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date 2007/1/4(木)22:07 別宮様 困ぺい糖様 件の硫黄島映画ですが、素直に出来の良い映画と思います。戦闘描写も日本側からの敢闘という視点で描かれていますし、陸の河童ならぬ海軍が陸戦で如何に無能なのかが映像化されているという、ある意味とてもまともな考証がされていた映画と思えました。我国では便乗してテレビで硫黄島ドラマを放送したそうですが、実際の主役のはずの陸軍がほとんど出されず海軍ばかりを出した異様な代物をこさえたそうですから、どうも映像関連分野でも彼我の資料読込・整理能力の差が著しく拡大しているのではないのかと言う危惧を抱かせてくれます。 それにしても、二ノ宮氏が演じる役での召集令状を受取る場面で、令状を配達する人の廻りに既に家族が出征した夫人連がついているのを見ると、どうも我国は第一次大戦の英国と余り変わらない雰囲気で戦争をしていたのではないのかと思ってしまいます。 枯山 |
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date 2007/1/5(金)01:23 さもあらむ様 あけましておめでとうございます。伊語ならBUON ANNO!でございます。私もぼちぼち戻りますから、ご心配なく。 日本は、どういうわけかおでんは「静岡風」が流行しております。タイでもおでん(こっちはふつうのやつ)が流行しているそうですから、ひょっとするとそのうち欧州上陸もあるかもしれません。(その前に、コンビニのシステム自体が上陸してくれると楽なんですけどね…) それにしても、大根はまことに良い野菜でございます。 政治では、ドイツは左が右に、イタリアは右が左に変わりました。ヨーロッパはいいですよね。カップル同士で、相手の文句を言いながらもどっちが運転が上手いかを競っているようなものですから。日本の場合、民主党その他だと、どうも無免許の人間にハンドルを握れ、といっているようで、政権交代はまだまだ難しそうです。(小沢どんは、一応免許は持ってそうなんだけど、同乗者が「左によって〜」とか言い出したら、日米安保という二輪車を弾き飛ばして、最後は歩道に乗り上げそうで怖いし…) 今年も一年、よろしくお願いします。 |
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date 2007/1/5(金)02:12 困ぺい糖様 それはそれは… 正月早々、すごい偶然でございます。 宇佐八幡といえば、まさに日本版デルフォイですね。私は場所柄、かの社の神託は戦の趨勢占い、とくに神功皇后の朝鮮攻略等々、朝鮮での戦いと関係が深かったんじゃないか(なにかで大当たりした?)と思っています。もちろん勝手な想像ですが。 無防備都市って、考えてみると工場の誘致には絶望的ですよね。特に大工場は真っ先に狙われるでしょう。あと空港とか駅とかも… まぁ、中朝のミサイルの精度は、そこまでいけるのか分かりませんが… 「ムムむ、近くの半分だけ島みたいな二つの国に、二人のおばか大王が見えるぞえ。ことしも、二人ぐるになってあほを繰り返すであろう。用心せよ〜。」 |
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date 2007/1/5(金)02:24 medさま ご教示ありがとうございます。確かに、橋や駅とかに派手に爆弾をばら撒くのが普通ですね。無防備都市ローマも駅周辺がひどく爆撃を受けています。 現在山手線がラッシュ時に一時間30本ぐらい走ってますから、戦中とはまったく違いますね。新幹線のように、一時間に10本以上の特急列車を走らせるような芸当が出来るのは、世界中で日本人だけでしょう。昔からレベルが高かったんでしょうね。 その点、中国の鉄道はいまだに戦前のレベルですね。旅客列車一日数本、とか言う線がほとんどのようですし。 ペルソナングラータ |
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date 2007/1/5(金)03:51 さもあらむさま、ペルソナ・ングラータさま おろしそばは結城秀康の家臣本多富正が考え出したものなんだそうです、福井にきたらぜひどうぞ。今からちょうど真逆の盛夏に辛い大根おろしを入れたダシと一緒にソバをすすると最高です。その後は生ビール!至福ですね。 ところでヨーロッパでコンビニは可能なんでしょうか?ああいう24時間(なんでもやります)ビジネスはけっこう向こうの法規制にかかりそうな気がします。 小沢は身近な政策で政権交代とか言ってますが、拉致やミサイルは大変身近な問題(ことに北陸からすれば)ですんでぜひはっきりした姿勢を見せてほしいですね。まあ豪腕だのなんだの言っても党を割るようなことはできない人でしょうけど。 SLEEP |
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date 2007/1/5(金)09:18 ングラータさま オーナーが広東語をしゃべるコンビ二風なオールナイトショップにフランス/ベルギーで入りましたが、ありゃー中国本土のよろずや屋の類なんでしょう、隅を油虫が走っています。イタリアはシラーンですが、ゲルマン系諸国でコンビニ展開はリスクが大きいんでは。。。SLEEPさん仰るように、しっかり時間規制しますしね。第一、いったんOKになった中絶ですら、再び中絶禁止にしろーなんて叫んでる小党がうようよあります(あんまり関係ないですが...) なお同じ党人でも、日本の党人ヨコモジ綴りは殆どお目にかからないです。日本政治事情を解説できる欧ジャーナリストは殆どいないせいでしょう(自分の言葉で、と言う意味)。Maehara/ Maebara氏を聞かねば、Ozawa を知る編集部付き政治記者もいないんでしょう。 SL:EEPさま ダイコオロシと蕎麦。感銘を受けます。時期が早いですが、デザートのビールと共に、早速仲間と試して見ます。大根は溝向こうの村までチョッと一走りして新鮮すべすべなのを求めます。胡桃オロシ+蕎麦のお手製を松本の友人宅でいただいた時、蘭人は言葉を知りませんでした。今回も大いに期待しています。 ドッド、ドドゥーと大地を揺るがすのはWild boar、アレクサンドロ大王の頃か、原野で捕らえたこの精力抜群の雄猪を既に囲いに飼われている雌豚(sow)とかけあわせたそうです。優れた肉つくりへの努力...産まれた合いの子は期待にたがわず美味だった。而して、ヒブリダと言う単語はこの雄猪+雌豚の子女を指す固有名詞です(雄ならhibridusか…)。 宮崎「豚」のイラストを見つつ連想するのは、そのテーブル上にそれらしきがあるかも知れませんが、鮭の身です。先月一気に6kgを購入。 さような豚年ならば、日本に限らず、今年は「大根」需要が仰山あるような気がします。 |
