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date 2007/1/12(金)10:19 モ−大佐殿 大叔父様の重機は92式でしたか。兵頭さんとの往復書簡の#30に92式重機に関する印象的な記載がありました。 過去にも議論されていると思いますが、どう考えても旧軍の複雑怪奇な弾薬体系は弁解の余地は無いですね。 |
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date 2007/1/12(金)17:28 ワトシンさま 艦載機による機銃掃射というのは空母機動部隊によっているので、前後12〜3波、1回あたり空母15隻、延べ1500機でやっています。それでも1回あたり40〜50機未帰還が出るので、パイロット7〜800人は犠牲になっていると思います。こんな戦術的に無意味な作戦をよくやりましたよね。 ただ、機銃掃射で「戦果」があがるかといえば疑問です。というのは時速300キロ以上で弾丸数は2千は越えませんよね。ところが、日米双方が大被害を受けた・与えたと書いています。末期手付かずだった北海道・青森への艦載機による攻撃の記録が詳細に残っていますが、少なくとも米軍の敵機2千に被害を与えたというのは嘘でしょう。ダミー打ちまくったんでしょうね。 でも帰投したときに反撃に出れば、簡単に沈められる気がするんですが、やらなかったのは護衛艦による対空射撃を恐れてのことでしょう。米軍の対空射撃が迫力あるのは、海軍はマリアナで初めてわかったようなので、海軍の対艦攻撃の技術的検討が等閑にされていたということで、連合艦隊司令部は責任重大ですよね。レーダーについてもハードはあったわけで、それをシステムとして使いこなす、またシステムを保障するために量産体制を整えることができなかったんでしょう。 ともあれ、真空管製造会社を1社に集約し、そこに既存の職人を全部集め、フーセンを膨らます要領でガラス真空管の「多品種少量生産」をやらせれば、戦争は必敗ですよね。松下がその10年後、全米でもっとも軽く音がよいラジオを売ってますから、ブラック・ジョークとしか思えません。役人・兵隊がエレクトロニクス産業の生産工程の技術革新などできるはずがありません。統制主義=社会主義経済では戦争は無理ということでしょう。無様なのは今の北朝鮮経済と似てますよね。 別宮 |
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date 2007/1/12(金)21:10 別宮様 イタリアの小邦の歴史(王族)は私にも奇奇怪怪で… パルマの場合、ブルボン家を推していたのはオーストリアだったようです。 マリア=ルイジアの子供に世襲を認めるとナポレオン二世(ライヒシュタット公、21歳で夭折)になってしまうという事で、メッテルニヒが、彼女の死後は、縁故のあるブルボン家に譲るとウィーン会議のときから決めてしまっていたようです。ところが田舎町国家ルッカの公爵だったカルロニ世(ツィタの曾祖父)は借金で首が回らずにこれを嫌がり、結果オーストリアが大々的経済援助を約束してやっとパルマ公になったんですが、パルマのブルボン家支配は約10年しか持ちませんでした。メッテルニヒが失脚した48年騒乱(イタリア第一次独立戦争)のときには、カルロ公はあっさり町から逃げ出し、息子に譲位したものの、そのカルロ3世も暗殺され(54年)、三代目ロベルトでサルデニア王国に編入されました。自慢は血統だけですかね。(でも、ツィタはたしかになかなか美人です) 伊墺関係はたしかに複雑ですね。「オーストリア出て行け!」は半分本当ですが、半分はウソです。統一イタリアの王様候補には、当初常にハプスブルグ=ロレーナ(ロートリンゲン)家のレオポルト・トスカナ大公も上ってましたから、トスカナがもっと軍事に力を入れていれば親オーストリアのイタリア王国が出来ていたかもしれません。でもこの人は、検閲すら徹底的に嫌う啓蒙君主で、これでは軍事好きフランス人のサヴォイア家に勝てません。国民が自治をもとめ、さらに統一バネが動き始めたときに、メッテルニヒが的確に動かなかった(動けなかった)のが失敗でしょうね。 ラデッツキーも、独立運動の時代の人間は「鬼のような軍人」扱いをしてましたが、どうやらイタリア好きのいい爺さんだったようですね。実際に引退後もイタリアに住み続けました。出来損ないで手に負えない軍人の息子がいたのですが、ある日ミラノの街角でカトリックの神父に平手打ちを喰らい、これを親父殿に訴えたところ、ラデッツキーは大急ぎで神父のところに出向き、彼の手をとって、訛った伊語で「グラッチェー」といったというエピソードを読んだ事があります。ウィーナーシュニッツェルも、彼がミラノ風カツレツのレシピをウィーンに送ったことから始まったそうです。(証拠物件の「アッテムス伯宛の通信」というのを、あるカツ研究家が見つけ出したので、「どっちが先か論争」に終止符が打たれたらしい) 別宮様の東京のお話はいつも興味深く、とても勉強になります。ありがとうございます。関西にいるとついついイメージ先行で、歴史のある生きた町としての東京を忘れてしまいます。江戸はもともと水の都だったというのを聞いたことがありますが、その復活への第一歩はやはり日本橋からでしょうか。神田川などももっと美しく整備していきたいところですね。 ミラノ人はオーストリアに文句があると、喫煙ボイコットで専売公社の経営に嫌がらせをしたそうですが、帝都の民はすこし大人し過ぎますかね。 ペルソナングラータ |
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date 2007/1/13(土)01:01 別宮様 ペルソナングラータ様 私の叔母のことですが、19年女子師範学校卒業、大阪、徳山に赴任して、両方ともに空襲に出くわし、学童連れて逃げまくる羽目に。戦後官吏のヨメになり、東京で教職。日教組と喧嘩しまくりながら小学校長を最後に退職という、まあ、筋金入りと言えば筋金入りの人ですから、若い頃の自分の憧れを取り返す(声楽を勉強していた)については執念を覚えます。 万世橋ですが、たまたま明日出る用事があるのですが、銅像立地と言う観点から観察してきましょう。しかし軍の退蔵電気部品市変じて今やオタクのふるさと、ゴスロリ少女の溢れかえるずいぶんアレな町になってしまいました。 新年散財初めはアキバから 困ぺい糖 |
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date 2007/1/13(土)01:22 別宮様 ワトシン様 日本に対して艦載機を繰り出したのは、欧州の様に近場にイギリスのような戦闘機や軽爆が出撃できる策源地がなかったせいでもあります。 通常、軽爆、戦爆の任務は、鉄道、車両、集結点への攻撃です。したがって、重爆のような絨毯爆撃ではなく、狙いを絞った攻撃が必要になります。したがって使われるのは500ポンド以下の小型爆弾、ロケット、機関砲になります。米艦載機の場合も、機銃のみではなく、ロケット、爆装で出撃しました。 さて、92式重機は7.7mm、その前の3年式が6.5mmです。第一次大戦のビッカース重機のように、支援火器として使うなら、7.7mmでもいいということです。実際、現在米軍の小銃弾は5.56mm、分隊支援火器のMinimiが同口径、その上の万能機銃M60が7.62mm、さらに中隊支援火器はWW1以来の12.7mmです。 日本陸軍はドイツ、あるいはソ連を範にとろうとしましたが、ようするに日本のやり方では下僚天国に堕落します。もっともソ連式はこれまた問題だらけなのはご承知のとおりです。 困ぺい糖 |
