるのが自然だと思います。 草稿をつくって、書き増す方法をとると、書いているうちに、人間はけっこうあらぬ方向に筋を変えてしまうものです。すると、見出し・小見出しは営業も考えて、版元なりアドバイザーなりがつけた方がいいとなります。でも紫式部は現代の編集者の力もあった。そして、シェークスピアは、書いた本自体が英語をつくったといわれますから、並の天才ではありませんが、けっこう文法上の間違いが多いんですよ。"more harder than ever"とかの類ですが・・・。でも紫式部はそういった誤りも皆無に近いですよね。日本の書写人がイギリスよりも優れていたとも思えません。 別宮 |
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date 2006/11/13(月)19:44 ああ,行きたい。 でも,無理かな…。 れっきとした市長が,国防への非協力を公言し,『無防備マンが行く』などという珍本 講演会の成功をお祈りしています。 |
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date 2006/11/13(月)19:54 若村さき様,道長は「検閲」をしたかったのではありませんか(笑)。 自身や藤原一門にとって何か都合の悪いことが書かれているのでは?と気になったので 紫式部の漢文能力は,かなりのものだったらしい。 父親が「この娘が男だったら学者 昔の西欧でのラテン語のような地位を,朝鮮や日本では漢文が占めていたということ 『エイトマン』の桑田氏が描いたマンガの源氏物語を持っている,渡来静 |
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date 2006/11/13(月)20:28 別宮さま。 このような話題は大好きなので、喜んで書かせていただきます。 @紫式部が執筆に際して、参考文献を手元に置いていたか、という点について。 まず、書誌形態の流れからいえば、平安中期の当時は巻子本(巻物)ではなく冊子本(紙を綴じた物。現在の書籍も冊子本の一種)が主流でした。かの『枕草子』の「草子(さうし)」も「冊子(さくし)」の音便から来たものです。 ただし、勅撰集の献上本とかお経とか、特に威厳を持たせるためのものなどは、巻子本でした。六国史も、献上本は巻子本だったと思いますが、学者が勉強の為に読む場合は、冊子本を家に置いていた可能性もあると思います。 ですから、紫式部も、執筆中、手元にある本を、何かのおりに紐解いたこともあったかもしれません。 ただし、六国史を参考としていたとしても、一言一句間違えずに引用しているわけでもないので、記憶で書いていたと考えてもよいと思います。往古の人々の記憶力は、私たちのように分散されない分、集中して用いられており、その限りでは驚異的なものだと思います。まあ、読む本自体が少ない時代ですから。 確か、菅原道真は、漢詩を作るため、表現をカード(札)式でストックしていたはずです。紫式部も、そういう創作のメモみたいなものがあったのかもしれません。 A巻ごとの分量の不均等、巻名について。 既述のごとく『源氏物語』は巻ごとの独立性が強いので、巻にはそれぞれテーマのごときものがあります。従って、それを象徴的に示したのが巻名で、ご賢察とおり、これは紫式部自身がつけたと思います。また、そのテーマに応じた分量となりますので、不均等が生ずることにもなると思います。 B紫式部の編集力について 実は、通常、「古典文法」と呼ばれ、学校教育で教えられているものは、『源氏物語』や『枕草子』の時代を一応の基準として作られているもので、『源氏物語』は理論上「文法」の間違いはないことになります。それでも体系的には説明しづらい個所もありますが。 そして、私たちが普通に読む『源氏物語』の原文は、鎌倉時代、藤原定家が校訂した本です。もちろん、大幅な書き換えはないと思いますが、より正確だと彼が判断した本文が校合の結果選ばれたはずで、そうなると、表現も、より良いものになったでしょう。 そもそも、物語は、当時においては、お経と違い、一言一句、きちんと書写しなければならないものではなく、さらには著作権などのない時代ですから、紫式部の手を離れた後、書写の段階で、意識的にも無意識的にも手が加わったこともあったことでしょう。 さらにいえば、『紫式部日記』の記述から、清書本とはかなり違う草稿本までも流布した可能性があり、そうなると、出発点から、複数の『源氏物語』本文があったことになります。 出版の本と異なり、写本の時代ですから、あらゆる伝本にまで紫式部の編集は及びませんね。 ついでのようで申し訳ございませんが。渡来さま。 道長干渉説については、推理小説ですが、森谷 明子『千年の黙―異本源氏物語』(2003年、東京創元社) というのがございます。 長々と申し訳ございません 若村 |
