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date 2007/2/12(月)08:53 ペルソナングラータさま 困ぺい糖さま 昭和3年、宮崎県立女子師範学校が都城に移転するというので、宮崎市民が市の消防団を中心に宮崎県議会を、消防車で襲撃し、さらに知事官舎・警察部長官舎も夜に入り、群集に乱入されました。 知事は都城連隊(33R)に、出動を求めましたが、中立を損なうというので急遽、熊本連隊(13R)憲兵が補助憲兵とともに出動、検事局と協力、57名を検挙しました。ですが、急遽開催された宮崎臨時市議会が仲裁を申し出て、移転案は無期延期で決着がついたとあります。 騒ぎになるにしても軍隊が出るのはねェとも思いますが、このとき宮崎市の警察は、県会メと怒っていたそうですから仕方ないですよね。他にも女子師範移転問題では九州・四国では大問題になっています。一つには女子校というは消費があるんですね。青山大学(これは共学ですが)と渋谷駅の間の道は両側ファッション屋ですし、東京女子大と西荻窪駅の間も同様です。でも県庁所在地の他の市に女学校を置こうというのは合理的な判断ですよね。 南の方の島というのは、どこの国も血の気が多いですよね。クレタ・コルシカ・スリランカという感じですが。ただ浦和レッズのファンは全国一過激ともいわれますから、今はどうでしょうか?ここも、大宮は「足袋(タビ)の町」といわれて、行商人が集まり、一方浦和は埼玉大学、浦和高校・県立一女を独占した文京都市でしたが、ついに地下足袋・盆栽に合併されました。この怨念ですかね。ただ、宮崎や大宮・浦和というのは連隊本部がないんですね。これが弱点でしょう。 王政イタリアの連隊配置をみると、61R62Rがカターニャ、67R68Rがパレルモ、93R94Rメッシナで均衡してますね。レッジォ・カラブリアにもきちんと2個歩兵連隊があります(ただ騎兵連隊はカターニャ・パレルモだけ)。明治期の日本だと、シシリー+対岸より人口の多い九州で、小倉2・大村・久留米・熊本2・鹿児島・福岡の8個連隊で下回りますから、イタリアは大陸軍国だったんですね。大分・宮崎になぜなかったのか不思議ですが、中朝を睨んだんでしょうね。シシリーはオスマン帝国を睨んだでしょうか? そういえば、シシリーと本土の間にトンネルも橋もありませんね。九州と朝鮮半島の間にトンネル掘るぞと韓国のナントカ相がいい、東京の土建屋が唱和しましたが、九州人が無視しているのは流石と思わせます。ドーバートンネルもフランスは熱心で、イギリスは無視、あげく不法移民トンネルだ水に漬けろと叫んでいます。 別宮 |
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date 2007/2/12(月)09:12 困ぺい糖様 色々と深く調べて行くと 今まで見知った事や思惑とは離れて行く事があります 日本人は軍隊の扱い方を誤った事がトラウマになっているのかもしれません |
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date 2007/2/13(火)04:02 別宮様 ささやかな疑問ですが、浦和レッズは「さいたまレッズ」にはならないんですかね… 平仮名で「さいたま市」なんて、まあダサい名前をよくまぁつけたものだと思います。新幹線等々でも、「びわこ栗東駅」もそうですけど、ダサい平仮名ネームは流行してますが、たいていはダサい、利用客のない駅です。いわて沼宮内なんか、利用者一日たった100人ほどだとか… 国鉄のスト乱発期に真っ先に暴動になったのも上尾駅でしたから、あのあたりは何かありそうですね。 島というと、北でもアイルランドというのもありますから、やっぱり何か根性据わった人間が出る環境なのかもしれませんね。消防車をデモに使うのは困りますけど、反面、命を賭して国を守る、いさしおに長けた人間を生む土地でもあります。シシリーでも、あのルイージ・リッツォがメッシーナ人ですし、なんか広瀬武夫中佐とイメージが重なりますね。 英仏海峡トンネルはひどいですね。かなり前の話なので記憶違いかもしれませんが、英国に不法入国をしようとした中国人(だったと…)が電車に轢かれたとか言う話もありました。(新幹線の線路を歩いてるのと同じですからねぇ…) あと、冷蔵車の中に紛れ込んで凍死とか言うネタもあったかと… フランスも、どういうわけかトンネルの入り口付近に難民収容所(アフガン難民がウヨウヨして、テロ計画を立てたりしていて有名になった場所)を作ったりして、逃げ出したのがそのまま英国へ行ったり… 嫌がらせですかね。 シシリーの陸軍は、リビアと仏領アルジェリア=チュニジア向けかもしれませんが、実際は後進地にお金を落とすための公共事業の一環みたいなものだったかも知れません。メッシーナ海峡にも、橋をかける話は大昔から出てるんですが、金ばかりかかるので地元の利権がらみの人間以外、実現させたがっている人がいません。至極当然でしょうね。 ペルソナングラータ |
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date 2007/2/13(火)10:15 ペルソナングラータさま 王政期初期、イタリア陸軍は事実上、ピエモンテ陸軍でした。そして連隊衛戍地を決めるときの要素の第一は、その地の治安だったようです。両シシリー王国の故地あるいはムーア人の土地は反抗的とみなされたんでしょう。ムーア人の侵略は7世紀ごろの話ですが、両シシリーにはまだアンダルシア風の民家があるようですね。 1907年一般徴兵法によると、壮丁は3種類に分割(甲乙丙)され、甲種の場合、2年現役・6年予備役・4年民兵・7年後備役です。乙種は半年現役・7年半予備です。丙種に訓練はありません。そして、乙種半分とみて徴兵率は25%くらいでした。この数字は日本軍の大正平均18%を上回ります。 そして、各連隊に配属される新兵は、各地混合で郷土連隊主義をとりませんでした。ところが、動員が下令されると、各連隊は予備役を地元から召集します。これは交通からいって当然ですよね。ところが予備役は現連隊と関係がないところにいかされます。そして下士官となると、全く知らない兵士を指揮せねばならないという問題が起きます。 そのうえ、甲種壮丁は11月召集と決まっていましたが、じっさいには3月に召集されていました。つまり、冬季は現役兵には全員休暇が与えられました。これは兵舎・兵装不足のため、乙種壮丁半年訓練のため明け渡さねばならないという理由のようです。つまり、イタリアには冬、陸軍はなかったんですね。このころトリノを中心とする北部イタリアの工業力は相当のものがありましたが、陸軍予算には回らなかったんですね。これは南北対立のようなものが背景にあったのでは? それと、予算のためでしょうか、250人定員の1個中隊に兵士は15人、士官下士官ゼロ、つまりほぼ全員予備役からつくる中隊というのがあったそうです。近代軍とは市民軍ですが、常備軍もちきんとしないとダメですよね。 昔の国鉄労組(駅員)動力車労組(運転手)は、駅単位と機関区単位になっていたようです。上尾というのは高崎機関区と田端機関区に挟まれていて、この両者はもっとも過激だったそうです。とにかく腹がたつのは順法闘争です。東京から上尾はけっこうあります。客は酒も飲んで4時間動かず怒り心頭になり、上尾についた途端、運転手を引き摺り下ろして暴行を加えたんですね。それに駅員が加勢にくると、客も反撃に出て、組合室などを破壊したようです。多少はしょうがないでしょうね。手加減もしていたようですし、警察もみてみぬふりでした。 ストをやるときは正々堂々とやるべきで、そうすれば客も会社休んで終りなんですが・・・(上尾は国鉄しかなく陸の孤島といわれていました)。 別宮 |
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date 2007/2/14(水)02:05 別宮様 いつも貴重な情報をご教授いただき、ありがとうございます。昔の私の大家が下士官ををやっていたときは南イタリア(かかとの方)が任地だったらしいんですが、どうしようもないヤツばかりの世話でひどい目にあったとぼやいていたのを思い出しました。(戦後の話なんですけどね…) イタリーのばあい、普通考えれば統一前にも由緒正しい王国、大公国等々が沢山あったんですから、兵舎等は少なくとも旧来のものが使えたんじゃないかと思えるところですが、どこの国もろくな軍隊を持ってなかったんですね。トスカナ大公国など、兵隊リストに70歳の爺さんの名前まであったそうです。サヴォイア王朝が、第一次大戦であのレベルまで陸軍を整備出来たのは、たいした事だったのかも知れません。まぁ、海軍が金を食いすぎだ、という気もしますが。 最近イタリーの話ばかりで申し訳ありませんでした。最後に一つだけおまけで時事ネタを付け加えさせてもらうと、昨日あたりから、クロアチア大統領が、伊大統領の「終戦時のイストリア・ダルマチア住民に対するFoibe事件(イストリア半島のカルスト台地にある穴=Foibaに、一万人以上(数字は両国で違うので事実は不詳)の伊系住民をつきおとして殺害したこと)を忘れないようにしよう」という記念日向けの発言に、「ファシスト占領下での犯罪のほうが云々」と噛み付いたらしく、珍しく派手にもめています。(「イタリアは被害に対する戦後補償をまったくしなかったが、クロアチアは必要な事にはいつでも金を出す準備がある」とも…) 乱暴なお隣さんで困ってるのは日本だけでない、という事で。 まぁ、すこしノムヒョン系かもしれませんが、さすがに北朝鮮ほどではありませんけどね。これからどうなるか、楽しみです。ピョンヤンも… ペルソナングラータ |
