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date 2007/3/20(火)18:48 別宮さま 日本の社会を眺めたとき問題が起きているのはたいてい無責任体質のところじゃないでしょうか。プロ野球はその際たるもので経営者が出身母体の方を向いています。消費者たるファンをないがしろにして、未来などあるはずがないわけですが・・・ 地域密着もさることながら放映権も球団ではなくリーグが管理しなくてはならないでしょう。松坂やイチローのプレイを日本時代、我々は十分に観れたでしょうか?パリーグのプレーオフでサヨナラ負けをくらってうずくまる斉藤を外国人二人が抱えて退場するシーンなど、これを放送せずに何を放送するんだ?というぐらいの名シーンでしたが、観れた人はスカパーとケーブル加入者だけでした。致命的にどうしようもなく商売が下手ですよね。もっとも19時〜21時で5%を切るようなら、どこのTV局も放映権を取らないかもしれません、現在は一試合5千万〜1億円だそうですがそれがン百万になったらどうなるか見ものです。 専門経営者がいない、というのは日本のスポーツ界全般の話でもあります。唯一の例外はJリーグだけです、他はどんぶり勘定をいまだにやってるんじゃないでしょうか。ちなみにアルビレックス新潟がバスケの日本リーグに参加しようとしたのをアホの協会は拒否した(結局bjリーグという新規リーグに参加)んですが、これなんかはアホで無能で役立たずで根性なしでみんな仲良し閉鎖体質のアマスポーツ界を代表する事例じゃないでしょうか。 とにかく一番上を選挙で選んで、いつまでも反対をするやつは全員追放!それぐらいやらないとダメですね。プロ野球のコミッショナーとかやる気がないならさっさと降りればいいのに何かっこつけてんだジジィと思います。 スポーツだとつい筆が荒くなるSLEEP |
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date 2007/3/20(火)21:29 別宮様,『 SAYURI 』というアメリカ映画を試写会で観た祇園の関係者は, 昔の花柳界のことは,現在の大部分の日本人にも,理解しづらいでしょう。 舞妓はぁぁぁん,という映画が数ヶ月後に公開される予定ですが,舞妓と芸者は本来 べつに知らなくてもいいのでしょうか? そんなことはないと…自信は無いのです…思う |
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date 2007/3/20(火)22:02 c−ROM様,国民自由主義者様,わりこみ失礼します。 わたしも,c−ROM様のおっしゃることに賛成します。 しかし,国としても何らかの たとえば,国の代表がそういった学者と公開討論する場を設けては如何でしょう。 昔の しかし,反日団体が,彼らの意とするところに沿って論陣をはる学者に,資金を与える, 暗い気分になってきますね…。 |
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date 2007/3/20(火)22:18 昨年の3月21日はWBCの決勝戦でした。 みてしまいましたよ。 4時間。 終ったら,ぐったり。 球場に子供を連れて行くのは,考えますね。 子供にはサッカー見物の方がいいでしょう。 でも,あの試合は,面白かった。 だから,途中でやめられなかったのだ。 |
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date 2007/3/20(火)23:04 別宮様 SLEEP様 渡来様 昨日も夜ニュースで1300万円の栄養費(大食いな倅だな、おい。)問題で早大生が謝っていた(親だろ、普通)件を見ていて、まことに気分が悪かったです。 そして、双方合意した契約年棒以外のこの手の釣金やらリベートやらで交渉を有利にしようとする、こんなことを発想するのは大概球団会社その他に雇われた人間です。つまり、自分のクビ以上の責任を勤務先に対して取る必要はありません。オーナー自身が違法性、不法さを認識してやるというのは実は相当な覚悟がいります。 SLEEP様のおっしゃる無責任とはこういったところが原因でしょうね。 ところで、同じ時事ネタで、今般保険会社が金融庁から広範囲に処分を受け、今後保険契約に当たっては重要事項説明義務履行が契約者によって認識されることをもって正当な募集と看做されることになります。これ、今まで不徹底だったんですが、義務履行と言う点のみに限って責任が明確化しただけに今までの外務員の噂に聞く様ようなよからぬ「手法」(義理人情プレゼント=GNP)によってヘンな責任を負うという状況から自由になれると解釈したほうがいいかと考えています。 野球に話をもどすと、球団同士の分離合併もイカンというのはどんなものでしょう?今のセパ球団数というのは、官製(新聞社製?)カルテルそのものじゃないかと思うのですが。 ともあれ、旨いホットドッグとコークのお付きで明るい陽光のもとで観戦、そんな季節もすぐそこなんだなと感じ入ったしだいです。 ソーセージは粗引き、パンは固めにパリッと焼いてケチャップ、カラシは多めだな 困ぺい糖 |
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date 2007/3/20(火)23:19 困ぺい糖さま 渡来さま 芸妓・舞妓は京都(あるいは関西?)の言葉で、関東ですと芸者・半玉です。半玉【はんぎょく】は聞きなれない言葉ですが、芸者一人一時間の、お客払い額を玉代【たまだい】といい、きくときは1本いくらというようです。要は、21歳未満だと玉代が半分ということで、和服も振袖ですよね。芸者は江戸褄が多いのでは? でも、これの経費管理をやっているのは大企業だと(純粋の、つまり企画業務を担当せず、女性秘書管理と暗い仕事担当の)秘書課長でしょう。だいたいホストになったときにそなえて、料亭(レパートリー2〜3軒でしょう)と概ね料金を取り決めているのが普通です。ただ、厄介なのは営業担当課長などが、一応の設定(時間、相手こちら何人、芸者何人、暇つぶしは何、おみやげどうする)をせねばならないことです。とりわけ面倒なのが、車の送迎です。 そして、しきたりが面倒で、お客がきたとき玄関でどう出迎えるか、そのとき、おかみとの打ち合わせとかあります。大概の料亭だと昔の下足番の小屋があって、そこに隠れて待ち構えるというのがあります。でも8人トータル50万円くらいで、個室おフランスと大差ありません。ですが、若いサラリーマンは小唄とか拳拳などできませんよね。そのうえ、芸者のカラオケを聞いても面白くなく、新内、踊りもわかりません。ですから、こういったお座敷芸は廃れてきて、マージャンをやるとか、野球選手・相撲取りを呼んで話をきくというのが多いんじゃないでしょうか。芸者も面子がたりないとき便利です。 芸者の置屋は世襲事業で、各地の見番【けんばん】といわれる同業組合に加入していることが条件で、芸者が置屋の妻になることはあっても、芸者が置屋になる話はあまりききません。それと時代で激変します。30年前の社長であれば、専任芸者がいて、社長が流連【りゅうれん、またはいつづけ】したときの健康情況とか、奥さんに連絡するようなこともしていたようです。でも最近の社長というのは1日の相当部分、葬儀出席でしょう。料亭にいくヒマがありませんし、斜陽の翳は否定できません。芸者の年齢も、10年以上前でほとんど40歳以上でした。若いのがいると、アルバイトみたいなことをいっていましたから、21世紀中葉には化石でしょう。 別宮 |
