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date 2006/11/29(水)23:06 モー大佐さま 韓国のガイドは天然ボケかあるいは小学生か基本的には、受け売り稼業でしょう。また、韓国政府は観光業にたいしても業者行政をいまだにやっていますから、「日本が禿山にした」は何か政府刊行物にあるのだと思います。 こういった日本からみて唖然とする事態の根本には「言論の自由」が否定されていることが大きいのでしょう。韓国の政治家は民主政治家か開発独裁者のどちらかですが、両方とも「自由」については一言もありません。つまり、明治の自由民権運動がこの国には起きていないんですね。当分直らないでしょう。 北朝鮮も金正日独裁体制ですが、これは「共産主義体制」の一種です。日本のテレビはロイヤル・ファミリーなどといいますが、そんなことはなく共産主義は世襲制を容認すると考えた方がよいでしょう。中国の40歳代と文革以降生まれた政治指導者はけっこう世襲です。同じように日共も今や5割以上が世襲党員です。 ただ、正日は意外と世襲を考えていない節があります。子供や兄弟を外国に置いているのは、一族亡命の布石とも思えます。人格的には国家の繁栄より個人の享楽を優先するのではないでしょうか。すると、本心では「体制維持」にも興味がなく、身の安全が計られれば、亡命〜暴発まであらゆる選択肢は残す腹でしょう。核開発は、北朝鮮を脅かす中国・アメリカ向けのブラフであるわけですが、国内向けの威信の点も見逃せません。 ただ、両面戦争が荷が重いことは承知しているでしょうから、米中がどのような合意に達するのか神経を尖らしているのでしょう。ただ、5年というスパンでみればもちません。これは核をやってもやらなくても同じでしょう。カーターとオルブライト、金大中、自民党竹中派によって、多少延命できただけのことです。日本のビザンチン外交も続きますかね。 別宮 |
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date 2006/11/29(水)23:33 困ぺい糖> 子供と言うのはとにかく、自由にしなさい、なんていうと黒騎士中隊のバウアー大尉に行動の自由を与えるようなもんです。 バウアーは、最後まで祖国ドイツと上官と戦友に忠実な職業軍人でした。 なお、某国陸軍もどきの戦車教導隊第1中隊(だったと思う。)のエンブレムは、黒騎士中隊のそれをコピーすることが一等自営業閣下から認められたものです。別の中隊も、エンブレムを閣下に委嘱したそうで。 |
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date 2006/11/30(木)03:43 あいさつもなしでしたね・・こちらこそ、はじめまして。 |
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date 2006/11/30(木)05:13 明治に自由民権運動が盛りあがったのは、日本が封建制だったことで薩長閥に反骨精神旺盛な士族(しかも仕事がない)に火がついたことが主因でないかと思うのですが、当たってるでしょうか?儒教的上下関係は日本にもありました(今も程度問題だけどある)が、乗り越えるだけのエネルギーはそこから出たのかなと。 |
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date 2006/11/30(木)08:54 高城さま 田無がダサイという気もなかったんですが、問題は「田」なんでしょうね(ただし大道の横に「網元」というレストランがあり、不釣合いな印象はありました)。昔から水が出るというので「田」のつく地名の場所には住むなというのがありました。 田園都市線は、多摩プラザとかあざみ野とかいい加減な東急流地名が多いですが、その中に荏田というのがあって、周辺より地価が安いとボヤいている住民がいました。でも、世田谷にして大田(もっとも田町から)にしても「田」はありますよね。 でも東京は、昔の武蔵国府所在地の府中が、競馬場しか連想されないような場所ですから、住民がよければそれでよいということかもしれません。京・大阪の伝統と比べれば、農業開拓地丸出しですよね。ただ、総武相湾の類は疑問ですね。こういうことをいうのは千葉県人(相模の東京湾面しは横須賀以南、横浜・川崎は武蔵)でしょうが、川の向きから埋立地の利権がどうしたとか、堂本とかいう女知事は問題ですね。早く成田潰して別のところに飛行場つくってもらいですね。だいたい、国賓・政府専用機は羽田から外国で、どうして民間人は成田なんだという疑問が生じます。 でも羽田とか厚木は、飛行場にあった地名ですが、下落合に飛行場つくったら恐いですよね。それと読めない地名・人名はやはり考えてしまいますね。名古屋の千種区が【ちたねく】じゃなくて【ちぐさく】というのは、そのうち変わるんじゃないかと?札幌の月寒【つきさむ】は元、【つきさっぷ】と呼ばれていましたが誰も読めず、現行になってしまったそうです。車のナンバーでは習志野というのがありますが、【ならしの】は湯桶読みで【しゅうしの】という人がけっこ多いんですよね。練馬【ねりま】を【れんま】という人もけっこういますけれども。 別宮 |
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date 2006/11/30(木)09:40 とある後輩さま 銀行会計、とりわけ引当金関係の話は会計の専門家でもまずわからないでしょう。ただこんな風にしたことの責任はありますね。最大の原因は引当金に有税のものと無税のものがあることでしょう。引当金は全部有税にすべきです。英米はそうなっていますし、日本だけ引当金会計について税務で優遇する理由がないと思います。貸し倒れが確定すれば、当然損金経理になることは変わらないのですから。 これに限らず、日本の会計制度全般が明治のころのイギリス会計を基礎にしてますから、無理があります。企業会計・税務会計・有価証券報告書会計・SEC会計と4つもやらされては、経理マンもグチが出ますよね。縦割り行政の弊害ですね。 そして銀行は株式会社であると同時に免許事業です。銀行収益が誰のものかといえば、第一に株主のものであり、次には免許を与えた行政、すなわち国民のものということになるでしょう。儲けすぎとすれば、議会で銀行から特別税をとる立法措置をとることは免許事業である以上、必要なことかもしれません。この点で自動車メーカーや証券会社とは違います。 そして日本の銀行が他国に比べて利鞘の点で儲けすぎかといえば、そうではないでしょう。