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date 2007/2/14(水)02:18 別宮さま 少しベトナム戦争について考えてみました。 ホー・チ・ミンルートのような方策が明らかな戦争法違反であることは論を待たないと思います。 ではこれに対してどのような対策を米&南ベトナム側は取るべきだったのでしょうか。 SLEEP |
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date 2007/2/14(水)09:45 SLEEPさま インドシナ半島の問題は日本の占領時代から生じていました。当時、ベトナム・カンボジア・ラオスは一体でフランス領インドシナ(但し日本の裁定でトムレサップ湖以西はタイ領)でしたが、1945年8月以降はわけのわからぬ事態になりました。 国際法からすれば、米軍は仏印を統治せねばなりませんが、復員でそういった余裕がありません。さらに、これからあとの事態については詳細に記述している本はありません。どうもマッカーサー司令部には「白人優位主義」のような一群がいたようです(あと議会の公聴会で追及されています)。これが、米軍の艦船・装備でフランス人を議会の承認なく呼び込んだようです。 ところがOSSは、日本軍の内政を混乱させる意図で、ベトミンや中共とも関係がありました。そして中共は広西解放区というのがあって、ここを拠点に対国府軍戦のため北ベトナムにも軍事拠点がありました。つまり、北ベトナムには、米・中共・ベトミン連合があって、それがベトナム全土に睨みをきかせていたんですね。そして、フランス軍が戻ってきても、この勢力は健在でした。そのあとOSSはCIAと名前を変えて、ラオスに居座るようになりました。そして、フランスは従来藩王国としてあった、ラオスとカンボジアの独立を1946年認めますが、宗属関係は残っていました。 そして、フランスは旧安南王朝のバオダイを建てて、これも半独立のようなことになりました。そして、旧仏印全部に軍事的浸透を果たしていたベトミンと戦闘になり、結局、1954年ジュネーブ条約で、バオダイ政権南部と北ベトナムと分離になりました。それでも、旧ベトミンの流れのパテトラオとクメール・ルージュは残ったんですね。ラオスはそのあと内戦状態に陥り、クメール・ルージュもカンボジア北部を支配していました。その1年後南ベトナムにクーデターが発生し、ゴジンジェムが政権を握りました。さらにその1年後、フランスがインドシナから全面撤退しました。そしてその2年後、アメリカがゴジンジェム政権と相互援助条約を結び、軍事顧問団を派遣しました。これはから1972年までが、アメリカ軍の戦争のようなことになりました。 これからは、北ベトナムがホーチミントレールを使って、不断の侵略(ジュネーブ協定違反)を南に開始しました。ところが、以上の経緯から訳のわからぬ状態ですから、米海軍が国内世論喚起の目的でトンキン湾事件(文民関与ははっきりしない)をデッチ上げ、なにやら満州事変状態に陥りました。この当時の米軍はディフェンスをやるにも何か必要だったんでしょうね。 米・南ベトナム軍がやるべきだったのは、農村を放棄し、つまり地面の奪い合いを棄てることでしょう。そして、攻勢は空爆と期間限定の地上戦を行い、敵中枢部を攻撃・占領し、すぐ撤退すべきだったと思います。具体的には米軍は南ベトナムのダナン基地を強化し、北ベトナム軍の目標が出現したら空爆を行なうことに留めるべきでした。南ベトナム軍は都市から出ないことでしょう。もし、農村から都市を攻撃してくれば、それは攻撃のチャンスです。またハノイにたいし上陸・一時的占領も考えるべきでした。アジアにおける駐兵のモデルは支那事変の日本軍でしょう。点さえ抑えれば、自給自足経済の地区は放置しておけばいいんでしょう。豊かな方が宣伝戦には最後に勝つと思うのですが。また、米軍の失敗はフランス軍のディエンビエンフーにおける敗北の二の舞をしたくないという意識が強すぎたのでは?これは1940年5月のフランス敗北の印象も残ったんでしょうね。 別宮 |
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date 2007/2/14(水)10:39 ペルソナングラータさま その通りで、第一次大戦のイタリアは、ヨーロッパ5大国の人口では2番目に位置するオーストリア・ハンガリーにロシアの脱落以降、もろに向き合いました。そのうえドイツ軍まで加勢に来られると、よほどのことがないと勝てませんよね。 むしろ、このときオーストリア・ハンガリーとうまくやって、脱落を誘うという手はなかったんでしょうか?獲物は南チロルの南半だけでしょうが、パレルモのオルランドはトリトリに興味あったんでしょうか?カドルナもけっこうな敗北主義者ですよね。皇帝カールも和平で頭下げてクラマンソーに懇願しているのに、イタリアにはラデツキー然としてますよね。それに、クラマンソーにアルザスロレーヌ仏返還・ベルギードイツ支配の交換条件を持ち出すというのは、イギリスとドイツに喧嘩売ってますよね。ウィーン会議の頭ですかね? カポレットー前だと無併合・無賠償、ただし(オーストリア保護下の)内陸ポーランドと(ドイツ保護下の)バルト諸国独立程度でしか、まとまらないと思いますが。 また、よくいわれるのがイタリア陸軍の下士官(NCO)不足です。下士官は徴兵制度樹立以降、古参兵士の待遇として始まったものが多いように思えます。日本のように士官学校と下士官学校が同時にできるというのは珍しんですね。中世の場合は騎士への従者の延長ですが、イタリアの都市国家は普段は将校団だけ(場合によっては将校も借りて)で、兵士は周辺農村から徴募したのでは?それだと従者などいませんよね。第一次大戦での下士官の大半が予備役で、現役はほとんどいなかったとされています。 トスカナ大公国の70歳の兵士とは、ちょっと戦争をやる気がないのでは?普通だと予備役将校にして、恩給で安楽に暮らせるという世間体にしておかないと、軍隊に入る人がいなくなりますよね。第一次大戦のフランス軍でも、60歳台の予備役将校が召集されましたが、先頭にたって突撃し散兵線の華と散っていった人が大部分でしょう。 クロアチアにファシストと呼ばれると立場ないですね。クロアチアのなんとか団というのは、全欧もっとも過激な親ナチ団体で、セルビア人を大分血祭りにあげましたよね。クロアチアも敵はセルビアだけで十分なのに喧嘩売ってどうすんですかね。ボスニア・ヘルツェゴビナの分割で火薬庫状態なのに。盧武鉉の「人民の膏血を絞ってできた万里長城・ピラミッド・・・」という発言でエジプト人が怒ったというのには笑いました。中学校あたりでうけた労組教育が一生抜けない人もいるんですね。でも、朝鮮半島には古代・中世の華麗勇壮な建造物が全く無いという劣等感の裏返しでしょうか。 別宮 |
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date 2007/2/14(水)12:52 別宮さま 大変詳細な説明ありがとうございます。 根本に、復員したい戦後の米軍があるというのを見落としていました。我々と同じ白人文明のフランスなら統治もうまくやるだろうという偏狭があったとすれば残念なことですね。その後の歴史を知るだけになおさら・・・ 北ベトナムの行為はジュネーブ協定違反の侵略行為だ、というのをどうもいまだにわが国の左翼は認めていませんよね。当時はアメリカ人すら道を踏み外してしまったというのがあるわけですね。 ところでフランスはインドシナ統治などやる気があったんでしょうか? SLEEP |
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date 2007/2/15(木)08:40 SLEEPさま 今からみれば、想像もつかないことですが、第二次大戦中、直後、アメリカは共産主義にたいする警戒感がなく、またグローバルコップ(グロコップ・世界の警察官)構想を抱いていました。 このグロコップというのは、ソ連圏を除く地域について、全部武装解除(すなわち軍隊をもたない)し、米軍が治安維持にあたるという考え方です。現行憲法九条は、マッカーサーがその意を体して、わざわざ挿入したものです。 アメリカは恒久平和を意図したんですが、負担が重くなると見込まれたのは当然です。この結果、ソ連圏の拡大は歓迎すべきことで、スターリンの東欧衛星国化に反対せず、金日成による朝鮮平和統一にも表向き異を唱えていません(現地軍政部は日本の統治機構=総督府[地方には普通選挙による議会があった]をそのまま生かすことを主張したが本国に否認された)。また、現在では想像もつきませんが、アメリカは東アジアについては日本というプリズム、その対象の中国以外については、まったくの無知でした。 グロコップの背景には、第二次大戦でソ連以外の同盟国がまったく頼りにならなかったことがあります。アメリカにとっては、英仏中というのは、落ちぶれて物乞いにくる親戚のようにみえたんですね(これは今でもアメリカ人は同じように感じていると疑っています)。その結果、英軍・仏軍・国府軍というのは、米軍の傭兵のような位置づけでした。 そして、英仏(他オランダ・ポルトガル)というのは第二次大戦勝利で舞い上がって、第一次大戦戦後処理的な植民地拡大が可能と思ったんですね。例えばイギリスのマウントバッテンは日本の同盟国であったタイ(終戦当日に連合国にたって参戦すると宣言したが)を保護国化しようと、アメリカに申し入れています。返事は「アメリカはイギリス帝国主義に加担するために戦ったのではない」でした。でも、これは独立を貫いたタイについての返事でした。アメリカは、この他のインドシナやジャワは、旧状復帰ならばいいだろう程度の発想だったんですね。イギリスがインドを諦めるまで、ヨーロッパ人はまだ本国より人口が多くなりつつあるアジア植民地を維持できる、または財政負担に耐えられる(反面得るものは役人の就業機会だけ)と思っていたんですね。 これは今となれば理解しにくいと思います。ただ、日本にしても中国主要部の占領のために3線級ですが、34個師団置いています。現在の自衛隊の動員後の4倍です。ところが東條英機は15万英霊がどうしたとかで撤兵絶対反対を唱えています。そして、国民も「なるほど」と思っているんですね。フランス国民も、35万人(ピーク)派兵したときは痛痒を感じず、死者が5万人を超え、1940年のフランス戦を上回ると途端に慌て始めました。注意せねばならないのは、アジア・アフリカの独立といっても、本当に本国軍をして敗北感をもたせたのは、インドシナとインドネシア、アルジェリアだけです。あとは自発撤退です。北ベトナムのトンネル戦術は、硫黄島の日本軍に似ていますが、根性は認めるべきでしょう。ドイモイ直後のベトナムにいったことがあり、そのとき担当の人が早稲田大学に留学経験がありました。ベトナム戦争についてきくと「日本にいて助かった。兄弟が3人死んだ。激戦だった」とだけいいました。 別宮 |