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date 2007/1/5(金)09:37 ロックさま 誠に失礼なものいいですが、ウサギは問題ないと思いますが、熊とヘビは問題があるのでは? まず、熊というのはよく街中に登場する石川県でも、全県で300頭程度しか存在せず、本州では県単位で保護せねばならない対象です。そして月の輪熊にして羆にしても稀有の存在です。というのは、西ヨーロッパやアメリカでは最早、動物園・保護区でしか熊はみられません。そして、日本にしかいない熊です。「大きい」という1点をとっても保護の対象でしょう。それを食べちゃうというのは、かなりアメリカ・オーストラリアっぽいのでは? 次にヘビですが、これは調理がけっこう難しいものがあります。中国で出されたときは、だいたいスープのダシでした。肉食をやるときは、ウナギと同じ要領が必要なようで、素人が手を出せる食材とは思えません。そして「毒入り」となると内臓の除去に訓練がいると思います。そして、熊食堂は北海道においては許可になります(本州は駄目、四国・九州では熊は絶滅)が、ヘビ食堂をやったら保健所に怒られると思いますよ。 個人のリスクで食することは問題ありませんが、密猟・ヤミ調理の感じがするんですが? 別宮 |
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date 2007/1/5(金)10:17 黒田さま 米のDNAか品種か、じっさいにはかなり難しいことであろうと思います。ジャポニカ種というのが存在するかが、そもそも問題です。というのは米に限らず植物は、品種改良が可能であって、縄文人がやったことがあるかもしれません。 そして、ジャポニカが縄文時代の米を指すか、現代を指すかわかりませんが、縄文となれば比較として中国江南カボトの年代比定・DNA推定をやらねばならず、中国人には無理でしょう(学問の独立がないところで遺跡の調査など満足にできるはずがない。民族主義考古学などいわれては話になりません)。 中国の近時の大発見といわれる馬王堆博物館にいったら、「主任研究員」というのにつきまとわれ、金をせびられました。どうも自分の下手な英語を試したかったのと生計維持のためのようです。 米の伝播の調査をなぜやるか?それは「日本人はどこから来たか」という設問に答えたいためです。でも設問が間違えています。日本人は前から日本列島にいたんですよ。縄文式土器の炭素測定で確実な最古のものというのは9000年前に遡り、土器文化としては世界最古です。この土器の中に米がある以上、中韓の年代の下がる遺跡をいくら調査しても無駄でしょう。それに種と人は並行せず来ることは可能です。 山川出版や吉川弘文館の年表をみていると、北朝鮮の政治宣伝に成り下がったようなところがあって、ありもしない金日成の業績が沢山書いてあります。こういったアジア共産主義系出版社の本を論じることは意味がないでしょう。米も柔道、相撲も全部北朝鮮経由で日本に伝わったといわれても、「大笑い」でしょう。 ちょっと言い過ぎたかもしれませんが、「日本考古学会」会長西谷氏が正月早々、高松塚古墳壁画保存に関連して、「遺跡保存技術が中韓より相当遅れている」と喋っているので書きたくなりました。これは、バーナード・ショー『ソ連見聞録』的、「史上最悪のジャーナリズム失敗」じゃないでしょうか? 九州の前原にいるなら、「日中友好」ではなく、「鏡・勾玉・剣」の3点セットがなぜ、須玖・岡本から出土したのか合理的に説明することが肝要でしょう。まあ、能力的に無理でしょうが。 別宮 |
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date 2007/1/5(金)18:44 別宮様 ご懸念はごもっともです かなり特殊なのは 生活の場が里山とも全く違うほど山奥だった事です 逆に密猟などの侵入者にはかなり悩まされています |
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date 2007/1/5(金)22:01 ペルソナングラータ様 med様 前にウルトラザウルス様が言及していましたが、戦中は戦後のような鈴なり乗車は見られませんでした。また、戦時における軍隊輸送のダイヤは平時流用(というか、それ勘案で編成する)ですから、国内での内線機動を立てるにあたって、基礎となるはずですよね。 もうひとつ留意すべきなのは、米軍の空爆目標として、大規模な港湾と濃密な鉄道網、その施設というのは、対日戦では本土攻撃で初めてリストアップされたということです。 どうも、防研戦史を読んでいて、勇ましい言辞とは裏腹にいいわけめいた著述ばかりが目立ちます。 困ぺい糖 |
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date 2007/1/5(金)22:16 皆様 新年早々ビンボくさくも立ち食い蕎麦屋に入ったら、貼ってあったそばの宣伝で、イタリアには蕎麦粉を使ったパスタがあるよ、とありました。なんと十割そば!どうしよう。 イノシシとブタの話になりますと、やはり個人的にはブタのほうが食肉としてはおいしく感じます。神田神保町の公園の脇に「さつま」という鹿児島黒豚のトンカツを安く食わせる店があり、学生時代重宝しましたが、あれが豚肉料理開眼の一歩でしょうね。天丼いもやの近所です。 牡丹鍋は季節限定というところがミソでしょうね。ミソ仕込の鍋はやはり今くらいの季節のものです。 宮崎並びでは「ブラッカムの爆撃機」を買って来ました。ウェリントン爆撃機のお話ですね。日本の陸攻乗りとだぶりそうなお話です。 イギリス人の書いた飛行機話といえば、ロアルト=ダールの「飛行士の話」と「単独飛行」がイチオシ! 困ぺい糖 |
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date 2007/1/5(金)22:35 ペルソナングラータ様 枯山様 なにか、いつの間にか九州山間部の街道沿いで古庄屋さんをやっている自分を見ましたよ、の世界なんですが、大徳院という密教系お寺の門前で、宿屋、風呂屋、飲み屋、映画館(?)までニョキニョキと建ち、これまたうたかたの如く廃れていったという何か小野不由美あたりが書きそうな伝奇のにおいのしそうな村のお話です。 自分の苗字と言うのを図書館に常備のでかい姓名辞典で調べたら、千葉の介篤胤の系統とあり、平氏だとなっていましたが、年代が鎌倉時代、しかも死んだ爺様はウチは藤原じゃとか言っておったなとここで壁。 ただ、宇佐八幡縁起と言うのは結構古いところでは伝わっていたようで、件の密教寺もその縁で引っ張ったという言い伝えもあります。といっても、山間の修験道場に毛がはえた程度か。 とにかく一番古いご先祖が位牌が残る1630年代没の方、まあ、江戸からあとははっきりしてますよ、というありがちなおはなしではあります。 硫黄島映画、早く見ねばならなくなりそうです。というのも感想聞かせろという人が現れたもんで。 困ぺい糖 |
