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date 2007/2/28(水)23:51 ペルソナングラータさま 軍事学はなかなか直線的に進みません。城壁を大砲で崩すという考え方は、オスマンのコンスタンチノープル攻めでほぼ終了したとみていいでしょう。またこれは異常な手段で、普通どうやって城壁を崩したかといえば、城壁の下まで工兵が進み、ドリルで壁に穴を開け、そこに火薬を置いて、導火線で着火したんですね。コンスタンチノープル陥落(1453)以降、城壁防禦という考え方は放棄されたと思います。 そして、日本人は旅順を思い出すのですが、これは28サンチ砲で東鶏冠山北堡塁内の兵舎の壁(厚さ約1・8メートルの無筋コンクリート)を打ち破ったので、城壁を打ち破ったものではありません。ただ、それによってコンドラチェンコを戦死させたりしましたから、「快感」は忘れ難いものになりました。また東鶏冠山北堡塁は土塁でできていて、壁に取り囲まれていたものではありません。 またなぜ、専門的攻城砲(市内砲撃用の臼砲はあったが、壁を破壊する目的ではない)が第一次大戦までなかったかといえば、その砲身の重量のためです。当時、持ち運び可能の重砲は概ね15センチ(艦砲6インチ)であって、それ以上だと弾丸が60キロ以上になり砲手が手でもてず、発射速度が遅くなります。また重砲部隊というのは厄介で、2門の1個中隊で、200人ほど必要でした。 そして、長岡外史がベトンベトンというのでおかしくなりましたが、堡塁の擁壁としては、コンクリ壁よりも土塁の方が強いのが当然であって、土塁の表面に巨石を張ったものが最強です。パルマノーバの写真はまさにそれであって、日本の城と同じですよね。また高さについていえば、土塁式にすると高くすれば費用がかかり、技術も必要です。柔軟防禦であれば稜堡や捨て堡からは場合によっては撤退し、第二線で守備しますから、縄張りの一部であって、多額の費用をかけられません。 また、城からの射撃は、工兵の接近を防ぐ目的ですから、火線の死角をなくすことが目的になり、幾何学的なシンメトリーになりましたが、これと土塁の高低は直接関係ありません。小銃の実行射程距離は火縄銃でも150メートルありますから、高さが20メートルあって照尺に差は出ても、敵弾へのカバーがとれる方が射手は安心ですし、また臼砲からの跳躍射撃をやられても、土塁は高い方が有利です。要は費用対効果で、熊本城をとるか五稜郭をとるかでしょう。 城壁都市の最大の問題は、外から重砲(15榴のようなもの)で市街に榴弾をガンガン打ち込まれることです。これは致命的な欠陥です。ですから熊本城内の建築物は事前に官軍によって焼かれ、五稜郭は戦わず放棄されたんですね。中途半端な解決策は、家屋を撤去し、兵舎を地下またはベトン製にすることでした(これが旅順の堡塁です)。 万里の長城についていえば、黒色火薬程度で破壊できる代物ではなく(大砲では第一次大戦のビッグバーサでどうか?)、また北京の八達嶺など現在は1線だけのようにみえますが、明時代は少なくとも5線あった(つまり縦深陣地をなしていた)ようです。それでもヌルハチに寝返りで落とされましたから、日本人的発想の戦ではという気がします。建築物としては途方もないと思います。 別宮 |
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date 2007/3/1(木)01:06 別宮さま 私の姉は大学4年の時、就職は地方公務員志望だったのですが、全滅しました。 で、私も時間差で書店業界に在籍していたことがありました。そこで「な●か書房」について情報を収集 当時、私が勤めていた書店は「●進」という機関紙を買いに来る労組関係者や過激派の下っ端を、捜査協力で特定していました。 別宮師、私の姉はな●か書房に入社したことで、警備部の捜査線上のチェックリストに乗ってしまった可能性はないでしょうか? 当時からな●か書房は掛売り金の回収がうまくいっていませんでした。死ぬまでツケを払わずに逃げるだらしない学者が多かったのです。 私も書店勤務で教授の売り掛けの回収に上司と回ったことがありますが、本屋の借金に金利がつかないのをいい事に、 黒田 謹言 |
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date 2007/3/1(木)08:44 黒田さま 公安警察につきあったことはありませんが、どの会社でも単純な捜査協力を警察官から求められることは多いでしょう。例えば殺人犯の張り込みで部屋を貸してくれの類です。場合によると泊り込みですから、警察官の努力にも頭が下がります。そうすれば、茶菓など出す家庭・事務所は多いのではないでしょうか? そして、このごろ気になるのは捜査の順番のつけ方です。これは横浜市ですが、市が市内で一番流行っている産院を助産婦のしごとを看護婦にやらせているという理由で、警察に告訴しました。これは厳密にいえば違法かもしれませんが、昔と助産婦(取り出しから検査機械のチェック)の役割が変わっていますから、不足である以上、産院は何かをせねばなりません。代わりに看護婦を雇ったことは十分理性的です。横浜市のような重箱をスミをつつくことをやれば、ただでさえ消えつつある産院がなくなってしまいます。警察が横浜市の告訴を取り上げなかったことは評価できると思います。 横浜市の市長は若すぎるんでしょう。若いと経験がありませんから、どうしても杓子定規になって、くだらぬ点数稼ぎに走りやすいものです。だいたい口癖が「仕事をやります」でしょう。余計な仕事はやらない方がいいんですよ。 さて過激派取締りですが、とにかくテロを血盟してますよね。順番は高いでしょう。テロ犯リストの作成に協力することはある程度市民の義務ではないでしょうか。過激派(暴力革命または暴力による政府転覆を反覆主張してますよね)機関紙を売る方はともかく、買う方はある程度取締りを覚悟するのもまた当然でしょう。これをやらない国は世界中あるでしょうか?テロリストが日本国内に入るのは嫌ですよね、同様に他国も嫌であって、例えば出国制限などのためにリストをつくるのは国家の義務だと思います。 こういったことで、過激派リスト作成は、交通警察によるミニバタ女高生取締りより余程、市民に協力が要請されることと考えていいのではないでしょうか?ただ、線を社民党・共産党の間に引くか、過激派・共産党の間に引くかは議論が分かれます。また、三川町の例のイジメ教師がなぜ刑法犯に問われないのか疑問に思います。福教組がもし、イジメを助長するないしは使嗾する研修をやっていたとすれば、重大な法秩序への挑戦です。これもいつか一網打尽逮捕のためリスト作成の必要があるかもしれません。 洋書販売店の不振はアマゾンの繁栄から見通すべきでした。でも指導教員と同じく私もここまでになるとは全く予想がつきませんでした。 別宮 |
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date 2007/3/1(木)13:32 別宮様 困ぺい糖様 初心者様 ご解説ありがとうございます。 冬の終わりに寝込んでしまった よしくん |