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date 2006/11/14(火)10:14 若村さま 非常にわかりやすい説明をありがとうございます。積年の疑問が解消しました。とくに、現代と違って、本の絶対数が少なかったというご指摘は重要です。じつは、引用となると繰り返し読んでいない本だと、どうして部分に引きずられて全体の文意と離れてしまうことが起きます。これはけっこう致命的な失敗であるとともに、やはり自身の文意もわかりにくくすることになります。 語学の学習の早道は、同じ興味をもてる本を繰り返し何度も辞書をひきながら読むことだといわれます。1980年代、北京外語で中国語講座をうけると教科書は何国人向けでも同じでした。そして単語からフルセンテンスに移るところで「列寧的大衣」(レーニンのコート)という一節がでてきて、「レーニンは偉い人だ。いつまでも古いコートを着ていた」というのをオームのように繰り返させられました。もっと興味のある題材であれば、もっと上達したろうと悔やまれます。ですが、1980年代北京にいた人に「レーニンのコート」の話をするとみな笑い出すのが、同窓会的に面白い話です。 「読書百篇、自ずから通ず」というのがありますが、紫式部は同じ本または同じ一節を浴びるほど読んだということは首肯できます。また漢文はとくにいえるのかもしれません。毛沢東も古文引用を散りばめた詞をつくっています。 一方、巻をテーマ別に分量を違えながら創作するといのは、天才のなせる業でしょう。まず、テーマは結局、タイトルに引きずられると思います。じつは凡人はその段階で、分量を固定してしまいます。しかも、これはワードも一太郎もない時代でコピー・貼り付けなどできない時代ですよね。仮説ですが、タイトルも含めた全体構想がしっかりしていて、そのうえでテーマにもとづいて彫琢したんでしょう。これはできるようでできない芸当ですよね。ただ、宇治10帖はなんとなくですが、タイトルが拙い気がして、中味との結びつきが弱い印象があります。つまりピッタリこないんですよ。そして分量も均等で、筋も俗っぽいと思います。紫式部も続編要求にこたえがたく、妥協したんでは?と思うのですがいかがでしょうか? 文法については恐れ入りました。現在、異本がどのように校訂されているかわかりませんが、天才の作品ですと書写人が文法相違があっても、自分が誤っているとそのまま写してしまうことが起きます(定家であれば、どうするかですが)。文意の通らない箇所をみつけても、現代人は悩ましくなりますね。 別宮 |
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date 2006/11/14(火)10:44 若村さき様 たいへん興味深く読ませていただいております。 さて、紫式部が長期(10年以上)にわたって構想、執筆したであろう源氏物語ですが、これだけ、後の世にまでも伝えられた要因は、いわゆる「キャラ立ち」の成功も大きかったのではないかと愚考します。 いわゆる創作現場について学生時代少し覗いた経験からしますと、作家の思い入れが万人に受け入れられるというのは、実は大層稀有なことです。また、多くの作家は実はキャラクター創作にそれほど手間をかけません。どうしても紋切り型主人公が輩出されることになります。 困ぺい糖 |
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date 2006/11/14(火)15:24 別宮さま 正式発売日前に読めるとは思ってもみませんでした。 では読む前に郵便局に代金を払い込んできます。 黒田 |