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date 2007/1/6(土)03:12 皆様 確かに、イタリアにもそば粉(Farina saracena、サラセンの粉という)のパスタはあります。平打ちのきしめん状のタリアテッレなどにして、猪肉のミートソースでもかけたら、こりゃ美味しいかも… (ミートソースには、生クリームでさらにパワーアップする、という裏技もありますが、太るよ〜) でも、福井のそばには勝てませんね。個人的には今庄という町で食べたそばが一番美味かったです。 イタリアで深夜まであいてるのは印パキ人経営のお店ですが、市当局その他とはあまり折り合いが良くないようです。そしてイタリアにも、中国人経営のニセ日本料理屋は増えてますから、結構気をつけたいところです。(魚介類の鮮度には結構鈍感な人が多いので…) スイスだけは、中国人コミュニティが高級中華料理店しか出店しない方針のようで、国境の町ではスイス人がわざわざイタリアに中華を食べに来るらしいですから、日本食も安泰でしょうけど。 黒豚はうまいっすね。イベリコ豚にも勝ちますね。とんかつもいいけど、しゃぶしゃぶなどにしてもいいですねぇ〜。まぁ、しゃぶしゃぶとは名ばかりで、お肉は少なく白菜は多く、主役は豆腐、になりますけど… あと、ハイブリッドといえば、オランダチーズは結構イタリアチーズと混ぜても相性がいいんですよ。ふかしたお芋に混ぜたりするのにも、イタリアチーズだけよりバランスも良くなります。わたし、芋好きなもので… ングラータといえばナポリ方言なのよ |
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date 2007/1/6(土)04:35 別宮さま、みなさま この話題は興味がありますので、また書き込んでみたくなりました。 麻生外相は、外務省のホームページを見ると、前原氏の面積に関する質問に答えただけで、政府で面積割で検討している事実はない、と答えているようですね。ただ、権力のあるプーチン大統領が在任中に解決したいとは考えているようです。具体案については話せないそうですから、四島一点張りで解決できるとは思ってなさそうですね。 別宮さまのご指摘どおり北方領土は経済的には北海道と切り離されては苦しいはずですが、プーチン大統領もその辺は理解している気はします。極東の自治体の再編成を見ても(権力でやってしまえるのが少し羨ましい)、ガスプロムのサハリンでの介入を見ても、極東を少しでも効率的に経営しようという意志があるようですから。ロシアの威信が傷つかない方法なら、解決できる気はするのです。麻生外相の手腕に期待したいです。 ロシアは、日本の主敵と目される中国に対抗するカードとしてかなり重要ですし、領土問題は是非解決したいところだと思います。ソ連のしたことに対する反発は国内に根強いかもしれませんが、戦争に負けて条約を結んだ(ソ連が批准してないにしろ)という事実は重いので、四島返還して当然という態度・理屈だけでは永遠に帰ってこないでしょう。ただ、日本の北海道経営の都合上、少なくとも国後(プラス歯舞・色丹)はどうしても返して欲しい。あの位置では北海道の漁業の邪魔すぎますし、知床と関連して観光でもいけるようです。また択捉は、ギドロストロイという会社がわりとうまくやっているようなので、返してもらいにくいでしょう。 面積二分割では択捉で国境を接することになりますが、別宮さまも仰るとおり陸地で国境を接したくないので、むしろ択捉は必要ないでしょう。旧島民の方々には、ロシア領という前提で、補償ないしは帰島してもらうのが良いのでは?変な共同統治とかも嫌ですね。 石原都知事や共産党は千島全島返還論のようで、そう上手くいきますかね?上手くいくなら、それに越したことはないですが。ただ、変に領土が増えるとお金がかかるだけの気もしますね。 繰り返すようですが、理屈のうえでは、サンフランシスコ講和条約で千島を放棄した事実は重いと思います。ただし、以前の別宮さまのレスで自分はそう解釈したのですが、二国間で合意することが問題の解決なので、諦める必要もないとは思います。 よろしければ、ご教示・ご意見をお待ちしております。 高城 |
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date 2007/1/6(土)08:28 黒田さま、別宮さま、みなさま 自分はどこかで遼東半島周り説を読んで(教科書だったかどうか)、なるほどと思ってました。時代が違うとはいえ、今、北海道でも東北でも稲作は出来てますし、気候の変動(その時は暖かかったかもしれない)もありますし、北の方で稲が寒冷適応したからこそ、弥生時代に東北(確か青森)まで、いっきに稲作が広がった(その後撤退したようですが)、という論に説得力を感じたものですから。 まあ遼東半島はともかく、江南から北部九州へ直接稲作が来たという論は非常に疑問ですね。歴史・地理をよく知る現代人ならそのようにに考えるのかもしれませんが、当時の人にとって世界とはどのようなものだったのでしょうか?よくも知らない遥か遠くの国で、なんのつてもなくいきなり渡ってきて暮らせるほど、世界は甘くないと思うのです。遣唐使も散々やられましたよね。技術だけが渡るにしても、この時代直接来るには遠すぎます。稲自体は中国南部起源なのでしょうから、どこかの時点でどういう道筋を辿ってか日本に伝播はしたのでしょうが。骨の形にしてもDNAの分析にしても、サンプルの偏りや恣意的な要素を排除するのは困難ではないでしょうか?この時代の中国南部と日本の関連を示唆する意見に確実な論拠を伴うものは、自分は見たことがありません。 ついでに、日本人の来歴として、東南アジアなどから黒潮に乗って、などという言説を結構見かけますが、眉唾でしょう。気候・環境が違いすぎて、適応できるとは思えません。先住民族が居なければ話は別ですが。言語学的にも、比較言語学で確実と言える説は見たことありませんね。生産力のある北(日本・九州)から南(沖縄)の逆コースは、普通にありでしたが。 比較言語学というのは、言語の歴史を辿っていって、祖語を再建し変化の実態を調べる学問だと思うのですが、これは非常に強力な学問であるように見えます。まとめようと無理すると怪しくなりますが(アルタイ語族は怪しい)、きちんと積み重ねれば、筋の通った反論は難しいでしょう。あまり時間を遡りすぎるとお手上げになるという弱点はありますが。そして、日本語と朝鮮語(韓国語)は、比較言語学では同系統であると証明できません。つまりは、弥生時代の開始期に、今の朝鮮語に連なる言葉を話す人が、弥生文化を携えて日本に移住し日本人になったとは、愚論としか言いようがないでしょう。 また、弥生文化とは、水田農耕という技術に伴う文化と捉えるべきでしょう。縄文時代にも農耕はあったでしょうが、水田を作るという技術は、種を蒔いて収穫するという粗放農業とは、隔絶しています。 日本語も弥生農耕とともに拡散したのではないでしょうか?そもそも言語というものは分化するものであり、元が同じ言語であっても、没交渉になりやすい地方どうしでは、どんどん通じなくなるものです。中央政府の影響は常にあるものですが(鎌倉幕府の影響で日本語も結構変わったらしい)、メディア(特にラジオ・テレビ)の発達まで、日本語は分化し続けていたでしょう。縄文時代において、全国に日本語と言える似通った言語があったとは、考えづらいと思います。それだけ長い時間が経つと分化しすぎますし、実際、縄文文化の地域特性は、縄文とひとくくりに出来ない違いがあったといいます。世界中を見ても一つの島に多言語はあたりまえです。かといって、ヤマト政権の征服が初めて日本語を形作ったとも考えにくいでしょう。 