アメリカが330bpのところ、日本は120bpくらいでしょう。日本の銀行員の生産性はアメリカと比較して10倍以上でしょう。じつはここがむしろ問題です。手許に明治36年6月24日の新聞がありますが、「北海道鉄道会社第2期線中本郷・森間19マイル、昨日運輸開始の認可あり」の記事の隣に「拓殖銀行頭取の任命」の記事があります。 現在、北海道拓殖銀行はありませんが、これは本当にいいことなんでしょうか?銀行の統合・合併というのがどうも納得できません。銀行業とは本来ローカルなものです。現在、東京駅八重洲周辺でも多くの銀行は支店をおいていません。いつぞや三菱東京銀行のありかについて京橋の交番できいたら、銀座のマリオンに行けといわれました。いつの時代か、日本のマスコミは日本の銀行・支店は多すぎるというガセネタを広げましたが、ニューヨークやロンドンの街角には必ず銀行の支店があります。毎月25日銀行窓口は阿鼻叫喚の騒ぎです。塩川正十郎さんはやりすぎたんじゃないでしょうか。 別宮 |
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date 2006/11/30(木)10:34 別宮様、こんな下らない質問に答えていただきありがとうございます! 引当金に有税、無税があるなんて知りませんでした。目からウロコです。 母の話によると、某み○○銀行で給料を受け取りにいったら、 確か別宮様が、ここで銀行とは国ごとにかなり歴史を引きずったものになっていると また一つも二つも賢くなれました。ありがとうございました。 ウルトラザウルス様、レスありがとうございます。 どうも大学に最近在日含むコリアンが増えてますね。東大にもいますし、、、 |
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date 2006/11/30(木)14:18 別宮様、とある後輩様 日本の銀行は少なすぎますね。イタリアとくらべるのが正しいかは解りませんが、普通都会にいれば、歩いて通える範囲に1−2行はあるものです。まぁ、日本じゃコンビニのATMが代用なのでしょうが… (一方、郵便局は日本のほうが多いですけどね。向こうは煙草屋で切手が買えますし、行く必要もあまりないですが…) 昔仕事で、ある人の振込先の「チェント(人口三万人)貯蓄銀行」の口座番号がたったの4ケタしかなくて大笑いした事がありました。(それも、06××、みたいな…) それでも近隣都市を含めて40行ぐらいは支店がある様子で、考えてみればそのほうが驚きますね。 まぁ、日本にも「網走信用金庫」とかありますけど…(記憶が正しければ…) お邪魔しました。
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date 2006/11/30(木)15:04 とある後輩さま 昨今の状況を鑑みますに、さすがに企業側が辛のような香ばしいのを呼んだりしないのでは?と思います。 SLEEP |
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date 2006/11/30(木)21:26 謹啓 黒田様、東灘と申します。横レス失礼いたします。 関西は同和問題の本場であります。 最近、関西では大阪、京都、奈良など同和団体の行政介入、利権漁りが表面化しスキャンダルになっております。 私は90年代京都で学生生活を送ったのですが、アルバイトなどで知りあった京都の土着民の人たちはよそ者に対する気安さからか外来寄生民である私に対しては同和団体やそれに所属する連中に対する嫌悪や反発を隠そうとはしませんでした。 其の頃聞いた話では、市営住宅に同和団体に属する家族が優先枠で入居しこれが仮に五人家族だとすると家族のうちの数人もそれぞれの名義で優先枠をつかって市営住宅を賃借するのですがこれを一般の人たちに又貸しします。 今でこそ同和スキャンダルは平気でマスコミが取り上げるようになりましたが、当時は全くのタブーでした。 同和の行政介入を防止するのに一番良いのはやはり行政の透明性を高めることだろうと思います、こそこそやるからつけ込まれるのです。 関西で共産党が強いことを訝る向きも多いと思いますが、これは関西では同和権力があまりに強く、コレと正面きって戦えるのは共産党だけだったとゆう事情があります。 ところで、被差別民について、中世起源説と近世起源説とがあると聞きますがどちらがより説得的でしょうか、左翼は恐らく天皇/清浄・被差別民/穢れという図式から中世起源説を採りたがるのだろうと思います。しかし、私は近世起源論を支持しています。 もう少し書きたいのですが時間切れです、残念。 悪文失礼いたしました。 東灘 |
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date 2006/11/30(木)23:11 SLEEP様 辛はジェンダー屋ですが、もっぱら公的機関(市町村)のに呼ばれるようです。日本の自治体職員と言うのも、相当なしろもので、5時になったらさっさと帰るくせにこういう活動だけは熱心です。 住んでいる神奈川県は残念なことに日教組教育のメッカです。消防署の火の見櫓に「米第10軍団司令部移設反対」なんぞという幔幕が掛けられているような有様です。 困ぺい糖 |
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date 2006/11/30(木)23:44 >「うぃんどうずがふりいずしたらこんとろうるきいとおるときいとでりいときいをおせ」 爆笑してしまいました。日本語は判り易いですよね。 あるいは、欧米系言語の分かち書きって言うんですか、単語と単語の間に空白入れるのって、 シナ語、タイ語なども分かち書きしないので、上記と同じで読むのが大変です。 辛女史について、あれはもう駄目です、人格崩壊してます。 10年ほど昔、朝生で見てたんですが、金美麗(でしたっけ?)女史が辛女史などに 「あたしは日本にもう何十年といるけど、差別なんか一度も受けたことないわよ! そうしたら、辛女史たちはうなだれてしまって一言も言い返せなかった。 辛女史は、思想が駄目とか偏っているとか、そういう問題以前に人格が駄目です。 |
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date 2006/12/1(金)00:26 こぺてん> >「うぃんどうずがふりいずしたらこんとろうるきいとおるときいとでりいときいをおせ」 こぺてん様、誤解を与えてしまったようで申し訳ありません。 それにしても、辛女史の知名度が高かったことに驚かされます。 |