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date 2006/11/15(水)10:27 別宮さま 困ぺい糖さま 若村さきでございます。 @宇治十帖の異質性について ご賢察とおり、古来、「宇治十帖」別人作説というのがあるくらい、いろいろ違和感がある巻々です。本居宣長曰く、「宇治十帖は、式部が作れるにあらず、といふ説あれど、ひがごとなり。」 ただ柏木と女三宮との密通、不義の子の出産を書いた以上、その後日譚を書く意志はあったと考えられるので、少なくとも薫の話に関して言えば、外からの圧力、要求でいやいや書いたわけではなさそうな気はします。 そして、仮に、不義の子薫を主人公として物語を書きつづけるという意志があったとすれば、どうしても光源氏のような人物の物語とは異質のものとせざるを得ないわけで、私たちが抱く違和感も、そのあたりと関わる部分もあるかもしれません。 A光源氏のモデル論について 古来、光源氏のモデル(准拠)は何人か挙げられています。どれか1つ、というのではなく、さまざまな要素が複合されたということではないかと思います。もちろん、それらを超えた人物造型がなされています。たとえば、 ○源高明(左遷された一世源氏) などです。 若村 |
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date 2006/11/15(水)19:38 若村様、皆様 非常に興味深く拝見いたしております。私、宇治十帖ファンでございますれば、一言はさむのをお許しを。 私、宇治十帖は、「好評につき、続編堂々出来!」だったのではないかと思っています。(そういえば、タイタニックの続編の噂は、どうなったのかなぁ… 関係ないですが。) 文体に若干の違いがある、とか聞いたことがありますので、ひょっとすると本編との間には少しインターバルがあったかもしれませんが、本人は乗り気だったと思います。性格が正反対のライバルの男二人とその間で小舟のように(精神的にも、肉体的にも)揺れ動く女性、などというテーマは、今日の作家でもここまで書けないでしょう。違和感があるとすれば、薫の君はどんな体臭の持ち主だったのか知りたいところはありますが… 源氏のモデルは、個人的には在原行平、業平兄弟が一番近いと思います。おそらく紫式部の脳裏には伊勢物語がまず第一にあったのではないでしょうか。ただ、伊勢物語と源氏物語では、文章のレベル、長さ、深さいずれをとっても、帝国陸軍の95式軽戦車と自衛隊の90式戦車ぐらいのパワーの差があります。これはやはり紫式部の実力(情念)の差でしょうね。 興味深いのは、平安時代初期にはすでに、事もあろうに伊勢の斎宮に手を出すようなとんでもない野郎の物語、あるいは帝の女御に手を出して子供を生ませた色男の物語が流行したという、けっこうとんでもない社会だったんじゃないかと思えるところです。(戦前なら、不敬罪で投獄か?)。長編小説以外にも、短編小説(伊語でいうNovella→英Novelとなる)では虫オタクのお嬢さんと女装男の物語が出てくる堤中納言物語はボッカチオの「デカメロン」みたいに面白いですし、(恋人の姉妹をとっかえっこした「思わぬ方にとまりする少将」の話なんかは、ボッカチオが読めばさぞ喜んだことでしょう)、平安時代の日本文学は無敵ですね。 とりとめのない文章になりましたが、お許しのほどを。 |
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date 2006/11/15(水)19:45 渡来s様 ありがとうございます。よい会にできればと思います。 |
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date 2006/11/15(水)20:16 ペルソナ・ングラータさま 若村さきでございます。 よくぞ指摘してくださりました。 古典文学の中でも、「物語」はあっと驚くものばかりです。 光源氏だって、今なら犯罪者ですよね、覗き見、強姦、幼女誘拐監禁などなど。 決めゼリフは、「まろは、皆人に許されたれば」(花宴巻)。 私のような国語教師がいうのも変ですが、授業ではオーソドックスなものしかできず、本当にもったいない気がします。雑談では『とりかへばや』とか『虫めづる姫君』などの話もしますけど。 若村 |
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date 2006/11/17(金)02:51 若村さき様 あまり源氏物語の話ばかりをすると、きっと別宮様に「それよりもフォシュやキッチナーやルーデンドルフのことを語れかし」とお叱りをうけてしまうでしょうが…(お許しを…) ドン・ファンではありませんが、「スカートさえはいてれば…」という光源氏、「まめ男」の悲哀を実感する私としてはシンパシーを感じますけど、紫式部はぜんぜん許してあげてませんよね。柏木と女三宮の一件など、主人公をまさに人生の最後の場面で不幸のどん底に突き落とすあたり、彼女の意地悪さは一級品だとおもいます。(ただし、これは作家としては最高の才覚でしょう。) 