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date 2007/2/15(木)23:30 SLEEP様 別宮様 ディエンビエンフーの戦いと言うのは旅順の第2次戦以降に似ている点があると思います。 まず、仏軍側に増援の余力がありませんでした。これは本国から遠いということもありましたが、ハノイからの兵站を引くことに失敗したというのもあります。 1941年の泰仏戦争の際には、安南(現在のサイゴン周辺)中心に現地からの動員によってタイ軍の攻勢をしのぐことができました。しかし、今回はその安南兵が敵に回ったかたちとなりました。 そして、要塞の攻防は実は国民の戦意と言う点で戦争の勝敗そのものを分けるということがあります。つまりデイエンビエンフーのような象徴的意味を特定の拠点陣地に持たされた要塞の失陥は決定的です。この意味ではフランス軍がマジノ線から学ばなかったという批判は当たっていたと思います。 そして、アメリカも同じ失敗をしでかします。戦略村つくりのサーチアンドデストロイなぞでつまらぬ消耗をし、しかも、テト攻勢で象徴的なサイゴン攻撃とケサン失陥です。これで一気にアメリカ国民の戦意が萎えました。 困ぺい糖 |
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date 2007/2/16(金)03:30 別宮様 丁寧な説明、ありがとうございます。軍事に疎い私にとっては、いつもとても助かっております。下士官とは、ドンキホーテに対するサンチョ・パンサだったのですね。イタリー統一運動での都市叛乱の記録など見ていると、反乱軍の首脳は一人二人だけが軍事に長けた人間で、あとは町のフツーの貴族などが軍を率いて、鎮圧のためのオーストリア軍等に対決してますから、そりゃ、負けますよね。(正規軍でも、ピエモンテ以外はあまり変わらない感じですが…) トスカナも、年をとって白内障か何かで失明した兵士までリストにいたようですし、よっぽど成り手がなかったんですかね。 オーストリアは普墺戦争のときにも、ベネチアを直接イタリアに割譲するのではなくて、フランスにまず割譲、フランスがイタリアにプレゼントする、という形にしましたから、講和のテーブルにさえつけば、名誉と実益のバランスをとって、なんとかまとめ上げられると思っていたかもしれませんね。ベルギーだって、元をただせばハプスブルグ領ですし… でもオーストリアもイタリアも、こと戦争になると第一次大戦、第二次大戦と、ドイツに庇を貸して母屋を取られましたけど、楽観的すぎるのか何なのか、いつもなにかにつけ隙がありますね。 ところで、クロアチア大統領は、あのあとEUでこの発言をたしなめられた事に納得がいかず、今度はEUに「イタリアにも言え、無作法だ」と噛み付いているようです。この人、EU加盟推進派のはずなんですが、面白いものですね。 ペルソナングラータ |
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date 2007/2/16(金)08:53 ペルソナングラータさま イタリアの都市国家は、ハンザ都市と同じようで、大分違うように思えます。ハンザ都市は、ハンブルグとリューベックの支店のようなもので、経済活動が中心です。背景にはドイツ騎士団の東方進出があり、クールラントそのものがスウェーデン・ポーランド・ロシアの緩衝地帯をなしており、中立外交が可能であったと思います。 これにたいし、トスカナの話からですと、イタリア小邦は常備軍を形だけもっていたようですね。 中世の軍隊形成の仕方は3通りあって、傭兵・騎士団・一領具足です。このうち騎士団方式が近代軍に発展していきました。つまり、騎士=士官となって、市民あるいは農民を徴兵なり募兵して大軍をつくるというやり方です。ただ、これには騎士団なり将校団は、最低字が読め、ある程度世界観を政治指導者と共有する必要があります。そうでないと戦間期の日本のようなことになります。 これには、騎士団が集団生活をして、君主の側に居住し、互いに知り合いである必要があります。ですから中世後期になると騎士というのは、雇われになって定期的にロンドン、ベルサイユ、ウィーン、ペテルブルグ、江戸に集中して住むようになりました。これが20世紀の大国の原型となりました。例外がドイツとアメリカですが、これは自作農に毛の生えたようなのが、モーゼルやウィンチェスターをもって、召集に備えるというスタイルですね。一領具足的です。 一領具足というのは自作農が自宅に武器・制服を飾っておいて、召集とともに原隊にかけつける方式です。すなわち常備軍はほぼゼロ。これは馬と小火器の時代の産物です。イタリアの場合は、この3種混合ではないでしょうか?都市商工業・農業の発展にムラがありすぎるのと歴史的経緯から、軍政が多様になったのでは?あるいはローマ教皇領の存在によって、分断されたようなところがありますね。 ハプスブルグ家はベルギー領回復の夢があったというのは面白いですね。ウィルヘルム二世は、暗殺されたフェルディナンド大公の子供にロートリンゲン公を約束していますから、頭が中世的ですよね。ブレストリトウスク条約のあと、ドイツ小邦君主がクールラント国王やリトアニア国王、はてはポーランド国王なぞ狙い始めましたか、ドイツ人頭でしょうか?小磯国昭が、秩父宮をフィリピン国王にという運動をやっていますから、笑えませんが・・・。 リサ海戦のときのテゲトフの艦隊は、士官がイタリア人、水兵海兵がクロアチア人で、衝角戦術で勝ちましたが、飛び乗り戦をやらなかったのは、テゲトフはクロアチア海兵が弱いと思ったためのようです。軍隊が弱い国は口が発達します。 別宮 |
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date 2007/2/16(金)09:39 困ぺい糖さま 元来、安南とトンキンは対立関係があって、フランスは安南・コーチシナから北のグエン王朝征伐に向っていった経緯があります。今でも、ベトナム政府はハノイ地区に進出して欲しいと日系企業に頼むという不思議なところがあります。 ただ、共産主義は安南もトンキンもないので、戦後進駐したフランス軍は、カンボジア・ラオスも含めて、味方とはみなせなかったでしょう。そして、インドシナ戦争の隠された一面は中国軍の介入でしょう。19世紀にもこれをやられて、最終的にはアロー号戦争でフランス兵が北京の乾隆帝建設になる円明園を略奪してカタをつけました。20世紀にはこれができず、ベトナムでも朝鮮でも、米軍失敗の最大の原因になりました。 1946年のフランス軍がこれをできないとすれば、トンキン西部のジャングル支配は断念する必要があるでしょう。そして、ディエンビエンフーというのは、その中央にあります。 要塞をつくり、守備することに問題ないのですが、旗色が悪くなったらドシドシ逃げればいいんでしょう。それがためには飛行場をもつことです。そして飛行場が重砲射程範囲内になる前に逃げる必要があります。そして敵が基地を占領すれば必ず密集します。そこを空爆すればいいと思います。硫黄島と違って、敵に多少の損害を強いたところで戦略的メリットがありません。 ともあれ、敵の補給範囲内かつ耐対人地雷車両の行動範囲外における歩兵のパトロールは意味がなく、マクナマラ流キルレシオなど、アジアの戦争がわかっていない証拠でしょう。そして最大の問題は、北ベトナムはほとんどタダで戦争をやっていますが、フランス、アメリカ側には膨大な戦費負担がかっていることです。これを軽減するには、米軍の日本駐留のようにするしかありません。動かず、敵の攻撃を待つという消極戦法しかないと思います。テト攻勢については北ベトナム参謀本部は失敗(とくにユエ)という認識です。アメリカのマスコミの果たした役割が大きいのでは? でも結局、米軍駐留中、北ベトナムは主要都市を一つも落とせませんでした。そして、大軍を擁して、北ベトナムが都市を狙ったならば、米軍の絶好の好機になったでしょう。 別宮 |
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date 2007/2/16(金)12:29 SLEEP様 別宮様 困ぺい糖様 私が思う米軍の失敗は最初からやる気が全く無かった 或いはやる気が出せなかった事だと思います 事情があって大兵力を投入し短期間に片付けられないならば 農村へのパトロール(制圧?)は無意味ですね 十分な効果はあげられない 米軍の敗因は本気で戦わなかった事 或いは本気で戦えないという状況を覆せなかった事だと思います |
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date 2007/2/16(金)12:32 皆様 |