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date 2007/1/13(土)09:36 ペルソングラータさま 前のコメントで柿安というのは「かねやす」の誤りでした。「本郷のかねやすまでは江戸のうち」という古川柳の解釈で、本籍がある文京区役所にいったとき、冊子に「かねやす」から向こうは瓦屋根ではなくて藁葺きのためだと書いてありました。何を言うか、加賀屋敷が藁葺き屋根のはずがないだろ、と思った次第です(お茶の水からの本郷通りが加賀屋敷に面している)。 そして、正月のすき焼きは、万世、柿安というのも在り来たりで、浅草のちんやは高いし、米久くらいにしておこうか、と熟考していたためゴタゴタになりました。でも、これみな近江・松坂・神戸を売り物にしていますね。米久の看板には明治初年、初代が牛一頭近江から江戸まで引いてきて店を開いたと書いてあります。途中の餌はどうする、二匹目はどうすると疑問は膨らみます。ともあれ、山手線の西側にはろくな店はなく、丸の内のサラリーマンは社員食堂以外は八重洲に食事にいくとき下町にいくというのが常でした。 ウィーナーシュニッツェルの話には合点がいきました。だいたい洗面器にザワークラウトなど山盛りしドイツ料理と称している中で、ちょっと異質な気がしていました(大きすぎるのが難ですが、西洋モノですから仕方がない)。でもウィーナーなどつけるのは「かたり」でしょう。東京のすき焼き屋でも発祥は関西だとみな書いてありますぞ。でも、横浜の関内にある勝烈庵は「本邦初、豚カツを発明した」と自慢してあります。ここはなぜかキャベツのお代わり自由で、ドイツの伝統を背負っているんでしょうか? パルマ公国の話はイタリア小邦の縮図のような印象ですね。それに加えて、イタリア北部とりわけロンバルディアやベネチアなど北部人は、南や西からサルディニアに攻められて、面白くなかったのでは?なんといってもイタリアはポー川下流が産業的(非軍事・非文化ではあるが)には優位ですよね(トリノは上流すぎます)。ベニスの商人であって、ネープルスの商人ではイメージ湧きませんよね。大正の東京下町でも、中野の哲学堂あたりに住む教師が「お前たちのように勉強しないから、薩長の芋に負けるんだ」と叫んでいたそうです。南から芋に攻められたというのは悪い記憶になりますよね。 サルディニアがフランスと組んでソルフェリーノに大勝し、ロンバルディアを手に入れたときからドミノ現象のように小国が吸収されたのですが、フランスと組むというのは禁じ手のようにはみえなかったんでしょうか?あるいはオーストリアの脅威という合意ができたんでしょうか?オーストリア外交はトルコとイタリアを敵とするのが従来の常道ですが、セルビア=ロシアという脅威についてメッテルニヒは甘かったんでしょうね。そのうえ、1848年の混乱でロシアを味方につけてラデツキーがイタリアに行きましたから、流れに沿っただけと評するべきでしょう。それに反し、サルディニアはクリミア戦争に参戦し、英仏の確固たる信頼を集めました。そのあとの北清事変でも、イタリア兵はいますがオーストリア兵はいません。外交が軍事抜きでは成立しないことの例証でしょう。 でもラデツキーの挿話をきくと、二重帝国は憎めない人ばかりですね。 別宮 |
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date 2007/1/13(土)11:37 SLEEP様、 夕張関係者自身に「加害者」としての意識が希薄なのは残念ながら事実です。 今回、夕張市が国の指導により給料と退職金の減額に踏み切ったのですが、これにより大量の退職者が発生しました。 次いでですが、横路氏に代表される北海道左翼の支持基盤は結構複雑です。 ちなみに私の市の市長は長年、市労働組合委員長上がりが勤めていましたが、この時代、官製談合の仕切り役は市労働組合関係者だったようです。 労働組合と土建業者を抑えるから選挙に強かったのですね。 med |
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date 2007/1/13(土)13:53 別宮様 困ぺい糖様 HNワトソンが誤ってワトシンになってました。 下僚天国は計画経済の名にも値しませんね。 小銃口径の件ですが、旧軍を弁護する武器オタクによると、3年式重機と11年式・96式軽機ではそれぞれ専用の減装弾を使用していたので、6.5mm時代でも3系統が存在していたので、99式小銃と軽機で共通化が図れただけでも改善であると。 |
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date 2007/1/13(土)18:40 そうでしたか、既知でしたか。 実はこういうのはビスマルクの頃から続いてますからね。 ちなみにあれだけ言われたナチスの宣伝は宣伝学ホープ様に以下のサイトで厳しく報告されてます↓ また、テレビの話ですが、NHKで「ゲッベルスの時代」というのがありまして |
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date 2007/1/13(土)23:53 ストレンジラブさま ミュンヘン革命については、申し訳ありませんが「共産主義政府軍」という用語では、理解が難しいと思います。詳細については、本サイトが日本では一番詳しいと思いますのでお読みください。また林健太郎の『バイエルン革命』という本があります。県立以上の図書館であればあるでしょう。 共産主義という用語を冠することができる政府は、ホフマン政府を郊外に追いやった第3革命以降のレビーン政府だと思います。そして、「政府軍」と曲りなりに言えるのはエーゲルホッファーがあつめた数百人でしょう。ヒトラーはこれに加わっていないことは、あとのフライコールによる査問の結果で明らかです。 またファシズムとヒトラーの国家社会主義は明確に違います。これについては『諸君』7月号に書いたのでご参考ください。またご紹介のサイトとあなたのご趣旨はかなり違うんではないでしょうか?紹介のサイトは1933年以降、すなわち政権掌握後のプロパガンダについていっています。NSDAPの宣伝手法が共産主義的であるとするなら、それ以前についてではないでしょうか。1933年以降の例えばニュールンベルグ党大会の様相は社会主義の通常のものとはまったく異なります。 いずれにせよNHK番組の感想などは、誤りの指摘の確認とかは有益かもしれませんが、「びっくりする」という感想はちょっとついていけません。ゲッペルスはNSDAP左派で、社会主義的傾向が強い人物です。1920年代の発言については『ゲッペルス』という本に詳しくのっています。 別宮 |
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date 2007/1/14(日)01:03 別宮様、困ぺい糖様 唐突ですが、今朝、変な夢を見ました。秋葉原を歩いていると、セーラー服バージョンのメイドさんに呼び止められ、店内では帝国海軍式の敬礼で迎えられるという… 海軍カフェ〜?(そのうちできるかも?) 困ぺい糖さま、戦果はございましたか? カツ(Cotolette)の語源はCostoletta(リブ・ロースの事)ですから、伊墺のカツは無駄にデカくて、おまけのように肋骨が一本突き出ているスタイルですね。でも、子牛肉より、やっぱり豚、日本製の「とんかつ」のほうが美味しいと思います。しかも自由な発想で、骨なしロース、ヒレに、串カツ、カツ丼まで発明しましたから。ラデッツキー宛の返信で、かの伯爵は「こりゃ、クストザの勝利をひっくり返えされるに充分なレシピですな」と、返事したそうですが、これらはMukdenとTsushimaの勝利に匹敵する発明、と、勝手にに納得しております。 サヴォイア王家は確かに田舎モンですね。48年には、ミラノやベネチアに独立の軍事的支援を大々的に触れ回っておきながら最後の最後で抛り出しましたから、リサ海戦ではベネチア人も素直にはなれませんよね。たぶん、だからこっそりと「プロンビエールの密約」のようなセコイ条約を平気で結べるのですが、本貫のサヴォイアまで気軽に譲渡するというのはたいしたもんです。薩摩人に「西日本全部をやるから、鹿児島をよこせ」といっても、これはさすがに首を立てに振らないでしょう。 あと、ナポレオン三世は、一説にはイタリアを三分割して、北部をサヴォイア家、南部はロシアに気兼ねもありそのまま両シシリー王国へ、そして中部を自分の物に(あるいは、サヴォイア家の王女と結婚予定だった甥のものに)する、というアイデアがあったとも言われます。つまらないことを考え出した原因は、58年に自分を暗殺しようとしたテロリスト、フェリーチェ・オルシーニの手紙に「イタリアに自由を!二千五百万の民の祝福があなたから離れる事はありますまい。エトセトラ」とか言われて、それにほだされたからだとかと言われます。 彼は絞首台で「イタリア万歳、フランス万歳」といって死んだそうですけど、安重根と雄弁さはそっくりですね。ただ殺されかけた皇帝自身が肩を持ってはマヌケでしょう。ソルフェリーノとマジェンタの累々たる戦死者の数を考えても、やはり失策でしょうね。 すき焼き、牛肉は確かに西日本が優勢ですが、料理としてのすき焼きは断然関東風の割りしたを使ったものの方が美味です。京風は、なべに油を引き、まず焼肉をはじめ、そこに大量のザラメ砂糖をかけ、その上にしょうゆをかけるというもので、あれでは塩味の肉に甘いジャムをつける英国料理の姉妹料理そのもの… 甘党ならともかく、お雑煮(激甘白ミソ)とすき焼きは、京都ではあまりお薦めできませんです。 ペルソナングラータ |