出家させた女三宮に、出家後になって「鈴虫」の歌を詠ませて、源氏に後悔させるとか、細かい点でもやることがすごく意地悪です。 イタリアの文学の授業の試験は、テーマ作文(6時間カンヅメ!)と口述試験の二部構成が一般的ですから、先生も生徒も結構「本題外」の知識を重要視するようです。このためイタリア人にとって文学の試験はフォアグラ用のアヒル状態、本当に「地獄みたい」らしいですから、日本とくらべてどっちが良いかと考えることは出来ませんね。ある知り合いはラテン語を心から呪っています… 文学と恋愛は相性のいいコンビですし、両者ともにもう少し栄えてほしいものでございます。日本の男がみんな光源氏みたいになっても困りますが… ペルソナングラータ |
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date 2006/11/17(金)09:50 ペルソナングラータさま 若村さま とってつけたこというようで申し訳ないのですが、文学と戦争も以外と相性がいいようにも思えます。 紫式部の場合も『日本紀』を読んでいたとすれば、確実に戦争に関することは知っていたはずですし、そのあとの日本人のよく知る古典、平家物語も太平記も戦争ものです。ところが紫式部はとりげあませんでした。ですが、紫式部も地方に親と同行していたようですから、当時の治安の悪さは知っていたはずです。また伊周事件もつぶさに聞いていたと思います。 当時の貴族にしても、夏はもろ肌脱ぎになって博打をやっていたはずで、詩歌・恋愛を中心にやっていたように思えません。紫式部は当時の世相の中で暗い面は見事に消し去っているようにみえます。そして、倉橋由美子氏の作品は、よく経済的側面が落ちていると批判されますが、確かに両者には共通する「現実無視」なところがあります。 一方、イギリスの女流オースチンの『エマ』などを読むと、結婚にまつわる金の話ばかりです。持参金がどうした、いくら資産がありそうかとか、日本の女流であれば「はしたない」と感じて、意図的に落とすことを、とりたてて書いているようです。 クリントイーストウッドの硫黄島の底本はブラッドレーの"Flags of Our Fathers"です。この人の父は擂鉢山の星条旗あげ6人の一人で、葬儀社の経営者(戦争前からやりたかった)であり、3人(残りの3人は戦死)のうち唯一、戦後表に出ようとしなかった人です。そして息子のブラッドレーには「本当の英雄は帰還せず戦死した人々だ」といっていたそうです。 そして、この本の日本人への理解は、アイリス・チャンの"The Rape of Nanking"と家永三郎の"The Pacific War:Critical Perspective on Japan's role in the World War Two"から得られています(ただし日本語版・文春文庫には恒例のように参考文献は省かれています)。ですから日本人は中国侵略・東南アジア支配ばかりを考え、拷問を好み、戦闘にあたっては残虐さを唯一のものとするとなります。 そして、家永三郎というのは皇国史観の平泉澄の高弟です。そして平泉といえば、戦後30年たっても大東亜戦争は「自存・自衛」だと力説します。じつは、これの裏返しが「家永史観=日本の戦争は全部日本の侵略〜日本人は本質的に残虐」です。でも、日本人だからといって世界に冠たる優秀で特別の権利ありでもなく、特にサディスティックでもないんですね。そして、平泉も家永も事実・史実をありのままに受け入れようとしないんですね。つまり、歴史教科書を文学的に理解しようとしているんですね。 文学の現実無視は心理小説の場合は許されると思います。ですが、歴史書で事実無視というのが日本の特徴ですよね。さらにいえば、紫式部や倉橋由美子は現実をよく知ったうえで無視しているんですね。ところが、平泉や家永は、現実・史実を「そうであってはならない」といってるんですね。この類を外国人が理解するのは困難です。イタリアン・レッスンでなくとも、文学・歴史で「本題外知識」「雑学」はそのものが、本質です。硫黄島戦とイギリス十九世紀のマーチャント・バンクのどちらが後世の及ぼした重大な事件かといえば決まっているんですね。そして南京マボロシ派の言い分ではアイリス・チャンを論破できないのも確実でしょう。 別宮 |