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date 2007/3/1(木)22:39 http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/searchdiary?word=%c8%ac%cc%daに拠れば表現者2007年03月号で |
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date 2007/3/1(木)23:32 別宮様、困ぺい糖様 とても勉強になります。 イタリアというのは、軍事的には自動車教習所のコースみたいな物ですね。トリノ以外は近代に入ってまともな攻城戦を経験してないので、中世の古いものや理屈重視の未使用構造物が多量に残りました。 一方トリノは函館のように郊外にボーバン流の五角形の要塞を持った都市で、1706年に仏軍に囲まれ、プリンツ・オイゲン(エウジェニオ・ディ・サヴォイア)によって救出されたのですが、その時にピエトロ・ミッカが(敵も?)敵陣の下まで掘ったという地下道が、たくさん残っています。まぁ、ボーバンがいるフランス軍に勝ったのは、ほめてあげましょう。(というか、ボーバンにとってはケーキ屋が自分で作ったケーキを食わされたような… 元同盟国だし…) 所かわり、ウィーンの古地図などを見ると、城壁の前は(グラシという)障害物がまったくない空き地が広がり、その外側にも町が出来て、ドーナツのようになっていますね。モーツアルトの魔笛ゆかりの劇場、アン・デア・ウィーン劇場などもリンク通りの外ですが、当時、お芝居がはねてから、真っ暗な無人の荒野を数百メーター歩くのは、恐ろしかったでしょうね。劇場支配人シカネーダーは街灯をつけさせたそうですが。 でもこの空き地があったおかげで、今はこの界隈がウィーンの世紀末建築の博物館のようになっていますから、塞翁が馬です。 汐留の旧国鉄用地やベルリンのポツダム広場のようなものですかね。 いつも専門外の話題には最後お茶を濁して逃げる |
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date 2007/3/2(金)01:45 別宮さま 堺屋太一が昔の官僚(要は自分たち)は優秀だった、日本の経済がおかしくなったのは今の官僚がだらしないからだと新聞などで吠えていたのを覚えています。まあ、なんというか言論の自由があってよかったね、というべきか。大鶴検事は汗水働いた人が豊かになるべきだと言いましたが、役人は汗水流したのか?どう考えても違うとおもいます。 不織布などに関してはあんまりくわしくありませんので・・・ですが紙業界一般に言えるのは一度設備投資さえすれば中小でもそれなりに生きていける業界ですから、必然的に安値競争になりますね。王子は片っ端から買収してこれを防ぎたいようですがどうなりますかね?また一般的には新製品はユーザー側からの要望を吸い上げるのが多いようです(当たり前か) SLEEP |
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date 2007/3/2(金)01:54 ウルトラザウルスさま 自分にはどうもキャリア制度というものが不要なものに見えてならないのです。つまり軍隊(将校)であればいざとなった時、率先して指揮を執り死地に赴く人ということで簡単に理解できます。でもそんな非常事態に備える必要のない組織にそういったエリートが必要なのか?一般企業と同じく大卒採用よーいドン!で競争させればいいんじゃないかと。あるいはよそからのヘッドハンティングですとか、そういったことができないのは不幸だし不健全だと思うのですが、間違いでしょうか? SLEEP |
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date 2007/3/2(金)08:26 ペルソナングラータさま 私こそスペイン継承戦争の地中海方面の戦闘の詳細は初めて知りました。マールボロ公のブレナム(イギリス人もさすがに地名はフランス語読みするのですが、第二次大戦のこれにちなんだ爆撃機は、日本の本ではブレンハイム爆撃機と書いてあります。どっちが正しいとイギリス人にきいたら、「どうでもよい。くだらぬことを聞くな」といわれました)の戦いが中心だと思っておりました。 でも、サボイがオーストリアと組んだというのも史実ですよね。でもオイゲン公はナポリ(当時、スペイン領?)とかとんでもない方向にもいってますよね。まっすぐ、パリを目指せというのはアト講釈ですね。でも、ルイ14世もトリノ攻略にボーバンを出すというのは、けっこう本気だったんですね。ボーバンの城は北フランスが中心で、ルイ14世はコセコセとアルザス・ロレーヌで一城ごと領地を増やすのが国策だと思っていました。 サボイ(このとき気持ちはフランス人?)がサルディニア(ユトレヒト条約ではシシリー?)を取得したのが、現在の版図を決定したともいえます。でも、サボイもフランスと対抗するのであれば、目先ジェノアなど領土化(すなわち都市には自治を認め、周辺を取得)し、コルシカを手にいれていれば、現在、コルシカはイタリア領になり、ナポレオンもトリノの士官学校にいったような?こういうのはマキャベリズムでしょうか? ウィーンは1683年のオスマン包囲で、ポーランドのヤンソビエツキーの援軍で助かって以来、意外と軍事上の係争地点になっていません。城が包囲された場合、助かる手は外交で外国の援軍を得ることですね。でも包囲されている方は旗色が悪いのが当然で、そこに援軍を出すのですから、ヨーロッパは面白いですね。日本で上杉謙信に囲まれた小田原を同盟を組む武田氏は援軍はおくっていません。同様に織田信長に包囲された武田勝頼に後北条氏は援軍をおくりませんでした。毛利氏も三木城や備中高松城は見捨てですよね。メッケルが戦国時代の記録をみて、「なんと情理に薄い」といったそうです。でも上杉謙信は上州厩橋城に雪中、三国峠越えの援軍をおくっています。現代史家では、「無益な戦を」と謙信を批判する人が大半ですが、上杉謙信を好ましいと思います。 同様にシベリア出兵も「無益」だという同時代人が多かったようです。でも、ときには領地も賠償金も期待できない「無益な戦い」をしなければならないときがありますよね。例えば台湾とか考えると気が重いですね。 別宮 |
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date 2007/3/2(金)08:42 SLEEPさま 堺屋太一は通産官僚で、一応国策派ではなく国際派に属していたようですが、発想が国策派がうまくいかないので、というところがあります。つまり国策派佐橋の、日の丸原油も失敗、住友金属抑え込みにも失敗・・・で、万博ならばというところがあったんでしょうね。 つまり、業者行政から市場行政に頭の切り替えができなかったんで、これは全ての通産官僚に共通します。佐橋の迷言は「官僚は威張れば威張れるほどいい。そうすれば賄賂など受け取らない」でした。 これと同じようなもので、堺屋の発言はだいたい迷言です。油断など、日本に金がある(または借りられる)限りありえません。あらゆる財で代替物がないことはありえません。油がなくなれば、原子力・バイオエタノール・石炭液化に置き換わるだけのことです。人間の叡智の方が、モノより上なことは歴史が示します。けっきょく民間会社の叡智が経済を引っ張っているのであって、官僚の介入など相撲の行司が片方に「けたぐり」をやるようなものでしょう。 別宮 |