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date 2007/3/21(水)08:35 国民自由主義者さま 渡来さま 日本の国立大学が一種のギルド社会であり徒弟制度で成り立っているというのは事実ですが、問題を歴史学に絞ります。 昔の話ですが、平野義太郎という学者がいました。祖父は石川島播磨重工業の創業者です。そして普通には、「講座派」歴史学者に分類され中心となった野呂栄太郎と双璧とされます。一高ー東大のあと26歳で助教授になり、フランクフルト大学に留学し、帰国後治安維持法で検挙、そのあと再度コムアカデミー事件で検挙、ところが1940年ごろ「転向」し、戦争賛美を開始し、とりわけ大アジア主義を主張しました。その後、戦争鼓吹を理由に追放されました。ところが、いつのまにか日本共産党に入党、「原水禁国際大会」や「世界平和協議会」に係りました。 そして最近の研究では、この人はドイツ留学中にドイツ共産党に入党しています。これは日本共産党に入ったのと当時は同じでした(コミンテルンは在地主義をとった)。特高は正しく見抜き、また微罪放免にして、「転向」を促し、そして成功するんですね。その頃の文章です。 「日露戦争における日本の勝利は全世界の驚異であったが、日本を知らず、自国について誇大妄想にとりつかれていた中国人にとっては、さらに驚くべき謎であった。強大なロシアがなぜに、小さい日本のために敗られたかは世界各国人の眼に映じたように中国人の眼にも驚異であった」。 これだけ読めば、日本の右系の人もいっていることですね。でも、これは誤りです。李鴻章が西太后にあげた上奏文をみると、かなり正確に日本の勝利を予想しています。さもなくば利に聡い中国人は背後から日本軍を襲い、分け前にあずかろうとするはずです。平野という人は、歴史論文の随所では極めて鋭い分析をしていますが、結論のところが大体誤りです。おそらく事実からではなくイデオロギーから歴史をみようとするドイツ的方法自体が誤っているんでしょう。そしてフランクフルト留学まで、彼の生活は全部国費で賄われています。そして、そのあと「弾圧」であり、御用学者です。 でも平野のような人物は今でもあちこちにいますよね。これにたいし、戦前のように「弾圧」で臨むべきでしょうか?それとも戦後のように、日共入党だけでギルト社会の分け前にあずかれるようにすべきでしょうか?どうも、この中間に道がある気がするのですが・・・。 別宮 |
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date 2007/3/21(水)10:56 みなさま、お久しぶりです。 まだ読んでなかった別宮さまの本をいろいろアマゾンで取り寄せて、読書しています。 日本の明治維新はテロリストが引き起こした?もので、 西郷や大久保からして、テロの大元締めのようなものですし、明治のスタッフはかなり、アルカイダ(というよりはタリバン?)ぽいです。 昭和の軍人達があれほどテロを引き起こしたのは、もしかすると、明治維新のテロの部分を賛美しすぎたからなのでしょうか。 |
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date 2007/3/21(水)11:51 遼馬さま 単純なインフルエンザ罹患者とインフエンザ罹患後タミフル服用者と、異常行動に差がないようですね。非難を覚悟でいえば、異常行動による死者の縁者が、タミフル反対運動をやったことが発起点ですよね。被害者である可能性は否定できませんが、どのような裁定であれ、被害者が「判定」「断罪」に加わってはなりません。埼玉における過失事故による被害者の加害者による厳刑要求は、行き過ぎの気がします。過失は罰しないのが原則を崩していいのかという点から考えるしかなく、そこには被害者以外の見識が入る必要があります。 テロリストですが、政治目的を達成した場合は呼び名が変わり、「革命家」になります。レーニンや毛沢東は、20世紀では最悪の元テロリストですが、やはり革命家です。 朝鮮の安重根やセルビアのアピスは政治目的を達成していません(ですから処刑されました)。もちろん、あとの政権(韓国政権、チトー政権)が、直前の政権(総督府、ユーゴスラビア・カラジョルジェ王朝)を批判するうえで持ち上げているだけです。ですが、これをやるとテロ是認につながり、韓国の異常な暴力の氾濫・ユーゴ内戦などに発展していったという意味です。 高杉晋作らは「志士」と呼びますよね。 別宮 |
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date 2007/3/21(水)13:39 別宮さま インフルエンザは流行すると人口動態表に影響を与えるぐらいに死者がでます。毎年6千人から1万人が死ぬわけです。 インフルエンザの集団予防接種も同じようにマスコミが騒ぎ、日和見した厚生省が中止にしたという経過があります。その結果は悲惨で、例年の大流行を招き、大量に死者がでました。 マスコミとテロ?団体が組んで、日本の行政を狂わせるのは戦前までにして欲しいです。 テロリストに対するご返事、ありがとうございます。 よど号事件の犯人を英雄視する番組とかも、まだまだありますが、日本ではテロが頻発する可能性は低そうです。 質問しついでに、高句麗と今の朝鮮はなんの関係もないと書かれていましたが、高麗は高句麗から名前をとっています。 |