魏志倭人伝(邪馬台国=大和説は、ここでは触れませんが、明らかであると思っています)によると倭国は卑弥呼を共立したとありますし、いくらなんでも別民族の言葉の通じない王を推戴したとは考えづらいですよね。似通った文化であるこそ共立できたのでしょう。そして、別の民族を征服するのは、そう簡単ではないでしょう。水田農耕という技術にはパワーがあると思いますし、本州・九州・四国では人の移動にさほどの障壁もないでしょう。それまでの縄文人とは住むところが違っていたでしょうし、混血はしたにしろ、移住した方が手っ取り早かったでしょう。また、日本国内の弥生時代の先進地はどう見ても北部九州です。 以上のような観点(とりこぼし・説明不足は多々あると思いますが)から、北部九州からの弥生人の拡散が今の日本人をまず形作ったと考えます。ただし、縄文人すべてが弥生人に取って代わったとは思いませんし、日本人の血統上の祖先は、氷河期に日本に渡って来て、縄文時代を育んだ人たちでしょう。 長々とこのホームページとあまり関係のないことを書き込んだことをお許しください。また、ここに書いていることは、特に自分のオリジナルでもありません。ただ、案外一般的には理解されてないこともあるかと思いました。 高城 |
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date 2007/1/6(土)08:51 高城さま 北方領土について経済価値で論じることは意味がないと思います。また、武力行使も不可能でしょう。ただ、安全保障を除くと日本はロシアを必要としませんが、極東ロシアは日本がなければ、発展は期待できないでしょう。 また国後・択捉は大きな島ですが、農業は不可能ですし、漁業についても地元の漁師にとっては死活的重要ですが、漁師以外の日本人にとっては意味をもっていません。それでもロシア人が2万人住んでいます。ムネオが健在だったころ、随分写真をみせられましたが、住民の状態はおどろおどろしいもので、日本でいえば人権蹂躙状態でしょう。 ただ、それでも極東ロシアのどこよりも気候はよいといっていました。ここのところが、日本人が理解しにくいところでしょう。まあ、地震ありのロサンジェルスで平屋に住む日本人を訪問したことがありますが、有体にいえば人間の住むところとは思えませんでした(ただ大きいですが、床のないような家で、雨漏りありの総ペンキ建てというのはゾッとしませんよね)。コンクリ耐震建築はロシア人では無理でしょうし、国後でカリフォルニア式家屋では厳しいでしょう。 地震のある島で暮らすには日本式にやるしか手がないのでは? つまり、援助もせず放置しておいて、住民の「泣き」が入るのをまつ、という手でこれまできたんだと思います(ムネオは援助路線をとりましたが、これは工事斡旋による個人収入目当てという売国行為ですよね?)。対中安全保障カードについては確証はありません。今のところロシアからいってくるまで待つという姿勢でいいのでは?大臣の点数稼ぎは外相に限ってするべきでないでしょう。 別宮 |
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date 2007/1/6(土)09:22 困ぺい糖様へ アメリカ軍が日本の鉄道その他を爆撃しなかったのはその必要が無かったためでしょう。 ノルマンディーの例では少なくとも1944年5月中旬のフランスの鉄道網はほぼ正常に動いていたことが判っています。 河川ですが、ドイツ軍は橋梁を完全に破壊された、正確に言えば破壊され続けた、セーヌ河を筏で渡っています。 med |
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date 2007/1/6(土)10:01 別宮様、高城様 個人的には、「面積半分案」はいいんじゃないかと考えています。 ご指摘の通りあの島々に経済的な価値はほとんどありません。 ちなみに四島住民のロシア人に日本の状況を見せてうらやましがらせるという作戦をこれまで取ってきたのですが、あまり効果があったとは思えません。 なにか日本が援助するのが当たり前で、援助しないと非道という話が出てきます。 昔、サハリンから熱傷の男の子が治療でやってきたことがありました。 島が帰ってくるのはいいが、ロシア人付きは困る。金を払ってでもシベリアに送れ、という意見が私の周囲では結構あります。 med |
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date 2007/1/6(土)11:58 med様 今年もよろしく。 1945年における日本本土作戦について、日本側が当時持てる戦訓は太平洋島嶼戦とノルマンジーだけでした。鉄道(兵站)については参本もたぶんノルマンジーを見て作戦を立てたという事でしょう。そうなるとD-day前夜には決戦兵団を上陸想定海岸の至近に推進する必要があります。たぶん、安全策からサバを読んで予め大規模な鉄道内線機動を要しない陣地においておこう、というのが45年5月の水際防御+決戦兵団推進方針だったのでしょう。 ただ、そうなると、推進した決号を収容しておく陣地はよほど強固でないといけません。つまり硫黄島式です。たぶん天皇周辺では蓮沼武官長は一番最初に気がついたクチでしょう。 一般的に陣地構築、というのは防御的と捉えられますが、実は攻勢移転防御という点から見れば十分にアグレッシブな措置です。決号が目指すべきは米軍の想定上陸海岸線に無数の硫黄島を現出させるということであったと思います。 決号作戦における陣地完成時期については、当初九州上陸を8月後半から9月、関東は11月と見込んでいましたから、それにあわせて8月初旬段階ではかなりの進捗をせねばなりません。ところが、防研戦史がシレっと書くところではその半数がまだ未成です。そして、46年2月までに完成予定とあるのですが、理由として新規徴集兵の質とか資材兵器不足と書かれています。これをそのまま鵜呑みにして良いのかという部分がもちろんあります。 ともあれ、8月アタマの段階で、蓮沼らはこういった情報を把握しており、これが8月11日御前会議における昭和天皇の九十九里浜陣地未成を引き金とした、軍に対する不信と怒りの炸裂です。そして、これが降伏受諾に一気に加速させたのは間違いないと思います。 河川渡河については重装備の推進と言う点で少し甘かったですかね。ただ、米軍も、ライン渡河のように、空挺投入、砲爆撃による阻止攻撃で防衛側の集結阻止を狙ったのではないかと思います。これまた、すこし後方に防御陣地がいるように思いますがいかがでしょう? 困ぺい糖 |
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date 2007/1/6(土)17:04 別宮様、お忙しい年末に、さっそくのご返信、ありがとうございました。 お礼を申し上げるのが遅くなりまして、すみません。 過去ログを読んでおりますと、紙幣増刷の話題が散見されましたが、私も密かに「公共投資の財源を紙幣の増刷で」などと 今年の正月は、東京に親族が集まって祝ったのですが、その席でサラッと紙幣増刷の話題を持ち出したところ、息子夫婦から 成功にせよ失敗にせよ、過去の経験に拘泥するのも、時と場合によりけりではと思うのですが。 別宮様、みなさま、本年もよろしくお願い致します。とりとめのない駄文で失礼しました。 |
