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date 2007/6/14(木)19:13 サイトの「支那事変」が大幅に変わったような気がするのですが、 |
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date 2007/6/15(金)08:18 臨界現象さま 変ってはいないんですが、増やしました。何か残しておかないと、現在の中国政府の「歴史見解」がそのまま日本人が鵜呑みにするようなことになるのではないか、と怖れました。 戦後出版された中国近代史の大半は、同時代史料にはあたっていないのではないか、と信じます。 別宮 |
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date 2007/6/15(金)08:27 次郎丸様、皆様 前から、東海道線の在来線を京都から名古屋へ向かうたびに、大垣を出たあたりに渡る川(揖斐川)の左側に明治時代の橋らしきものが見えるので気になっていたのを、お話を伺って思い出しまして、調べてみると、これがどうやら東海道線が開通したときのオリジナルの鉄橋らしいです。 イメージ検査で写真も出てきました。 それにしても、明治の鉄橋は思う以上に丈夫なんですね。天下の東海道線、京都=大阪間でも、桂川とか淀川の鉄橋に、いまだに明治時代の鉄橋が残っていて、今日電車が10分に一本、100キロ以上のスピードで、そ知らぬ顔でわたっていってます。まぁ餘部の鉄橋は、海のすぐそこという立地のわるさで、サビサビでもうあまり持たないでしょうけど。(JRとしては架けかえなどせずに、超ローカル線の山陰線なんかスッパリと廃止しちゃいたいのが本音じゃないですかね。) 東海道線の六郷川の鉄橋は現在明治村に現存していますが、関西の人には、旧花博会場に移設された「初代心斎橋」(明治六年、ドイツ製)もお薦め。大阪市が未来永劫、手抜きせずにちゃんと保存していてくれればいいんですけどね。 それにしても、「六郷川」って聞いたことがない川ですが、どこにあるんでしょうや… ペルソナングラータ 追記 |
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date 2007/6/15(金)08:50 Sai夫様 アンバリッド(廃兵院)には、じつは入った事がありません。(おはずかしながら、昔はそれほどミリタリーしてなかったもので…) 手持ちのパリのガイドには、フォシュの名前などはあるんですが、全員が載っていないもので、よくわかりませんでした。 息子としてのライヒシュタット公の気持ちはわかりますけど、母君、マリー=ルイーズ(マリア=ルイジア)はその当時、愛人のナイペルクとパルマで「失楽園」状態ですし… (メッテルニヒがとめた、と言うのは本当のようですが、日本ならまるで南鳥島に島流しですから、温泉に入ったり海水浴が出来るエルバ島ならともかく、セントエレナ島にはついていきたくはないですネェ…) ナポレオン二世は聡明かつ美男子だったらしく、長生きしていたら歴史が変ったかもしれませんね。美人薄命… 長生き間違いなし |
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date 2007/6/15(金)19:07 別宮さま 国家間に友情は存在せず、利害関係があるのみだという人は多いですよね。また戦争は理想でなく打算だけで行われると。こういった人々を見るとじゃあなんでフランスであんな大勢の外国人が死んだんだ?と聞きたくなります。だいたい加藤紘一や石原莞爾の言うことにどこの国民が従うのかと。 満州問題ですが、つまりポーランド分割方式で良いということでしょうか?たしかにソ連にしても馬賊や国民党のような人殺しどもよりはるかに歓迎できますよね。まあその場合たまの小競り合いぐらいは我慢する必要がでそうですが。 民主党ですが現在の3トップがまずどこかへ消えないといけないでしょうね。だいたいあの三人の言うことはコロコロ変わりすぎでしょう。俺達は仲良しとか言ってるのが気持ち悪くて・・・ SLEEP |
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date 2007/6/15(金)23:52 別宮様 なるほど、そういうことだったのですね。 |