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date 2006/12/1(金)02:07 ああ、そうでしたか。 辛女史については、在日の間でも評価が分かれるそうです。 「金美麗」は「金美齢」の間違いでした。失礼しました。 |
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date 2006/12/1(金)02:53 私も大爆笑した一人でございます。 朝鮮語ですが、分かち書きにも南北で差があるようです。私が昔習った時に聞いたのは、北は南にくらべてほとんど分かち書きをしない、という事でした。韓国のハングルのほうが読み易いようですね。きむじょんいるしょうぐんさまたちは これでぷるとにうむがどのようにかくぶんれつするのかをりかいして げんしばくだんをつくっているわけで こわいはなしです。 読み難さ以前に、私が勉強したときに気がついたのは、確かに「超ゆっくり」と読むのであれば、□がmだ、○が無子音だとかを理解しながら文章を読むことが出来ますけど、すらすら読むためには、結局字をそのまま覚えてなければいけないわけです。しかも数えてみれば19X21X7Xα(子音で終わる際、色々変な決まりがある様子、例外も…)ぐらいになるようですね。まだヨーロッパ主要言語の発音全てのアルファベット表記を勉強したほうが、よっぽど数が少ないと気がつきました。まぁ、それでもハングルばっかり読んでいれば、そのうち覚えるものでしょうが…(それじゃ、日本語と変わらん…) それより、朝鮮語の失敗は、漢字ハングル混じり文をやめてしまったことでしょうか。数年前、ふと手にしたボロボロの岩波新書「朝鮮」(金達寿著、半世紀前の本…)の中で、朝鮮日報の一面の写真を見せて「いかに日朝両言語が似ているか」を説明していたのが異様で、とても可笑しかったのをおもいだします。当時の漢語はほとんど共通ですから、まぁ、当たり前なんですけど… (この本、まだ出てるんですかね…) ペルソナングラータ |
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date 2006/12/1(金)08:40 とある後輩さま 昔(といっても15年ほど前までですが)、大蔵省は「店舗行政」(まったくの行政指導で根拠法令なし)というのをやっていて、個別銀行がどこに出店するか、毎年いくつ出店するかを、事実上命令していました。 そのうえ日銀は「窓口指導(規制)」というのをやっていて、三カ月ごとの貸出し量や業種、場合によってはどこに貸すかまで口出ししていました。私も日銀の窓口指導に出席していましたが、日本銀行営業部というのがあって、そこの丸テーブルかなんかでゴタゴタ話をするんですね(これも根拠法令なし)。じっさいは、技術的なことが中心であり、かつ都合が悪いと銀行は、貸し出しの残高調整をやります(じつはこれも話がついている)。やり方は企業から月末他券で借入金を返済させ、1日に月末扱いで貸し金を設定するという方法でした。 これには「ウィンドウ・ドレッシング」という業界用語まであって、コソコソ(その割には新聞にまで出て)とやって、世間の不信をますます集めていました。1938年の「国家総動員法」から始まる、統制経済の残滓でしたが、後半は漫画でした。要はその当時(もちろん今も)銀行経営においては、経営者不在であって、預金にたいしてどの程度貸し金すべきか(=どの程度リスク・アセットをとるか)という経営上もっとも重大な判断を日銀・大蔵に投げていたんですね。そして夜になれば、ウナギ屋などにいき「いやいやゴモットモ」などといい、日銀は六本木の東洋英和の隣にある寮(=ただのレストラン)で、「たまにわ」なんかいって招待してくれるわけです。 まわりまわれば、皆国費です。そういえば日銀総裁はまだ辞めもせず、偉そうに経済談話などたれていましたね。 ただ、銀行のサービスで、「椅子に「おかけになってお待ちください」は旧弊ではないでしょうか?これをやっているのは日本の銀行だけの気がします。スピードこそもったも重要なお客サービスではないでしょうか? 別宮 |
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date 2006/12/1(金)10:25 ペルソナングラータさま 口座番号は日本の銀行は7桁で1000万口座まで大丈夫なはずですが、じっさいには1人で複数口座をもつことがあるため、限界ともいわれています。コンピューターで閉鎖口座を戻って採番しているといわれています。 ただ、全国銀行一律です。日本ですとこの種の統一というか標準化は悪魔的なスピードで進みます。昔、全国最小の信用金庫は角館信用金庫で資金量30億円、従業員30人程度でした。確か本支店は二つと思いました。利鞘3%として粗利9000万円であり、非人件費が5000万円はどうしてもかかるとすれば、残るは4000万円。それを30人で分けることが可能か?という疑問がありました。でもやっぱり粉飾で被合併先が「ご破算だ」といって騒いだそうです。 現在、都市銀行中規模店(従業員100人)の年間経費は本部経費按分を除いて、年10億円です。500店で5000億円ですからけっこう厳しいですよね。ちなみに全国個人法人貸し出しは400兆円で、国地方債より大分少ない額です。これの利鞘が2%として8兆円です。これを全国300の銀行で分け合っています。最大手の東京三菱はうち2兆円をとり、経費8000億円で(貸し倒れがなければ)1兆2000億円儲かるとなります。これでも年間貸し倒れが同額発生すれば即赤字です。 世界的にみれば貸し倒れは年平均1・5%は出ますから、銀行というのは割に合う商売とはいい難いともいわれます。IY銀行などは、運用は国債限定で貸し倒れをゼロにする作戦のようですね。政府が国債発行をやめたら苦しいですけれども。 想像ですが、銀行というのは田舎でやるべき商売ではないでしょうか?イタリアの銀行で国際金融に出てくるのは、バンコデナポリ、投資銀行に出てくるのはバンカコンメルチャーレイタリアーナ(聞いたままでスペルは知らず)でしたが、ナポリの方が元気がよかったような記憶があります。役職員もドイツ系(すぐ国粋主義的なことをいう)より気持ちがよかったことを覚えています。アクシスは死なず、ただ消え去るのみ、といった冗談は日本人とイタリア人しかわからないようですね。 別宮 |