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date 2007/3/2(金)09:57 ペルソナングラータ様,別宮様,欧州合戦史にはうといので,毛利と上杉に 毛利が三木城や備中高松城を見捨てたか,の部分ですが,三木城はともかく,高松城 さて,上杉謙信だ。 この人の行動様式は,好敵手である武田信玄に比べて,よくわか NHKの大河ドラマは,あくまでも娯楽作品であって,あれで歴史の勉強をしようとは 豊臣秀吉が偉くなってから川中島の古戦場を訪れた時,甲越両軍の合戦の様子を力をこめて 謙信の軍隊も戦地ではけっこう乱暴な事をやっているそうですが,北信濃の豪族とか, 台湾に関しては,気の重いこと,まことに同感です。 台湾の人々が,どの程度,大陸 |
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date 2007/3/2(金)10:06 別宮様,つまんない割込みで,失礼。 化学の門外漢なので,おそるおそる発言しますが,エタノールの原材料は,何が適当 しかし,バイオマス資源に関しても,日本は資源小国らしい。 気のめいる話です。 |
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date 2007/3/2(金)11:47 別宮様,皆様,いつもお世話になっております。 3連休です。 土日月なら, 私が愛する大衆向け各誌は,さいきん「残業代ゼロ法案」反対の記事を載せています。 いぜん,家内が金融業界で働いていた頃,確定拠出型企業年金に関わったことがあった 話を,もどします。 昨日,家内が『丸』を買ってきました。 表紙を見ると「ドイツの超兵器」とあり, 「自衛官の見た『硫黄島』評」は,よかった。 こういう記事がどこかに載らないかな そして! 私の仕事にも関係のある(?)「ドイツ戦車の装甲 徹底研究」という記事。 不足してゆくニッケルやクロムやモリブデン,代わりに,高炭素鋼でタフな戦車用装甲 炭素含有量の少ない溶接棒を使うとき,高電流で溶接すると母材から炭素が多く入って 同誌の記事の引用を続けますと,「結局この事態は軟鋼の溶接材料に限って,溶かした 余談ですが,冬戦争でスターリンがフィンランドから獲った(盗った?)カレリア地方 今の日本も,何種類かのレアメタルやレアアースの備蓄を行っていますが,不安です。 我が戦艦大和も,ニッケルの不足に対処して装甲には代わりに銅を多めに入れたそう |
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date 2007/3/2(金)15:36 別宮様 孫子の中身が歴史に適用できないのは良くわかります 中国に離間の策を行っても日本の負担になるばかりでしよう 総理の靖国参拝に関して私は反対をしていますが |
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date 2007/3/3(土)01:40 はじめまして、第一次大戦を楽しませてもらった者ですが、 お弟子さんか誰かでしょうか? |
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date 2007/3/3(土)08:32 sai夫さま 後年の清水家の話は初めて聞きました。備中高松城については吉川の後詰の気合が足りないと思っていましたが、お説の通りであり、また後年の話と併せ申し上げることもありません。 川中島については、武田信玄が攻勢に出て、それに謙信が対抗する図式です。上杉家の家督相続から謙信の関心は関東に移っていたので、なぜ妥協できなかったのかという疑問は残ります。また長尾氏の発祥地というのが現住所のそばにあるのですが、今は長尾台と呼ばれる台地の上です。ですが、農地がないほど狭く、今でも市街化調整区域です。謙信は発祥の地を知っていたようで、近所の諏訪神社に願文があります。ただ、神仏の保護のようなことで現代人は理解が困難です。いずれにせよ長尾家がどうして越後の名族になれたかが疑問なほど小さな御家人出身であり、天下布武のようなことを考えていたとは思えません。 台湾に自衛隊を出すにはハードルが高いですが、法律からの観点はどこかに置いていいでしょう。最大の問題は核ミサイルを打ち込まれることでしょう。中国の場合は同害報復がプロポーショナルでない、すなわち上海が灰になり2000万人が死んでも中国は堪えませんが、福岡で150万人が死ぬのは許せません。 すなわち、10倍以上の同害報復力をもつ必要があります。これにはアメリカに期待するのですが、距離という点、日本に核の実戦力がないという点で中国はまず日本に核攻撃をしてくる公算が強いと思います。 ということで、この地域の平和を守るためには、日本が核武装とMDを並行してやる必要があると思います。 別宮 |
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date 2007/3/3(土)10:11 ロックさま 総理靖国参拝反対の理由は多々あるのですが、@中韓遠慮A祭神不適格者を祭祀対象B特定宗教への傾斜と3通りほど分類可能と思います。 また、国民のものだから戦死者墓地というのはおそらく、靖国神社が神道形式であり、国民全ての宗教を満たしていないという意味でしょう。ですが、あのような広大な場所が国民のものではないというのまたヘンな話です。 ロンドンのウェストミンスター・アビーは、あらゆる国家的行事が行なわれ、第二次大戦のバトルオブブリテンによる戦死者の遺骨一体と慰霊碑があります。ですが、所有者と運営者はイギリス国教会(主宰者はアークビショップオブカンタベリー)です。もちろん、カトリックや仏教徒の入場・参拝を拒みません。 現在の靖国神社も仏僧や神父の祈願、祭祀を問題なく受け入れています。そして「墓地」ということですが、日本人の伝統意識で「汚れ」を嫌う風習があり、遺骨参拝に納得できない人も多いと思います。そういったことで、建屋が神道形式であったり、運営者が神職であったりするのは、継続性からやむを得ないのでは? ただ、私も遺族ですがあえていえば、お参りする場所が社前だけというのはいささか味気ないですね。やはり、多数を受け入れている場所ということで椅子のあるホール形式がいいのでは?最近になり靖国神社も参集殿をつくっていますから、改善されつつあるのですが、思い切ってこちらの方を主力にしたらどうなのかと思います。できれば、あの醜い武道館を取り壊し、代替施設として、たまにはロックバンドを呼ぶのもいいと思います。東京最大の木造建築を目指せと。 また、不適格者は確かにいます。例えば、三国同盟推進外交官、松岡、白鳥は獄死したに過ぎません。おそらく、東京裁判を認めず、アメリカによる行政罰にすぎないという見方ですが、それならば空襲による死者が祀られていないのはどうしてかとなります。これをやったのは阿南惟幾副官の美山要一ですが、援助行政のドンと呼ばれた男で、中央官庁のどこにでもいる「威張り屋」です。自らの戦時中の統制主義者(社会主義者)としての信念を、他人にも強制したかったんでしょう。認めた松平宮司も平泉澄の門弟で同じ穴のムジナです。 こういった統制主義者の源流は近衛文麿の「英米本位の平和を排す」にみられる河上肇流共産主義です。内容は武力で富者から奪い、自分が満足するという貴族にあるまじき卑しい考えです。でも昨晩もテレ朝が「市場経済のせいで、こんな悲劇が・・・」と叫んでいました。でも市場経済の反対は統制経済ですよね。世の中には自由と競争を自分だけ回避して、甘い汁を吸おうとする人間は常にいますが、そういった人間を賛美・参拝するのは勘弁してくれと思います。 別宮 |