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date 2007/6/16(土)00:04 ペルソナングラータさま 何を隠そう、六郷川とは多摩川の下流でござりまする(ゴホン)。隅田川は荒川のこれも下流でござりまする。東京のオリジナルの川は目黒川(下流は天王洲運河)、妙正寺川・善福寺川(下落合で落合い下流は神田川)で、いずれ劣らぬ「暴れ川」で、名前を変え、上流は知らない顔をするのが建前です。3年前の集中豪雨で妙正寺川があふれ、いまだに環状8号線は四面道で、地下道が片側通行で、毎日砧から渋滞しております(いつんなったら直るんだ、ボケ役人が!)。 さる数十年前、山陰本線の旅を志しましたが、まさか山陰本線が京都から出てるとは知らず、新大阪で山陰本線のホームはどこかときいたら、「ボク知らんがな」といわれました。切符代も払わず、大阪(なんで梅田というんじゃ大阪なのに、と思いつつ)経由、京都に戻ったら、連絡橋が木製だったので、異国情緒を味わいました。しかし、山陰線ほど海がよくみえる長距離鉄道はないのでは?だいたい国鉄は国防というか艦砲射撃を恐れて多少内陸に入ってますが、山陰本線は日露が終わってからでしょうか、いい雰囲気ですよね。ただ、沿線に当時から人がいませんね。 余部鉄橋駄目ですか?でも道路の六郷鉄橋の車線を増やすため、隣にミニ明石大橋みたいのをつくりましたが、二つ並ぶと落ち着き悪いですよ。余部をこわさず、複線化はありえないとふと思ってしまいます。 犬の散歩で遠出するところ、藤沢大鋸にモーガン邸(なんと2エーカーサイト)というのがあって、先日、不審火で燃えがっかり。募金つのっていて千円札いれときました。やっぱり住んでいないと、浮浪者に住み着かれやすいんですね。やはり現住というか、社会に役立ってないと駄目ですね。 別宮 |
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date 2007/6/16(土)02:32 別宮様 六郷川がすなわち多摩川とは思いもよりませんでした。昔出現したアザラシのタマちゃんに「ロクちゃん」とでも名づけていてくれればよかったのですが。(と、自分の無知を棚に上げる…) 山陰本線ですが、景色はいいんですが、汽車がとてつもなく遅いんですよね。この春、餘部鉄橋を見に、朝一番の鈍行で乗り換えをしながら鳥取まで出かけましたが、25年以上前に走っていた「京都発浜田行き」鈍行と時間がほとんど変らなくてあきれました。昔は戦前製の客車(ドアが手動なので、一年に何回か、おバカ学生が落ちて新聞記事になっていた)に、郵便荷物車つき(これが主役)で、大きな駅ごとに荷物下ろしのために数十分とまってまして、浜田(島根県西部)に着くのは深夜… なんと昭和50年代ですらこんな状態でした。 この春行ったときは、城崎から先は二両編成で、お客の8割は餘部観光客でしたから、平素はバス一台でも充分でしょうね。ただ、神戸の震災時のように、山陽線が普通になったときのバイパス線としては残しておかなければならないのでしょう。ただあの時も、一日数本の貨物列車増発が限界だった様子ですが… 今日の技術力を持ってすればその気になれば、もう一度さびないトレッスル橋を再建できると思うんですけどね。エッフェルの作った橋(南仏ガラビ橋等々)は現役ですが、こっちは一日一本しか汽車が来ないから、それこそ架け替えなんかしないでしょうね。 空き家に、不法移民たちが住み着いて占拠篭城無法地帯化、市役所警察等々と大揉めになる、と言う話はイタリー等々でもかなりあるんですが、これから日本も気をつけないといけなくなるかもしれませんね。中国人が居ついたら、最後は香港九龍城状態でしょうか。 艦砲射撃といえば、第一次大戦中の伊海軍はアドリア海側本線のトンネルの中に装甲列車を忍ばせて、敵船舶を発見してはウハウハ打ち合いしていたらしいんですが、それじゃ本物の汽車が走れませんがな… これなら貴重な軍艦を沈めなくてすむ、と言うメリットはありますが。 ペルソナングラータ |