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date 2007/3/21(水)21:27 遼馬さま 中国や韓国は、日本人だけ誤解していますが(あるいは中韓人も)、比較的新しい国です。中国は辛亥革命から、韓国は第二次大戦終了から、それぞれ満州人、日本人から独立しました。 それより以前は独立を失っているくらいですから、大半は着の身着のまま、さすらいながら幸運にも生き延びてきた人々の子孫ばかりです。これは厳しい現実で、胡錦濤の祖先も江沢民の祖先も全く不明のはずです。少なくとも阿片戦争以前に遡ることはないでしょう。これは韓国の盧武鉉も同じだと思います。 ところが、安部晋三や小泉純一郎の祖先は、南北朝くらいは簡単に遡ることができるでしょう。これは、日本だけではないと思います。例えば、チャーチルが無名の税官吏の息子と呼んだヒトラーの祖先は14世紀くらいまで遡り、紋章学者や宮廷詩人を輩出したことがある家系だとされています。つまり、親子関係さえ教会記録などで辿ることができれば、中世までいくことは簡単で、日本でも明治戸籍から過去帳までいけば、祖先は相当に追究できます。でも、中韓には戦乱やルーツが無意味であるためこういった記録はありません。 ですから、中韓は、血統的な意味で国民をつくることは困難です。ですから孫文は宗族をまとめて国族にしようといいました。この宗族とは「張」「毛」「朱」などの姓が一緒であれば、共同意識をもてるので、400しかない宗族をまとめれば、国族ができ民族ができるというわけです。我々からみれば、「落語のオチ」のような話ですが、新興国家が国民意識をもたせるというのは大事業なんですね。 そして、北朝鮮と韓国が現在まで分断されているということは、未だに朝鮮半島の人々は統一されていないことであり、国民が二つあるということです。北朝鮮は国是として高句麗の後継を任じています。これは地理的にも国勢についての伝説からも当然でしょう。そして韓国人が高句麗を自己の祖先の中にみるのも理解できます。でも、現代韓国人の二割は金海【キメ】金氏と自称(要はどこかから族譜を買った)していますから、新羅と任那の王族の子孫です。でも、これをいうには高句麗の王族(彼らは高氏という)があった方がいいですよね。 儒教の祭祀は宗族祖先崇拝ですから、まあまあ合致してます。現在でもイラクから朝鮮半島までユーラシア大陸は部族(=宗族)福祉社会ですから、我々とは縁遠い社会です。 別宮 |
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date 2007/3/22(木)05:02 こんにちは。温暖化問題を心配している「てら」です。 今年の暖冬で、いよいよ地球温暖化を肌で実感するようになってきました。 http://www2.odn.ne.jp/seimei/ |
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date 2007/3/22(木)08:47 sai夫様、別宮様皆様、レスが遅れた事をお詫び申し上げます。 |
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date 2007/3/22(木)14:18 別宮さま ありがとうございます。 日本人はさすがに、国名を大漢国にはしないので、この辺りの精神構造が違うのでしょう。 それと、まったく関係ないし、すごい昔のレスなのですが、騎馬に乗った下馬した歩兵は強いかという問題で、 タミフル薬害を指導している人物は、「週間金曜日」「週間朝日」に連載があり、あの「買ってはいけない」の著者の1人でもあります。 |
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date 2007/3/22(木)15:42 百式様 お疲れ様でございました。私が韓国に行ったころは(大昔ですが)、道路がいたるところガタガタで、バスで少し回るだけでも疲労困憊したのを覚えています。(今はさすがにこんなことは無いでしょうが…) 「京義線が開通すれば欧州と陸続きで往来できる」は、素直に「北朝鮮が消滅すれば欧州と陸続きで往来できる」と言えばいいだけなんですけどね。そもそも、旧ソ連圏はレールの幅が違いますから、結局はそのまま走れません…。韓国では「北朝鮮なくなれ」は、言えないんですかね。それにしても、京釜線、京義線、京元線と、ソウル出発の鉄道路線は全部日本時代の「京城」の京を使ったままですね。 欧州では、ロシアとドイツが共謀して、ポーランド(やその他の旧ソ連の国)をのけ者にしようと、バルト海をわざわざフェリーで鉄道連絡するプランを準備してるそうです。日本も、どうしても鉄道を使いたければ、戦前のように敦賀港からフェリーでウラジオへ航送すればいいだけの話ですね。まぁ、時間の無駄以外の何物でもありませんが。(とはいえ、戦前は欧州へ行く人間は朝鮮経由より、敦賀ウラジオストック経由のほうが多かったはず。そのほうが早いですから。) さて、ローマの空港も、以前は似たようなものでした。機関銃ぶら下げた兵隊をみるのは日本人にはショックですね。 ペルソナングラータ 閑話休題 |
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date 2007/3/22(木)19:29 別宮様 日本国内から足元をすくわれるとは情けない話です。極左も極右もアジア主義つまり儒教による妄想に立脚した代物で、兵頭氏の指摘する「バカ右翼の脳内自慰のアジア開放聖戦妄想」と「マルキストの明治維新以来の侵略の歴史妄想」は同根で同じ穴の狢と思います。その妄想歴史認識も唯物論の衣をまとうと、単純思考のアメリカのプラグマティズムの俗耳に受け入れられるとは忌々しき問題です。 媚中(韓)派かさもなくば民族主義者というアメリカの単純バカの対日認識も失礼極まりないものですが、アメリカの対日認識の責任の一端は日本国内にあるのですね。「太平洋戦争は日本の先制攻撃の侵略だが、シナ事変は蒋介石の侵略に対する正当防衛の反撃である」との矛盾のない筋の通った正論が圧殺されてきた戦後日本の歴史が、日米関係に影を落としシナ系反日団体の付け入る隙を与えてしまっていると思います。中韓にとってはアイデンティティーに係わる重大問題でも、G5諸国には歴史認識問題ごときは僅少な問題で同盟関係に影響は与えないでしょうけど。 私は別宮先生の著書やHPを知るまでは、シナ事変について全く理解していませんでした。アヘン戦争に至っては強盗と二枚舌詐欺外交にたいする英国の正当防衛であったとは眼から鱗でした。 復刻版で見ましたが昭和12年12月発刊の「のらくろ総攻撃」「のらくろ決死隊」には、豚勝将軍に率いられた大国「豚の国」が熊の国から武器を供与されて猛犬国の豚の国駐屯守備隊を先制攻撃して戦争を仕掛け、のらくろの猛犬連隊が渡洋反撃に出てトーチカ帯を突破して追撃の末に敵首都「豚縣城」を陥落させる様が描かれています。当時の市井の人々が中曽根や谷垣より事態を正確に認識していたのに驚きました。 |