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date 2007/2/16(金)22:49 日雇いさま 米英が中国と同盟することになったのは、日本がパールハーバーを攻撃して米英支に宣戦布告したためであって、中国国民党の反日プロパガンダが成功したからではありません。アメリカが対日経済制裁を発動したから日本は決起せざるを得なかった、という主張もありますが、アメリカの対日経済制裁は、日本軍の仏印進駐に起因するもので、中国国民党の反日プロパガンダとは直接関係しません。現代日本人が、中国共産党や朝鮮労働党の圧政下にある人々を気の毒に思っても、中国、北朝鮮に宣戦布告すべきだと思わないように、当時のアメリカ人が反日プロパガンダを真に受けたとしても、中国人を気の毒に思うだけで、中国人を助けるために対日参戦せよという気分にならなかったことは確実です。1940年にイギリスを助けなかったアメリカが中国を助ける訳がありません。 日本のナショナリスト諸氏は、日米戦争の原因を、ルーズベルトの陰謀、国民党の反日プロパガンダ、ルーズベルトや近衛の側近にいたソ連のスパイなどに帰そうとしますが、本当の原因は、1940年から41年にかけての日本外交がどうしようもなく大失敗していたことにあります。1937年に始まった支那事変は、ヨーロッパの戦争とは無関係であり、本来世界戦争に発展する性質のないものでした。しかし、1940年のドイツの大勝利をみた日本が欲を出し、ドイツに加担するように見せかけることで、支那事変を有利に解決し、あわよくば英仏蘭の植民地を掠め取ろうとしたのです。この一環として、日本軍の仏印進駐があり、アメリカの経済制裁発動があります。日本は進んでヨーロッパにおけるヒトラーの戦争と極東情勢をリンクさせる道を選び、これが米英の警戒を呼びました。さらに1941年夏の独ソ開戦で、日本はドイツの勝利に賭けてしまいます。 ドイツに加担するのであれば、1940年にイギリスに宣戦してシンガポールに攻め込むか、1941年夏にソ連を挟撃するべきであり、自ら血を流さずにドイツに加担する振りをして利得を得ようと火遊びをしたのが間違いの元なのです。ドイツの側で参戦する気がないなら、変な欲は出さずヨーロッパの戦争には中立を保つべきでした。また、支那事変を早期に解決したいのであれば、1940年にイギリスの側で参戦するのが最善です。これで、いわゆる援蒋ルートは遮断できます。ソ連から中国への援助ルートは残りますが、独ソ戦が始まれば日英ソ戦時同盟が成立し、こちらも絶たれますので、蒋介石は日本に降るしかなかったでしょう。 カカニア人 |
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date 2007/2/16(金)22:57 ロック様,ここに,アメリカ(のような強大国)と戦うにあたっての,勝利の つまり,強大国の戦力を,自分達に向かって100%発揮させないための「何か」が, ベトナム人は「可愛そうな/健気な,ベトナム人」という印象を全世界に向けて発信 これこそ非対称戦争の極意だとすれば,たぶん,ベトナム人は1940年代の日本から学び, 北朝鮮は,何をみて学んでいるのでしょう。 それにしても,中露はともかく,アメリカ 戦車には興味はないけど自走砲には関心がある,sai夫 |
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date 2007/2/16(金)23:27 日雇いさま チャーチルが蒋介石夫妻を嫌っていたのは確実です。回顧録に「(カイロ会談のとき)蒋介石は権力の絶頂にたっていた。アメリカ人の目には彼は世界第4位の国の指導者であり、新アジアのチャンピオンだった。私はこういったものは過剰であって、中国の戦闘能力にしても未来の地位にしても疑問に思っていた。だが、最後の共産党に敗れたことについては残念だと思っているが・・・」とあります。 一方、日本については「(原爆実験が成功したときいて)私はいつも賞賛の念をもってやまない日本人がどう考えるか思わざるをえなかった。敗北のいい訳を原爆の威力を見出し、最後の一兵まで戦うという義務感から解放されることを願ったのだ」と書いてます。 チャーチルはこのとき日本を敗北させ、中国を勝たせたいと思っていたでしょう。ですが、それと国家にたいする好悪は別のものです。端的にいえば、アメリカ人はこれを分けて考えることができなかったのかもしれません。 来栖三郎が1941年12月1日のこととして、ルーズベルトが「本当の友人というのは、さよならなどとは言わないものだ」と語ったとしていますが、これを信じてもいいのではないでしょうか。このとき日米間に領土紛争を含め争いは何も無く、貿易は補完的であり、日本に金がなくなれば真っ先に貸すことができるのはアメリカであったことは確実です。もちろん、当時の日本人がアメリカに頭を下げることができるとは思えませんが・・・。 ですから、国民党の宣伝が真珠湾以前に成功したとは思えません。それ以降はいかなる反日宣伝も成功したでしょう。宋美齢については、当時のアメリカの新聞は「中国の売春婦」と書いています。なんか、誰にでもしなだれかかる癖があったようですね。また煙草など吸って、相手に「吸って」と渡すのも中国と日本のガーリーバー以外ではBad Behaviourでしょう。 アメリカで、"He is unlucky like a chinaman."と聞いて驚きましたが、じっさいには加州で人種差別があったとき能力があっても、金持ちになれない人のような意味のようです。ただ最近は、目的のためには手段を選ばない人物のように変わってきているようです。"Chinks""Chinaman"はアンダーテーブル以外では口にしない方がいいでしょうね。 別宮 |
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date 2007/2/17(土)00:48 別宮様 ユエの失陥のことが出てきたのはよいポイントと存じます。 これ、農村から都市攻撃と言う毛沢東的な臭いのする作戦です。たぶんこの敗北が北ベトナム軍をして中国の「指導」から決別させたんじゃないでしょうか。また、南下兵力主力を途中のケサンに執着させるなど、どうも作戦面でデイエンビエンフーのときの面影が感じられません。 単純に言って、北ベトナム軍が南進を成功させるには、北朝鮮同様南に与するアメリカ軍がいなくなればいいのですが、この点ではひとつ得点ありだったでしょう。 それと、やはり、マスコミ報道でしょう。3年間でイラク戦死3000名程度でもみんなが泣き顔になるのはこの印象操作によるといえます。 困ぺい糖 |
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date 2007/2/17(土)03:14 別宮様、長々とお引止めしてしまい、申し訳ありませんでした。 小磯は、オーストリアがマキシミリアンをメキシコ皇帝として送り出して、どんな目にあったかすら勉強してないんですね、たぶん。ただ、昭和期に入って、日本の政治首脳部の頭が明らかに退化、先祖がえりしているのは、この例からもわかる気がします。まさか秩父宮殿下を本当に比島に送るつもりだったんですかね… 昔読んだ、ハプスブルク家についての伊語の本の最後に、カール一世のタイトル全て、というのが書いてあり、今はなきはずのトスカナ大公やら、グアスタッラ公(人口一万人の田舎町、でもタイトルはとても由緒あり?)、はてはエルサレム王(これは、併合したべネチアの統領のタイトルから来てるんでしょう)までありまして、なんじゃこれはと思いながらも、「へぇ〜、アウシュヴィッツって、公爵領だったんだねぇ」とか、どうでも良い事に感心したのを覚えています。そういえば、イタリア王の鉄の王冠も、1866年に負けるまでずっと返還するのを渋っていましたから(伝統では神聖ローマ皇帝=イタリア王だし…)、これもオーストリア的なんでしょうね。 一方、ドイツは、ポーランドとか、ウクライナの領土が異様に好きですね。わざわざ寒いところにロマンを馳せなくてもいいんですけどね。民族的性向かもしれませんね。 イタリア小邦は、結局仏墺西の支店みたいなものですから、困ったときは本店に応援を頼むつもりだったのでしょうね。一番弱いのは教皇領ですが、破門という「呪いをかける」という最大の攻撃方法がありますからね。少なくとも北の将軍様よりは強そうです。 変なオチで、失礼しました。 |
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date 2007/2/17(土)08:41 困ぺい糖さま テト攻勢については、ベトナムの参謀総長が書いた本(名前は忘れましたが)があって、地方軍ではなく国軍が総力をあげた戦闘だったといってますので、その通りなんでしょう。 ベトナム戦争は「小が大にたいして戦う」というところがあるので、判官贔屓に陥りやすいんでしょう。それもあって、北ベトナム軍ではなく「南ベトナム民族解放戦線」が戦っているという宣伝が西側諸国に浸透していました。 中国の「介入」(言葉がうまくないですが)は、前半は輜重部隊、後半は防空部隊が中心であったようです。また、作戦計画関与はまったくないでしょう。ベトナム人というのは中国人の意見などきくような人々では決してありません。また、中国人の意見などきいていたら戦争は必敗だと承知しているでしょう。むしろ空爆情報などはソ連船が関与していたと思います(グアム=ハノイなど)。 集団安全保障に関連してですが、大国は外国に5年以上継続して派兵できるものでしょうか?まず大国は、自国予算で派兵し、他国から援助がうけられません。これがため、まず財政圧迫で苦しみカバーとしての外債起債も不利になります。そのうえ他国支援ですから、二国間貿易も落ち込みますし、敵対国増加でそちらの方のロビーもうるさくなります。 支那事変も日本が、ベトナム戦争もアメリカが、じつは侵略されたものですが、弱い(とみられている方/非対称)方からの攻撃です。この場合でも、4年くらいから本国で明確な厭戦気分が現れてきます。これがため、拠点防衛主義はなかなか採りにくいのだと思います。そして短期決戦に出ようとしても、敵が密集してくれなければ、決戦になりません。ですから敵の兵站線を破壊できず、敵の策源地に手をつけられないとすれば、「集団安全保障」「参戦」または「拡大」の各段階で慎重になる必要があるんだと思います。 朝鮮戦争は戦線のある戦争でしたが、鉄原を突破できず、戦線のないベトナム戦争ではホーチミントレイルを遮断できなかったわけで、米軍の作戦が麻生外相のいうように「稚拙」だったんでしょうか?旧軍であれば、1個師団もあれば掘って掘って掘りまくり、両方できたような、買いかぶりすぎか・・・。 別宮 |