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date 2007/3/3(土)13:07 sai夫様 戦時備蓄なんてのも実際にはほとんど考慮されないでしょうね。 代替材が存在しえないマテリアルというのは考えにくいですよね。 ドイツの溶接工の話は、管理者側がぼんくらだった、でいいんじゃないですかね? |
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date 2007/3/3(土)13:39 sai夫様 ドイツの溶接の話は、役所的統制介入がいかに愚かかと言うことの証左でしょう。 一般に基礎労賃は労働時間が反映されますが、たぶんこれが一番リーズナブルでしょう。これ以外の指標(例えば受注件数、売上高、利益率その他)はインセンティブの部分で評価してあげるのが、やる気を引き起こすためにはいいと思います。 地下資源というのも、実はこのコストが大きく関わります。かつてザイールのルムンバシ(ゲリラが暴れて虐殺をやり、ベルギー軍が介入したコルウェジ近所)の銅鉱山から銅、ニッケル、亜鉛を産して日本に運んでいた日本企業がありましたが、なにせ、鉄道でタンザニア経由ケープタウン港船積み、日立港荷上げです。あまりの間尺の合わなさに悲鳴を上げて撤退しました。 もし日本が資源に関して封鎖を喰らうとすれば、樺太千島即日奪回とか、台湾や朝鮮半島旧宗主国として侵略意図公言とか、ガチで中国と雌雄を決しようとか、リメンバーヒロシマで西海岸やらへ核弾道ミサイル照準とか物騒なことをするならお望みどおり国連制裁決議つきで実施してもらえるはずです。 困ぺい糖 |
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date 2007/3/3(土)14:04 sai夫さま バイオマス原料というのは、要は農産物です。わが国の農政はいまだに集団化です。コルホーズの夢いまだ覚めやらず、でしょう。 SLEEP |
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date 2007/3/4(日)02:47 別宮様 「丸」の書評で、「東京裁判の謎」が絶賛されているのを拝見しました。右も左も、これからはもう少し「国際法」云々も理解してほしいものでございますね。 さて、サヴォイア家ですが、根が小心者ですからどうしようもないです。スペイン継承戦争のときになぜオーストリア側についていたのかといえば、フランスとオーストリアの間を両天秤にかけてコソコソ条件吊り上げを探っていたところ、同盟国(一応)フランスにばれて叩かれた、という、第一次大戦とほぼ同じパターンですから… その後オーストリアにシシリーを取り上げられた恨みか、ポーランド継承戦争ではフランス、スペイン側に立って参戦しましたが、結果はイタリア半島が、ベニスをのぞいてオーストリア一色に…。 そういえば、このときスペイン政府の宰相は豪腕イタリア人アルベローニ(性格的にもレアル・マドリッドのカペッロのような…)だったんですが、ルイ十四世幼少時の仏宰相マザランにせよ、ナポレオンにせよ、イタリア系の人間は政治では自国イタリアの役に立ったためしはないですね。どういうわけか… まぁ、新国連事務総長の潘基文殿も、馬鹿ノムヒョンの言う事に従わず、朝鮮半島のためにならないことをやればやるだけ将来の世界平和のために貢献するわけですから、そんなものなのでしょう。(むしろ、本当にそう行動してくれることを期待しますが…) ときに、トリノ攻防戦のときヴォーバンはトリノの要塞チッタデッラ(英語でも借用してCitadelといいますが)の正面からの攻撃に反対していたところ、ヴァンドーム公だったか、オルレアン公だったかが正面攻撃にこだわった挙句に落とせなかった、という事になっているようです。でも後講釈で誰が正しかったとか言っても仕方ないでしょうね。 ペルソナングラータ |
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date 2007/3/4(日)09:20 ペルソナングラータさま トリノ攻防戦は面白いですね。オーストリア軍の後詰があるとすると、フランス軍は時間がない、ただトリノは首都ですから占領すれば外形的な勝利が確保できますよね。ただ、サボイが期待するのは全部この逆です。 それと愚問かもしれませんが、仏伊国境は地形障害として山岳が期待できます。よくいわれるのですが、フランス側策源地はイタリアよりも標高が高いのでしょうか?いつもイタリア側は駆け下られていますね。これが正しいとするとサボイは首都を枕に徹底抗戦しかなくなります。それより前にフランスに恭順が得策ですが、すると家来になれといわれますよね。 でも、地図をみるとサボイはなぜか年中独立してます。盧武鉉の国など千年属国です。地図で中国と大小といったところで、モンゴル、突厥、女真など全部中国よりは小さいですが、一時は圧倒しました。その意味でサボイによるイタリア統一は、女真族による清建国のようなものでしょうか?でも比較が難ですね。サボイによるイタリア統一はプロイセンによるドイツ統一より無理があったような?サボイはなんか軍事か外交か特異技があるんでしょうか?プロイセンは軍事を除けば何もありません。 エディンバラのバラとかマールボロのボロはドイツ語の"burger"と語源が同じで、城壁都市をいうようです。また、イギリス人は、ラテン語の発音を聞くとロレツが回らなくなるようです。修道院モナストリーが発音できなくてミンスターになってしまいます。ドイツ語のミュンスターもひどいですが・・・。 また英語の綴りは、17〜8世紀の辞書編纂者が適当につくったもので、慣習以外説明できません。とにかくアルファベット26文字全てに無音があるそうです。地名にいたっては"worcester"をウースターと読むには無理がありますよね(明治の食品問屋明治屋は読めたとみえてウスター・ソースに名前を残しますが)。そして"cester"というのは何でもラテン語の「千人隊」(ローマ帝国の駐屯地があった)から由来するようです。ところが"shire"というのも同じラテン語由来のようです。ところが今ではウースターシャーなどとつなげてしまいます。もうちょっとラテン語勉強しろよという気がします(他人のことはいえないが)。 "citadel"が固有名詞からとは初めて知りました。この言葉は海軍愛好家によく知られていて、機関部などを装甲で囲った部分を指すようです。鎮遠、定遠の時代ですけれども。なんか作戦名でもありましたね。 別宮 |