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date 2007/6/16(土)08:21 ロック様 橋桁の剛性ですが、厳密に言えば部材の剛性(鉄骨)であって桁全体の剛性でありません。吊橋もトラス構造も桁全体(即ち接合部)が剛であっては崩落してしまいます。接合部をがちがちに溶接してしまったのでは力学的に抵抗は不可能です。瀬戸大橋などは鉄の塊(列車)が通過する度にたわわにしなりまして、本当に大丈夫か?と自分の命を心配する程です。ただ分解しないようにボルトでホールドしているだけですね。そして横幅の大きな橋(大抵4車線以上)は風洞による共振対策のために吹き抜けを用意します。 近代製鉄では鉄鋼の剛性が増しておりますので、その分薄い板で鉄骨を作れますから自重を削減した分、長いスパンを取る事が可能となりました。 濃尾地震ですが、トラス自体は地震の揺れをものともしません。ですが、橋桁全体が重いと土台(コンクリート)がもたないんですね。結果落っこちてしまうわけです。直下型ならさらに地盤沈下(川底なんて最高の蟻地獄)もありますから、ヨーロッパの技術で対応など、できないのは当然でしょう。 銑鉄、鋳鉄、錬鉄は鉄鋼の成分の違いをいいます。鉄鉱石の酸化鉄をコークス(炭素)で還元して(酸化鉄の酸素はCO2になる)鉄を取り出すのですが、このコークス(炭素)が残留し鉄鋼の強度を落としてしまいます。そこで、さらに高温にした状態で棒でかき混ぜ(練るから錬鉄)とこの炭素を空気中の酸素と反応させ(表面で反応)CO2にして取り除くことができます。ところが反射炉だと空気が鉄を冷やしてしまい、さらに練り不十分で均一とならないなど、マンパワー精錬はかなりハードルの高い代物なんですね。 現在の製鉄はここまでの工程の精度が向上した上、圧延処理と熱処理を同時に行って強度をさらに出します。刀鍛冶の要領ですね。引き離そうとする力を加えると、ぐっと耐えようとする力が生まれて強くなります。温度帯と圧延量の調節が必要ですから、これだけでも大規模化は避けられない訳です。 現在の耐震構造物は全壊に至る前の対策として特定の部位を比較的弱くしてあります。接合部の変形を許す(半壊とはこれを意味し、復旧不可能)ことで全壊を防ぎます。命だけは最低限というわけです。火災も同様で、鉄骨に熱が入ると溶ける前に強度が0(ぶ厚いビニールのようなもの)になってしまいます。そのために1時間もつ、とか1.5時間もつとかを建築基準法で定めております。ですからニューヨークのWTCが崩壊することは消防士ならば教育を受けているはずで、しかし彼らは飛び込んだんですね。 希少な存在となってしまったものを残すことは大切なことです。日本人はモノを残してきたからこそ現在の日本を築くに至ったのであって、日本民族だからではありません。過去をすべてぶち壊してしまった文化大革命は子供が先人たちの経験(成功も失敗も)を知識として得る機会を失ったのです。余部鉄橋は鉄橋のまま架け替ることは可能ですね。 次郎丸 |
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date 2007/6/16(土)09:10 別宮さま テキスト「北清事変」拝読させていただきました。 さて、ここで疑問なのはこの柴中佐殿についてです。 ところで、柴中佐のプロフィールに会津出身とあり驚きました。 乱筆乱文ご容赦ください。 |
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date 2007/6/16(土)09:28 別宮様 ペルソナ・ングラータ様 オリジナル現存には参りました。情報ありがとうございます。さほど遠くないのでカメラ片手にひとっ走りと思っております(え〜と、涼しくなってから・・・)。塗装はともかく、見劣りない立派な橋が100年たって残っているのは驚きですね。個人的には敢えて重厚なタールカラーに塗装をしてほしい所です。 役に立っていないものはダメであります。汚してはならないので使うなという地元のコミュニティーセンターと同じであります。頭を使って工夫して、余部鉄橋も紅葉散策で回収できないでしょうか?沿線の景観整備に地元自治体の協力が必要でしょうが、地方ほどこういった発想に乏しく、これでは落ちぶれるのは当たり前ですね(役人批判に便乗)。ビジネスプランとしてはダメ(ありきたり)でありましょうか? せっかく大阪に来られたのでしたら福知山線で宝塚>有馬温泉と抜けていってもよかったと思います。一日滞在予定は伸びますが。京都>福知山>山陰に抜ける(丹波国=但馬国)が山陰街道なので別宮様の感覚は間違っておりません? 山陰=山陽間を横断することは昔ならさぞ困難だったことでしょう。これが山陰を日干しにしたのでしょうが。JR山陰本線が中国山地縦断を避けているのは明治期に建設が楽なほうをとったのでしょうか。中国山地を縦横に高速が走るなど昔から見れば田中角栄マジックでありましょう。今なら高速で1時間です。 次郎丸 |