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date 2007/1/14(日)08:23 ペルソナ・ングラータ様 核処理施設の案に賛成です |
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date 2007/1/14(日)09:44 ペルソナングラータさま 確かにご指摘の通りで、サボイ家の本貫はサボイであって、遅くとも13世紀末には成立してますね。ただ、サボイはブルグンド(バーガンディ・ブルゴーニュ)の跡地で何か関係があったんでしょうか?民族大移動の関係からいえば、このあたりはゲルマン諸族が落ち着いたように思われます。 ただ、それ以降の展開としてブルゴーニュ・サボイアはフランス化して、ローヌ川下流域のアルル以東はイタリア語圏であったような印象です。サボイが手放したあとでもプロバンスの住民の大半はイタリア語を喋っていましたが、フランスの施政権下に入って喜んだというのがあります。 でもサボイ本貫譲渡というのは、とくに500年以上住んだ所を手放していますから、徳川家康の関東転封より厳しい感じですね。徳川にはできても島津はできないですよね。また、オルシーニの仏伊万歳と安重根の「私は日本四千万、韓国二千万同胞のために、かつ日本天皇陛下及び韓国皇帝陛下に忠義を尽くさんために今回の挙に出たのです」とそっくりですね。 重根の予審調書は儒教からきていると思いましたが、洋の東西を問わず出ているのは興味深いですね。日本では外国使節・要人にたいするテロは李鴻章へピストルを発射した小山豊太郎以来、明治天皇が激怒して詔勅を出した結果、絶えてなくなりました(ライシャワー刺傷事件を例外として)。この小山という人物は群馬県出身(井上日召と同郷)で、慶應中退のフリーターです。井上日召友人の四元義隆(鹿児島出身)は中曽根康弘のブレーンですから、群馬も大概にしないといけないですね。 でもテロリストというのは若者フリーターが多いですね。ともあれ国家の指導者が「カンカンになって」怒らないと外国要人テロは売名もからみますから止まりません。お隣り三カ国は推奨してますけどね。 昔イギリスで、日本人種々雑多が集まって、すき焼きをやろうとしたんですが、ネギが牛肉より高いのはしょうがなく、焼豆腐は絹ごしで我慢するとして、確かに割り下でもめました。「みりん」などあるかから、酒いや白ワイン代用というのまで出てきました。これは調整がつきますが、熊本県人が「牛乳」を入れるべきだと言い出し、残り全部に袋だたきにあっていました。熊本ではすき焼きに牛乳入れるみたいですよ。そういえば、博多ラーメンというのもスープは無闇に白いですよね。 別宮 |
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date 2007/1/14(日)10:48 別宮様 ペルソナングラータ様 え?豚骨をお好みにならない?それは残念です。白濁したのはブタの骨格中のプロテインですから美容にはよろしい。 話変わって、今朝は先ほどまで山拓の言い訳を聞かされるのも癪だと、珍しくNHK教育にチャンネルを変えると、京都御所の壁絵、襖絵を特集していました。国営放送は気に入らんですが、カネが無駄に余るので時々こういうのをやります。黙って絵だけ流す分にはOK。 さて、昨日は某店でイタリア軍用機の英語写真集と和訳本を買い、ついでに2次元オタの牙城、まんが虎の穴なぞを覗いてラノベを2冊拾ったのですが、イタリア軍機モデラーの最大の関所が尾翼に燦然と輝くサボイア家のエンブレムということはご存知でしょうか。 そんなわけでお昼は豚の唐揚げ(アレも一応シュニッツェルか?)を醤油ラーメンにのせた万世のパーコー麺だったということでラーメン締め。 P.S.「列車強盗しようぜ!儲かるらしいし!」「わぁ素敵!お金持ちになれるね!」 困ぺい糖 |
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date 2007/1/14(日)15:31 困ぺい糖様、別宮様、皆様 瀬戸内海の小都市で育ちましたせいか、親の世代から上の人々から繰り返し機銃掃射 縄跳びで2重飛びの出来ない私の母親も再々機銃掃射をかけられながら生き延びて |
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date 2007/1/14(日)22:53 別宮様 皆様 最近は、どうも戦間期から終戦までの情勢を再確認と陸軍情報蓄積に励んでいるところでして、やはり陸軍幕僚統制派の輿望を集められたといわれる永田鉄山を少し知る必要があると思い、勇んで古本屋の芙蓉書房『永田鉄山』を購入して、帯の国民と軍の輿望を担ったという宣伝文はまあ愛嬌だと思い読み始めようとしたのですが、目次での証言者に有末精三(梅津のときにも良く出ていた)と片倉哀が見えた時に、著しく読書欲が減退してしまいまして思わずその場で本を閉じてしまいました。 この二人をみてしまった瞬間に、容易に内容の想像がついてしまい政治面でチョロチョロ動いていた連中が、戦後己の行動を自己正当化を行うための仮託できる人物伝を拵えたものではないのかと予測してしまったからです。多分世の中に出回っている永田話(総力戦を予測して国家戦略が考えていたや、暗殺されてなければ226は無かったもしくは粛軍が徹底された、対米戦争による敗戦はなかった等)の種本では無いのかと思うのですが、そんなものは東條の失敗を見れば全くと言うほど信ずるに足りない話だと思ってるからで、東條の方法を多少洗練しようが碌に国民を信じない軍官僚が1人でなにをしようと「国民に蛇蝎の如く嫌われる陸軍(永田自身の遺作たる林内閣はその良い見本)」という重大な敗因を作り上げたことが何より重い責任だと自分は考えています。 一生のうちに読める書籍には自ずと限りがありますので、もしこれ以上の見所がなければ箪笥の飾りにしようと思うのですが、何か見所があるようでしたら御教授願えないものでしょうか。 枯山 |
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date 2007/1/15(月)03:25 別宮様、困ぺい糖様 話が長くなってしまい申し訳ありませんでした。 南フランス一帯から、スペインやピエモンテの一部、ジェノバ近郊まで広がるオック語ですが、これはフランス語よりもずっとイタリア語とカタルーニャ方言のほうに近い言語です。ただ、フランス領内の場合はやはりパリの公用語としてのフランス語使用に伴う伝播力が大きいのでしょう。まぁ、それ以上に、落ち目だったダサいイタリア語より、欧州の覇フランスの言葉のほうが良かったのでしょう。ルクセンブルクもすっかりフランス語国家に化けてますし。サヴォイア家の人間はいつもイタリア語の文章では文法ミスをしていたようですが、あまりそれを恥ずかしいと思っていた気配がありません。 オルシーニの面白いところは、ムッソリーニの同郷人であることでしょうか。(元教皇領のフォルリ) 牢内で「仏皇帝のせいで独立できない」が「仏皇帝なら独立させられる」へと、考え方がひっくり返っただけでしょうが、ジャコバン派の流れを汲む人間は「自由」という言葉をセコく安売りしますね。一方、儒教系は「忠」でしょうか。(結果は「自由」も「忠」も都合よく裏切るんですけどね…) 戦闘機にあまり凝った印章を巧みの技で、というのもなぁ、これじゃ大量生産もクソも… (最初から、その気がない?) いやいや、サヴォイア家のマーク、単純化しすぎると赤十字やらスイスの国旗みたいなんで、やはり王冠などおまけがいりますです。 うどんの出汁は関西人に作らせたほうがいいですが、すき焼きは関東人が独断専行でやるのが一番ですね。おでんも具を何にするかでもめますし、しゃぶしゃぶなら、ゴマだれがいい人は勝手にゴマをすればいいですから、まぁ平和でしょうか。そういえば、長崎で食べたちゃんぽんが、えらくすごい甘口だったので驚いた覚えも。 北海道で食べた牛乳ラーメンはなかなかいけましたけど。 |