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date 2006/11/17(金)11:25 別宮さま。 実は、このサイトで『源氏物語』の書き込みばかりをしていて、心苦しく思っておりましたので、少々軍事ネタを混ぜさせていただきます。 『源氏物語』は合戦そのものには全く触れていませんが、たとえば、有名な桐壺巻の、 唐土にも、かかる事の起こりにこそ、世も乱れ、悪しかりけれと、やうやう天の下にもあぢきなう、人のもてなやみぐさになりて、楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに、 という、桐壺の更衣に対する、帝の過度の寵愛振りを憂える非難からもうかがえるように、紫式部は、漢籍を通じて、中国における戦争をよく知っていました。上記の引用は『長恨歌』ですが、もちろん『史記』も自家薬籠中のものでしたし。 さて、物語文学は、ご指摘の通り、古今東西、文学の常でもありますが、現実世界そのものではなく、人間の営みを抽出して描きます。『源氏物語』は色恋、詩歌管弦、山紫水明は描きますが、具体的な事務作業とか商業活動とか地方の混乱とか、描かないことも多くあります。 ちなみに、藤原定家の作といわれる『松浦宮物語』は、唐土が主な舞台である物語ですが、これには超自然的な要素をありますが(主人公が分身の術を使う)、合戦場面があります。 ところで、物語文学の主人公、いわゆる「色好み」の代表選手、業平も光源氏も、武官兼職者であったのがポイントだったと思います。 業平は「在五中将」、光源氏は「源氏の大将」という通称があり、その時期に最も活躍をしています。 武官ですから、正装では弓矢を背負い、文官とは異なる装束となります。要するに軍服です。おそらく、当時の女性たちにとっても、「かっこいい」服装だったのではないでしょうか。公的なパレードなどでは、大路に桟敷が出て、見物しましたし。 田辺聖子のエッセイで、戦前、兵学校生徒が、大阪の女学生の間ではアイドルのような存在であった、というようなことを読んだ記憶があります。 現在でも、軍服フェチなるジャンルがあるそうですし。 貴族の武芸でいうと、弓は割と真面目にやっていたと思います。かの菅公も弓の名手だったそうですし、『大鏡』の中で、藤原道長が腕前を披露する場面があります。賭弓(のりゆみ)という催しもよくあったようです。『源氏物語』には「歩弓(かちゆみ)」という言葉も出てきます。 その他、馬に乗れなければお話にならなかったでしょうね。刀はどうなのでしょう。『源氏物語』には、刀を抜いて脅す場面はあるのですが、斬り合いはありませんね。 何でも、『百人一首』の歌人でもある陽成天皇はご乱心なさり、宮中で誰かを斬殺されたとかいうことがあったそうです。 とりとめもなく書き連ねて申し訳ございません。 若村 |
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date 2006/11/17(金)18:51 別宮さま 統制経済に反対した星一の伝記を読んでいると、でっちあげの犯罪を検察につくられ、犯罪者として報道され、会社が大打撃を負う。 思想統制を行ったのは、法曹界ではないのでしょうか? |
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date 2006/11/17(金)21:40 すみません,PCの不具合で,いくつかのキイが動かない。 メールアドレスは, 若村様,ごぶさたしております。 源氏物語に戦の話が出てこないことについては, 彼は,マンガなら日本語でも読みこなせたのです。 そして,桑田氏(=エイトマン 彼が息子さんにマンガを読み聞かせながら源氏の話をしていると,息子さんは, 欧州では貴族は軍事貴族(←聖職にある者を除く)ですから,戦は家業といってもいい 女を口説くのは欧州貴族もやっていたでしょうが,何をやって生計をたてているのかの 光源氏の義兄にあたるのでしたっけ?頭中将という人がいますが,この人は検非違使 武士が台頭してくるまで都の武官貴族は何をしていたのでしょうね? 誰か,わかり 最後になりましたが,私は桑田版源氏では,髭黒大将が好きです。 子供の頃は 最近のBBSの格調を下げている,渡来s |
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date 2006/11/17(金)23:17 憲兵条例によれば、憲兵に対する指揮権は、キングギドラ状態です。 問題の思想警察は、当時の警察では特高の縄張りでした。(内務省警察だけでなく、憲兵にも特高があった。徴兵制の時代だと、何時でも思想犯が軍隊内に入ってくる可能性も、思想犯が軍隊内でオルグする可能性もあったから、これは別に非難されるべきじゃないでしょう。)検察にも、思想検事がいたくらいです。 |