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date 2006/12/1(金)10:42 高城さま あまり面白くないですが、薩長の志士に優秀な人が多かったのは事実でしょう。日清戦争の下関講和会商における公用語は英語でした。ところが、日本側代表団は全員英語ができるのですが、中国側は李鴻章以下一人も英語ができなかったんですね。 中でも長州の下級士族槍もちの伊藤博文は英語で机をたたいています。誤解する人もいますが、中国の方が日本より、鎖国解除も外国人との解消も早いんですね。にもかかわらず、中国の政治指導者は、外国の文物を取り入れようとしませんでした。 これの背景にはご指摘のような儒教があり、その根底は排外主義です。世界でもっとも革新的な技術が自国のみで発明されると考えることは根底的に誤っています。世界の偉人は中国にしか発生しないという発想、世界にはマホメットしか偉人がいなかったという発想では、近代化は困難です。 今の日本で、言論の自由を否定するのは大アジア主義者・媚中主義者の加藤・山拓・小沢のような人です。歴史は繰り返すんでしょうか? 別宮 |
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date 2006/12/1(金)10:46 なるほど。大変ためになります。ありがとうございます。 しかし、なぜ法的根拠もないのに、なぜそこまで唯々諾々と、 経営判断の丸投げということですが、 自分は銀行側が一方的にそういう指導におびえて、MOF担だかを 母が怒ったのは、やはり阿鼻叫喚の(!)25日でした。 |
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date 2006/12/1(金)11:03 東灘さま 律令下でも良民と賎民(奴婢)がありました。でも、賎民はよく逃散していなくなってしまったらしいですよ? 江戸以前は身分が固定化していなかった為、現代ほどではないが、社会的地位の上昇の機会もあった、 戦前の農家なら、誰でも知っていることですが、陸軍から年をとった軍馬を払い下げてもらって、 決して一方的な差別と搾取の関係ではなかったのです。 黒田 黒田 |
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date 2006/12/1(金)11:54 朝鮮語ですが、北は漢語チックで書き、南は結構崩れてますから、 ハングルの漢字捨ては、「暴挙」としか言いようがありません。 最近は漢字復権派、ハングル原理主義派がうろちょろしていて余計に混乱します。 金達寿という人は、もう亡くなりましたが、3・1運動で10万人死んだとか |
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date 2006/12/1(金)17:06 ウルトラザウルス様 超人ロックだったら良いですね おそらく彼なら一瞬で物事を理解するでしょう 旧ソ連も考え方として完全に誤りというわけでもないのでしょうね 官僚主義なのでしょうか 私は何かが根本的に間違っていたように思うのです |
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date 2006/12/1(金)18:39 福岡県の三輪中学校いじめ自殺事件には、日教組、同和問題が係わっていると以前から http://banmakoto.air-nifty.com/blues/ どうゆうことか、はしょって書きますと、この三輪中学校の教区は同和地域を含んで 担任でいじめの発端を作ったT教諭も、同和教育に熱心で解同に近い人だそうです。 同じような話がここの11月4日にも載っています。 他のいじめ自殺事件と異なり、この中学校が真相を明らかにできず、謝罪も行って しかしながら、どこまで本当なのかわかりませんし、同和教育がいじめや自殺に |
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date 2006/12/1(金)22:36 黒田長政様,おひさしぶりです。 このジャンルには,渡来sは共に口出しできる程の知識を持っていないのですが, 蜂須賀小六は山賊ではありません。 これは講談や物語の影響が強すぎて史実の方が 蜂須賀小六は,あの辺で勢力を持っていた土豪の一種でして,ものの本には「川並衆」 黒田様に対して釈迦に説法の類ですが,蜂須賀小六のような人は大名に仕えても,それ 何冊か本を読むと,たぶん秀吉が(最初は)蜂須賀小六に仕えていたのだろう,と書か 秀吉の出世に伴い,蜂須賀家も大きくなりました。 御存知のとおり,四国の阿波を 秀吉にズケズケとものを言える希少な存在だったのですが,秀吉が家康を取り込もう 蜂須賀家は江戸時代を通じて大名として生き残り,明治になってからは爵位をもらい 陛下にすれば邪気のない「おたわむれ」だったのでしょうが,蜂須賀家の方は家門の恥 ええやないですか,戦国時代のことなんて。 江戸時代の川柳にも「大名も/もとは わたしが蜂須賀家のために弁護して,どないすんねん。 12月1日に忘年会!を |
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date 2006/12/1(金)22:51 質問というわけではありませんが,酔漢いや酔女の放言として,お聞流し下さい。 小泉首相時代に郵政民営化に反対して自民党を離れた(追われた?)議員・前議員 しかし,郵政民営化に反対したくせに,復党したい一心で「郵政民営化に反対したこと 私が間違っていました,悪ぅございました,復党させて下さい,と言うのなら,格好 自民党を離れて無所属で選挙戦を戦うのは,そりゃあ大変でしょう。 しかし,それ 書生論みてぇな事を口走ってしまいました。 昔,チャーチルが保守党から自由党に どうも,お耳よごしのことを書きまくって,失礼しました。 |
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date 2006/12/1(金)23:22 かの司馬大先生のお友達ですな。 ひょっとして、我々がいう「歴史学」を、韓国・朝鮮人に習得させることは、無理なんじゃないかと思うことがあります。 |