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date 2007/1/15(月)10:07 枯山さま 帝国陸海軍とも、国家・国民のため団結心をもって外敵に抗し、二心をもたず天皇陛下の命令に従うという点で、日清・日露・シベリア出兵まで大過はなく、国民の信頼は絶大でした。昭和に入って歯車が狂いました。 そして感じるのは、永田鉄山(陸士16)小畑敏四郎(陸士16)から以前、以降で陸軍人は大きく変わったようにみえます。東條英機(陸17)石原莞爾(陸21)などは名利を求めているようにみえます。性格は酷薄、行動は下品です。ルーデンドルフのようなもので、物質主義と宗教逃避です。広田弘毅や松井石根は教誨師など相手にせず、刑場に向かいましたが、東條・武藤らは仏教のようなことをモゴモゴいってますよね。フセインみたいなもんでしょう。過度な宗教ゴリというのは物質主義の裏返しのようなところがあります。 永田や小畑は、地位や金銭に恋々としていません。互いに対ソ硬という立場と外交主という立場で怒鳴りあっていただけです。これは調整がつく問題です。ですが、東條・石原の争いは、チャハル直行と不戦逃亡ですから水油であり、また両人とも国家を思っていうのではなく、陸軍の立場と自らの栄達にしか判断の基準がありません。有末精一や片倉衷も似たようなものでしょう。ですから、皇道派というのは政治原則をもった派閥ですが、統制派というのは残り全部の「オレガ」「オレガ」の政治軍人集団です。国民が嫌ったのはこういった省部軍人でしょう。 永田や小畑は紳士であったと思います。ただ、永田は根本に反ソ反共がありませんから、どうしても社会主義的・物質主義的・親独になり、役人が指導したり民間企業に天下りしたりする方が、よりよい社会をつくれると思ったんでしょう。多少、育ちもあるかもしれませんね。でも永田は戦争中、800坪の敷地に家を新築したりしないと思いますよ。それに、永田も小畑も自分達は軍人であって、政治家になりたいとは思っていなかったでしょう。 また、ご指摘の林内閣成立前後の粛軍は見逃せません。226事件ということでしょうが、陸士16以前が大量に予備役になっています。宇垣・林・阿部という陸軍出身首相・首相候補はいずれも予備役です。その前の田中義一は予備役でかつ政友会総裁です。ところが、東條英機は現役の陸軍大将です。そして陸海軍というのは予備役になった途端に外交・軍事情報はまったく入らなくなり、組織に頼るのではなく個人で動ける人物となり紳士となります。現役を通して総理になっては、権力をふるう快感しかなくなります。財務事務次官や外務事務次官・日銀総裁がいきなり総理になったら怖ろしいですよね。外から招聘された社長やオーナー社長の経営する会社が生え抜き出身より業績がいいケースが多いのもそのためでしょう。 つまり2・26以降、極端な陸士16以降偏重(=現役偏重)が現れ、軍務局・兵務局偏重という現象になりました。武藤章・阿南惟茂という個性も影響したと思いますが、両者とも経験が浅いため、権力行使についての慎重さが全くみられず、反面極端なゴマスリ(付け届け・阿諛のための軍事電報)など明治陸軍では考えられない事態となりました。古来からいわれますが、「なりたいという人にそのポストを与えてはならない」ということでしょう。 別宮 |
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date 2007/1/15(月)11:33 亀太郎さま、皆様 ご返信ありがとうございます。 私の母も機銃掃射は心底怖かったとよく言っております。 愛媛県今治市の陸軍縫製工場はB29の爆撃を受けたそうです。母の姉がそこに勤めていましたが 米軍は田舎の陸軍縫製工場まで調べていたんでしょうか? モー大佐 |
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date 2007/1/15(月)11:38 皆様 「ひげの隊長」佐藤正久1等陸佐が参議院に出馬するそうですが、どなたか詳しい情報を 陸将になるに違いないと思っていたのですが、ビックリです。 モー大佐 |
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date 2007/1/15(月)23:38 別宮様 永田が東條とは違い、原則を持っていた最後の世代に属していたということなのですか、ただどうしても職歴の関連か軍務局なので統制経済には反対していなかったと思うと、当時の流行は相当なものがあることが伺えてきます。また紳士とは無縁の東條英樹という存在を見ても試験秀才が、明らかに軍官僚として名利を求めるのに汲々としするのが是とされたの、永田・小畑以降の世代というのは確かに異様な感を抱きます。 私見ですが、この辺りの分水嶺は日露戦争参戦有無が分かれ目のような気がいたします。日露戦争を経験した世代は暇な時間があったとしても戦時の前線の経験を忘れないと言う下地から、平時に職務に打ち込むことが戦時に活かされるという事を肌で実感している為に、自己の栄達や政治よりも大事なものがあることを理解できていたのではないのかと思います。 また2・26の粛軍でこの事を充分承知していた世代が大量に予備役編入をされてしまったのが、結果としてみれば自己栄達しか頭に無い手合いの増上を招いてしまったのは残念でならないと思います。そしてまた、僅少ながらも残った杉山・畑・寺内がオレガ主義の省部軍人連の最後の重しだと思えば、仲間内で何もかも決めたい彼等政治軍人がこの3名を嫌いぬいたのかが良く分かります。 枯山 |
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date 2007/1/16(火)09:02 枯山さま ご指摘の通りです。陸士16はだいたい明治16年前後の生まれです(陸士期数は明治になおせば生年)。すると、日露戦争の勃発が明治37年ですから21歳であって、ギリギリ出征です。それに加え、第一次大戦勃発が明治47年に相当しますから、陸大卒業年次平均29歳を考慮すると、ご褒美留学がそれ以前と以降にかかるんですね。 つまり、永田は日露戦争に加わり、第一次大戦前にドイツにいき、戦中・戦後、デンマーク・スウェーデン・スイスに駐在しました。小畑はロシア畑ですから帝政ロシア軍に加わっています(日本は連合軍に加わっていますから、捕虜となればロシア軍将校と同じ扱い)。ところが、東條は戦後ドイツです。インフレで金の使い勝手はよかったですが、風呂のない下宿で、知り合いは下宿のおばさんだけだったようです。小畑や永田は連合軍の将軍、ブルシロフやウィルソンと接していたのですが、東條は下宿のおばさんです。これは明暗を分けますよね。石原莞爾にしてもドイツ参謀本部戦史課長と話して得意気なんですね。 じっさいの戦闘に加わり、硝煙と敵味方の肉片・骨片が飛び散っている戦場に顔を伏せた経験、百万軍隊を率いて戦う将軍に接する経験は得がたいものでしょう。粛軍生き残りの杉山・畑・寺内が東條・石原・武藤らと大きく異なる雰囲気をもつのもまた当然です。杉山らは有能・無能はともかく軍人です。東條以下は国民に信が問われることがない役人です。 戦間期、社会主義は公理でした。統制主義とは社会主義の名前を変えただけです。ただ、色が違うにせよ戦前・戦中・戦後とヨーロッパをみていれば、単純な唯物論的図式ではうまくいかないことはわかるはずです。ヨーロッパの戦前にはベルエポックという古きよき時代があったんですね。これを知らないで、戦後ドイツや大恐慌後のアメリカから社会主義を夢見ると、必ずや失敗します。ある失敗の世代というのはあるんでしょう。不二家の経営者というのは昭和40年代の顔ですよね。食品工場でネズミが走るのを放置するのが昭和40年代は普通だったんでしょうね。最近の食品工場の作業員はまるで宇宙飛行士のような格好をしていることを知らないんでしょう。 別宮 |