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date 2007/1/6(土)18:11 高城さま 失礼ですが、人様に文章を読んでもらう以上、論点をしぼって文章を短くする必要があります。 どうもアナタは別宮さんの本の読者でさえないようだ。返事が来ないのもアナタの文章が要領を得ていないからですよ。 悪く思わないでください。 黒田 謹言 |
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date 2007/1/6(土)19:17 別宮さま 西谷会長に関して言えば、理事たちは、「みこしは軽い方がいい」で会長を選ぶなと言いたいですね。 山川出版の歴史教科書は当時、進学校では定番だったのですが、アジア共産的出版社ですか…。 吉川弘文館は歴史学関係の出版社ですが、戦後を彩った左翼系研究者が平成に入って引退、死去し、 すると、今度は歴史学者がみんなで、「アジア・太平洋戦争」だと言い始めました。 黒田 謹言 |
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date 2007/1/6(土)21:59 やや専門(農学)の立場から言わせて貰いますと、一応ジャポニカ種は「種」として確立されています。 コシヒカリなど、各品種はありますが、あくまでジャポニカ種内での違いです。人間に色々いるのと一緒ですね。 かつて日本晴という品種がありましたが、あれは遺伝子群としてうまく確立されていないそうで、 遺伝的に調査したら(多分、今もやっています)何となくわかるはずですが、わが国のコメの起源地として南支付近も考えられる可能性は高そうです。 本筋からずれまして申し訳ありません |
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date 2007/1/6(土)22:55 皆様 先年の夏頃に皆様から伺いました、母方の祖父の軍歴検索方法を教えていただき、おかげさまで祖父の陸軍戦時名簿の取得ができました。 さて、実は母からこの祖父の戦時名簿の写しと一緒に記載内容の説明が出来る文書を作成して、他の兄弟及び存命の祖母に送りたいという要望があるのですが、少々手を焼いております。 このうち上記Aの期間については自分自身の不勉強も大きいのですが、陸軍ではマイナーな部門のためなのか名簿をみるまでこのような兵科が存在していたのすら知らず、母の質問にも満足に答えることが出来ませんでした。どうも兵科としては陸軍独自に輸送船の防空・防潜をしていたということがおぼろげながら分かったのですが、任務上の移動した場所が何処か分からず往生しております。 「昭南島」→「シンガポール」は流石に分かるのですが、「西頁・聖雀」という地名については全くわからないままです。もしこの地名について御存知な方がいらっしゃいましたら、大変申訳なく思うのですが御教授願えないものでしょうか。また自分は「船舶砲兵」を陸軍の輸送船護衛部隊だと認識しているのですが、この認識に誤りがありましたら皆様の御指摘・御高判について頂けましたら望外の喜びと思っております。 枯山 |
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date 2007/1/6(土)23:13 枯山さま ググってみたら、聖雀はサンジャック(サイゴンの外港)とでました。おそらく、仏印のサイゴン・サンジャックではないでしょうか? 高城 |
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date 2007/1/6(土)23:21 枯山さま 正月休み明けの軟体金属であります。 地名ですが聖雀=サンジャック=サイゴンの港、西頁=サイゴンです。 |
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date 2007/1/6(土)23:30 黒田さま 高城さまの論旨は、『韓国の妄言』に書いたこととほぼ同一です。おそらく、それを読まず(それに触れていなので)に、違う回路で同一の結論に達せられたことは、私にとってまことに嬉しいことです。 そして、最近の言論では『魏志倭人伝』など重要ではない、といった主張が盛んであって、残念なことだと思っています。なぜならば古代史とは、史料と考古学的知見からしか組み立てることができません。古代日本について『魏志倭人伝』をはずしては、実証史学にたった説明は不可能です。 また、『魏志倭人伝』と、光栄の「三国志」シュミレーションゲームの倭国とはいかに違うかも重要でしょう。すなわち戸数からみて、倭国(⊃邪馬台国)は孫権の呉に匹敵します。本来、そこから認識すべきことなんでしょうね。そして、そういった点で一致できれば、何を争うことがあるでしょうか? 最近、ユアン・チャンの『マオ』で、張作霖爆殺事件についてコミンテルン首謀説が書かれており驚きました。チャンは、明らかに歴史家として失格です。「定説」に反対するとき、セカンダリー・ワークスについて無視することは問題がないのです。すなわち、私の『韓国の妄言」を読まなくとも、倭国について議論することは可能です。でも『魏志倭人伝』を読まずに、ないしは誰かの解説も読まずに論じては駄目なのです。 同様に張作霖爆殺事件について、チャンは(たとえ日本語が読めなくとも)河本大作手記を読む必要があります。また、手記は文責を明らかにして文藝春秋に掲載されたものです。つまり、政府内部文書ではありません。これをコミンテルンエージェントの報告と一緒くたにはできません。プライマリーソースについて論及せず、何か論じているとき、「読め」というべきなんでしょう。 別宮 |
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date 2007/1/6(土)23:47 くだんさま 失礼ですが、農学と歴史学はまったく違う範疇です。いまある種の分類とは「なんらかの同一性」をもっていることで分類します。そして、コシヒカリと農林25号が、なんらかの同一性をもっているからといって、それによって区分されたグループ(ジャポニカ種)が縄文時代(弥生時代)の米と同一性をもっていなければ、歴史学にはなりません。 昔、韓国人が「韓国語で読み解ける万葉集」というのを書き、まことしやかでしたが、まったくのインチキです。なぜかといえば、万葉集は8世紀に成立していますが、それを現代韓国語と比較することは何の意味もありません。そして現代韓国語の祖形を知る資料は12世紀以降しか現れないのです。 ですから、ジャポニカ種というのは現代種をいうと思いますが、それでは現代農学になっても、古代米の伝播の説明にはなりません。遺伝的の調査をやれば南支と関係があるというのはゴタクですよ。やってからいうべきであって、そもそも縄文米と現代米の連続性など簡単な話ではありません。また「唐」から招来された米との品種改良など、混乱材料だけです。そして唐米が従来の日本米に代えられたとするならば、米の伝播論など歴史学では意味がないことになります。ジャポニカ種は唐からきたというだけのことです。そして「唐」はまゆつばだと思いますが、この可能性は常にあります。 別宮 |