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date 2006/12/2(土)00:08 黒田長政様 東灘様 現在、日本でいわゆる同和行政の対象となっている人々は、その差別要素(職業、居住地域)から見て近世(江戸)以前に遡ることはありません。そして、これは江戸時代に身分固定がなされたから、というマルクス史家の説明では納得できないものがあります。つまり、古代中世の賤民の家系が固定化して近世まで持続したという主張する一方で美濃の川並衆のなり上がりを褒め称えるのは第一大きな矛盾ですし、なにか別の意図を疑いたくなります。 はっきり言って、近代以前においては居住地、血筋、職業による差別はあらゆる国にありました。当然古代には古代の、中世には中世の差別が存在したわけです。そして、身分間の変動と言うものは、時代とともにあったわけです。これを「自由」「固定」の一言で括ってしまうのはマルクス史家の犯した大きな間違いだと思います。網野善彦などの言説では、どうしても万世一系を覆したい(つまり日本にも革命がありえた)と主張するための政治的主張が論を誤らせていると言えます。 本当の近代的自由とは、合法的手段でどの出自、職業、居住地の人間でも、等しく平等な機会が与えられることです。明治政府の行った四民平等とはこのことを宣言したもので、それ以前の幕府、朝廷はついに言えなかったことです。つまり結果平等ではありえませんし、ましてやモノカネ、暴力や脅迫によって実現されるものでもありません。その意味で結果平等主義でモノカネ、就業ポストを与える現行の同和行政とは、本来の差別撤廃とは逆のものだということは明らかと思います。 旧長州藩領出身のある有名な企業のオーナー社長はやはり同和血筋出身だと言われました。しかし、まあ、ビジネス手法(中国安人件費頼みの製品による出店展開)はおいとくとしても、一代でこれだけの成功を個人の力で成し遂げた点において尊敬に値すると私は考えています。彼のなしたことは、尾張中村のサルよりも立派かもしれません。 奈良や京都で公務員が槍玉に上がったのは、その任用において明治以来少しうるさ過ぎるくらい主張された機会平等の原則が放棄されたことに人々の怒りが注がれているからです。そして、それを政治とする勢力があるためです。彼らは被差別部落がダメなら他の人たちをダシに使ったことでしょう。 それに、蜂須賀公は代々従四位(侍従)の官職を授けられた家柄です。江戸城では外様、大広間ですが、この家系の者達がはたして朝廷と幕府から差別を受けていたといえるでしょうか? 困ぺい糖 |
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date 2006/12/2(土)03:28 黒田様、みなさま 日本史にはからっきし無知な私ですが、ふと疑問に思い続けていることがあります。 学校で習ったことといえば、穢れが多いと書いて穢多で、けがれにかかわる仕事をしていたから差別された、おおくは革製品を扱う云々。非人の代表は河原者等々。ほかに駕籠かきとかも士農工商の外ですね。 さて、以上(全てを考察した上ではありませんが…)、仕事としてこれらをとりあげて考えると、昔学校で習った「ひどい生活をさせられた、虐げられた人々」というのとは少し違う面があるのではないか、と思えることです。例えば革工ですけど、武具、馬具は革を多用しますから、(日本人的倫理観からは)グロな仕事ですけど、特に戦国時代などは結構ウハウハ儲かる仕事だったんじゃないでしょうか。河原者なら代表は役者ですけど、これも(売れれば)大儲けのできる仕事です。阿国歌舞伎もちょうど江戸時代になる直前に生まれたものですが、このころからの経済の活性化と、賎民身分の成立ー確定とのかかわりがあるかも、などと考えてしまいます。「ひどい身分=貧乏」とは限らないように思えます。 ほかの職業では、ヨーロッパでも、首切り役人や墓堀り等は近世までずっと差別され続けましたし、日本だけの例でもないようです。芸能関係者も、「芸術家だ」と偉そうに振舞えるようになったのはここ200年ぐらいですね。 フェラガモ、プラダは賎民の所業か… |
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date 2006/12/2(土)04:18 困ぺい糖さま 関東・東北地域の人は「同和?よくわからない」と言うでしょう。主に西日本のお話です。 厳密に言えば身分間の変動が江戸時代にもあったでしょう。その言い分は正しいと思いますが江戸幕府が身分秩序を保とう 近代的自由についてはお説の通りだと思います。 「結果平等主義でモノカネ、就業ポストを与える同和行政」とありますが、もう少し深く掘り下げると、地方自治体のだらしなさ 山賊であった蜂須賀小六は中世史専攻からみると、と申し上げたのであって、川並衆という土豪であった、とご指摘を受けた以上、 ただ、江戸時代でも豊臣恩顧の外様大名は取り潰しの格好の標的でした。蜂須賀家は徳川家から養子を迎えたのではないですか? 黒田 謹言 |
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date 2006/12/2(土)07:26 黒田長政様 いつも思うのですが、せっかく良いテーマや興味深い論をお持ちなのに、なにかこだわりのようなものにつかまっているように感じます。もちろん、これは批判ではありませんので悪しからず。 私自身のことに関して言えば、実は両親が西日本出身、自身の(元)つれあいがやはり山陽地方出身、ということで、西日本の特別な事情に関してはわりと小さい頃から認識のあったほうです。また、東京とその周辺はいまや土着民よりも他県からの流入者のほうがますます増えています。おおっぴらにはもちろん出ませんが、内輪のお話ではこの同和の話がでる確率は、実はたいそう大きくなっています。 ところで、歴史事象は事実ですから、相互の事象の矛盾を説かれる場合は、やはり自身のスタンスがはっきりしているからできることです。つまり何らかの介錯に基づくならば、この事象とあの事象は矛盾である、という結論が出せるのですよね。 また、近代以前、特に古代中世の王制、君主制、封建制の中で自己身分の向上改善をはかるには、忠勤に励んで覚えをめでたくするか、逆に武力で現主君を打倒するかしかありませんでした。そして、左翼史家の多くが下克上の武力革命をほぼ手放しで絶賛します。そうしなかった者を阿諛追従の邪臣と呼んだりしますが、革命願望と正潤論と言う意味で儒教と同じです。 蜂須賀家というのは、江戸期にはけっこう内紛の絶えなかった家柄で、それゆえ幕府の改易リスト載ったこともあります。あれだけの石高にもかかわらず、老中などの幕府枢機に参画できませんでした。でも、これは朝廷や幕府のせいじゃないですね。 困ぺい糖 |