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date 2007/3/22(木)20:29 遼馬さま 騎兵は前、スレッドがたっていたように思いますが、どうもそのときの論点で、やったかどうか忘れたのですが、近代騎兵と中世騎兵は分けて考える必要があるでしょう。 中世騎兵は日本の場合は長弓をもっていますね。これだと下馬しても(弓をもたない)歩兵より強いのは当然ですよね。また蒙古襲来絵詞をみると三井某という武士は馬上で長弓を放っています。流鏑馬(こんなのがスポーツで残ってるのは日本だけ)があるのですが、馬格の劣る中世でこのようなことができたのかとも思います。でも絵があるということはできたんで、ものすごい訓練をしたんでしょう。 ヨーロッパ中世は日本とは違い、騎兵はショック戦術にかけていたように思います。ただ百年戦争などでは長弓隊が戦争の帰趨を決めていたので、多分に掃討戦のようなことかもしれません。 一方、近代に入りボルトアクション式小銃が歩兵の武器になると、下馬したカービン銃をもった騎兵は歩兵に勝つのは困難でしょう。むしろ、奇襲にかけ後方・側面から馬蹄にかける方が実際的でしょう。間違えても塹壕にこもった歩兵にやってはいけませんが・・・。それに加え、騎兵は伝令・偵察という任務がありました。こうなると字が読めなければ役に立たず、騎兵は国語・算数も必要でした。そうすると各種マニュアルの理解も早いですから兵士としての実力、あるいは士気があがり、勇気も発揮しやすかったかもしれません。 タミフルですが、昭和20年代後期、ペニシリン副作用説というのが全世界的にでて、費用対応効果も含めて問題になったことがありました。このとき労働党政権(チャーチルも内政では政策を踏襲)の手によって、医師の全員公務員化が計られた時期でもありました。すると結核でもペニシリン使用の規格化(すなわち医師の裁量を認めない)が実施され、大量の病死者が出、また若い優秀な医師は続々とアメリカに流出しました。年寄りのイギリス人は今でもそれを苦々しく語ります。 亀井静香が、競争社会・市場経済の中で弱肉強食の論理がまかり通っていいのか、と叫んでいました。それでは、情実社会、マニュアル化社会・統制経済をやったらどうなるのかと思い、暗澹たる気持ちになりました。ライブドア事件も鹿児島志布志事件と似ていて、亀井のような警察検察官僚が大きい顔をしているのかなあとも思うのですが・・・。 別宮 |
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date 2007/3/22(木)20:45 ワトソン様,のらくろ,復刻版を老父が持っていますので…まだ有るはずだ…私も のらくろ中尉が「悪いのは豚勝将軍なのですから,豚の国とは,これからも仲良く交際 私は父に「どうして猛犬軍は豚の国に駐屯していたの?」と質問すると,父は答えられ 父も,その巻より前のストーリーを知っていれば,よどまずに回答できたはずですが。 |
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date 2007/3/22(木)20:46 百式様,おかえりなさい。 御無事でなによりでした。 簡単な挨拶だけで済ませて帰ります,sai夫 |
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date 2007/3/22(木)23:03 ワトソンさま sai夫さま 上海共同租界への蒋介石の攻撃は、上海停戦協定違反ですが、これの当事者は白川義則と蒋介石でした。当時、蒋介石は国民革命軍総司令官を名乗っていました。でも、白川は蒋を「相手」にしたんですよね。 白川の取った処置は貞明皇后の「おとめらの・・・」の御製で有名ですが、尹奉吉のテロに斃れました。最後の言葉は手術の許可を求める医者への「すっぱり、やってくれ」でした。尹は韓国学校教科書では英雄です。また、桜井忠温が伝記を書いていますが、日露戦争でも活躍しました。立派な大将でした。 一方、張作霖爆殺事件のときの「揉消し」に賛成したと非難されますが、じつは小川平吉から脅されていたのが真相のようです。小川は張作霖から政治資金を受け取っており、それの発覚を恐れ満州浪人を手下にして暗躍したようです。小川の孫が宮澤喜一で河野談話の元凶です。また、この休戦協定の「非武装区域」に2万個のトーチカをつくられたのですが、それを黙認したのは石原莞爾です。その孫弟子が加藤紘一で、河野談話の伏線です。名門のお勉強ができる人はロクな判断ができませんね。 今月の『文藝春秋』4月号の「小倉侍従日記」の中で、戦時中、昭和天皇は「停戦協定区域に『トーチカ』が出来てるのを、陸軍は知らなかった」と発言しています。誠にいたわしいことで、陸軍は天皇にウソの上奏をしていたんですね。まさか2万個に気づかぬはずがない。これも石原の差し金でしょう。これじゃ大敗北を大捷と上奏する中国人を笑えません。それに海軍はミッドウェー敗北をどうも天皇に報告しなかったようですね。東條英機に報告されていなかったことははっきりしていたのですが、天皇にも報告せずでは戦争に勝てるはずがありません。昭和天皇が東條を当初信頼した理由がなんとなくわかってきました。 しかし戦争後70年たって新資料発見というのも、どんなもんでしょうか? 別宮 |
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date 2007/3/23(金)08:25 あげあしとりですいません。 |
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date 2007/3/23(金)13:42 さぶねっとさま この歌(をとめらの ひなまつる日に いくさをば とどめしいさを おもひてにけり) について、独白録が出る前に教えてくださった方がいて、白川大将に直接にということで、貞明皇后がよまれたと聞き及びました。 ですが、独白録から疑いなく昭和天皇の御製です。そのうえ「おもいてにけり」で停戦協定のあとのもの、おそらくテロのあとですね。 以上と関係ありませんが、この本の解説(注)には非常に多くの誤りがあり、半藤氏の見識を疑うところもあり、一読してやめてしまい、この歌については頭に入りませんでした。ご指摘ありがとうございます。 別宮 |