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date 2007/1/6(土)23:56 黒田さま 自分の文章力がないために、不快な思いをさせて、申し訳ありません。論点をしぼれとの意見、承知しました。 ただ、別宮さまの著書の読者でないというのは、誤解です。雑誌・オンライン本を除き対談本も含むすべての本は、買っていますし、未消化なところはあるかもしれませんが、読了しています。サイトは、量が多すぎ苦手の近現代史が多いので、手付かずのところが多いですが、該当箇所は読んでました。兵頭さまの本もあらかた読んでます。 話題が米の来歴なので、後の時代のことは、あまり関係ないと思うのですが。古い時代のことなので、江南から直接北部九州に来るのは、なさそうだと思ったのです。一応、米や日本人の来歴には関心があり、多少は調べてはいるのですが。専門家でもないのに、大上段に構えた発言、失礼いたしました。 高城 |
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date 2007/1/7(日)00:10 黒田さま 「みこし」が軽いで選ばれたとすれば、納得できます。 昨晩、『細川日記』を読んでいたら、井上光貞が終戦工作でできました。戦時中、皇国史観の平泉澄は、法経25番教室(一番広い教室で階段になっている)で、長ドスを取り出して、表裏を学生にみせたのち、机に刺したそうです。そこに井上光貞もいたそうです。井上馨の孫でこんなことに驚きはしないでしょうが、すごい時代だったんでしょうね。 そして教員の大半には憲兵などの尾行がついていたのですから、戦後どのような「思想的覚醒」が起きたか容易に想像できるでしょう。ともかく、1980年代まで日本の歴史学者とはほぼ全員、史的唯物論の信者です。つまり人間は「金」でしか動かず、「金」で動くことが「階級の良心」だと。政治事件の背景を「金」「財産」で説明できれば、「掘り下げ」だと。でも、これは陸軍統制派と革新官僚の信念ですよね。 でも、そのあと日共系・反日共系に分裂し、山川・反日共、吉川・日共(そのうちさらに分裂)となったものでしょう。 「アジア・太平洋戦争」というのは、陸軍と一緒ですね。陸軍は支那事変をやめさせてくれないものだから、三国同盟だ、太平洋戦争となったので、文民と海軍に引きずられたんですね。ですから、支那事変と太平洋戦争は別の戦争ですが、中国人と陸軍は共通の利害(戦争終結)にたち、一緒にしたいんですね。日本の親中学者は、延安の毛沢東と同じ気分なんでしょう。 別宮 |
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date 2007/1/7(日)00:43 ペルソナ・ングラータさま、困ぺい糖さま、さもあらむさま 以前TVで讃岐うどんの名人が、うどんにミートソースをかけるんですよ、と言っていました。さっそくやってみたらちょっとすっぱかったけど中々でしたよ。市販のものにしょうゆや味醂で味を調えるといいかも。というかミートソースに生クリームですか、おいしそうだけどそりゃすんごい高カロリーでしょうねえ。ちなみに今庄には手打ち道場もあります、けっこうおいしくできるそうです。 魚介の鮮度というとスチーム冷凍のホタテがありまして、たしかに解凍すると鮮度は良かったけど、臭くて参りました。ありゃ一回あく抜きしないとだめですね。まあ時間かけて煮込めばいいのかな。 久々に体重計に乗ったらワオ!だったんで自転車乗ろうとしたら大寒波のSLEEP |
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date 2007/1/7(日)00:55 別宮さま 凄い偶然というか、文章を書いている最中に、別宮さまの書き込みがあるとは、思いませんでした。何分、遅筆なもので。 別宮さまの韓国の妄言は、先ほども書きましたが、読んでいます。大変おもしろく思った本ですし、言語の移動がらみで質問しようかと思ったこともあったのですが、自分で調べてある程度解決したので、この本がらみでは何も書き込めませんでした。 別宮さまのご著書に触れていないのは、別宮さまのご指摘のように元より興味のあるテーマで自分の見解は本を読む以前に固まっていたため、著書を調べず書いたためです。もちろん、自分の好きなテーマにおいても、鏡・勾玉・銅剣祭祀のくだりや七支刀の意味など、自分が考えてもみなかったことに、別宮さまが辿りついているのを見て驚き、そいうところは良く覚えているのですが。 自分の文章に関しては、まったく満足していないので、黒田さまの意見を参考にし、精進したいと思ってます。 高城 |
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date 2007/1/7(日)01:45 別宮さま、medさま 自分も、どうしても北海道経営の都合上、国後は欲しいと書いてはいますが、経済的な観点だけで論じるのは、意味がないのは分かってるつもりでした。ただ、相手がおかしな国家でも、理屈で争えば負けてしまう、ないしは四島返還は無理ではないかと思ったものですから、無理に理屈を探したところはあったかもしれません。 日本もアメリカ(そもそもアメリカが北方領土で日本を焚きつけたらしい)もロシア相手に簡単には引き下がれないでしょうから、落としどころはないものかと思った次第。ただ、ロシアが怪しいのはリトヴィネンコ事件だけでなく明らかですから、下手に近づかない方が良いのかもしれません。麻生外相は、その辺も大丈夫だと思うのですが、しばらくウォッチングしてみたいと思います。 高城 |
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date 2007/1/7(日)02:23 別宮さま、medさま 今、外務省の外務大臣会見記録(1月5日ぶん)を見てきたのですが、麻生外相の見解は岩下明裕氏の見解にどう見てもそっくりですね。既にご存知であったかもしれませんが。前から似ているとは思っていましたけど。 「北方領土問題」(中公新書)が、朝日関係の賞を受章しましたから、不人気なのは分からなくもない。自分も朝日は嫌いですから。本自体は自分は納得してしまったところが多いのですが。 高城 |
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date 2007/1/7(日)03:16 米については、よくわかりませんが、生物種分類に使われる遺伝学的解析方法(核のDNAの特定の塩基配列を調べる)は存在します。これは、強力で、見た目がそっくりで形態的に違いが分からない場合でされ分類することができるのです。個体間でさえ、場合によっては判別できるものです。 |