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date 2007/6/16(土)09:54 SLEEPさま フランスは、日露戦争の結果、英仏協商に踏み切ったのが現在のフランスともいえます。地上最強の同盟といってもフランスにとり、ロシアは同盟を組む相手としては嫌な存在でした。フランスは露仏同盟を組んだところで、ドイツがフランスを先に攻めてくるのはわかっていました。動員の時間差を解消しようとヨーロッパロシア西部に鉄道敷設させようと借款を与えたのですが、ニコライ二世はシベリア鉄道・東支鉄道に使ってしまいました。 バカバカしいことに、長距離鉄道としては東支鉄道は中国内最古の鉄道です。この鉄道を現代中国人が「中東鉄路」と名前を変えたのは笑わせてくれます。日本の左翼が一生懸命真似するのは、もっと笑います。ですが、当時の日本人がどのように受け止めたのか想像は容易です。 3国干渉をうけて、当時の日本人はドイツとロシアに怒りましたが、フランスには同情したところがあります。タンジール事件のところで、フランスは事実上、「自由」のため軍国主義ドイツと戦争になることを覚悟したといっていいでしょう。エジプトを棄て、ジブラルタル対岸を棄てたのは地中海帝国を諦めたことを意味します。第3共和制は大革命とナポレオンの原理を守ったということで、けっか、1914年と1940年、ドイツ兵の怒涛の攻勢にさらされたということでしょう。 野蛮国の下風にたたないというのは、国家・国民の品格の最低のラインです。 満州を1933年、日ソで交渉するさい、自由な意思で締結された日露協商の線を基礎に話し合うべきだということで、スターリンが一貫して示した、外蒙までということだったら、当然何らかの妥協は可能であったという推定です。元々、ロシア=ソ連が欲しいのは、陸地ではなく海峡です。宗谷・津軽・対馬です。ソ連には陸地は腐るほどあります。また、満州でも朝鮮でも日本のマンパワーでは、統治しきれなかった現実があります。地方官は大体、中国人や朝鮮人でした。そして、中国や朝鮮というのは中央派遣の科挙官僚が地方のトップですが、実態は吏僚によっていいように扱われていたのは実情でした。 戦争によるのは癪ですが、満州・朝鮮はいつかは手放すことになったでしょうね。民主党の3トップは「運」があるんでしょうか?小沢・鳩山は抽象思考ができませんし、菅は抽象思考しかしませんね。時代遅れなんですけれども、本人が気づかないんですね。 別宮 |
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date 2007/6/16(土)12:04 影十字さま 篭城の指揮をとったのは、クロードマクドナルド英公使でした。じつに公平な人で、最大であった自国公使館を他国に解放し、女性を中心に450人がここに住みました。とにかく、文民保護が最優先でしたが、生活は悲惨だったようです。 そして最大の戦闘が起きたのが、アメリカ公使館の壁上と粛親王府でした。粛親王府とは例の川島芳子のパパの家でした。そして戦線別に指揮官がいて、柴は粛親王府戦線司令官でした。アメリカ公使館は対角線上反対側でしたから、互いに知らないは仕方がないでしょう。それと米兵は、ドイツ兵がドイツ公使館の中で戦うという方針(被害を小さくという実利とり)をとったのに比べ、公使館街全部を瞰制させてはいけないという「共通の大義」で戦ったところもありますし、壁上の戦いですから、よく見えますよね。 やっぱり映画は、自国の観客を意識せねばなりませんから仕方がないのでは? 篭城線中には、ご指摘の通りで、兵力寡少と柴のアタッシェという立場(文官扱い)からでしょう。兵力寡少は出羽という現地海軍司令官の判断ミスでしょうね。福島・寺内はあとからきた東郷平八郎としか口をきかないという態度をとりましたから、出羽となんかあったんでしょう。 大砲奪取は出撃ですからスジ悪いですね。ただやる気合がなければ、篭城などできません。ただ、一宿一飯のイタリア軍将兵と共同作戦ができたという点では、柴は一将足りえたのでは?シベリア出兵では大井成元など総司令官になっても、作戦一つまとめきれず、外国軍隊は全員帰っちゃったですよね。ネットでもわかるように、外国人と一緒に仕事ができない日本人というは多いんですよ。 別宮 |