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date 2007/3/4(日)09:39 別宮様 ペルソナングラータ様 割って入ってすみません。穿間突撃ばかりですが、最近。 Citadelについて言語素人でつらつら考えたのですが、恒常的に人がいて活動している部分や場所を囲む、という意味なんじゃないかと思います。ですから19世紀戦闘艦のシタデルとは艦のバイタルパートを囲んでいるものという意味なんでしょう。 以上一線だけ抜いてお粗末。 「歩兵の対戦車の基本は逃げて逃げて逃げまくって、いじめていじめてイジメまくること」至言だなあ。 困ぺい糖 |
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date 2007/3/5(月)00:42 別宮さま お返事、ありがとうございます。さて続いての疑問は週刊新潮についてです。 この週刊新潮を読んでいて最初に疑問に思ったときは皇太子妃殿下のご出産直前に「お生まれになるのは男子」 わたしは「?…!?」と言葉にならない疑問を感じました。 で、今週号の特集記事4ページは福山隆元陸将の『「中国」は密かに「日本の核武装」を望んでいる』です。 私は、自衛隊の情報畑での経験をもとに「中国の深謀」について、情報を集め、検討を重ねていった。 という記事なのですが、兵頭師から仕入れた情報・「自衛隊は佐官級以上は少しでも反米色を持っている者は上に 黒田 謹言 |
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date 2007/3/5(月)04:10 別宮様、困ぺい糖様 軍艦のCitadelは、たぶん軍艦の中で、さらに装甲(≒城壁)に囲まれている場所、というぐらいの連想なのでしょうね。イタリアで近代的要塞の代名詞になってるのがCittadellaなのですが、Citta'(=City)の縮小形で、「小さな町」というのがもともとの意味で、城壁都市に慣れたイタリア人にとって、町のはずれにもう一個城壁を作って囲んだもの(=City)をわざわざ作るというというのがよほど違和感があったのでしょうね。ほかにピエモンテ州内のアレッサンドリア(かのマレンゴ古戦場の近くの町)にももう一個チッタデッラ要塞というのがありますが、このふたつぐらいが、チッタデッラという名前になってます。近代的な意味での保塁要塞が、イタリアにはこの二つぐらいしかないんですが、イタリアにほとんど存在しないものが、英仏語で借用されているのは面白いものです。 サヴォイ家がほかのイタリア大名と比べて違ったのは、軍事的に一応「近代化」をちゃんと理解していた点と、イタリア唯一の「王様」という称号でしょうか。サルジニアなんてただの田舎の島ですが、それでも「王」ですから。(話は脱線しますが、サルデニア人の知り合いがお土産に「島の男の必需品なのよ」と小型折りたたみナイフをくれたときはビビリました… あの島では、羊飼いがこれで自分の家の羊の耳を切ってマークしたり、誘拐犯が人質の耳を切って送りつけたり…、こういう島です。) 伊仏共通国境は、第二次大戦終戦後にもいくらかの山の山頂のあたりの領土(本当の寸土程度)が変更されていますから、結構死活問題になるぐらいの問題なのでしょう。でもトリノは盆地の底で、フランス側は高地が続いてますから、ハンニバルじゃないですが、フランス側から攻めたほうが見晴らしも気分もよかったことでしょうね。 自称ラテン系とはいえ、フランス語もひどいですから、発音とつづりはどうしようもないですね。中国語の四声ほど難解ではありませんが、ワイン(Vin)のアンの発音とモンブランのアンの発音は別だ、とか、目くじらを立てて講釈されますし… まぁ、ラテン語お膝元のはずのイタリアでも、フィレンツェ人は「カキクケコ」が発音できず、「ハヒフヘホ」になりますから(コカコーラがホハホーラ…)、全欧どこも似たり寄ったりかも知れません。 ペルソナングラータ |
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date 2007/3/5(月)07:58 黒田さま 誤解を恐れずいいますが、武官とはあまり外政についての理解は乏しいのでは?とりわけ、士官学校出身者は外交そのものを理解できないのではないか、と思うときがあります。 日露戦争でも、小村・伊藤と比べれば、桂・山本(権)の見識は明らかに落ちます。一つには、桂にせよ山本にせよ外交官と話すことは稀であって、会って話すのは同業者です。軍事学というのは自然科学的な面がありますが、軍人も自然科学者が犯しやすい誤り、「できることと『やるべきこと』は違う」を理解しないことがあります。つまり外交が主であって、軍事が従であることを理解できないんですね。 中国(政府)は「日本の核武装」を望んでいません。理由ははっきりしていて、中国の外交官は違うことをいっています。これで十分であって、「真意」「深謀」は個人はともかく政府では関係がありません。公式見解が全てです。 もちろん、軍人は親英米だろうが、大アジア主義だろうが、反中であろうが、個人の信条に構わず、いったん国家の危急があれば全力を尽くすべきです。井上成美流の「政治に翻弄されて軍人は死ぬるか?」などは根底的な誤りです。 別宮 |
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date 2007/3/5(月)08:57 ペルソナングラータさま そういえば、ロンドンにもシティがあって、国王不入権をもち市長も別にいます。そして4大銀行の本店があり、バンクオブイングランドの行政指導で外国銀行の本部となるべき支店もここに置けと規制されています。こういった地域規制は日本では理解しにくいですが、シカゴのラサール街というのもあります。 当然、ビジネスの中心もシティだろうと思ったら、全く違い、セントジェームススクエアーとかペルメルとかいわれました。どうもロンドンのシティも街の中の異質の場所ということらしいです。 第一次大戦ではドイツ人も、角面堡(戦線が90度折れ曲がっている場合、突起部になるので強化地点をつくる)中央に置く大隊本部などを、Citadelと読んでいます。でもけっこう建築物の各部名称についてはイタリア語系が多いですよね。学校で習ったラテン語を試したいのでは? サボイは初め侯国で、そのあと大公国になり、サルディニアを手に入れて王国というのは出世魚みたいですね。サルディニアに別荘をもつイギリス人はチラホラいますが、羊飼いの話は厳しいですね。イギリスも人口より羊の方が多いですが、羊の管理は犬がやっているようで、人間の姿はあまりみません。 ハンニバルからカポレットーまで、アルプスから駆け下りる外国人からイタリア半島防衛は難しいですね。けっきょく、ソルフェリーノのように、いったん平野におびき寄せ、野戦で勝負するのでしょうか?カポレットー敗戦のあと、ピアブに防衛線を引けたのは奇跡だという人があります。カドルナは部分的に洪水作戦をやったとも書かれています。でも、独墺軍もリフィットする必要がありますね。 もっとも支那事変の1938年、湯恩伯に黄河溢水作戦をやられ、土肥原兵団が中洲のようなところで孤立というのがあります。でも洪水で80万人の民間人が死亡したといわれますから(誇大ではないと思います)、ディフェンシブもいろいろありますね。 別宮 |