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date 2007/1/7(日)09:16 別宮様 皆様 私は自分では史的唯物論者ではないとは思っているのですが、お米と言うモノに関して農学者でもないのに少し言及させていただきます。 コメの伝播が中国で、アジアは一体(というか、中国がエライ)という場合の一番の隘路は現在どうか?と言うことと思います。 農林何号だかは忘れましたが、とにかく稲作の北限を稚内まで押し上げたのは日本人です。今、スーパーで普通に「きらら」は買えますし、市場価値は悪くありません。 いわゆる文化人類学的歴史解釈というのは、唯物論ですが、この伝だと、人類は前読み齧ったところではソマリアあたりのミトコンドリアイブと称する一人の女性から始まったことになるようですから、みんなソマリア人に合わせるということになるんでしょうか。 困ぺい糖 |
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date 2007/1/7(日)09:45 c-ROMさま 人種論ではさまざまな分類法があります。遺伝子配列の分析もその一例でしょう。ただ、自然科学における結論は人種論にはなりません。 というのは、「人種論」とは、一般的あるいは十九世紀的には、混血の割合比、あるいは系統樹の議論ではなくて、「現在」の国民がどこからきたか、あるいはその「祖形」が存在するかの議論です。コーカソイドだとかツングース種というものであって、これ自体がじつは誤った学問だと思います。 「誤り」というのは「歴史」と関連させることが誤りだという点です。つまり、1万年前5万人しかいない「日本人」に、着の身着のままで、漂流してきた毎年100人の「外国人」がいて、それを「日本人」が暖かく迎え入れたとするならば、1万年前の「日本人」の遺伝子配列などなくなるのが当然です。でも、言語や生活習慣、祭祀形式は残る可能性があります。歴史とは遺伝子配列ではなくて後者の変遷を取り扱うものであり、古代史は後者を研究するものです。 日本とよく似た国はイギリスですが、ストーンヘンジに埋葬された人骨と遺伝子配列によってその子孫と判明できる人が近くに住んでいることが確かめられています。この子孫の一族が7千年間延々とそこに住んでいたことは確実ですが、一方、アングロサクソン人の遺伝子といわれるものもありました。つまり、現代イギリス人の祖先が7000年前にいたとしか、この事実は説明していません。そしてこれから、1066年のノルマン征服事件はまったく説明できません。 歴史的日本は極めて特殊な国であって、1945年8月を除いて外国に征服されたことがありません。ですがそれも近代戦争であって、国民同士の混交や絶滅はありませんでした。こういった状態は普通の国にはない(ただ、玄界灘のおかげで、誇ることも疑問)ので、日本が古代に征服されたことがあるに違いないと「外国カブレ」が思いこんでいるんですね。ですが、祭祀の連続性からいって少なくとも紀元前3世紀からその可能性はありません。それ以前もまずないとみてよいでしょう。つまり縄文・弥生と土器が変わった、人骨のなんとか比が変わったといっても、外征があったと即断してはならず、「米」ごときは漂流民の一粒であって、関連付けることはできません。 別宮 |
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date 2007/1/7(日)10:00 枯山様 陸軍船舶砲兵第2連隊は終戦時門司に司令部がありました。昭和17年7月に船舶高射砲兵第2連隊からの改組改称ですから、時期的にご祖父様はこのとき満州から転任されたのではないかと思います。たぶん小倉の砲兵第6に御入隊ですから、船舶第2へ移られたんだとは思います。 日本陸軍は海上機動、敵前上陸に関しては中国での戦歴を見るまでもなく、列国中でも相当なエネルギーを注いでいました。 困ぺい糖 |
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date 2007/1/7(日)10:13 高城様 軟体金属様 早速の御返信まことに有難うございます。 ただ船舶砲兵なのですが、陸軍所属輸送船護衛にしては数が少ないようにも感じられます。当時の船舶総トン数が確か600万トン程度で陸軍が1割徴用していたとすると60万トンで、それを1隻当りを平均3000トン程度と見積ると200隻になるのに対して祖父の兵科の船舶砲兵連隊×2に加えて船舶機関砲連隊×2を入れても合計4個連隊というのは交替を考えますとかなり心許ないと思うのですが、これは大規模な船団を組む時は海軍に協力を要請して護衛をして貰い、小規模な輸送任務にいちいち海軍に協力要請する手間を省くための部隊にも思えます。ここら辺りにも陸海同権からくる統帥二元化という問題が出てきているよう思えます。 枯山 |
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date 2007/1/7(日)10:15 高城さま 私が書いたのは西島定生氏からの着想ですが、「倭国」を論じている人がいると議論について納得できます。「邪馬台国」=九州論者というのは、戦後において、大半はマルクス主義歴史学者(自らを文献学者という)です。 この人たちの発想のモトは、史的弁証法だかの「原始共産制→奴隷制→封建制」に日本史を無理やり押し込め、縄文を原始共産制として弥生以降を奴隷制にしたいんですね。マルクスにおいて奴隷制の成立は「戦争」が契機ですから、外国人である弥生人が縄文人を征服して奴隷にしたというシナリオが必要になったんです。そうすると弥生チャンピオンの邪馬台国は九州にいて残り日本の征服を果たし(または失敗し)、五世紀大和朝廷奴隷制につながった、という浅薄な考え方です。 したがって、マルクス主義が退潮すると九州説の影が薄くなるのは当然です。こういった「古惚けた」人々はそのうち消えてなくなりますが、最近「右」の人々が九州説を主張してますよね(これは京大大和説がマルクス主義を基盤にしておりそれへの反発と、北九州移動説ではなく、大和自彊説であって、荒唐無稽なためです)。 そして、水田革命説はどうでしょうか?水田は革命的に労働生産性を向上させるでしょうか?それに加えて弥生集落のほとんどは水田と離れた高地にあります。東京でいえば本郷から練馬の高台にかけてであって、後期縄文集落と重なります。水田遺跡として有名な登呂は室町時代水田の誤りであったようです。わからないのは集約農業と粗放農業の違いは「土地生産性」においてであって、「労働生産性」ではありません。でも、人口の少ない古代において、土地はそれほど重要だったのでしょうか?高地・台地に集落をつくったのは明らかに安全保障が原因だと思いますが。 別宮 |