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date 2007/1/16(火)10:05 別宮さま 枯山さま 東條と石原 全く正反対で喧嘩も相当やりあったとききますが 海外留学などは海軍がけっこう良いところに行っているようですが |
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date 2007/1/16(火)10:48 先日 パスタを茹でていて |
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date 2007/1/16(火)22:47 砂漠の中でのパスタ……『萌えよ!戦車学校』ネタですな。(ヒルダぷれぜんつ) しかし、前線だから我慢させる軍隊って、意外と弱い。 |
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date 2007/1/17(水)00:06 別宮様 たしかに、第一大戦直前から外国駐在で永田は主に西部戦線の情報をウィルソンなどの将官から、小畑は東部戦線で実際に観戦武官としてブルシロフの多点攻勢の浸透戦術の威力を目の当りにしたのですから、その経験は得がたいものだと思えます。主に永田は西部戦線のベルダン・ソンム・イープルから近代戦に余りに大量の弾薬が蕩尽されているのを目の当りにして、それを可能とする生産力のほうに目が向き当時の公理と化していた社会主義を統制主義という名称で解決を考えるようになり、東部戦線の経験から小畑は帝国陸軍の歩兵戦術を「分隊主体」となる浸透戦術を導入するのに邁進していったと言うことでになるのでしょうか。 それに比較してしまうと戦後に駐在した東條石原のドイツ留学は予算の関係上とはいえ実りとしては疑問符がつきます。石原はこの時代にドイツ参謀将校が底が知れたと自慢していますが、どうみても閑職の独人将校に適当にあしらわれただけという底の浅さを露呈したのが石原自身のように見えますし、東條は下宿おかみさん経由から伝わる当時ドイツで流行した「11月の裏切説」にあるような戦意不足敗因説をまともに受取ってしまい、何がなんでも攻撃だと考えるようになったとしか思えないところがあるからです。 また別宮様が触れられました、永田・小畑がルーデンドルフの「総力戦」に感銘を受けている点では政治軍人の端緒でもあると述べられていますが、これは両名が個人としては名利や栄達を遠ざけていたのだとしても、両者に陸軍が国政を担うということを是とする考え方をする点で、軍人に徹しきられない人物であったのだと思います。 それにしても、我国では第一次大戦後のルーデンドルフや第二次大戦後の西ドイツ国防軍の随分持ち上げる奇妙なところがありますが、敗戦国の方法を聞いて何に感銘を受けたのかいまひとつ理解しがたいところではありますが。 枯山 |
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date 2007/1/17(水)00:10 ロック> 東條と石原 全く正反対で喧嘩も相当やりあったとききますが さすがに総理となってやるとまずいですが、連隊長が兵の営内生活に気を配るのは重要な仕事であって、両名とも連隊長としては無能でなかったと言えるでしょう。 |
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date 2007/1/17(水)00:38 枯山様 西ドイツ国防軍と戦後の自衛隊防研組の共通点は両方とも責任逃れに尽きると思います。ドイツはこれに厚顔無恥な「オレがやれば勝てた」が加わりますが。 ドイツの第2次大戦はドイツ政府の崩壊と言う形で幕を閉じました。したがって、西ドイツ軍は戦中までのドイツ軍とは形式上無関係であると主張できました。そして、すべてヒトラーの責に帰するということができたわけです。 ところが陸海軍だけは戦後存続を認められませんでした。降伏条件に武装解除と軍組織の解体があったためです。その意味では自衛隊が陸海軍とは存続性がないという形式論理も成り立ちえます。 同じということで、防研は西ドイツ軍の発言に飛びついたのでしょう。しかし、日本の場合、ヒトラーはいませんで、むしろ、防研生き残り組みのほうがむしろ戦中好き勝手やっていたと言うのが実情でした。そして、日本においてヒトラーに当たるものとして、昭和天皇と重臣層を比べようとしました。 ただ、西ドイツ軍人が考えもしないことを旧軍生き残りはやろうとしました。自衛隊が行った日本有事(朝鮮戦争再発)の際の研究、三矢研究とは戒厳令布告、国家総動員、全面統制の実施です。これを60年代にやっていたことを我々は考えるべきでしょう。 自衛隊、防衛力ということについて、政治家が警戒感を持ち、世論も懐疑的であり続けたのは、実は左翼の悪乗り以上にそのような疑いを抱かしめてきた旧軍中堅連中の存在があったものと思います。つまり、まともな安保、軍事論議もままならないような風潮が支配的だった点についての責任は多いにありますし、国論を危うくして来たと言う点で責めるべきでしょう。 彼らの親分、東條、石原が大事にしたのは、軍と言う職域内での部下なのであり、国民ではありませんでした。つまり国民の利益を守るために兵に必死の任務を与えることができたか、そのような軍人としての基本があったかが問われるべきだったでしょう。 困ぺい糖 |
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date 2007/1/17(水)02:35 ロック様、ウルトラザウルス様 ネタは、半分眉唾モノだと思いますよ。パスタでも、貝殻型のようにスープ(おじや)用のもありますから、必ずお湯を捨てるというわけでもないわけで、ふと見たドイツ人が理解せずに馬鹿にしてネタにしたのかも知れませんし、逆にそれほど給水が切迫していなかった状態だったのが、話としてどんどん脚色されたのかもしれません。自分がコックなら、水が充分あれば、水を捨ててもパスタを作るし、水が少なければまず飲料水に確保します。いくらパスタ好きでも、将来への安心がまず一番の調味料ですから。 ただ、ローマの官僚どもが現地の状況も何も考えずに、いい加減なものをどんどん前線に送ったのは確かなようですね。食料のみならず…(アフリカに冬服を送ったとか…)まぁ、悲劇的なのは惨めな軍の装備自体ですが。 ロンメルの日記を見てると、往々にしてイタリア人の勇敢さ等々を最高の兵士だと結構べた褒めしていたりするんですが、「我々の兵器で武装していればネェ…」という仮定での話が基本です。(まぁ、骨董品とオモチャで武装している分、なおさら勇敢に見えるというものでしょう) 一方、彼が文句をつけているのは指揮系統と「秘密厳守」がちっとも守られないローマの首脳達です。(確か「ローマは一種の上海のバザーだ、情報を交換したり、売ったり、押し付けたり、発明したり…」とか言っていたと… 昔イタリア語で読んだ記憶があります) ただ、ローマ古典の影響か、イタリアでは軍人の第一資質の一つは、(カエサルのように…)まず兵士に説明がちゃんとでき、説得できる会話力がある事のようです。カドルナはこれがなくて嫌われてました。(これが女たらしの本領発揮でしょう。) 日本じゃ、何も言われなくても(言わなくても)ちゃんと動ける、というのが一番ですけどね。(ただし、会話の欠如と思い込みは男女関係には往々にして致命傷に… バラバラにはされたくないもんだ。) たしかLyophilization、フリーズドライは戦争中、イタリア軍が美味いもの食いたさのために、結構必死で研究していたようですね。発明者はインスタントコーヒの発明者だとすれば日本人ですが、確かフランス人だったかと…(だから、仏伊ではLyophilisation-Liofilizzazioneという変な単語が…) 軍の携行食もおかげで美味しそうになったものですね。(残念ながら、実物は食べた事はないですが…) ペルソナングラータ |