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date 2007/3/24(土)00:41 別宮様 さぶねっと様 昭和天皇独白録は文字通り独白部分のみに注目すればいいかと思います。 たとえば、終戦叛乱のところで「荒畑軍事課長」が森近衛師団長を殺し、近衛兵を宮中に入れたとあります。 本当のところは荒尾興功であり、陸相阿南のポチでしたし、実際の兵力動員計画策定実施では省内まとめ役でした。 ここで、下僚ゆえに陛下もしかとご記憶がなかったとも取れますが、ご発言内容は、主犯名指しも含む重大なものです。 つまり、なぜか、ということから、このクーデタの闇推論も始められるとは思います。 まあ、これは一例ですが。 困ぺい糖 |
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date 2007/3/24(土)07:53 困ぺい糖さま 「荒畑軍事課長」=荒尾は間違いないところですが、誰が陛下のお耳にいれたかという点が問題でしょう。 考えられるのは陸軍省からでしかなく、若松次官(26)吉積軍務局長(26)額田人事局長(29)の3人のいずれかでしょう。このうち回想録を残しているのは額田ですが、どうもそうではなさそうで真相は藪の中です。 別のアプローチで、誰が荒尾として利益を得るかというのがあります。まず、荒尾は「計画」をたてたのは事実ですが、途中で恐くなって何もしなかったんですね。そして、不思議なことにあとになって米軍がささいなことでBC級戦犯訴追をやっています。なんとなくですが、これは陸軍省内部からの「刺し」ではないでしょうか? また、おそらくこの犯罪を実行したグループからでしょうが、「陸軍の下克上」の象徴的な事例のようにあげられます。ですが、戦場における独断専行はともかく、ふだんは陸軍は「上剋下」の社会です。軍人とは星の数を争っています。人事考課上、上司のウケは決定的です。すなわち、この犯罪は大臣が筆頭にたった陸軍省グルミで実行されたとしか思えません。ところが、日本の統帥では陸軍省だけでは、1個師団すら動かせず、また海軍については話もできないということでしょう。 若松、吉積、額田の3人は大臣官邸に4時から、阿南の死の7時半まで、一緒に何事か語り合っていました。そのとき、スケープゴートも含めて話し合われたのでしょう。 別宮 |
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date 2007/3/24(土)09:18 別宮さま モンゴル騎兵も長弓をもっていたようです。中世ヨーロッパの騎士ですが、飛び道具は卑怯と思っていたのか、不思議と弓はもっていない感じはします(厳密に調べていないのでわかりませんが)。 近代騎兵でも、日本やモンゴルのように下馬戦闘を最初から想定していれば、ジープができるまでは武器を歩兵よりいっぱい運べるとか、別宮さまの言われる質の高さなど、有利な面がいくつかはあったと思うので、遭遇戦で優秀な指揮官なら、純粋な歩兵部隊よりも強かった。 亀井静香のような考え方は危険で、さっさと全滅して欲しいですし、検察、警察を含んで、官僚は優先順位がわかっていないです。 タミフル問題は、「司馬遼太郎」の歴史を信じろというレベルです。司馬遼太郎と同じく、ほぼ全部の薬剤に対する理解が変な人の意見を、厚生労働省が信じた。 |
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date 2007/3/24(土)15:09 遼馬さま、別宮さま ヨーロッパの騎兵ですが、(歴史は長いので、もちろん全てをごちゃ混ぜには出来ませんが…)、馬から落ちてしまえばアウトでしょう。あの鎧では、地上では動きが取れません。(その点、日本の鎧は一見「スキ」が多くあるようでも、下馬後の動きの面で理にかなっているのでしょう。) 個人的な感想では、ヨーロッパ騎兵とは「槍で突く」、さしずめ「戦艦の衝角」のようなものでしょうか。欧州では戦闘は基本的に分業制で、まず弓隊が突っ込んでくる騎兵(の馬)を倒し、倒し損なった分は騎兵が待ち受けて突き落としたんでしょう。(攻撃側は逆) 日本のサムライはその点、何でも出来なければいけないから大変ですね。 イタリアのスルモナという田舎町では今でも年に2回、ジオストラ(騎馬トーナメント試合)をやってます。馬で走りながら、小さな輪ッかの中に、槍を通すのを競い合うものです。馬好きの人は、シエナの競馬(パリオ)とセットで、ぜひ。 ランスロットは、日本風に改名すれば「槍(=Lance)男」(「衝く」相手を間違えた、という下ネタは…、やめときましょう) ペルソナングラータ |
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date 2007/3/25(日)08:14 ペルソナングラータ様 別宮様 遼馬様 ハイ、アーサー王伝説ですね。とりあえず私は本邦のアニメやらなんやらは華麗にスルーして語りましょうね。 ヨーロッパ叙事詩としては12世紀以降と比較的新しい部類に属します。この手のものは長い間に何人もの語り部、創作者(吟遊詩人、琵琶法師、劇作家、小説家、映画監督、オペラ作者、漫画家)の手を渡る間にその時々の旬な話題やらが加わって、発酵熟成するものでございます。 ランスロットの説話は不貞がらみですから、後から出てきたんじゃないでしょうかね。そして、派生するガウェインの悲劇と言うのも、ロイヤルティーなるものが一部絡んでいそうですから、これもランスの話と同時くらいにできたのではないでしょうか。 ともかく、高潔にして勇敢なる騎士が、あろうことか不貞で最後裏切りを働くというスジは結構秀逸ですが、予定調和とみるか、人の強さ弱さに着目するか、いかようにもとれるところが長く残った原因でしょう。 ところで欧州における騎兵の運用と言うのは、中世の頃からやはりショックムーブでしょう。近世を見ても、鐙の触れ合わんばかりの密集横列で突進ですから、それ以外の用法は下馬しかありえないのでは?ちなみに騎兵が騎銃、サーベル、槍以外に短銃を下げているのは、決して伊達ではなく、突破時に敵歩兵の頭蓋骨に振り下ろすようにして至近から発射するためです。 困ぺい糖 |