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date 2007/2/17(土)09:20 別宮様、他皆様へ、 アメリカのベトナム戦争は、・・・残念ながら勝てる見込みは無かったように思います。 このような非対称戦争の継続は「文明国」にとって不利でしょう。 アメリカにとって日本やドイツは「まとも」な相手でした。 対してベトナムではベトナム自身が提供していたのは兵士だけであり、それもアメリカの基準で言えばやたらめったらわいて出てきます。 しかし、最大の敵は自国民でしょう。 また、戦争に付き物とも言える残虐行為も問題になります。 ベトコンが残虐であったのは周知の事実です。ところが、「弱者」の残虐行為はしばしば「仕方が無い」とされてしまいます。 この辺りは現在のイラク民兵との戦いでも同様です。 結局、「文明国」は「非文明国」の戦いに深入りすべきではない、するとしても現地民の応援に留めるのが得策と思うのですが、いかがでしょう。 med |
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date 2007/2/17(土)12:35 別宮様 med様 非対称戦争と言うのは時代が下がるにしたがって難度が高くなってきたんでしょうね。 日本軍式に掘って掘って掘りまくってを実行したのはベトナム軍のほうだったようですね。たぶん、陸自師団が行ったなら、この面ではいい勝負だったでしょう。 やはり、策源地(ハノイ、ハイフォン)を速やかに打通作戦で突破し、音を上げさせるのが定石だったんでしょう。 中国軍が兵站のみの関与と言う件は理解できました。オタ本でそのようなことが書かれていたことがあり、「そうか?」と思ったことを想起しましたので。 困ぺい糖 |
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date 2007/2/17(土)13:06 sai 夫様 米国に100%の力を発揮させない事に努力を尽くし成功した北ベトナムはやはり強いですし 北朝鮮に関して米国は手一杯というよりは 一時棚上げにしておこうという事ではないでしょうか? |
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date 2007/2/17(土)17:39 別宮さま 英仏の誤謬について理解できました。少なくともこの点ではアメリカ人の言うことが正しく、日本人を含め列強のほとんどが間違っていたんですね。まあロシア人はほんとにわかってるのか?と今でも思いますが。 SLEEP |
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date 2007/2/17(土)17:59 カカニア人さま 原則ROMの海軍好きです。 >支那事変を早期に解決したいのであれば、1940年にイギリスの側で参戦するのが最善です。 これ、スゴイですね。まったく思いつきませんでした。 さて、今の日本はどうでしょうか? |
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date 2007/2/17(土)23:19 困ぺい糖さま medさま 19世紀でも長距離挺進攻撃は非対称の戦争ではよくあります。アロー号戦争(1860)では、本国から1万6千の兵を帆船で運び、大沽に上陸させ北京を占領しています。 20世紀後半で、ダナン=ハイフォン=ハノイが不可能と思えず、要は政治的要因でやらなかったということでしょう。この政治とは、中国の介入を恐れたことですが、一撃撤退であれば中国が介入しても撤退できたはずです。 朝鮮戦争も同じで、満州16発核投下は戦争の簡単な決着だったでしょう。決着すれば、そのあとの中国の餓死3000万人、北朝鮮の収容所死、餓死1000万人は防げたでしょう。満州攻撃をやめた最大の理由は、スターリンのヨーロッパ正面への突出ですが、これは本当にできたでしょうか? 非対称の戦争は結局時間との戦いです。アメリカ人と近衛文麿はある種の「傀儡政権」を夢見たんだと思うんですよ。ところが、汪兆銘政権、ゴジンジェム政権、マタギ政権いずれも期待できなかった、または期待できないのでは?理由はなんかリベラル顔していて、気合入ってませんよね。傀儡政権というのは、誰かに気に入られ成立するわけですから、こんなものでしょう。 こういった傀儡政権を実効支配できるまで育てるというのは不可能です。李承晩は英語のせいかアメリカ人に好かれましたが、帝国軍人であり社会主義者の朴正煕は、アメリカ人に嫌われました。でも、韓国が一本足でもたっているのは朴の努力の結果です。 非対称の戦争では、長距離挺進攻撃をやってすぐ離脱、そしてまた敵が出現したら、何度でもやるという方法しかないのでは?さもなくば、時間を犠牲にして低コスト低姿勢の拠点防衛でしょう。 別宮 |
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date 2007/2/18(日)07:31 別宮様 皆様 1月ほど前に近所のこれぞ『古本屋』という場所で、ディベーリウスの『英国』というやたら古めかしい本があったので、値段が1000円しなかったので購入し、積読状態にしていたものを読み始めていまして気になる点がありました。著作から戦間期の社会主義公理化の影響が漂ってくるのは良いとして、気になった点は下記部分に引用した箇所にあります。 「愛蘭政策から英国の学んだところは実に大きかった。その限界は多いに拡められた。頑固な個人主義の国であり国家の如何なる行動にも深い疑念を抱くこの国が、官僚政治によって行動し、国家的教育制度を遂行し、国家的土地政策を遂行するやうになった。グレイト・ブリテンの官吏は本国では各地を巡察する検察官であり、法律の施行状態監督のため中央から派遣される使者に過ぎない。ところが愛蘭では、英国政府は主としてダブリンにまたある程度迄は小都会に、駐剳官を置いたが、この駐剳官は原案を作成し、行政の実際に当り、全く自分一個の発意で行動する事を学んだのである。愛蘭で実験したところによって、自由貿易主義者たるマンチェスター派の連中は、官僚の手によって物事を阻止することも出来れば、実施することも出来ることを否応なしに知るに到った。」(P.43)※引用文は、正字を本字にしてあります。 この視点は戦間期ではむしろ一般に出回っていた意見なのか判別は出来ないのですが、私としましては、なかなか当たっているのではないのかという気がいたします。私は学生時代から、漠然と英国は世界経営(主に印度やアフリカ各地の植民地)から官僚層の力が増したという説を聞いていたのですが、どうも腑に落ちない思いを抱いていたからです。はっきりいえば、植民地の官僚はこの引用にある施行監督官が、限定された役割のみを任務として17世紀頃には派遣されていたのにも関わらず、影響が出たのは19世紀後半からというのは、余りに不自然と感じたからです。 しかし、この著者の視点から見ると本国と近い場所で、自ら企画・調整・実施したという行政経験のインパクトは、野心ある若手官僚層や学者連には堪らないものではないのかと思ってしまいます。そして、その経験を本国で実施したくてしょうがない彼らが、大変便利な道具として社会主義を「公理」として持ちあげを図ったのではないのかと思うのです。我国では社会主義理論があったから、官僚層による政治介入が始まったと説明されるのですが、むしろ実態は、外地に本国と同様な制度を移植した官僚層の経験による意識変化のほうが本質で、社会主義の受入れはその表れでしかなかったのかと思います。これは近代において、ケーススタディとしては同時期の列国の類似を挙げるならば、我国と朝鮮、フランスとアルジェリア、プロイセンとドイツということなのではないのかと思います。またこうした官僚層の経験がF・ルーズベルトまでない米国が、戦間期にも自由主義を高々と挙げていた要素の一つではないのかと考えています。 枯山 |