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date 2007/1/17(水)03:47 比留間弘氏の『脱線陸軍よもやま物語』に書かれているエピソードなのですが、 「連隊長の朝のご出勤は馬である。うしろから馬当番が鞄をかかえてついてくる。 というくだりがあります。このような「些事にも気を配る」という連隊長の態度は、地元との関係からも、部下統率の観点からも、重要なのだと見なされていたのでしょう。 うーん。自分の地位が以前の関係の樹立の方法を許さないという事に気づいていないとしたら、 |
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date 2007/1/17(水)09:01 ロック様、他皆様へ、 イタリア軍の北アフリカでのパスタの話は数多くの話がありますので恐らくは事実でしょう。 客観的に考えるとパスタは軍用食料としてそう悪い物ではありません。 問題は北アフリカでは水が貴重品だったことですが、・・・。 まあ、軍用黒パンに耐えるドイツ兵と軍用ビスケットで平気なイギリス兵から見れば、北アフリカのイタリア兵はとっても贅沢に見えたのでしょう。 これまた最前線で多くの水を必要とする米飯に固執していた日本軍が砂漠で戦う羽目に陥っていたらどうなっていたかは興味深い物があります。 med |
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date 2007/1/17(水)09:07 ロックさま 陸海軍の一人当たり人件費は1:5といわれます。水兵は鉄筋コンクリートの宿舎、陸兵は木造雨漏りの兵舎のうえ、食事が違います。世界中で陸海軍の仲がいいという国はまずないでしょう。 ただ、海軍将校は非政治的で社交的なことが特徴です。そもそも、海軍人というのは船にのって外国にいき、朝野から大歓迎される一種俳優のようなところがあります。当然、国家主義より貴族的国際主義のはずです。ところが日本は周囲にロクな国がないので、社交の重要さが認識できなかったんでしょうね。ネルソンは社交界に浮名を流し戦死、ウェリントンは政界に出て首相になっています。 イギリスの最後の海の英雄といわれるビーティは、百貨店経営者の一人娘と結婚しました。あるときビーティの艦がエンジントラブルを起し、査問委員会にかけられました。そのとき妻は「私のデービッドが軍法会議にかけられるって?それなら私が海軍に船1隻買ってあげるわ」といったそうです。 日本では、例えば三菱の岩崎は娘を加藤高明と幣原喜重郎に嫁がせました。幣原喜重郎の東京の家というのは、今の駒込の六義園です。つまり日本の金持ちは、海軍人より外交官の方が娘の嫁ぎ先として好ましいと思ったんでしょうね。このあたりは日英の海軍戦略に影響したのかもしれません。まあ、政治にのり出す海軍人というのは昭和日本の特殊現象でしょう。ワシントン会議でビーティが加藤友三郎に"We have no money"といって戦艦建艦の縮小を求めたのが、面白いですけれども。 別宮 |
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date 2007/1/17(水)09:46 枯山さま 困ぺい糖さま 永田、小畑らのルーデンドルフへの傾倒はバーデンバーデンの密約を想定していると思います。ここでは総動員と総力戦について話し合われたようです。ただ日本語では「総」がついて同じように聞こえますが"General Mobilizaton"と"Total War"で両者はまったく違います。 そしてルーデンドルフの『国家総力戦』を読むかぎり、枯山さまのいう通りで、たんに政治にたいする軍事の優位をとき、理由とすれば戦争に勝ちさえすれば「好き勝手」できるということです。後半はでも誤りですよね。20世紀の世界戦争では勝者の負担も膨大です。ただ、永田・小畑の段階では、これを戦時中に限定して考えていたんじゃないでしょうか?永田・小畑はドイツの戦闘力に感銘をうけながらも、どこか外交についても考慮していました。 例えば永田は朝鮮は日本の国家財政に与える負担が大きすぎるため、財政を独立させ、自治を拡大、将来は独立させる構想を語っています。これはバランスのとれた考え方です。東條陸相は、主計官に陸軍予算について難色を示されたとき「芸者を呼んで接待しろ」といったそうです。永田・東條は子弟関係ですが、上品・下品をどうしても考えてしまいます。それと、ルーデンドルフの下品さもあります。非難をおそれずいえば、ヒトラーの方がルーデンドルフよりはるかに高尚な人物です。ともあれ、東條もルーデンドルフも戦敗の最大の責任者でありながら、自決に失敗しています。 それと考証的なことですが"Totalle Krieg"という響きは、ドイツ語では悪いんですよ。"Tot"というのは「死」という意味で"Total"という単語はそれほど使われているように思えません。ルーデンドルフは英語版出版を考慮してこのような名前をつけたのでは?また岡村寧次はGHQと何か闇取引をしてバーデンバーデンの密約をデッチ上げたのでは?理由は"Total War"と聞いて脳天に突き刺さるのは英米人だけだと思うからですが。 別宮 |
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date 2007/1/17(水)19:13 匝瑤葵様 ウルトラザウルス様 石原東條共に適材適所から言えば 勿体無いのかもしれません |
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date 2007/1/17(水)19:44 別宮様 そういえば 某とんかつ屋で食事をしていた時に 隣に座っていた老人が店の主人に 近くにロクな国がなかったら社交の重要性はわからないかもしれません |
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date 2007/1/17(水)22:13 別宮様 困ぺい糖様 小畑・永田共に戦時に軍事の政治に対する優越を説いたと言うのは納得できます。ただ不肖の弟子はそれを自己所属組織の権益増大のために平時まで平然と拡大するところには参ってしまいます。 ただ戦時限定とはいえ軍事優先方針はやはり誤りというのは、こちらでも再三にわたって述べられた政治無能のルーデンドルフ軍事優先思考からの無制限潜水艦作戦が、米国参戦を招いた挙句にカイザー攻勢の失敗と連合国反攻成功というドイツにとどめの一撃を加える戦力としての米軍を呼び寄せているのを考えると、自己の都合によいとはいえドイツ敗北責任者たるルーデンドルフの意見を入れてしまったのは少々軽率にも思えますが、むしろ最後までほぼ世界を敵に回して善戦したという見方を重視したかと思えば、小畑・永田両者の直近戦争経験が自国不利と思われた日露戦争ですから分かるような気も致します。 バーデンバーデンの密約については、唐突な印象がありましたが確かにそもそも密約主要人物のなかで戦後長生きできたのは、証言した岡村寧次しかいない事を考えるとクロスが取れない怪しげな代物だというのには肯けるところがあります。下手をすると東京裁判のダメ検察が出来の悪い司法取引文書作成に協力したのが、真相ではないのかとも取れてしまうところがあります。何しろ東京裁判での半分の戦犯指名枠を持っていた蒋介石という要素を考えると、支那派遣軍勤務が長い岡村が命の危険を感じて協力してもしょうがない状況を考えると納得できるところがあります。 さて、三矢研究ですが何故朝鮮戦争勃発という想定事態に、いきなり「戒厳令+国家総動員」パッケージを拵えるセンスには眩暈が起きてきます。半島戦時でも動員に余裕がある我国が大陸方式の真似事などするという、どうみても不要なところに力点が置かれているところを見てしまうと、己の行動が全く国民から信を得られないこと前提で話を組み上げている点は異様の一言に尽きます。こうしたセンスを保有していた旧軍中堅連が全員引退状態になるまではオチオチ再軍備の話も具体化できなかったのが分かります。外野の左翼連のアカよりも恐るべきは獅子心中のアカ共だったのだと改めて思い知らされます。 枯山 |