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date 2006/11/17(金)23:52 別宮様 若村さき様 ペルソナングラータ様 sai夫様 平泉澄は栂ノ尾の明恵上人が北条泰時を後鳥羽上皇を放逐したと非難したのを、神道第一人者と褒め称えました。 陸軍省部中堅連中に心酔者が多かったことは、容易に彼らをクーデタ、叛乱肯定者に染め上げることが出来たわけですね。 ところで、平安時代に戻しますと、決して平安な時代ではなかったわけで、東北の平定戦は八幡太郎の時代まで続き、神田明神の御神体、平将門が暴れた時代でもあります。 さて、文芸と軍事も似合いなのですが、文芸が格好の設定要素として取り上げる例が多いようです。なんといっても戦争は国家的大イベントと言う面は否定できず、インパクトも上々だからでしょう。 戦う執事といえば綾崎ハヤテくん? 困ぺい糖 |
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date 2006/11/18(土)09:08 遼馬さま ウルトラザウルスさまの説明にある通りで、陸軍省と内務省の権限整理はどうしてつけたのかわからない状態です。 ただ、ご指摘のように司法関係者が中心であったように思えます。というのは、特高は治安維持法にもとづいて設立されたので、本来社会主義者や共産主義者を取り締まる目的でした。ところが、陸軍統制派は社会主義者であって、近衛・木戸も社会主義が自由主義より正しいと考えていたと思います。 そして思想弾圧とは主として自由主義者に向けられました。きっかけとなったのは滝川事件でしょう。滝川幸辰は「共産主義者」といわれますが、これは誤りで自由主義的刑法学者です。主張の内容は、刑事事件についての構成要件主義といわれるもので、犯意について外形的に規定(すなわち検察官の恣意ではなくて)しようとしただけで、現在では当然の法理です。 この事件は1933年ですが、じっさいに指揮をとったのは鳩山一郎です。民主党の鳩山幹事長は孫ですが、自分がリベラルというと思わず吹き出したくなります。あげく安倍首相の祖父を今の国会で持ち出すというのが理解に苦しみます。ただ、岸信介も役人であって、社会主義者でした。また鳩山一郎は常に点数稼ぎの場当たり主義であって、固有の信念のようなものは何もないでしょう。これが警察メンタリティーです。 弾圧を直接になったのは警察でしょう。というのは手口が陰険で、女中・書生・学生をスパイに仕立てたります。これは軍人にはできないでしょう。警察・検察というのは物事の順序がつかないんですね。白バイのおまわりが、女子高校生のミニバイクをつかまえて、暴走ダンプを放置するようでは、小役人根性としかいいようがないでしょう(どこそかの府で、卵を投げつけられて逆上して、二人乗り女子中学生バイクをはねたのがいました)。 別宮 |
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date 2006/11/18(土)17:41 sai 夫 さま。 若村さきでございます。 平安貴族の武官といっても、公卿の場合は兼職であり、たとえば大納言が左大将を兼ねる、といったように、武官専門というわけではありません。まあシビリアンコントロールといったところでしょうか。 対外戦争がなかった平安時代は、武官というのは、宮中の警備が主な仕事です。あとは行幸など公的なパレードの護衛です。近衛師団と皇宮警察を併せた感じですね。 宮中警護の役所としては、近衛府、衛門府、兵衛府がありました。宮中の中心部は近衛府の管轄で、右近衛府と左近衛府があり、その長官が右大将、左大将です。 『百人一首』に、 御垣守り衛士の焼く火の夜は燃え昼は消えつつものをこそ思へ というのがありますが、この序詞のように、実際に、夜、松明をつけ、宮中を警護する現場にいるのは、下級役人(兵卒)であることは、言うまでもありません。 アイヴァン・モリスだったかドナルド・キーンだったか、記憶が定かでありませんが、藤原道長に関して、この時代、軍事力を背景に持たず政争に勝ち権力を行使したのは、世界中で日本だけである、というようなことを書いていました。 若村 |