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date 2007/3/25(日)08:33 遼馬さま 騎兵は、割合と資料が残っていて、大体の概況は把握できます。まず、重装騎兵でないと弓には対抗できません。また重装騎兵がランストーナメント、槍試合に登場するのだと思います。ただ、これは数勝負になるのは明らかです。 また、モンゴル騎兵・歩兵は資料が蒙古襲来絵詞以外まったくありません。そして騎兵は機動性がありますから、略奪しながらの移動は簡単です。つまり、定住しながら軍隊を構成できるかが「戦争」のポイントであって、遊牧民騎兵の単純略奪と戦争は違う行為です。 そして、モンゴルの場合、戦闘方法より軍隊の編制が斬新または残酷だったのだと思います。つまり、新しい征服地の男子を次の征服に使用するというのが原則で、これがステップ地帯のオアシス攻略に有効だったのだと思います。ともあれ、モンゴルの部族は数万を超えませんから、モンゴル部族兵はせいぜい数百から千数百が動員の最高限度のはずです。この点でも元寇が参考になり、元寇こそがモンゴル戦闘の最高峰であって、これ以降はまとまった大きな戦争はありません。 つまり、モンゴルの戦闘要領は、占領地からの動員とその使用、遠慮のない殺戮・略奪です。これは統治する意識がなく、動産しか興味を示さないことからきているのではないでしょうか?それ以前も以降も中央アジアでしかみられないやり方です。ロシア人が今のトルキスタン征伐に出て、テケ・トルコマンと戦い、周囲を全部包囲し降伏勧告したことがありました。そのときのテケの答えは「女・子供が欲しければ、我々を全部殺してからにせよ」でした。遊牧民にロマンを感じるのは誤りです。 中世の槍または刀を振るう戦闘は勇壮ですが、流鏑馬と同じでスポーツかどうか判別しがたいものがあります。土台、スポーツとは労働に従事しない余剰人口があって初めて成立するもので、中国・朝鮮・インド・中央アジア・東ヨーロッパにスポーツはなかったのです。 西ヨーロッパの戦闘方法ですが、確かに長弓隊・弩をもつ歩兵隊・槍騎兵・竜騎兵・攻城工兵と古くから分業ですね。日本は長弓をもつ騎兵一人に従者が5・6人ついたようですね。これの原因はわかりませんが、日本は異様に長弓騎兵が多いですよね。それも源平のころから千の単位です。軽い矢竹があったせいか、それと武家は一夫一妻の核家族ですよね。家の子郎党いれても十数人の単位で、連合すれば訓練済兵を集めやすかったのでは?とにかく関東では谷戸ごとに武家が一つですよね。 これにたいし、イギリスではマナーハウスに住む全部で1500家ほどの貴族が平地の土地を独占していましたから、国王は貴族・城市にとにかく長弓兵一人を養成しろと義務を課したようです。この長弓兵のような連中がジェントルマンに発展していきます。西ヨーロッパでは騎兵(貴族)と長弓兵・従者という並列関係があり、戦闘法もそれに影響されたのかもしれません。また、日本における騎兵戦闘法の立ち遅れは馬格も影響したのでは?とにかく平家物語には、「馬が疲れたので、かついだ」と書かれています。 別宮 |
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date 2007/3/25(日)08:53 ペルソナ・ングラータ様、 えーと、私がつっこむ役目なのかもしれませんが、・・・。 以前にも書きましたが、ヨーロッパのプレートメール、チェーンメールの騎士ですが、乗馬戦闘よりも徒歩戦闘の機会の方が多かったようです。 乗馬突撃しかしていなかったというのは誤りでしょう。 med |
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date 2007/3/25(日)09:17 別宮様 皆様 近年に我国でも第二次大戦前後の資料が「発見」される傾向にあるようでして、恐らく関係各者が全員物故しているゆえの「時効」という感覚で公開(例えば「阿南クーデター」の森師団長斬殺が当初から「始末屋」を引き連れた計画殺人であった事)されるのだと思いますが、その類として最近騒がれた、戦後直後の「CIA文書」公開などがありまして、その時は胡乱な話(服部のクーデター話や、児玉のエージェントとして低評価)だと思って聞き流していました。 しかし、刊行された『東京裁判の謎を解く』『大東亜戦争の謎を解く』を見返してみてふと思ったのですが、この怪しい話は米国の第2次大戦後の「グローバルコップ構想」が大きな要因ではないのかと考えました。もともとはCIAの前身たるOSSは戦時情報機関でありその乱脈振りも戦時として考えれば問題無い程度(それでもオーバーロード作戦と同程度の戦果と呼称する「南仏上陸作戦」の宣伝には苦笑を禁じ得ません)ですが、その乱脈振りを平時組織たるCIAがそのまま継承してしまったところが問題を発生させたのだと思います。 その問題点を下の箇条書き部分にしてみるとこうなります。 服部のCIAに話したとされる昭和25年の「クーデター計画」なるものも朝鮮戦争を背景にしたものだと言うのは事実ですが、このときの両者はBの意識で金銭を提供し続けた「CIA担当者」と、Eの状態まで移行していた服部とのかみ合わない会話が記録されたのではないのかと思うと同時に、どうも戦後左右を問わず多かれ少なかれB−Eの関係に陥った「自称米国政府の支援を受けた」人士が大勢いたのではないのかと思うのですが、如何でしょうか。 皆様の御意見・御高判がございましたらまことに幸いと思います。 枯山 |
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date 2007/3/25(日)09:21 別宮様、 基本的に用語の訂正ですが、・・・。 日本の乗馬騎兵が使用していたのは、長弓ではなく「半弓」ですね。結構長いですけど。 また西ヨーロッパの騎士が従者に持たせていたのは「クロスボウ、弩弓」ですね。 イングランドのロングボウは威力があったものの、訓練には最低2年が必要とも言われた物で、国王が養成に苦慮していたのはご指摘の通りです。 逆からみますと、上記の結果として西ヨーロッパのクロスボウ兵はいろいろな点において低く見られていたのに対し、イングランドのロングボウ兵は騎士階級からも一目置かれた存在だったようです。 med |
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date 2007/3/25(日)09:30 皆様へ、 モンゴルの戦法、というのは、特に東ヨーロッパ侵攻の時には、征服民をモンゴル人が指揮したものだったわけですが、基本的に指揮官の質が良かった、というか戦争の方法が違っていたようですね。 モンゴル側は、日本の戦国風に言えば、「野釣り伏せ」や「中入れ」を使用していたみたいです。 対してヨーロッパの騎士というものは、野戦では基本的に正面突撃しか出来ない代物でした。 まあ、ヨーロッパ騎士が負けるのは当然かと。 戦術に柔軟性を持たせるにはローマ風に開口部の大きい、視界の広いヘルメットが良いのだと思います。 med |