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date 2007/3/5(月)19:17 別宮様 「政治に翻弄されて軍人は死ぬるか?」はずっと疑問に思っていた事です |
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date 2007/3/5(月)20:10 ペルソナングラータ様,困ぺい糖様,クルスク大戦車戦のドイツ側作戦呼称である ありがとうございます。 「ドーラ」を平壌に向けてブッ放せ!(笑),渡来静 |
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date 2007/3/5(月)20:28 平仮名で/あへんと書けば/変だなぁ …と,くだらない川柳で始めてしまいました,渡来静です。 まず。 別宮様,「阿片戦争」,拝読しました。 とても面白かった。 ただ,僭越 さて。 阿片戦争の話です。 ペリーの恫喝的行為に関しては,ちょっとだけ肩を持つ え〜っと,この頃になると,和戦は君主の大権とは言いながらも英国では議会がその権限 で,わたしは,何を言いたいのか。 これら3点について,みなさまの御意見をお聞かせくださいませ。 お願いします。 |
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date 2007/3/5(月)20:30 これが一番リーズナブルでしょう。 そうです,そうですとも,困ぺい糖様。 だから「残業代ゼロ法案」には反対! |
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date 2007/3/5(月)22:32 渡来静様 当時の英国において問題になったのは、ジンによるアルコール依存だったようです。むしろ、阿片は一般薬局で売られていたそうです。といいますか、この手の薬物についてはシャーロック=ホームズのコカイン愛用含めて結構常用されていたのでは? いわゆるアヘンチンキと言う奴で、あとは粉末もよく出ていました。鎮痛、咳止め、とかですが、ダウン系の薬剤ですから、神経麻痺、つまり沈静安定と言う用途でも多用され、こういうときは粉を飲み物に入れて服用したようです。 ただし、水キセル、煙草と同じ灰を使いまわして中毒者続出と言うのは中国だけだったのではないかと。 ちなみに、鎮痛と言うのは近代医学においては実に大きなテーマだったと思います。よく負傷兵に吸い差しタバコをやるというのがありますが、ニコチンの鎮痛作用に期待してのものです。私は日頃吸わないんですが、捻挫を思いっきりこじらして動けなくなったさい、部屋で壁にもたれてたまたまあったマイルドに火をつけて思いっきり吸い込みました。いやあ、桃源郷、ぢゃないや、落ち着きましたね。後で家の人にこっぴどく怒られたけど。 困ぺい糖 |
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date 2007/3/5(月)23:44 渡来さま 阿片戦争について、グラドストンの演説は有名で、一応既往の訳と原文の対照をつけました。これまでの訳者の大半は東洋学者かマル歴で、正確に訳出してないんですね。ファイルで『阿片に適切な消費は・・・』(http://ww1.m78.com/sinojapanesewar/sinojapanese%20war.html)に移ってください。 要点をいうと、阿片に限らずあらゆる商品の輸入を輸入国は一方的に禁止できます(国際法です。ですから中国がこれを可能とするならば国際法秩序を認めねばなりません)。ただ、これと「どのように禁止するか」は別問題です。これは全用主義"Holism"から国際法を理解せねばならない点であって、輸入禁止可能すなわち外国商人襲撃可能にはなりません。林則徐の問題は、現代中国人もよくやる違反行為(例えば瀋陽領事館事件)で、国際法の一節で可能であっても、それの実行は、2国間条約、国内法、慣習にしたがわねばならないことがわかっていないんですね。 林の無法な点は、広東(広州)にあったイギリス商館を襲撃し商人を監禁・恐喝して、公海上にある商船にあった阿片を陸揚げし、滅失したことです。これは外国人の外国にある私有財産を略奪する行為ですから、国家による海賊行為にほかなりません。この場合は私掠船の許可状の発行と相手国への通知、紛争終了時の略奪品を保険などによって担保する必要があります。そして、同じく阿片輸入禁止の日本はどうやっていたかを調べれば、正しい輸入禁止の方法はわかります。明治日本は、精製阿片(当時モルヒネやヘロインの発明前)を医者の処方が必要な医薬品と指定して、流通業者に医者への販売、医者の在庫管理義務を課しました。そして、戦前は阿片売人などの規制は薬事法で行なわれていたのです。ですから麻薬取締り法の管轄は今でも厚生労働省なのです。日本では「おのれ官僚、されど官僚です」。 つまり、中国も阿片輸入を阻止したくば、流通業者・売人を取り締まればいいのです。阿片を公然と買い付けることを国内法で禁止すれば、イギリス商人も阿片を中国にに持ち込まなくなります(日本にたいして持ち込まなかったように)。ところが、中国の役人は腐敗していましたし、国内生産の阿片は輸入より多く、1880年代に入るとアメリカ向け輸出数量は、インドからの輸入を上回りました。また三合会などのヤクザ組織の強さは日本の比ではありません。日本の台湾統治で一番苦労したのがこれです。 グラドストンは阿片愛好者で阿片追放の観点から演説したのではなく、"Holism"を誤解したのと、ピール主義者(保守党左派)であったため、自由党ラジカルのパーマストンを嫌ったんでしょうね。当時、ラジカル・ホイッグ・ピール主義者の三派内閣で、保守党(トーリー)に対抗していました。それで数で拮抗したんですね。日本の現在の民主党と違って、当時の自由党ラジカルというのは、自由貿易のためであれば、戦争を厭わず、命をかけてという主義でした。「板垣死すとも自由は死なず」というヤツでしょう。フィルモアもこれがため、日本に軍事的冒険を覚悟して自由貿易を迫ったんでしょう。漂流者であれば、オランダを仲介にして長崎で話せばいいのではないでしょうか?それに幕府は長崎における外交を拒否したように思えません。イギリスの阿片戦争における要求は広東における領事館の設立です。アメリカ人は江戸に領事館を欲しがったんです。多少は攘夷浪人に襲撃されてもしょうがないんじゃないでしょうか?ところでハリスも阿片愛好者です。 別宮 |
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date 2007/3/6(火)01:36 渡来様 2日前ほどに、テレビでミヤコ蝶々の伝記をやってましたが、彼女も終戦直後にヒロポン中毒で相当に苦しんだという事でした。あのころは覚醒剤を薬局で売ってたんですね。今はヤクザが薬屋さんですが… カクテルは、もともと不味いジンをいかに美味しくのめるか、という事で先人が苦労して作り出したもののようですし、手ごろに酔っ払うのも大変ですね。第三のビールの酒税もこれ見よがしに勝手に上げられてしまいますし。 ペルソナングラータ おまけの雑感 |