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date 2007/1/18(木)08:17 枯山さま ルーデンドルフの無制限潜水艦戦の開始ですが、今から考えると不思議な事態ですが、あまり反対する人間がドイツにいなかったようです。 これは第1に、アメリカが武器を英仏に輸出していると信じ込んでいるんですね。これはアメリカが参戦してからの武器調達が全面的に英仏からというのからみて誤りです。第2に、アメリカ軍の戦力を過少評価してるんですね。 これもご指摘の延長で、戦間期の日本軍人にもみられる特徴です。戦間期、アメリカ常備陸軍というのは世界16位で、コスタリカよりも小規模です。ところが、募兵すると1カ月で数百万つめかけます。それと損害を歩留まりと割り切るところがあります。今でも海兵隊は4単位です。これはよほど補充と手持ち武器在庫が豊富な証拠でしょう。 南北戦争でついにヨーロッパ諸国は介入できませんでした。これは南北両軍の規模が莫大であったためです。ところがチャーチルは、なぜ軍人は南北戦争におけるアメリカ人の戦い方を参考にしようとしないのだろう、とボヤいています。けっきょく、イギリスを除くヨーロッパ人と日本人はアメリカの真の強さがわからなかったんでしょうね。 日本人は、外国政治家・軍人の言説をきくと、その内容ばかり感銘をうけるんですね。これは翻訳本全盛のためかもしれません。ルーデンドルフであれば、戦争指導やそれによる敗戦、ミュンヘン一揆における責任の取り方もみる必要がありますよね。日共の不破というおじさんは、しきりにレーニンを引用しますが、レーニン全集の半分はテロのやり方と人殺しをやっても悩まない根性の入れ方です。 元自衛隊北部総監の志方氏がテレビで、日米安保の防衛義務について双務性がないので、自衛隊のやる気が出ないと語っていました。でもこれはマッカーサーが憲法9条をこじ入れたためです。マッカーサーはこれが一因となって大統領候補にもならませんでしたから、軍人の思いつきで政治をやると、だいたい失敗します。将軍は1〜2日あとのことを考えますが、政治家というのは10年先も考えねばなりません。憲法9条は改正すべきですが、日米安保とセットで考えると既得権益ですかね? はっきりしていることは、アメリカの国力は日本やドイツより上であって、もちろん、北朝鮮より上です。 別宮 |
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date 2007/1/18(木)08:45 ロックさま 日本の男の社交性の問題は、一つはチビだからでしょう。明治天皇は身長1メートル80あったようですが、軍人はどれも小さいですよね。 原因は士官学校・幼年学校、海兵学校の「シゴキ」のためでしょう。とにかく、絶食させてオールを漕がせるは、50キロ行軍などバカなことをやっていました。南京入城の写真などみるとチビの将校が剣をたてをもって、一回り大きい兵士を指揮しています。 だいたい教育現場だと「根性」「気合」で持久力ばかりですよね。そして「智恵は総身に回りかね」などとひがむわけです。まあ、10歳から乳製品を大量に食べさせることですね。 社交ダンスで小さい男が大きい女性とは組めませんよね。海東の絶国ですから、海軍人も外国人と社交の必要はなく、パインで芸者と遊んでいればよいという所でしょう。 イギリス人ですが日英同盟のころ海軍を仕切っていたのはフィシャーです。これが、イギリスきっての醜男のチビといわれており、山本権兵衛と気があっていました。ビーティも知っていたんでしょうが、これがキザ・ダンディーです。残った写真では全て帽子を斜めに被り、規則違反の6つボタン(正規は8つ)です。日本海軍人はついていけなかったのでは? ペケナムというのもいますが、日本海海戦で血染めベッタリの白の制服を須臾の間に新しいものと着替えとあります。東郷平八郎は明治天皇に「日本海海戦でもっとも勇気のある兵士」として紹介しています。露天の上甲板で籐椅子に構ていたようですが、けっこう恐いですよね。現在のイギリス王室を手本にといっても、個々の行状にはグッときますよね。イギリス上流階級はヘンなのが多いですよね。 別宮 |
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date 2007/1/18(木)17:13 皆様へ イタリアは潜水艦でも ちょっと異質な物を作ったりしますよね カルドナというとカポレットですし勲章を貰ったロンメルですが 携行食というと 多くは水分が極端に少なくされていますよね |
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date 2007/1/18(木)22:49 別宮様 第一次大戦は米国は厳正中立を宣言していたはずですから、確かにルーデンドルフを含めたドイツ軍参謀本部が米国商船を攻撃するのは不可解にも思えますが、ドイツの悪癖でもある政府が外国との約束を軽んずるところを、自国のみならず相手もそうだと想定して、武器を満載しているはずの米国商船攻撃という、まことにドイツ思考の一番悪いやり方が表に出たという気がいたします。 ただ米国が本当の意味で列強になったのを証明したのは、第一次大戦で百万陸軍を西部戦線に並べてドイツ軍を撃破する一翼を担ってからと考えると、ルーデンドルフが甘すぎる見積もりを出したのも分からないことはないと思います。ただ、平時10万程度の規模が1年半で100万単位が大西洋を越えてやってくるのは、米国の国力が生み出す潜在力には圧倒されます。ただ第一次大戦では米軍のこの迫力が全く注目されないのも事実で、自分も恥ずかしながら第一次大戦の米国の活躍は補給や資金面が主なものだと漠然と信じていました。 また戦間期の米国を見ていてつくづく思わされるのは、国力が圧倒していようと平時に小規模な軍隊にとどめているのは、戦争抑止に重要な軍事バランスからの視点から見ると大変危険なものだという思いを強く抱きます。第一次大戦後に完全に列強の一員になったのにも関わらず動員解除で戦前水準に陸軍が戻った上で、今度は外国にお節介体質であれこれ仲介者の役を演じて最後は真珠湾の破局ですから大国の軽武装路線というのは危険極まりないのにも関わらず、戦後の我国はこの路線をとっていますから米国の苦労が偲ばれるところがあります。 枯山 |
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date 2007/1/19(金)00:03 枯山様 別宮様 例えば、北朝鮮軍は号して100万ですが、その半分以上は長期間の徴兵による3年以上のロートルばかり、しかも、ほとんど毎日工事現場や田んぼでの労役ばかりをやらされています。 問題はこのような北朝鮮軍でも必要以上に強大なように考えるという部分が現代あるということです。単純にこれをアカのプロパガンダと言ってしまうわけには行かないと言うところに安保、軍事に関する啓蒙の難しさがあろうかと思います。 南北戦争についてモルトケは学ぶものは何もないと言い放ちましたが、これはプロイセン一国、10万程度の兵で機動戦を考えていたからに他ならず、50万単位の歩兵の激突は彼の想像を絶したからだと思います。いずれにせよ、プロイセンにそんな数の歩兵で攻めかかる敵は当時欧州にはいませんでした。 米国の戦力の凄みはその多層性にあります。常備兵力はそれこそショボイのですが、州兵、民兵、と段階的に可能動員数が増していきます。これは今のところどこの国も真似ができません。 ただ、作戦面ではヘボですね。無駄玉、平押しばかりという印象もあります。でもそれをカバーするために毎度感心するくらい新機軸なるものを発明します。 そして、重要なことは、彼らが山本五十六が言ったようにワシントンで城下の礼をとった程度では折れるタマではなかったということでしょう。 ただ、最近の傾向として海外基地を畳んで帰りたがると言うのがあります。でも、これは日頃の発言とは矛盾です。もし世界警官なら、交番方式であちこちに小部隊を散らばらせておくということをすべきかとも思います。 困ぺい糖 |