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date 2007/3/25(日)09:47 枯山様 終戦クーデタのとき、近衛師団長室に始末屋として航空士官学校の上原重太郎と押し入った水戸通信学校の窪田(戦後は鹿児島で会社役員)は50年頃、叛乱参本組の稲葉正夫にマッカーサーを殺る計画があると言ったと稲葉が語ったといわれます。 この証言は裏がとれませんので、サイトでの公表を躊躇しているのですが、一説では稲葉の吹かしじゃないかとも言われます。 戦後のGHQがこれら旧軍省部や参本軍令の連中を庇護したのは歴史的事実と思います。具体的には大井篤などの述懐などにその多くが読み取れます。そして、多くが竹下のような顕職、あるいは西浦や稲葉のように防衛研究所などでの終身雇用が保証されました。 さて、これが戦後のアメリカの軍、情報部などのトータルな意思に沿ったものなのかどうかは、実はもう少し米側記録などを精査する必要もあろうかと思います。一般的に情報機関が友好国であろうと草の者を置きたがるということは現場サイドでは確かにあろうかとも思います。 アメリカの省庁のトップは結構頻繁に交代しますが、CIA長官というのはかなり猫の目のように入れ替わります。特に911以降のめまぐるしさは特筆モノと言えましょう。 困ぺい糖 |
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date 2007/3/25(日)10:13 ペルソナ・ングラータさま その番組のことはすっかり失念していました、なんでも敦賀〜大阪間新快速開通記念番組ということらしいのですが・・・なんのためにHDDレコーダー買ったんだ俺は。 地震情報を確かめようとNHKをつけたら、亀井がなにやらボソボソ喋ってて大変不愉快になったんですよ。どうもイラクの問題についてらしいが。大丈夫アンタには一生理解できないから、って思ったんですよ。 SLEEP |
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date 2007/3/25(日)11:53 別宮さま、皆様 遊牧民にロマンがあるのを自覚した上で、反論させて頂きます。 遊牧民が動産にしか興味がないというのは、間違いだと思います。司馬遷の書く匈奴の冒頓単于の故事が有名です(むろん伝説かもしれませんが)。 元の時代に中国で文学が栄え、通商路の安全が確保された事で、中央アジアの通商都市や地中海が空前に賑わったという考古学的に間違いのない所見はあります。 もし、モンゴルが破壊しかしなかったのなら、イタリアはどこと貿易していたのでしょうか? マルコポーロがみたものは全て幻だったのでしょうか(実在してないという説もありますが) 遊牧民が他に立てた国家、匈奴、突厥、隋、唐、北宋(指導者は遊牧民の中にいた漢人ですが)、金、遼に比較して、モンゴルだけが大破壊をしたというならば、それなりの根拠がいります。 モンゴル自身がモンゴルを語った同時代史料の集史の日本語訳があります。 わりと文明的でしょうw >そのときのテケの答えは「女・子供が欲しければ、我々を全部殺してからにせよ」でした。 |
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date 2007/3/25(日)18:17 枯山さま 困ぺい糖さま 服部卓のクーデター話は、秦郁彦氏の『昭和史の謎を追う』下に突然出てきており、興味をもってみていました。それと今回のCIA公開文書は関係があるんだと思います。 よくいわれますが、ウィロビーには服部機関と河辺機関があり、自衛隊(警察予備隊)創設にあたり、けっきょく河辺虎四郎と辰巳栄一の線が主力になりました。吉田茂が駐英公使時代、辰巳が駐在武官で仲がよかったためというのが通説です。 通説にしたがえば、自衛隊の主導権を握るため、「戦犯」を含め旧軍関係者から輿望をになっていた服部卓が、吉田=辰巳ラインに暴力をもって対抗しようとしたことは容易に想像できます。また昭和天皇からみれば、服部卓は東條派であって、戦争末では前線に出ていましたから、まだ許せる存在です。つまり、好位置をキープしていたといえます。 ただ生き残りの東條派は、服部・辻しかいません。すると手駒がいませんよね。想像ですが、服部卓は吉田に干され、最後は防研(当時参本戦史課のイメージ、だいたい参謀将校の老後の場所)にいかされています。ここは、稲葉らクーデター日和見組の巣窟です。服部卓が組んだとすればこのグループでしょう。ただ、終戦のときでも形勢傍観を決め込む連中ですから、元々根性がありません。また、秦郁彦氏は米留学のあと防研につとめていますから、この縁で事実を知ったのでしょう。 枯山さまの指摘するドルの威力ですが、これは当然ありますが(もちろん服部卓計画が洩れたのも、服部卓自身がアメリカに金のむしんをしたせいでしょう)、アメリカ人は効果的に使えたでしょうか?というのは、アメリカ会計検査の縛りがあり、費用対効果は計られるはずです。最近でもCIA職員が政府の金より、サウジ王家からの小切手の方が使い勝手がいいとかいっています。クーデターを起せるほどのドルをもっていたか、ひっかかります。むしろこの面で恐いのは、民間人の金ではないでしょうか? これと比較して思い出されるのは、孫文を援助した久原房之助の金です。今の日立・日産の金で中国革命など支援したらとんでもないことになります。服部卓には孫文にみられる「(虚仮だが)不動の信念」「国際性」がなく知性がまさっています。アメリカの投資家もこういった人間には投資しないでしょう。また政友会久原派の三下からスタートしたのが鳩山一郎ですよね。 別宮 |
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date 2007/3/26(月)09:06 med さま 遼馬さま 中世の戦闘ですが、近代と比較すれば寡少な戦闘員で戦っています。イングランドの土地台帳は、ノルマン王征服(1066)のときドゥームズデイブックとして整備され、人口は150万から250万とされます。 ところが重大なことは、既に現在のイングランド(農業の自給・自足達成)の農地の80%が耕されていたことです。現在の人口は4500万人程度ですが、農地の生産性が20倍に上がったことを意味します。ところが産業革命の前の18世紀末でもまだ1000万人程度であって、農地生産性は三圃制による向上ほどしか伸びていません。 かつ、ペストの流行などによって人口の増減は激しく、場合によれば人口の半分以上が死亡することがありました。15世紀でも300万人程度まで減りました。そして、当時の人口の9割が農民であって、動けません。