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date 2007/3/6(火)02:29 別宮様 ながながとお引止めしてしまい申し訳ありません。 イタリアの古戦場、ローマ時代からたいてい同じ様なところばかりですね。スティリコが西ゴート族を破ったのもヴェローナ近郊ですが、クストザもヴェローナの近郊ですし、他方で、東方の要衝アクイレイアはイソンゾの河口の町です。 サヴォイア家ですが、昔の田舎侯爵だったころのほうが、ジュネーブやレマン湖のシオン城、ミネラルウォーターで有名なエビアン等々、結構おいしい領地を持ってた感じもします。ミルトンやらバイロンに、さんざん拷問とか虐殺とか、残虐性を詩に歌われてしまいましたけど… 今の当主が売春賭博場経営の容疑でつかまってしまって、もとの木阿弥です。(ベルギー王家の血も引いてるんですから、しっかりしてほしいものです…) 名前をど忘れしてしまいましたが、ナントカ荘(確か児台庄とか?)の戦いとやらで、中国は勝手に日本軍2万人を殺して大勝利した、という事にしているらしいとか… 日欧ではさすがにとんでもないネタは出来ませんし、作戦とはいえ自国民と財産にあまりひどいことをするとすぐに更迭されるでしょうね。逆の意味、中国に行ってしまえば歴史小説の主人公のような事ができますから、これではやめられなくなるでしょうね。まぁ、シシリーでのパットンも古代気取りでえらく嬉しそうですが…(←実は映画で得た感想…) 世界同時株安、震源地であるはずの上海マーケットについて、「中国の株式市場はほとんどの企業が国営だから安全だ」とか言ってるおじさんのインタビューを放送していました。(経済オンチの私には意味が理解できません。幸せな事に…。) これもやめられなくなるシロモノでしょうか… ペルソナングラータ |
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date 2007/3/6(火)08:32 ペルソナングラータさま ヨーロッパの古城には、大概、拷問道具が展示してあります。イギリス人に聞くと、「イギリスにあるのは良民に悪い事をすれば、こうされると教えるものだ。イタリアあたりではじっさいに使うらしいが」といってました。バイロンも大英帝国絶頂期でしたから、調子にのったんでしょうね。それまで、若い頃のローマ旅行を生涯の自慢としていたのが、全世界に変わりましたから。サボイ家も拷問やったんでしょうか。ムッソリーニ追い落としのときでも小心ですよね。昔のイタリアでは、けっこう敵将の死骸を玄関に飾って喜んだといいますが、これは洋の東西ありますね。 台児荘の戦闘というのはよくわからないんですよ。徐州作戦の一部ですが、係っている日本の軍人は磯谷廉介以下、だいたい大アジア主義者です。この人たちは中国人の民度で戦争をやろうとします。つまり、負けても「大勝利」と中央に報告します。そして味方は少数で、大軍を打ち破ったと・・・。 磯谷の第10師団のうち、63R・10Rが台児荘を攻撃(39Rは周辺で予備か?)したものですが、相手は李宗仁指揮の2500、装備の悪い軍閥軍です。日本の2個連隊はおよそ1万8000あったと思います。これは負けるわけがないのですが、台児荘の一端にとりついてすぐ撤退しています。ただ、損害は膨大で戦死1100、負傷者3900を出しています。これを蒋介石は日本軍戦死2万といって武漢3鎮で提灯行列をやったわけです。 なぜこのようなことになったかといえば、李宗仁の弱い部隊を囮にして周囲に湯恩伯の中央軍を取り囲ませたためだと思います。つまり、日本軍は凹地に飛び込んでしまったんですね。上にある消えた大隊と同じケースで、磯谷が戦が下手ということでしょう。ただ、そのあと栄転してますけれども・・・。また湯恩伯は国府軍随一の名将でしょう。戦後になって「負けていない」という10D関係者が多いですが、やはり負けていると思います。たいしたことはありませんが。 上海株式市場の上場株が「国営企業」は事実です。だいたいは日本の東急や日立がやっている子会社上場方式です。中国人は日本人の悪いところをよって真似するんですね。そして親会社の国営企業は過半数を握って上場しますから、株価操縦・インサイダー・人事介入やりたい放題であって、株式会社とはいえない代物です。中国人はバクチの玉とおもってやっているんですね。開所以来15年、単純平均が下がっていますから、全員損しています。韓国株式もそうですが、後進国株式投資が儲かるとは限りませよね。 別宮 |
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date 2007/3/6(火)08:47 ロックさま 井上成美、山本五十六、米内光政の共通点は、海軍人以外の日本人がバカにみえて仕方がなく、日本人も大日本帝国も欧米に比べて100年遅れていると信じこんでいるんですね。そして狭い、資源のない小国で、独創力はなく真似ばかりで、身体は小さく、全てに劣っていると・・・。でもこれは昭和40年代まで多くの日本人が思っていたことでした。 ですから日本人よりもはるかに優れた海軍人は、「生き甲斐」という点で特権をもっていいとみていました。2・26事件で、反乱軍将校が「青年将校を18人も殺していいのですか。国家の脊柱ですぞ」と叫んだようなものでしょう。 そして海軍人は、外交をまったくみず、「戦術的理由」で、劣等感から好戦性を売り物にする東條英機を誑かすことに成功したんだと思います。 別宮 |
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date 2007/3/6(火)12:59 別宮さま 「通産省は自分がキャスティングボードを握った案件で成功した事がない省庁なの」 戦後すぐ自動車メーカーは雨後の竹の子のように乱立していた。それを、「日本の自動車 大型のスーパーコンピューターが主流になるのか、小型のパーソナルコンピューターが主流に 私はこれくらいしか知りませんが、別宮師の経済産業省のお話を拝聴したいですね。 黒田 謹言 |
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date 2007/3/6(火)13:16 渡来さま 言い遅れました。呉三桂のミスのご指摘ありがとうございました。早速修正しました。 また引用のファイルですが、http://ww1.m78.com/sinojapanesewar/opium%20problem.htmlが正しいです。 別宮 |
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date 2007/3/6(火)14:02 困ぺい糖様 煙草には弱い鎮痛作用の他 耐性の無い人には平行感覚喪失というものがあります |