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date 2006/11/18(土)18:11 若村さき様,こんばんは。 日が暮れるのが,はやくなりましたね。 わたしの実家には未だインターネットの設備が有りません。 旦那の実家には有るん すみませんでした,長い前置きで。 わたしは,官制大観というサイトが好きで,よく 小泉前首相が追い払った連中が,現首相によって,呼び戻されているようです。 今の 親子3人で「デス・ノート」を見てきました。 道頓堀!の映画館です。 息子は, 頭中将は好きですよ,の渡来静(パタリロ!源氏のせいか?) |
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date 2006/11/18(土)18:12 やっと,購入しました。 2冊。 順番待ちなんて,できません。 楽しみです♪ |
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date 2006/11/18(土)18:48 たった今旭屋書店なんば店で発見、即購入しました 旭屋さん、もう少し解りやすいところに置いてくれw |
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date 2006/11/18(土)23:28 拉致というのは、北朝鮮独自の行為というより、朝鮮民族のDNAに根ざしているのではないかと、疑ってしまいました。 で、今NHKで放送中の『宮廷女官チャングムの誓い』ですが、最終回で主人公が王の開腹外科手術を行おうとしている。 |
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date 2006/11/19(日)01:28 難波には、偶然ですけど、今日10年ぶり(!)に出かけたんですよ… 知らなかったぁ。 いろいろ本屋にも入ったのに… |
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date 2006/11/19(日)08:44 ウルトラザウルスさま 管見ですが、19世紀以降の戦争で、拉致が原因で戦争になったというのは聞きません。ということは国家間で拉致事件を引き起こした国は北朝鮮以外ないのでは?また、拉致(テロ)をもって日本国の主権を脅かし、国益を得ようとした形跡もあまりありません。スパイに日本語を教えるために教員用に拉致したというのであれば、コストパフォーマンスがいかにも悪いですよね。 例えば、鴨緑江を泳いで亡命した元オウムの日本人女性もいますし、また日教組の槙枝委員長が平壌にいって金日成万歳と叫んでいた時代ですから、教師も教え子も喜んで日本語くらい教えたように思えます。独裁者の頭の中は測りかねるは正しいですが、金正日が実行犯だとして、父親・金日成が最終的責任という「甘え」があるんじゃないでしょうか? 日清戦争の前、1230年間は「中国属国希望」で中国に甘えるのを専らにして、中国がいかに非道でもそれを楽しむといったマゾ願望のように思えます。日帝支配の36年間といいますが、このときこそ過去1300年間の歴史で、もっとも治安がよく、経済発展し、餓死者も出ない時代でした。とにかく、他のヨーロッパに支配されたアジア諸国と異なり、国内で組織された独立運動はなかったんです。 そして、今の北朝鮮も自国経済発展のため日本が過去の清算=資金援助をするのは当然だと主張し、韓国も1997年経済危機では日本から金銭援助を得るのは国民は当然と思っているふしがあります。拉致もこのような甘えからきているのではないでしょうか?日本で「隣国だから」という人は多いですが、「隣国だからこそ」、他国と比較して特別扱いしなことではないでしょうか?ソウルというのは世界の大都市の中で唯一、日本車をほとんどみない国です。こんな異常なことを放置している外務省や歴代政権首脳の方針を疑うべきしょう。 チャングムどころか、NHKは家ではみない主義ですが、誰かの解説によると、李朝実録に一箇所でてくるだけの人物だそうでで、出鱈目フィクションでしょう。韓国というのは「伝記」がない国です。要は偉人が出ないので、本が書けません。日本の図書館では、あって「やらせ」の金日成伝くらいしか置いていないでしょう。 別宮 |
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date 2006/11/19(日)08:53 別宮様、ウルトラザウルス様 韓国の妄言を楽しく拝読させて頂きました。 韓国人の公共マナーの悪さの件には驚きました。 個人的には大卒や院卒以上の韓国人を日本でも米国でも何人か知つていましたが、ごく普通の教養あるGentlemanでしたが... P.S. |