そして1300ほどの貴族が大半の土地名義を占めていました。つまり非農業余剰人口30万人としても、成年男子は7〜8万以下であり、都市人口を除くと万以下になります。つまり、戦闘員は1300の貴族の中の成年と従者くらいしかいません。これでは国家としての戦力になりませんから、動員の面から貴族の誰かをロンドンに住まわせたのは当然のことでした。現在でもロンドンの土地名義の大半は田舎の貴族です。 これの原因は「リカードの罠」と呼ばれるもので、人口は、農業の生産性があがらず土地を全部耕してしまえば、停滞するしか道がなくなり、限界的な人口は絶対的窮乏に襲われます。現在のアフリカで生じている事態です。 そして、遊牧民社会ではもっとこれが激しく現れます。とくに羊の放牧をやると、放牧地は年々減少します。これが、古代・中世における放牧民の「大征服」の原因です。これにロマンを感じるのはご自由です。ですが、マルコ・ポーロが部分的に描く、貴族以外の生活は悲惨の一言ではないでしょうか?元の支配以降、中国の人口は五分の一以下に転落しています。そして北宋の開封、南宋の建康などの絵が残っていますから、それによると、家屋の大半は木造二階家で日本の大正期の建築物によく似ています。現在の中国の家屋はだいたい平屋で日干し煉瓦です。この退歩は驚くべきでしょう。 思うのですが、定住国家が遊牧民に征服されるということが、日本人は余りにも実感が湧かないのではないでしょうか?中世で千数百しか常備軍がない国に、数百の単位で家族の大半を殺害して征服の途に出た強盗団が、征伐した都市住民を矢除けに使いながら万余の数になり、略奪のため都市をさ迷えば、対抗する術は難しくなります。日本には、8世紀の現住建造物が残っている意味を考えねばなりません。また元寇のさいの鎌倉武士団がモンゴル人と高麗人は全員殺戮し、南宋人は奴隷にして南方に売り払ったという差別的措置には根拠があったとみるべきでしょう。 別宮 |
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date 2007/3/26(月)09:53 枯山,別宮様: 枯山様が言及されている「CIA文書」とは,先月末,日本の時事通信等が配信したニュースで触れられていたものと思われますが,同ニュースの元ネタと推測される機密解除CIA文書について,米国国立公文書記録管理局のナチス戦争犯罪と日本帝国政府記録間機関研究委員会(Japanese Imperial Government RecordsInteragency Working Group(IWG))が作成したイントロ本が,PDF文書として,以下の同委員会サイトから閲覧可能です. Researching Japanese War Crimes Records: Introductory Essays 服部卓四郎のクーデーター計画は,同書8章The Intelligence that Wasn't: CIA Name Files, the U.S. Army, and Intelligence Gathering in Occupied Japanの214-5頁で紹介されています.因みに,この件を裏付ける文書の図版が216-7頁に掲載されていますが,原版が劣悪で簡単に読める代物ではありません.当該文書を作成した上記委員会等については,昨年日本の国立公文書館発行『アーカイブズ』第23号(2006)の12頁で概略されています(以下の頁からPDF文書として閲覧可能です). http://www.archives.go.jp/event/acv_23.html 前述のイントロ本作成関係者の結論を斜め読みすると,今回機密解除された文書は既知の戦犯関係情報を補強するものが殆ど(≒重大な新発見情報は無し),という評価に行き着くようです. |
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date 2007/3/26(月)11:50 別宮様、遼馬様、 まず、モンゴル系の戦闘ですが、確かに元寇以降も戦乱続きという感はあります。 遼馬様が指摘された、遊牧民だからと言って全てを略奪し破壊するわけではない、というのはその通りだと思います。 ただ、遊牧民の掟として、背信行為には極めて厳しかったというのも事実でしょう。 問題は、中国、特に南宋が国家としてこの背信行為を行ったとされることです。 この辺り、あやふやな資料も多いのですが、元において旧南宋出身者が「南人」として差別されていたことや、元末の動乱で中国従来の動乱と異なり、所謂「士大夫」層が出てこなかったことから見て、ほぼ正しいのではないかと考えます。 結論として、モンゴルがいたずらに略奪を繰り返したというのは間違った認識と考えますが、中国、特に旧南宋地区をモンゴルが略奪し破壊したのは事実ではないかと考えます。 med |
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date 2007/3/26(月)22:52 別宮様 困ぺい糖様 服部のクーデター計画が、今回の公開資料で昭和26・27年頃ですので丁度朝鮮戦争中でなおかつ、国内では日共が武装闘争路線真っ最中という不穏な情勢を背景にして、完全に再軍備主流から追放処分された上に「終戦クーデター組」と同部屋になった服部が、起死回生を狙って謀議を計る環境と動機は整っていたのですね。 ただ服部が庇護役とはいえ、G2に「クーデター」の無心というのはどういう神経をしているか疑問を抱いてしまいますが、ウィロビー等は万が一に共産革命が勃発した場合の保険として、服部のような旧軍人によるカウンタークーデターの準備作業の感覚で金銭を渡したのかも知れないかとも思ってしまいます。ただ、別宮様がおっしゃるとおり米国の会計検査は厳しいものがあるとは思うのですが、戦時という状況でまた金額単位も河辺機関と同じく1回あたりの支出が、日本円で約350〜550万程度(米ドル換算だと約1万〜1万6千ドル)だとすると、確かに「クーデター」資金にはなりえませんが、反対にこの金額ならば、わざわざ軍や情報部の中央に伺いを立てずに課長クラスの人間が、権限内で支出可能範囲という点が気になってしまいます。 民間資金を革命家に渡すと言うのは、確かに戦前の久原房之助を知ると恐ろしいところがありますが、戦前はまだ個人商店及びオーナー経営者だからこそ出来たのだとは思います。現在心配するとしたら、日本の国力に全く無自覚な人々が、簡単に「円」を後進国政府にほぼ無差別に配ってしまい、その少なくない金額が独裁政権やテロル活動を助長するという全く自覚なく支援しているほうが世界に対する問題としては大きいのではないのかと思います。 枯山 |