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date 2007/2/18(日)08:44 枯山さま 19世紀中葉のイギリスは、アイルランド政策と国教会問題で揺れ動いていたのは事実でしょう。 例えば、国教会政策の中に教育政策があって、当時のイギリスは国教会系の中学校以下だけに補助金を与えていました。土地政策について相続税"Inheritance tax"導入は1906年からだと思います。 ただ、英国人のいう国家主義的政策というのは戦後日本人からみれば、微量の補助金・徴税と多少の巡回裁判所の判例変化のようにも思えます。19世紀の国際イギリス商人は役人や政府命令などどこ吹く風で、確かに個人主義であることは間違いありません。 それとドイツ的言い回しですが、イギリスの基本原理のようなところは、それほど変わっていないように思えます。ボウリングという第4代香港総督はユニタリアン教会で演説して、「我々は人権擁護と宗教の自由の偉大な先駆者であらねばならない。(ユニタリアンが)軍隊の最先頭にたって戦うことは義務である。要塞を中央突破する決死隊でなければならない。そして自由の旗を掲げよう。『全てに自由を!全てに平等を!個人の判断による正義と義務を!』」といっています。これは、マンチェスター学派より強烈です。 三井物産の寺島実郎の講話に民主党の岡田・藤井が熱心に支持していました。それは「(現代日本の)所得の低い階層の収入は後進国労働者の水準に引っ張り落とされる」というものでした。これは、イギリスの機械打ち壊し運動、ラッダイト運動、すなわち「労働者の職を奪う機械を壊してしまえ」と同じ発想です。じっさいには中国の低賃金労働による衣料は、価格の低廉さで、日本人を豊にし、デザインや販売を担当する日本人の賃金を押し上げているのでは?中国人にはつくれない西陣の反物を売る人とユニクロ従業員の賃金が大きくかけ離れることはできませんよね。 寺島や民主党二人(両方元官僚だが)の基本原理は「役人が経済を指導すべきだ」「役人の方が優れたアイデアを出す」という点のように思えます。イギリス人はこういった点について、イエスとは絶対にいわないでしょう。 中立的なところでアメリカ人で日本の占領時代を経験した若手を調べると、ほとんどあとの人生を失敗しています。満州や朝鮮に派遣された日本の役人も同じようなものでしょう。イギリスのインドや他の植民地派遣役人も同様であったように思えます。前述のボウリングは若いころは服商人ですがバイロンとも知り合ったインテリで、かつ中学しかでていません。それでも、科挙にいれこみ一生官僚人生を歩む清国マンダリンをコケにしています。人格・識見とも問題になりません。官僚経験が人生の幅を狭くすることはよく起きます。 ただ、ランパントな自由も義務の点では譲るのですが、この考えがでてきたのは、イギリスでは、第一次大戦中では?パブの営業時間制限など常識では考えられないことをやっています。 そういったことで枯山さまの意見に賛成で、こういった若くしてエリートの植民地官僚が社会主義(統制主義)にとびつき市場経済を否定することは起きたと思います。少なくとも、日本では起きました。また岡田・藤井は戦前の植民地官僚に似た経験をもっていますよね。安部首相も同じワナに落ちなければいいとも思います。 別宮 |
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date 2007/2/18(日)09:23 別宮様、 betsumiya> 非対称の戦争では、長距離挺進攻撃をやってすぐ離脱、そしてまた敵が出現したら、何度でもやるという方法しかないのでは?さもなくば、時間を犠牲にして低コスト低姿勢の拠点防衛でしょう。 基本的に同意いたしますが、上記でも期間がある程度以上になると自国民対策ができなくなって、結局、撤退、つまり「負ける」ということになりそうな気がします。 投入する兵力が少なくてマスコミの注目度も低いのであれば数年は大丈夫かもしれませんが。 朝鮮戦争は、お説の通り中国本土攻撃でけりが付いたと思います。 med |
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date 2007/2/18(日)12:06 別宮様 med様 ソ連が果たして戦後も西欧に攻め込む意図と能力を保持したか?なかなか面白いテーマです。 フルシチョフの回想によると、彼は戦後のモロトフとの議論の中でトリエステ問題が片付いた後は、オーストリアに進駐し続ける目的は要は西側(西独、仏伊)との国境線まで兵を進めることだけだ、と言っています。 これが具体的な戦争準備に直結したかは難しいのですが、逆に西側からは直結したように見られたことは確かなことと思います。 時代が下って80年代のライス(現国務長官)の論文からの引用を出します。 1950年といえば、前年スターリンがベルリン封鎖を実施した時期です。つまりドイツ版図の最終的帰属の解決時期のポイントといっていい時期にあたります。 あと、非対称戦争という言い方は米英人が始めたのだろうと思うのですが、これは形式論で、小戦争という理解でよいのではないでしょうか?それなら純粋に「勝つ」ことだけ考えれば、当座の敵(北ベトナム、金日成、フセイン・シーア坊主・アルカイダ)を殲滅すれば終わりです。 「この世には、善意から生まれる悪意もあれば、悪意から生まれる善意もある」困ぺい糖 |
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date 2007/2/18(日)21:53 困ぺい糖さま 非対称的戦争とは、量の側面ではなく、武器の質にあてた側面でいうのでしょう。武器の質は一般に比較できますが、量または「大国」「小国」の定義は難しいといえます。 この点で、小国vs大国、小国vs小国を小戦争といえば、概ね小戦争は非対称の戦争といえます。ただ小国vs小国の戦争、イラン・イラク戦争が小戦争とはいえますが、対称的な戦争ともいえるので、多少例外はあるということでしょう。 朝鮮戦争時におけるソ連のヨーロッパ正面へ突出というのは、1950年12月、アトリーがトルーマンに申し入れたもので、イギリスが「そう思った」は事実です。ですが、そのときのソ連軍の配置を分析したうえとは思われません。スターリンは、朝鮮戦争を長期化させ、アメリカ軍を釘付けにして、原爆早期量産を狙ったのではないでしょうか? ただ、ソ連の侵略性はその通りだとして、当時のソ連軍が2正面作戦ができたかが気になります。ソ連もまだ海軍は未整備だと思いますから、ユーラシア大陸から出られる可能性ゼロですよね。 別宮 |
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date 2007/2/18(日)23:54 別宮様 ボウリング総督の演説には、確かに英国固有ともいえる自由と法に対する「北極星の如く不動な」堅固さをまざまざと感じさせてくれます。 その原因が第一次大戦中の分裂と、その後の「クーポン選挙」による英国自由党の壊滅により、政治力がない国際商人に代表される人々の、自由主義を議会で擁護する強力な政党が退潮し、代わりとして出てきたのは官僚層の支援者となる蓋然性が強い英国労働党が躍進したという事実はなかなか重いものだと感じます。 さて最近の民主党は、根っこの考えに官僚がオールマイティだと信じているところには危惧を抱きます。どうして一番苦手な商売分野に我国の官僚達が上手くいくと思う妄想を抱けるか不可思議でならないところがあります。彼等が計造で、為替介入で、日の丸石油で、石炭で、一体どれほど失敗をこさえてくれたでしょうか。また彼等は戦後には、外国から頭を下げて借金を出来ないツケを、民間企業が設備投資のために外国から工作機械を購入する際に、ねちねちと裁量行政全開の介入をして、多くの企業家を途方にくれさせたでしょうか。ある二輪メーカーが四輪に進出する行為を、俄国士めいた調子で阻止するという自由権の侵害行為は一体全体何の冗談でしょうか。最新式の製鉄所を千葉に建設しようとしたとき、公然と妨害行為を行おうとした日銀総裁殿は何を根拠に傲慢さを発揮できたのでしょうか。 これほど失敗を山ほど拵えて、未だにのこのこと経済介入を考えるというのは、出来ないことを出来るという官僚層をせっせと議員に組み込もうというセンスには、驚きを隠せないところを感じてしまいます。 「いったいどこまで、役人連よ、われわれの忍耐につけ込むつもりだ」 |
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date 2007/2/19(月)08:20 枯山さま 第一次大戦前からですが、モーリス・ハンキーという海軍陸戦隊大尉あがりの人が、イギリス官僚の代表のように扱われ、パーマネント・セクレタリー(イギリスでは事務次官はこう呼ばれます。政局には関係がないという意味か)ではなく、パーフェクト・セクレタリーと呼ばれました。 そのハンキーが、ロイド=ジョージについて「議事録をつくっても、絶対に(間違いないという)サインしない」とあるとき不平をもらしました。するとロイド=ジョージが、「そりゃあなあ、そうしておけば、ドイツ野郎がきたとき、僕じゃあなくハンキーを吊るすことになるからさ」といったそうです。でもドイツ野郎は、議事録がどうできていようと、ロイド=ジョージを吊るすと思うんですよ。これが責任をとらねばならない政治家と官僚の差だと思います。 翻って、ハンキーは東京裁判批判をやっています。内容は、国際法違反と国内刑法との関係を論じたもので、「有罪」を宣告されたとして、じっさいの刑を課すには国内司法手続きが必要だとしたもので、バール判事の東京裁判論と比較してかなりレベルが高いものです。昭和30年ごろは評判になりましたが、その後、有罪性は認めていることから、日本の右翼系には気にいられなくなったようです。 このように、ハンキーは学識にすぐれ、かつ事務処理能力がありましたが、政治と事務は分けていたと思います。19世紀のイギリス外相(ソールズベリー以外)は在外外交官への電文は全部自分で書いていました。でも、これは20世紀に入ると不可能です。役人の業務ウェートが高まるのは避けられません。 この点で違うと思うのはドイツ外務省政務局長のホルスタインです。どうもたいしたことはないように思えますが、就任前「ドイツは全ヨーロッパの中心」退職直前「ドイツはヨーロッパで孤立」をみると、何かあったんでしょうね。 イギリスで役人が第一次大戦後強くなったのは事実ですが、ある一線は越えていないように思います。日本の官僚天国というのはドイツからきているようにみえるのですが、いかがでしょうか? 現代日本でもはや通産官僚が、計造ができると思えません。日比谷公園横の飯野海運ビル(計造資金でビルを買った)をみると感じます。ただ今、農水省が米作農家協業事業を推進しています。各戸寄り集まれば補助金を出すという制度です(ただし個人農家へは打ち切る)。これはコルフォーズと一緒です。結果、現代小作人(各戸から農地を借りて、耕作し、生産物の5割を返還する。〜江戸・昭和前期の地主とり分よりはるかに高い)が、農地を借りられなくなり、まいっています。地主とすればコルフォーズに参加し、誰かに小作に出せば補助金をもらえてしまいます。かくのごとき不正を助長するほど、農林官僚というのは愚昧なんですね。 別宮 |