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date 2006/12/2(土)08:16 困ぺい糖さま その最後の種、蜂須賀家家老の稲田家が治めた淡路島出身、影十字であります。 多分、蜂須賀家最後の内紛、稲田騒動の現場出身者としては少々耳が痛いお話であります。 映画のパンフレット読んでいると明治3年、函館陥落の翌年です。こんな時代にもなって一体何をしているのかと驚きました。 やられた側な上に今でもスープの中のハエ扱いされているので頭に血がのぼり気味です。乱筆乱文ですいません。 影十字 |
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date 2006/12/2(土)08:40 渡来さま イギリス下院は議席が640ほどで日本より大分多いんですね。そのうえ全部小選挙区ですから、1万5千もあれば当選できます。 チャーチルはクーポン選挙でロイド=ジョージ連立派につき当選しましたが、そのあとは落選を重ねています。要は、ロイド=ジョージは自由党を崩壊させたんですね。それで自由党に居場所がなくなり、ボールドウィン保守党に加わりました。 チャーチルはこのころ連立派のうち反ロイド=ジョージで保守党に加わった議員ともに「コンスティテューショナリスト」と自ら呼びました。直訳すれば「原則主義者」だというところでしょう。元々チャーチルは自由貿易を支持し、大英帝国維持派でした。第一次大戦後の保守党がその原則を踏襲しつつあり、自分の主張と合致していると宣言したかったのでしょう。 こういったことで、まず保守党+ロイド=ジョージ派でクーポン選挙をやり、アスキス派自由党に大勝。そのあとチャナック選挙では、保守党単独×労働党という構造に転換しました。これにより、ロイド=ジョージ派とアスキス派で自由党が分裂し候補者複数となり支持基盤が嫌気をさし、労働党に転換してしまったんですね。 小選挙区はけっこう政治構造を大転換させることができます。現代日本に戻れば、まず比例をやめるべきなんでしょう。そのうえで、自民党は公明党と手を切るべきです。小選挙区になればローカル政党は生き残れますが、公明・共産は滅亡します。そして、民主党内旧社会党も党議に反する行動に出て、クーポンをもらえずに自滅していくでしょう。長期的にはそういった流れになると思いますが、今は逆行しています。でも、これは政治につきものでしょう。 別宮 |
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date 2006/12/2(土)09:01 とある後輩さま なぜ銀行が役人に勝てないかといえば、銀行員より大蔵省の役人の方が、識見・知識とも優れていたためでしょう。 役人というのは、元は、大蔵省銀行局銀行課課長補佐(市中銀行担当)で一人(35・6歳/だいたい主計までのつなぎの安楽ポスト)だけです。この人が都銀6行を相手に業者行政をやっていました。ところが、6行が束になっても理屈で勝てないんですね。 都銀のMOF担といっても実はたいしたことがなく、組合上がりのニコポンというのが多いんです。ところが、大蔵課長補佐というのはアイビーリーグの修士以上出ていて新金融技術から国際金融まで、アメリカ人のボケより強いんです。ROAとか訳のわからぬ経営指標をボコボコいわれると、都銀の業務企画程度では勝負になりません。かつては興銀が1行で頑張ってましたが、今はどうなんでしょうか? 課長補佐氏はとにかく日本国の俊秀ですから、民間では太刀打ちできなかったのが実情でしょう。官尊民卑はあるんでしょうが、あんまり優秀なのを大蔵(財務)省あたりにおいてもしょうもないと思うんですが・・・。 別宮 |
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date 2006/12/2(土)10:26 軟体金属様、二等兵であります。同郷の方がいて嬉しいです。 そうです、あの辺り一体を「弥平新田」と称したのです。 東川口を少し遡ると「見沼」ですね。「通船堀」で有名なところです。 それはさておき、上の方で盛り上がっていますが、実は「川口」 荒川には「水上生活者」もいました。 ですから、鋳物工場の経営者の子弟と鋳物工の子弟は小学校でも 残った子供が地元公立中に進学です。今のイジメや荒れなんて 今は高層マンションが林立する東京のベットタウンになって 水上勉の「飢餓海峡」の気分です。あの惨めな時代の記憶が 軟体様は私より随分お若い方とお見受けします。今後とも |
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date 2006/12/2(土)12:13 別宮様、詳しい解説ありがとうございました。 役人にへこまされる銀行員の姿が目に浮かんで、ちょっと悲しくなりました。 とにかく、まだ未熟者で録に社会にでたことないものですから、 |
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date 2006/12/2(土)14:11 ペルソナ・ノングラータさま マルクス主義的影響が深い『被差別部落一千年史』ですが、被差別者のなかには、富める物あり、銭を貸し出す、 困ぺい糖氏のおっしゃることで正しいことは一つだけあって、 現行同和行政対象の人々の家系を江戸時代以前に遡るのはあまり意味が無いことかもしれませんよ。 この部分です。研究者は江戸時代の「エタ」という呼称が鎌倉時代からあったから、ということで 被差別地域と犯罪多発地域が重なった場合は?との問いに別宮師が「警察が24時間重点的に巡回するべし」 人が400字以内に3つの話題を提供するなら、返事を書く人は3つの話題にふれていただきたいものです。 ペルソナ氏の文章はヨーロッパの現地の情報がちりばめられていて、興味がわくので参考になります。 黒田 謹言 |
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date 2006/12/2(土)14:39 困ぺい糖様,影十字様,黒田長政様,婦唱夫随のsai夫でございます。 別に項を建てた方がよいかなとも思いましたが,私の寄稿は,たいした内容でもありま 一般論として申し上げますと,蜂須賀家が幕政の枢要に参画できなかったのは,必ず 幕府創業以来,外様大名には大領地を与えはしても,老中などには起用しないことが 外様の中には不満な者もいたに違いありませんが,まぁ負けたんだから,という納得も つまり,譜代には権力/外様には領地,という使い分け。 もちろん,例外を探せば しかし,幕府の屋台骨がゆらいでくると,外様大名も国政(←幕政というにとどまら 要するに,蜂須賀家が幕政に参画しなかったのは,幕府の基本方針に則ったもので, 薩長は,一度は徳川家と戦った家でした。 土佐では山内家に圧迫された人々が倒幕 |