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date 2007/3/6(火)14:37 ペルソナ・ングラータ様、皆様 覚醒剤も医師の指導の下服用すれば急性中毒や依存症に悩まされることはないんだそうです。問題は素人判断のようで、鎮痛剤でも依存症になる人はけっこういるそうです。 ところで第三のビール(および雑酒)ですが、日本の税制はおかしいのではないでしょうか?酒税というのはアルコールの害を考えてのもので、麦から作ろうが雑穀から作ろうが醸造過程をどうしようが関係なく度数比例にすべきだと思うのですが。イタリアおよび諸外国の例をお聞かせ願えれば幸いです。 SLEEP |
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date 2007/3/6(火)20:44 皆様,さっそくの御回答,ありがとうございました。 風邪でダウンした家内に代わりまして,お礼申し上げます。 枕元に本を置いて,と言う ある種のケシが花を咲かせて実を結ぶ,それを俗にケシ坊主と呼びます。 ケシ坊主に 植物から採られたアルカロイド(=窒素を含んだ塩基性化合物)であるモルフィンが くだらない話を長々と失礼しました。 春先は体調管理の難しい季節,皆様,御身体に |
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date 2007/3/6(火)20:46 SLEEP様,度数は無視して,一律に課税したらどうでしょう。 要するに,消費税だけにしてしまえばいいのです。 現首相も,これをやれば,名宰相! 戦争が始まったら,酒税を上げればいい。 こんな考え方は,古すぎるかな。 |
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date 2007/3/6(火)20:49 疲労をポン!ととるから「ヒロポン」…と教わった(←誰から?とは訊かないで この説も,信じていいものやら。 |
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date 2007/3/7(水)08:24 sai夫さま 生阿片の抽出方法はお説の通りです。ただ、とった液体はすぐ茶色を帯び始めます。この段階で、加熱処理したうえで上澄みを除去する必要があり、このさい猛烈な異臭がします。こうしてできたものが、「生阿片」です。これをさらに、蒸留していったん液体分を除いたものが「精製阿片」で、19世紀に販売されていたものはこれです。 この精製課程では、かなりの異臭が出るため、人家が密集しているところだと容易に発見されてしまいます。ですから精製阿片の取締りは、まともな国では簡単です。今、国家保護でなく密造しているのは、コロンビア南部とタイ・ビルマ・中国のゴールデントライアングルくらいでしょう。ただ、少量で販売目的でなければ、ベランダのプランターでも芥子栽培は可能で生阿片抽出も可能です(日本ではこれも禁止ですからご注意を)。 次にモルヒネですが、これは医療用で、まず品質を安定させる必要があり、個人での製造はまず不可能で、つくれても麻酔用に使用するための精度が得られません。そのうえ、反応に個体差があり、注射の部位から量まで、相当の教育をうけなければ、実用になりません。量を誤った場合、死亡することはよく起きます。また気体として軍用にも用いられますが、ロシアで失敗例があるのはご承知の通りです。 最後にヘロインですが、これはドイツの製薬会社バイエルンの商標で、当初は鎮痛剤として広範囲に販売されていました。製法はいったん無水としたモルヒネを、塩酸反応させたもので、それに石灰液などを加えるのが普通です。ご指摘の通りで製造過程はかなり難度が高いですが、昭和40年代まで日本の暴力団が自製した記録があります。ただ、これも猛烈な異臭を伴うので、南アルプスの谷間とか、山間僻地でつくったようです。不純物の少ないものは純白色ですが、普通は茶色・灰色を発色します。 第一次大戦前、日本は医療用・軍用として、モルヒネはドイツから輸入していましたが、参戦とともに途を閉ざされ、国内生産に切り替えました。大阪八尾市近郊で陸海軍省・厚生省共同で芥子畑をつくり、昭和24年くらいまでモルヒネを製造していました。気候にあわせるための品種改良も行なわれ、戦後の暴力団による自製ヘロイン原料はここから流出したともいわれます。 別宮 |
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date 2007/3/7(水)14:30 別宮様、 返答が遅れましてすいません。 betsumiya> 朝日新聞記者は、私の知る範囲で意外と自民党支持者が多いように思いました。 言われてみると、朝日新聞の社説では時々、以前と正反対のものがでますね。 これを考えると現在の日本の新聞には、「中立の看板をはずせ」というよりも「署名記事を増やせ」、「原則署名記事にしろ」というのが改革の最初なのかもしれません。 betsumiya> ところが、あの本多勝一は組合関係者にカンボジア虐殺が本当にあったことを説明するのに苦労しています。 うーむ、そうなんですか。本多勝一氏より上がたくさん居ると言うことなのですね。 med |
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date 2007/3/7(水)14:35 皆様へ、 籠城戦に付いてですが、いろいろとご意見はあるようですが、外からの救援を期待できない籠城戦は無意味かというと、そんなことはないと考えます。 西洋史(?)で、思い当たるところではオスマン軍の攻城戦があります。 攻城側の兵站が未整備の状態・時代では、籠城戦はしばしば、「たっぷりと食料や資材を溜め込んだ籠城側」と「周辺をあさりつくして食糧不足かつ資材もろくに無い攻城側」の戦いになりました。 日本の戦国時代でも、先に挙げた後北条氏の籠城戦例、上杉軍、武田軍に対するものでは何れも救援軍を当てにしない籠城戦ですが、籠城する後北条氏は結構余裕だったようです。 日本の戦国時代で注意すべきは、戦術・戦略能力の格差とその認識と考えます。 後北条氏の小田原城ですが、豊臣軍との戦闘時には総構えの完成により、上杉氏、武田氏との戦い当時の数倍の規模になっていました。大規模の城の包囲にはそれだけ多くの兵員が必要であり、それだけの規模の軍隊を長期にわたって張り付かせることなど出来ないと考えたのでしょう。 端的に言えば豊臣軍の兵站能力は後北条氏の想像を上回っていたわけです。 後北条氏の城ですが、現代の専門家の発掘評価でも高い評価を受けていて、火縄銃にも充分に対応していたと考えます。現実に、豊臣軍も小田原を囲んだ物の手を出せなかった、恐らくは兵力の損耗が引き合わないと推測したわけで、「難攻不落」の城だったものと考えます。 結論として言えば、「外部からの救援の無い籠城戦」が成立するかどうかは、攻撃側の鉄砲や大砲の有無よりも兵站の整備が出来ているかどうかが大きいと考えます。 ちなみに、日本の戦国期の救援を望みがたい籠城戦で、私が理解しがたいのが摂津、荒木氏の謀反とその後の籠城戦です。2年も籠城したのですからそれなりに準備したのでしょうが、そもそも織田軍の内情を知っていたはずの荒木村重が籠城に踏み切った理由がわかりません。 med |