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date 2007/2/19(月)23:53 別宮様 最近は米国人の造語として低烈度紛争という言い方が出てきています。 ソ連に対する警戒からイギリスが打って出ると考えて米軍進駐継続を慫慂したというのは頷けます。復員熱の真っ最中だったわけですし。 困ぺい糖 |
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date 2007/2/20(火)08:30 困ぺい糖さま 要するに、小vs小というのは世界史的に重要じゃないんでしょう。今でも熱帯アフリカ、ペルー周辺、後カフカス、インパキあたりはときどき重砲を撃ちあいますが、誰も気にとめているように思えません。そのうえ、いつ戦争が始まって終わったのかわからず、戦闘報告も交戦国からでてこない。 米国防総省統計課(間違いが多いが、なぜか斯界に権威がある。もちろん正しい方が多い)あたりが、戦争のデータがつかみにくく困るので、省外のアナリストが助け舟を出しているのでは? 第二次大戦中から、帝国参謀本部にはアメリカ人、他居住者国人の参謀将校が参加しましたから、情報が多いアメリカ人に事実上左右されるようになりました。イギリス人は、第二次大戦では、いわばアメリカの属国のように戦ったんですね。 これが、第二次大戦以降も引き継がれましたから、アトリーは軍部情報ではなく、自分の政治的直感に頼ったのでしょう。また、アメリカ軍部には明確に「日本畑」=「アジア畑」ができており、例えばマッカーサーには、イギリス人の友人はほとんどなく、オーストラリア人にたいしても主人のように振舞っていました。ですから、イギリスはアジア・ソ連情報をアメリカ経由でしかなくなったんですね。 オーストリア・ニュージーランドも戦後の同盟はアンザスでアメリカ機軸に変わりました(イギリス人が日本人にときどき面白くなくなるのも当然でしょう)。それとともに、北海に浮かぶ、うら寂れた島国に戻ることを決意したんでしょう。すると国防の中心はヨーロッパ正面に移ります。これが、日本外交をも戦前とは大きく変えることになったんではないでしょうか?加藤紘一はよくアメリカに対してはチャイナカードだといいますが、これは根底的に誤りで、アメリカにたいしては、イギリスカードのはず(少なくとも過去は)です。イギリスがアメリカにたいし朝鮮戦争のエスカレートを止めたのは歴史的事実です。 別宮 |
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date 2007/2/20(火)09:23 別宮様、困ぺい糖様、 1950年のソ連軍の攻勢能力ですが、多分、ほとんど無かったでしょう。 ただ、ソ連崩壊までこの事実はほとんど判っていなかったと言うのも事実ではないでしょうか。 スターリンは1945年の対日本戦を行ったからとレンドリース代を踏み倒しましたが、ソ連にとってはそれぐらい大きな負担だったのでしょう。 西側を惑わせたのは、ソ連流の前進配備もあるでしょう。 別宮様が指摘されたように、第2次大戦中のアメリカにとって、唯一自立している、ように見えた同盟国がソ連です。 個人的考えとしては、スターリンは国内の苦境を隠し、共産圏特有の瀬戸際外交をやっていたのだと思います。 med |
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date 2007/2/20(火)21:00 別宮様 英国が時代が下るに従い役人の業務の比重が重くなるにしても、ドイツのような官僚天国ではないというのは理解できます。どうも我国近代官僚層はヘーゲル流の思い上がりが甚だしい、帝政ドイツ式を陸海軍を除いて継承したままという大きな問題点が残っているという結論になるでしょうか。漸く昨今は、官僚が権限を仲間内でやりたい放題した挙句に、失敗が見えるとメモを故意に落として御用新聞記者に騒がせて、大臣に責任だけを押し付けるという陰険な手が、通用しなくなりつつあるのが唯一の救いとなるでしょうか。 経済界での通産官僚の神通力はもう消えうせつつありますが、在りし日は計造資金を左右して飯野ビルというのはなんともいえないところがあります。せせこましく無駄遣いするくらいなら当時エンパイアステートビルを超えるものでも作れば、いまでも東京に威容を残せたでしょうに、どうせ彼らのですから、当時の許認可権限や法令の範囲内ということに小心翼翼しながら、小さい贅沢を山ほど拵えたのが目に浮かぶようです。話にでた昨今の農水官僚の愚行には頭が痛くなります。 今頃なにを血迷ってコルフォーズの真似事を推進するかは分かりませんが、そんなことより農水省が行うのはあの数兆円投入したウルグアイ・ラウンド対策費が全くの烏有と帰したのを追求し、英国ならば間違いなく、当時の農水省の担当者達の一斉更迭を大臣手ずからが行う審判の日が近いことを知らせる為にも、大臣に課長以上の官僚の人事を随意に可能なようにしなければならない時期にさしかかったのだと思います。 ところでモーリス・ハンキーの東京裁判論には興味を惹かれるのですが、この著作は我国で翻訳されているのでしょうか。昭和30年頃流行ったとあればもしかするとも思うのですが、パル判事の判決文は要約を紹介されてもいまひとつピンとこないので、比較できるような研究があれば出来れば一読してみたいと思います。 さて、近いうちに発売される別宮様と兵頭師の東京裁判の共著楽しみに致しております。現在俄国士たる若手保守論者が撒き散らす、程度の低い東京裁判論を一掃する内容の著作になるのではないかと当方まことに勝手ながら期待をしております。 枯山 |
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date 2007/2/20(火)23:46 別宮様 med様 対ソ情報と言う点に関してイギリスがアメリカに劣後したのは確かと思います。イギリス人としては、広げすぎた風呂敷を畳む必要があったんでしょう。 防衛正面を欧州とするは、ソ連の前進配備と言う面が惑わした面もあったんでしょうね。モスクワの高射砲陣地は1953年(スターリン死後)も戦中の警戒態勢を維持したままだったとフルシチョフも述べています。 しかし、やはり、ソ連の軍事テーゼ(国際共産主義=英国含む西欧の共産化)は生きているものとして米国としても対さざるを得なかったというべきかと思います。 冷戦時の英軍の布陣はライン下流河畔ですが、常備軍の半数近くをつぎ込むと言うモノでした。これ、WW1以前のBEFと同じですね。 戦後の米軍内にプロジャパングループができたというのは、本当でしょう。ただ、彼らが旧軍の生き残りのヘンなのまで庇護したのは不味かったと思います。そして、最近、あまりこのグループが元気ないんですよね。議会に戦闘機対日輸出を反対されても(これは毎度)、今までのように力瘤入れて反論しませんね。 小戦争の件は同意です。実はペルー=エクアドル小競り合いというのを調べたのですが、両方とも勝った勝ったです。ペルーの方が分が悪い(国境警備兵がコマンドに拉致、戦闘機2機落とされる)にしてもフジモリは進退関係なかったですから。 困ぺい糖 |
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date 2007/2/21(水)08:27 枯山さま 日本の大手新聞社は給与が高すぎて、ジャーナリストは自営業という自覚がないんでしょうね。プレスマンじゃなくて、会社員ですよね。 本省の課長補佐クラスは、記者クラブの面々と顔見知りですから、昔はリークも記者に順繰りにして調和を保っていました。でも、読む方も読む方だと思うんですよ。とりわけ、脱税記事はひどいですよね。どうみても、国税からでたとしか思えない内容が新聞記事になり、しかも各社同時掲載です。 なんの縁もゆかりもありませんが、ハリー・ポッターの訳者の脱税記事など、スイス徴税当局と日本当局の調整の問題を、スイスに負けたもんで、腹いせにリークしたとしか思えないのです。そして新聞記事の内容といえば、日本で大量に売れたのだから、日本で申告すべきだという低レベルでした。でも本国に住むイギリス人が和訳して日本でよく売れたら、日本に納税しろとはいえません。 要は、民主党が大企業減税で個人増税だといいますが、他OECD諸国と揃えるしかないんですよね。金持ちは居住地も変えられますし、国籍も同様です。昔の貴族の特権だった「国際主義」が、より身近になってるんでしょう。ヒトラーは目の仇にしましたが・・・。日本はリベラルを標榜する党と共産党が同じことをいうのが、両方とも伸びない原因でしょう。 公務員改革は目先局長以上は国家公務員法の対象外にすればいいと思うんですよ。民間会社の取締役が、組合員資格をもって、失敗しても身分が守られているとすれば、ちょっとヘンですよね。 東京裁判の件、ありがとうございます。フルテキストについては私も探していますがみつかりません。解説については、島内龍起『東京裁判弁護雑録』信山社 1973、滝川政次郎『新版 東京裁判を裁く』上下 創拓社 1978などに引用記事があったと思います(ウロ覚え)。まとまった研究も当時の学会誌にあると聞いてますが、手に入りません。 別宮 |