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date 2006/12/2(土)15:29 生き残りの道…おっしゃる通りだと思います。 来年の大河ドラマにも,たぶん, 私は,昨晩,家内から聞かされるまで「川並衆」という言葉も知らなかったほどです。 日本では,と,ひとくちに言いますが,昔の日本は,今ほど均質ではなかった。 しかし,あえて,申しますと,歴史的に観て,日本の養子制度というのは,日本人の私 いくつかの大名家は,徳川系列から養子を迎えて,断絶を防ぎました。 その気持ちは, 残っているのは「いえ」という場。 大勢が生活や仕事を共にする場。 家来たちは, 家内が申しますに,こういう場合,大陸では(たぶん半島でも)「絶家」という措置を 家来が居ない,普通の家で,血縁ではない人を養子に迎えるというのは,かまわない ちなみに,西欧貴族のケースでは,養子は爵位の相続権を持たないのだそうです。 ま,爵位にも領地にも無縁の渡井s,気楽な身のほどで,よかった。 『武士に一分』も『007』も満員で断念,渡来s |
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date 2006/12/2(土)23:52 別宮様 betsumiya> 昔から水が出るというので「田」のつく地名の場所には住むなというのがありました。 betsumiya> 田園都市線は、多摩プラザとかあざみ野とかいい加減な東急流地名が多いですが、その中に荏田というのがあって、周辺より地価が安いとボヤいている住民がいました。でも、世田谷にして大田(もっとも田町から)にしても「田」はありますよね。 betsumiya> ただ、総武相湾の類は疑問ですね。こういうことをいうのは千葉県人(相模の東京湾面しは横須賀以南、横浜・川崎は武蔵)でしょうが、川の向きから埋立地の利権がどうしたとか、堂本とかいう女知事は問題ですね。 betsumiya> 早く成田潰して別のところに飛行場つくってもらいですね。だいたい、国賓・政府専用機は羽田から外国で、どうして民間人は成田なんだという疑問が生じます。 高城 |
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date 2006/12/3(日)01:01 黒田様 困りましたね。私の論をもう少し注意深く読んでいただきたいですね。 あなたの仰ることに対してあまり風呂敷を広げないでお答えしているつもりです。そして、使っている言葉も難解でしょうか?もしお判りにならないなら、ここがわからないと正直におっしゃってください。 それと、私に対する批判なら私宛てにしてください。ペルソナさんにむけて私の陰口を叩いているようにも取る人も出てくるんじゃないですか?これはあなたの言っている観客の方にも失礼ですし、第一マナーの点でどうでしょう? 困ぺい糖 |
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date 2006/12/3(日)01:12 sai夫様 ご指摘有難うございます。 江戸時代の外様大名と言うのは、むしろ財政、軍事面での分担を強く求められたと思います。 まえから不思議に思ってきたのは、徳川幕府の政策が直轄軍事力の削減を目指してきたように思えることです。これはそれ以前の武家政権ではありえないことです。 ただ、戊辰戦争では諸侯は風向きを見て寝返りをなだれのようにやったようにも見えません。また、薩摩などが軍事力を背景にして簒奪を図ったというのも少し根拠が薄いかと思いました。 困ぺい糖 |
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date 2006/12/3(日)01:22 黒田様 私は困ぺい糖様とはまったく面識も何もありませんが、(某騒乱要因討伐など由縁の)半同盟関係のようなものでございますので、この点、ご了承のほどを。さしずめ米仏、日仏関係のようなものでしょうかね… それに、ルサンチマンはあまり共感しません。 ユダヤといえば、知り合いが旧ゲットー地区とやらにすんでいた時期がありまして、ちょくちょく遊びに行っていました。ご存知の方も多いと思いますが、Ghettoという単語はもともとイタリア語でして、成立したのは15−16世紀ごろです。もちろん直接の関係ありませんが、日本の賎民身分の固定化の時代と近いですね。ゲットーのイメージも、ヒトラー等とついつい絡めて考えてしまいますが、実際はかなり違うようです。 もう一つ、芸能史好きの私として気になるのは、賎民階層と社寺のつながりなのです。観阿弥、世阿弥父子ももともとは春日大社(だったと…興福寺だったかも…)の配下にいた芸人衆だったわけですが、社寺というのは、結構賎民との繋がりが目立ちます。(社寺自体が士農工商の枠外にある存在でもありますが…) あと、賎民とは直接関係ありませんが、京都といえば「八瀬童子」も気になります。仕事は「帝のかごかき」なのですが、延暦寺とも密接につながった立場にいたわけです。異様なのは、かれらが「鬼の子たち」とされていた事で、非人の成立史とつながりがあるかもしれませんね。(ただ、近世ではずっと租税免除の特権集団で、昭和天皇崩御のときにも、かれらに輿を担がせるかどうかでもめて、結構えらそうな立場の人たちですが…) 現代の部落差別について考えるとき、いつも考えるのは、現代ヨーロッパにも町ごとに評判の悪い地域というのがあるんですね。自治体が低所得者向けのアパートを作り、そこでは概して治安が悪く、建物も東欧の出来損ないのようなものが並ぶために醜悪という訳で、いいところに住んでいる市民は皆して悪口を言います。近頃は現地人が金持ちになって引っ越し、そこに外国人が浸透してくるために、ますます治安や評判が悪くなる悪循環が続いているようです。私の知ってるところには、30階建て(!)の低所得者向けビルと、少し離れた近くに一般人が立てた趣味のいいアパートが建っているところがありますが、見事にそこのビルがある道の名前だけが町中で有名になっていました。その道にはたくさん公園があるんで、さらに隔離された状態になるという皮肉な結果に… これじゃわざわざ自分たちで差別部落を作ってるような… 日本もこの外国人浸透プロセスに乗っかってしまわなければいいんですけどね。 貴殿の紹介されている本、明日にでも図書館で探してみます。 ペルソナングラータ |