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date 2007/1/19(金)00:11 ロック様、皆様 イタリアのバイク産業は凋落著しくて、最近売れ筋は日本車ばかり… 女の子を引っ掛けるにも、今ではもはやドゥカティ転がすよりKAWASAKIです。でも、私の住んでるところは伊バイク産業の中心地みたいなところですが、近くに、一本数千円、数万円する超軽量合金製ネジのメーカーがあったりします。見た目は田舎の中小企業、年商はシンジラレナーイ、みたいな。町工場で、超高額レーシングバイク作ってるところもあるし… まだまだくたばらないかな。 私はイタリア人ではありませんからあくまでも仮定ですが、イタリア人が大敗北をする原因は、出来の悪い官僚型上層部もありますが、前線の兵士が「頭を使い過ぎる」というのもある気がします。イタリア人は元来マメ男、観察力が売りですが、どうも負けそうだとなると、人一倍その空気を感じ取るんじゃないかと。 しかも、たとえば日本人は、敵兵に囲まれ絶体絶命になったときには「どうせ死ぬなら、最後に敵兵を一人でも倒して…」とか考えますが、イタリア流だと「自分はもう、兵士としては死に体だ。この状態だと、例え無理しても所詮敵兵一人を殺すことができるのが関の山、それよりはナントカして血路を開いて、友軍のところへ戻るぞ〜」となるでしょう。かくて伊兵は、きわめて勇敢に逃亡… まぁ、カポレットの撤退は、個人的には、あれでよく食い止められたな、と、むしろカドルナがタリアメント川防衛に執着しなかったことに感心しております。(この解釈、別宮様には怒られるかもしれませんが…) P.S. |
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date 2007/1/19(金)00:35 ペルソナングラータ様 これ悪口ではないのですが、アルファロメオのオーナー最大のステータスは「またウチの車が故障してね」ということだとかないとか。 また、日本のスズキやホンダの原付カブというのを、中華式イミテーションでなく、まじめに真似する国と言うのはなぜないのかと不思議に思っておりました。郵便局仕様の90CCなら、山坂の耐久性も十分、しかも物搬にも言うことなし。 パスタについては、水はともかくソースやら味付けがいると思われますが、戦場では缶詰でもつかったんでしょうか?日本軍は米飯ですが、前線で肉なしの中、わずかな竹輪を具にしてカレーを作ったり、ミシン油でチャーハンこさえて腹壊したとかと言うわびしいお話を聞いたことがあります。 陸王のプラモをどこか発売しないか 困ぺい糖 |
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date 2007/1/19(金)08:36 ペルソナングラータさま カドルナは、始めタグリアメントに防衛線を引こうとして、ピアブに修正したようです。これが素早い決心であることは事実です。それと伊軍の戦死傷者の少なさもなかなかです。伊軍4万、独墺2万3千というところで、伊軍戦死者は85万人のうち1万にすぎません。 これと上海決戦を比較すれば、中国軍75万人のうち戦死者は25万人です(日本軍は1万8千)。戦争における戦果の拡大とは、逃げる敵を背後から射殺することです。そして、現代日本人は誤解していますが、考慮すべきなのは、500メートル先で手などあげた敵兵がいても射殺以外方法があるかという点です。 そして、カドルナにしても蒋介石にしても背後があいていますから、降伏は選択肢に入らないでしょう。墺10軍がコルチナ・ダンベッツォから駆け下りましたが、進撃速度に追いつくのは無理でした。そうするとご指摘の通りで伊兵の撤退が速いことが命を長らえた原因でしょう。ただ、カドルナは敗軍の収容に失敗しています。伊敗兵は守備につかず、多くがそのまま実家に帰ってしまいました。この統制に従わない伊兵というのは第一次大戦では珍しいといえましょう。 伊軍資料の多くは、これの原因をカドルナが「兵を慈しんだ」ためだとしています。そのあとイタリアでは、脱走兵に呼び出しはかかりましたが、軍法会議が連続したとは聞きませんからこれは事実でしょう? さらにいえば、上海の中国軍は「首都保衛」を打ち出し、揚子江の手前で防衛線を引こうとしました。カドルナはピアブの背後に防衛線を引きました(写真でみるとピアブというのは多摩川の2倍くらいですね?)。揚子江は日本の駆逐艦に制水権を奪われていたこともありますが、やや下流を狙い機雷・逆茂木とか手はあったはずです。 つまり、中国軍は敗退したときの作戦を準備していなかったんですね。これはドイツ軍事顧問団の責任ですね。 別宮 |
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date 2007/1/19(金)09:04 medさま 中国側の記述ですが、1945年上海に進駐した米海兵隊が住民に携行食糧を投げ与えたそうです。中味はプラスチックの袋に入った乾パン、缶詰入りのハッシュトビーフ、乾燥野菜、デザートのチョコクッキーとナッツ、煙草一箱だったそうです。 中国人は「こんな美味なものは食べたことがない」と書き残しています。そして今からすれば、珍しいものは何もありません。ですが当時としては携行食糧としては画期的だったのではないでしょうか? 太平洋戦争における日本陸海軍の食糧は、日清・日露と大差がありません。すなわち食糧保存技術の進展がなかったかのようです。これは、驚くべき日本軍政の失敗というべきであって、国民の嗜好に帰するべき問題ではないのでは?現にシンガポールの日本兵はブキテマで英軍食糧を押収し喜んでいます。 現在でも我が厚生労働省は日本人の1日の適正カロリーは1800〜2400といっています。ですが、カップラーメン一つが600カロリーです。そして、アメリカ保健省は3400カロリー以上の摂取を勧めています。そして1600カロリーを切ると、栄養失調になり、3〜5週間で浮腫が生じるとしています。 幸い日本人の健康はアメリカ人よりはるかに良好ですが、若いころの身体・身体能力の発達の面からは、若い人にはもっと大量の蛋白質をとることを進めるべきと思うのですが・・・。 別宮 |
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date 2007/1/19(金)09:44 枯山さま 困ぺい糖さま 過度な軽武装は戦争を招くは、歴史の教えるところです。そして小さな島国、日英と大きな島国アメリカがその傾向がありますね。 そして軍隊ですが、ほとんどの軍事基地というのはリゾート地か大都市近郊に設けるのが普通ではないでしょうか?兵士というのは若者であって、砂漠や孤島に押し込めることができると思えません。そして、平時の士官・下士官はまた生活者です。 アメリカ第7艦隊の司令部は横須賀にありますが、この機能は膨大です。したがって、士官・下士官は非常に多く、上級将校は池子に住んでいますが、下級は日本の普通のマンションの借り上げに住んでいます。家賃は防衛施設庁(これ防衛省の外局?)負担で13万円程度です。これだと横須賀ですと70平米程度のマンションしか借りられません。 そして、面白いのはけっこうアメリカから自分または嫁の片親・両親を呼び寄せ一緒に住んでいることです。昼間、おばあさんが犬の散歩をさせているのはよくみる光景です。アメリカとは生活が厳しいところだなあ、と思いつつ、これでは都市近郊しか基地というのは成立しないのではないか、とも思えます。ドブ板横丁は日本人のお姉さんが騒いでいます。その1キロ先には料亭パイン(マンションに改造中)があり、その500メートル先が小泉純一郎邸です。こういった集積はなかなかできません。 ゼークトじゃないですが、国軍の核心は将校団であって、終身雇用で生活を保障し、社会的名誉が与えられるようにすることではないでしょうか。とりわけ日本では心無いジャーナリスト、ライターが無闇に軍人(軍人政治家ではなく)を批判しますよね。大国同士の戦いの勝敗は紙一重であり、小国相手の戦いは勝って当然損害多くば囂々非難です。厳しいプロフェションですね。 別宮 |