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date 2007/1/7(日)11:18 medさま 高城さま ロシア子供火傷事件の内幕は、初めて知りました。マスコミが美談の部分のみとりあげますから、重大な部分がでてきませんね。ただニュース価値、あるいは善意で協力に応じた人の気持ちを傷つけるということがあったのかもしれません。 また先日、北朝鮮材木労働者があまりのピンはねに耐えかね脱走、ロシア国境警備兵が逮捕、北朝鮮に送還するというテレビ番組をやっていました。その中で驚いたのは、ある母親と二人暮しの女性がこの材木労働者と結婚していた事実です。女性は、「ロシアの男は大酒のみで、働かないから嫌だ」と絶叫していました。これは日本では考えられず、アメリカではやや考えられる事態です。でも異常ですよね。北朝鮮材木労働者への結婚願望とは・・・、『チャタレイ夫人の恋人』とは違う心理状態は疑いありません。 ともあれ、ハバロフスクの冬など「ホラー映画」状態です。この母娘も、吹雪のあたる昭和30年代の公団住宅の廃屋のようなところに住んでいました。「日の当たる場所」に住んでいる日本人は、凍死寸前のロシア人を応援すべきなんでしょうか?もし返還され日本領に入れば、北方領土に住むロシア人について平等に(少なくとも在日朝鮮人以上に)扱わねばなりません。 旅順の降将ステッセルが捕虜になって長崎におくられたとき、乃木大将は「捕虜として扱わず客将として扱って欲しい」と長崎県知事に依頼しました。すると知事は無闇に張り切って、ベイビューホテルからフルコースのフランス料理を仕入れ提供したところ「人生で一番豪華な食事」だといわれたそうです。イギリスの観戦武官によると当時のロシア軍士官の大半が、食後のコーヒーを知らなかったといいますから、ステッセルもお世辞じゃないと思うんですね。ともあれ明治でこの格差がありました。 そんなことで、国後をもらっても統治は相当に厳しく、エチオピアの1郡をもらったのと大差があるのかという気がします。 別宮 |
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date 2007/1/7(日)18:22 別宮先生 |
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date 2007/1/7(日)22:41 珍グルメ大会みたいなツリーになり、 サダム・フセイン絞首刑のモービル画像は西部劇の私的制裁場面に重なりました。イスラム一般の死刑執行は常に首吊り方式なのでしょうか? 電気椅子がないので“生首”をくくるんじゃなく、砂漠環境の掟はこうである、と言うこと? 執行日が生贄の祭りの初めだったので、欧州のイスラム社会で(も)捧げる羊を殺すイヴェントがありました。我が町でも、喉をかっさき,逆さまに吊るし、血を出させております。フセインの死刑について、TVインタビューされたイヴェント当事者は「当然の死刑。こんばんはこの肉で乾杯」。イラクからの難民ならば、二重のお祭りにちがいありません。 ロアルト・ダール。むかしThe Landlady, Kiss Kiss, それにThe visitorなどの短編をペンギンか何かで読み、感心して、今でもよく覚えています。彼が飛行訓練した最初の地はエチオピアだったのでは? ドイツがポーランドを伺いすぐに侵攻、スワッ一大事と若きダールも思ったんですね。 それにしても新興小地主のドイツに比べると、大地主イギリスは殆ど北アフリカ諸国を押さえ、空軍部隊をあちこちに展開している。そう言う様子がダールのキャリーアーからよく伺えます。かのオスカー女優パトリシア・ニールと5人かの子供を作りますが、大変なドラマにびっくりしてえらいユニークな作家やなーと思っていました。ですが、私がランドレディーに舌鼓打ってる頃、離婚したんです。パイロットで作家、、しかし“熟年離婚”の誘惑にどうしようもなかった、嗚呼 大寒波ならぬ気温十度 土曜今宵はダイコに鮭の切り身 |
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date 2007/1/8(月)06:45 別宮さま 西嶋定生氏の著作は、自分も読みました。非常に有益だったと思うのですが、今、なぜか手元にないので・・ 水田に関して別宮さまに質問なのですが、別宮さまの仰る弥生時代と連続する縄文遺跡とは、水田が伴う遺跡なのではないでしょうか?特に西日本においての事例ですね。自分は、水田の出た縄文遺跡は、土器の形・時代がどうあれ、弥生遺跡と呼ぶべきとの立場なのです。いわゆる縄文水田を認めるのではなく、弥生早期を認める考え方ですね。つまり、西日本(自然の恵みがあまりなく人口希薄な地帯)において、縄文から弥生に移るとき(水田が現れるとき)は、遺跡は連続してない(西日本人は非定住民だった)のではなかろうかと。こう考えると日本人がどこかから来たという話になり易く、比較言語学で防戦する感じになって嫌な展開なのですが。 高城 |
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date 2007/1/8(月)07:12 別宮さま 国後の自然は、手付かずになっているそうで、知床以上だそうです。世界遺産にする云々という話もあるようです。最低限の投資で、観光に使えばよいと思います。問題はロシア住民でしょうか。 高城 |
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date 2007/1/8(月)08:35 皆様 どんな剣呑な板でもこれさえ出せばたちまちマッタリ空気が和む、食い物談義にはまり込んでおります(笑) 羊系は好きですよ。家で焼肉したいとき、牛は少し…というときは豪州マトンのまとめ買いですませますし。 この時期、食材に加えておきたいのはチーズ。実にいろいろ使えますし、牛乳飲めない子にはよいですよ。 さて、今夜は水炊きやってそのあと餅投入。 困ぺい糖 |
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date 2007/1/8(月)08:56 高城さま 定義上のことですが、縄文・弥生という区分は土器からきています。そして特徴として同一遺跡から同時に両種の土器は出土していません。そして、縄文は東日本中心(遺跡密度が濃い)、弥生は西日本という特色があるのはご承知の通りです。 一方、縄文式土器の年代は炭素14年代測定では、今から1万年を遡るものがあります。そして経年度の使用ということでしょうけれども、練馬区あたりでもものすごい量が出土します。敷き詰められているといってもよいくらいです。また、山岳地までにも達しており、蓼科の尖石遺跡などは標高1500メートル地点です。直感的ですが、とても狩猟・採集を生業とした暮らしぶりではないと思いますし、安全保障無視で暮らせたとも思えません。 縄文から弥生への土器の変転は不思議な現象ですが、水田によるとは考えることは難しいでしょう。というのは水田に隣接した弥生遺跡は多くありません。また陸稲と水稲で当時品種で区別があったかという疑問があります。というのは当初の水田は排水の点からいって棚田だったのではないでしょうか?フィリピンの棚田は紀元前に遡ります。ですから水田自体が現在と相当に違っており、むしろ山間部水田から発祥したとみるべきではないかと。つまり労働生産性からいけば平地の陸稲栽培の方が有利だったのではないでしょうか。 では何かといえば内乱によったのではないでしょうか?日本には青銅器時代がなく、弥生時代とは鉄器・青銅器併用時代です。鉄器をもった少数の西日本人(九州人)が、東に向った(西や北は海だからいけず、南には熊襲がいた)という仮説がもっともらしく聞こえるのですが。 別宮 |