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date 2006/12/3(日)01:38 ご両名 ペルソナさんはやめてくださいませ。なんか、ユンソナの親戚みたいで… |
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date 2006/12/3(日)01:56 薩長の志士の具体的な優秀性は勉強不足で分かりませんでしたが、薩長閥や元老の意見と反対勢力の意見では、前者の意見のほうが大体正しい感じはしますね。やはり政治の実権を取る為に発想した反対意見では本末転倒なんでしょう。小沢民主党も同じくまったくダメでしょうね。目的を達成する為に手段を選ばない人の目的・結果は必ず歪むと思います。 ただ、派閥支配から脱落した土佐・肥前の志士の対抗意識を軸に不平士族を吸収して、自由民権運動は盛り上がったのではないかと思いまして・・ 日本人が自由を本当に分かっていれば、むざむざ軍閥支配になることもなかったと思うんですよね。核議論で明らかなように、今も言論封殺主義が生きてる感じがしますし(弱体化はしてると思いますが)。 また、西欧に戦争で負けて(当面でも)攘夷思想を反省できた薩長が政権を取れたのは奇跡のようにも思えますね。幕府も手をこまねいていた訳でもないんでしょうけど、これまでの実績に胡坐をかくところはあったでしょう。支那でも洋務運動や康有為の改革とかあったハズですが、幕府の改革と同様のもので、あまり効果はなかったんでしょう。朱子学・中華思想が原因かと思いますが、根拠のない高いプライド(夜郎自大)は自らを滅ぼす部分はあると思います。幕府も朱子学を採用したのは失敗だったでしょう。漢文の学習もリテラシーを高めるという良い面と、後に親中・大アジア主義者を生み出した悪い面があったと思います。歴史の後知恵みたいですが。戦後の中国に対する贖罪意識もいい加減にしたらいいと思います。当事者でもなければ変でしょう。 歴史は繰り返さないと思いたいですが、死に体の加藤・山崎はともかく、小沢民主党が政権を取ってしまうことは、ありえなくはないでしょう。彼の政策は国連主義(機能しないのは目に見えている)・言論封殺など目もあてられないです。中国は脅威発言で株をあげた前原氏も議論するのは得策ではないと言ってて少しがっかりしました。小沢よりはいいですが、脇が甘いと言うかなんと言うか。民主党はダメだと思いますが、現実に侮れない人気はあるので、安倍政権に期待したいです。でも寧ろ、安倍政権以後に人気のない総裁が立った時が本当の危ない時かもしれませんね。改革さえきちんと出来れば、日清戦争の時のように大方の世界の予想を覆して(今度は経済で)再び中国を突き放すことは可能だと思います。別宮様が常々主張されているように、中国の後進性は明らかなのですから・・ |
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date 2006/12/3(日)02:59 別宮様 最近、諸君!はいい記事が載ること多いと思ってて、わりと買っているのですが、迷いなく買えました。 アメリカは現地の事情も知らずに理念を打ち出してしまうというのは、さもありなんという感じですね。国際法をあまり意識してない感じなのも昔からなんですね。満鉄の件は目からうろこでした。別宮様は戦前に何が原因で日米関係が険悪になったとお考えですか? 高城 |
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date 2006/12/3(日)03:34 困ぺい糖さま 別宮師と投稿者との対話を読んでおもうのですが、別宮師は細かく見れば突っ込みどころ満載の相手の質問に、 古株の貴兄にそうゆう太っ腹な文章のやりとりを期待したいですね。 私は具体例を挙げて歴史は矛盾だらけである、と主張したので、それに納得せずに「論点拡散」と断ずるのならば、 実際、理性によって歴史は進歩してきた、と主張する人もいます。 ただ、歴史学をやっている人は、職業柄、私生活まで「傍観者」を決め込んでいる人もいますので、 黒田 謹言 |
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date 2006/12/3(日)08:25 ペルソナングラータ様 失礼いたしました。 たしかに自分で「困の字」とやる分にはいいですが、人に言われると気分が悪いですね。 訂正いたします。 困ぺい糖 |
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date 2006/12/3(日)09:11 高城さま 手前の話で一般論ですが、日露戦争(1904年)では外交的孤立を避けるべきと考えており少なくとも、英独の支持・中立は絶対であると考えていました。ところが、1933年に国際連盟を脱退するときには、朝鮮と同じ程度の満州問題で、どこの国の支持も不必要という態度を日本はとりました。これは(弱いにせよ)中国という明確な敵があったにもかかわらず、そうしたんですね。 現在でもフリーハンドを得るために、(イラク問題で)アメリカを支持するよりも、独仏と同じ態度をとるべきという論者は絶えません。ですが、イラク問題以外で独仏が日本を支持することがあるでしょうか?また、日米中三角同盟を組めという論者もいます。でも、日米同盟と日中同盟が両立するでしょうか?これらについて回答は容易でしょう。 そして、戦間期のアメリカは孤立主義であって、今よりはるかに相手がしにくい国でした。ですが、イギリスは(日本またはドイツと再同盟という誘惑にかられても)断乎として、アメリカとの紐帯を切ろうとしませんでした。結果としてインド外、あらゆる植民地を喪失する危険性も覚悟のうえでした。そして、もし太平洋戦争がなければ、AA諸国の独立は50〜60年遅れ、結果として戦後の戦争の多発や貧困は防げたことでしょう。要は問題は、日本人が洞察力をもってすれば、イギリス人のように見通すことができたにもかかわらず、まったく目先の好悪に動かされたことです。これは現在でも、あまり変わっていません。ヨーロッパ人は、今日の問題の責任の一半はアメリカと日本にあると思っているんですね。 外交とは、好悪と別に、地勢的に、イデオロギー的に決めざるを得ません。そこでは「庶民感情」や「フリーハンド」などを考えてはならないんですね。 ですから「関係険悪」が、外交なり戦争なりに影響を及ぼすことは必ずしもありません。第一次大戦が起きた1914年に、ドイツがそれより前の数年より、英露仏と関係が険悪だったことはありません。やはり太平洋戦争については、作戦計画を発動させた海軍の思惑がどうだったかを考えるしかないでしょう。 別宮 |