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date 2007/2/21(水)08:58 medさま 1914年のロシアの東プロイセン突起部への前進配備というか師団の(人と馬の)定員充足は、元はフランスの恐喝によるもので、参本動員課長のドブロルルスキーの立案になるとされます。ただフランスは、ペテルブルグ=ウィルナ、モスクワ・ペテルブルグ=ワルシャワの鉄道未発達を責めたんですね。これはニコライ二世がそれ向けの借款をシベリア鉄道に流用したのを怒ったようです。ロシア側も金利が高いじゃないかとかいってますが・・・。 こう聞くと、ディフェンシブのようですが、これは純然たる攻勢ですよね。すなわち、パリが危険になる前に、東プロイセンに飛び込むのが目的です。むしろ、ドイツがなぜ気づかなかったかが不思議です。ともあれ、タンネンベルグで勝ちましたが、勝つ直前に西部戦線から3個軍団を振ってます。これは連合軍からみれば、大成功ですよね、少なくとも、ジョフルはベルリン中央駅にいたスパイからの特電をうけ、机をたたいて喜びました。 1945年以降のソ連軍の配備については、まったくの無知ですが、東ドイツに前進配備したとすれば、西ドイツは目が点になりますよね。当時のアデナウアーが盧武鉉状態とは思えません。マンデス・フランスが、いったんラインまで引けといったら、アデナウアーが泣き出したというのがありました。アデナウアーはルール進駐のころライン共和国独立運動をやってましたから複雑ですよね。これじゃでも、インドシナ駐兵は、シベリア鉄道建設より愚行です。 「情報が入る」と「切迫感」は違うんですよね。小モルトケもロシア側動員が15日で終わるという報告を駐在武官からうけていましたが「それじゃ我が方も多少速めるか」などといって、シュリーフェンプランの前提が崩れつつあることに気がまわらないんですね。まわれば、第一次大戦はなく、現在の世界はまったく違ったものになっていたでしょう。 1950年のソ連軍にやられて、切迫感がないのでは小モルトケ状態であって、西側諸国が攻勢準備と考えたのは、ご指摘の通りでしょう。 別宮 |
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date 2007/2/21(水)09:23 困ぺい糖さま スチムソン=FDRの前のアメリカのアジア政策は、基本的には日英の背後であって、最恵国待遇を前提として日英の得た条約上の利益を均霑するといのが主眼であったと思います。 ところが、アメリカの対中貿易というのは、19世紀中はけっこう大きなものがありました。内容は阿片と茶です。現代アメリカ人はこの二つについて、イギリス人の悪徳のようにいいますが、どうみても1870年代以降は、英米の地位は逆転していました。例えばFDRの祖父は、アメリカでもっとも成功した対中阿片密貿易業者でした。 ただ、第一次大戦が終了すると、茶・阿片・絹の時代は終わって、自動車・石油・ラジオの時代になりました。アメリカの貿易はこれによって、大きく中国から日本にシフトしました。ところが古い世代は、日本で車が売れれば、中国でも売れると思ってしまうんですね。ですから、アメリカに日本に関心をもつグループが、プロチャイナかアンチチャイナかというのは難しいと思います。ただ、プロジャパンといわれる人は、グルーなど知的であり国務省を動かす人々じゃないでしょうか? アメリカ軍部も、戦後は大胆な日本シフトになり、ベトナム戦争でも正面装備以外の補給の大半は日本からです。でも、ベトナム・台湾海峡・朝鮮問題は、戦前の日本の困難と同様ですが、アメリカ人はそれほど苦にしているのでしょうか?日本人で左を中心に高笑いをする人々は多いのですが、根本には厄介な中国があります。日本にもアメリカにも、まっすぐ困難をみようとせず、ニコニコして誤魔化そうという人はいるんでしょう。 別宮 |
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date 2007/2/21(水)20:39 別宮様 我国が新聞ジャーナリストが、曲がりなりにも自営業者の趣を残していたのは、赤新聞と呼ばれた黒岩涙香の「萬朝報」がそれなりに商いの出来た明治30年代までではないのかと思っております。大正の御世にはもう現在のサラリーマン記者気質になっていたのは、明治大正の頃の話をよくした山本夏彦氏の著作から伺えます。 しかし、ハリーポッターの経緯はそのような粗末な事情でしたか、毎度のことですが、官僚連の内弁慶というのはあきれますが、報道する側が官庁の一室で税金を利用して常駐して、ダボハゼ然とした態度で「新聞ダネ」を貰おうとしているという不健全な関係を切らない限りは、よりにもよって官庁文章を公然と一面記事に掲げるという愚行は、避けられないと思いますが。 テキストの解説の情報有難うございます。なかなか我国ではテキストの和訳などは盛んなのですが、折角のテキストも情報整理や公立図書館が貧弱なのでなかなか必要なテキストを随時利用できないのが手痛いところです。憲法に反する私学助成など総て打ち切って、国公立大学と公立図書館に重点投資するのが良いと思います。なかでも図書館は、今まで等閑視されていた、保存・整理・検索のための専門人員の拡充が最優先されるところだと思います。また公立図書館施設は既存館の地下施設を大拡充し、書庫を広げて1部でも多くの書籍という名の情報媒体を、長期保管及び利用検索性の向上を図って欲しいと願っています。 枯山 |
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date 2007/2/22(木)08:56 枯山さま 日本の新聞記者と外国との違いは給与でしょう。日本の場合は極端な高コスト体質で、合理化努力が感じられません。これは、日本社会のマイナス要因にまでなっているでしょう。例えば、ロサンジェルス・タイムスの3行広告は3000円しないでしょう。ですから「恋人求む」の広告が日曜版には見開き4ページにもなります。日本のように3万円ではやる気しません。ただ、全国紙はなく地域限定ですが。 これのおかげで、日本の新聞社の広告収入は年々減少していて、新聞を広告媒体とみなさなくなる日も近いのでは?ともあれ、新聞記者は原稿が書けて人気がでるのが重大、つまり競争的で商業的なことがポイントのはずですが、独占的でイデオロギッシュな新聞社ばかりしか残っていません。会社の上層部が組合ダラ幹で、その子分が出世するようなところばかりでしょう。 ただ、イデオロギーに関連してですが、「公明正大・中立」な新聞も放送もありえないのでは?ヨーロッパの新聞は、支持政党を打ち出すのが普通ですから、ベールを被せて、社民党・共産党の主張を熱心にいいまくる新聞を偽善と感じる感覚があるんだと思います。まあ、リベラルを標榜して社会主義、保守を標榜して外交枠組み変更をいう政党人は絶えません。全員を満足させる政策はないのに、あるかのような手品をみせる政治家が多いということでしょう。 図書館に関連してですが、日本の公共図書館はなぜ、コンピューターシステムがバラバラなんでしょうか?図書館ごとに検索から呼び出しまで全部違うようです。下請けソフト屋には商売が増えていいでしょうが、利用者は面倒です。ホストをもった外部委託会社に任せれば、大分税金の節約にもなりますし、システムも2〜3種に統合されるのでは? じつは、この点で極端なのは銀行業界で、日本の銀行通帳というのは銀行ごとに全部違いますよね。これは銀行ごとに別々にシステム開発をしているためです。欧米であれば、ホストをもった委託ソフト会社があって、そこが多数の銀行システムを運営しています。コスト的にどちらが有利かはっきりしています。ただ、ナットウェストとかフレンチ・アグリコーレとか政府系は独自システムです。どこの国も縦割り行政からの脱却は難しいんでしょうね。日本の銀行についても大蔵省の行政指導の結果です。これも日本の銀行の競争力を落としますよね。 別宮 |
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date 2007/2/22(木)12:34 別宮様、枯山様、 そうですか、銀行も全部違うのですか、コンピューターシステム。 統一すればコストが下がることは自明ですが、・・・どうも関係者は皆、統一したくないみたいです。 民間の大病院系列で統合の話はあるようです。が、大学病院、自治体病院は建前ではコストとか言っていますが本音は統一したくないとしか思えないところがあります。 病院の例では本当に些細なところで「改造」させるのですね。 以前、そのシステムを作っているソフト業者の人に聞いたのですが、NEC系列にしろ、富士通系列にしろ、どこも「改造」してその病院専門のシステムを作るのが商売として「おいしい」から、この悪癖はなかなか治らないだろう、との事でした。 大学の独立行政法人化で変わるのか、見所だと思います。 med |
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date 2007/2/23(金)02:05 別宮様、皆々様 図書館の検索システムは本当に困りますね… 将来「統合するぞ」と言い出したときに、今までに製作された蔵書情報が全て無駄になって、一からやり直し、なんて事にならないのであればいいのですがね… 宅配を頼むと昼過ぎに郵送で送ってくるようなイタリアですが、最近はタダ新聞が結構がんばってますし、工夫次第では日本の新聞も半額ぐらいには出来るんじゃないですかね。(特に、スタンド売りだけならば…) かの地では駅や町の中心で、わざわざアルバイトを派手に動員して配ってるぐらいですから、タダといえども侮れないものです。(内容は、テレビの10分ニュースレベルですが、内容が少ない分おかげでむしろ中立的ですし) ただ広告をやりすぎると、「恋人求む」なのか、ほかの目的なのかよくわからない怪しい広告欄が出来てしまって、日本の新聞界は嫌がるでしょうねぇ。「ウクライナの星、超美人、すごいブロンド、スリーサイズ最高エトセトラ…」とか… お邪魔しました… (あまり掲示板の品位を落としてはいけませぬ。) |