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date 2007/6/16(土)15:35 ペルソナングラータ様,ナポレオン2世の件では,ありがとうございました。 渡来sは,英国の首相達の中では,ロイドジョージが一番好きなのです。 最近の なんで,こんなことを言い出したのか。 それは,現首相のふらつきを見ているから, 新人物往来社が出している別冊歴史読本から,英国王室のロマンス(とスキャンダル) さて,この新刊本の中で,ロイドジョージが栄典売買で金を稼ぎ自由党の金庫を潤して たいそうな質問というわけではないのですが, 何か情報をお持ちの方がいらっしゃったら,御教示くださいませ。 宮●あ●い結婚!の報を聞きビックリ,sai夫 |
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date 2007/6/16(土)16:32 別宮さま なるほど露仏同盟というのは、フランス人にとってコストはでかいわりにリターンはイマイチなものなんですね。三国干渉にしてもフランスに同情的というのは意外でした、当時の日本人には世界(欧州)が見えていたということですよね。 それはそうと戦間期のフランスには疑問が残ります。つまりアメリカ&日本であって、ルール進駐なども大統領自ら両国に赴いて演説するぐらいの覚悟があれば、ああも無残なことにはならなかったのではないのでしょうか。フランスの努力とその後の結果を知るだけにそう思ってしまうのですが、絵空事でしょうか?もっとも日本人にだけは言われたくないとフランス人に怒られそうですね。 ソ連については納得です、なるほど現在の地図を見ても内陸はいいから沿海州はよこせという意図が見えますね。全然関係ありませんが、当時のアメリカには満州を植民地化する意図があったんだ!!と言う人がいてビックリしました。テキサス、ニューメキシコからモンタナ、ワイオミングまで誰も住んでない土地なら腐るほど持ってるぞ?と言っても聞き耳もってくれませんでしたが・・・ あの3トップはなんだかんだで10年以上第一線にいますね、民主党に投票する人というのは馬鹿馬鹿しくなったりしないものなんでしょうか? 早く自民党以外に投票できる政党が欲しいSLEEP |
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date 2007/6/16(土)20:10 次郎丸様 私はどちらかというと建築物の方が専門なのですが 鉄材の技術革新は近代というか現代も凄いと思います ただ役人は信用出来ない というのは根強くあります 私としては使わない物で他に代用のしようがない物を保存をしたいと思うのです |
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date 2007/6/16(土)21:06 sai夫さま ロイド=ジョージはウェールズ人で、ウェールズ語を喋れた唯一のイギリス首相といわれます。ウェールズの首都カーディフのあたりは、かつて炭鉱都市(日本海海戦で連合艦隊が積載した石炭もカーディフ炭です)でしたが、今は多くの日系企業(日本人企業といえない、ソニー××のようなもので、チャーチオブイングランドの大聖堂で斬り合いをやる活劇コンピューターゲームを熱心につくっております)が進出し、けっこうな新興工業地帯になっています。ですが、ロイド=ジョージの選挙区は西側で、純農村です。 ウェールズの宗教(つまり国定宗教)はフリーチャーチ(自由教会)であり、ロイド=ジョージはその熱心な信者です。スコットランドは、ハイランドとロウランドに分かれ、ハイランドはプレズビテリアン(長老派)と呼ばれるもので、ブレア首相はこれじゃないでしょうか。ロイド=ジョージはコンフォーミストと呼ばれる国教派です。ですから、チェンバレンと激烈な対立となったことは容易に想像できると思います。でも、わかりにくいですよね。 ロイド=ジョージが爵位や勲位を「売り」に出したのは事実です。国王にそういった叙勲を相談しなかった始めての首相といわれます。得た金はロイド=ジョージファンドに全部入金し、政治資金としました。これは違法でも何でもありません。叙勲は国王の首相の承認を得て行う「私的行事」で行政ではないようです。ただし、経理は1ペンスまで公明正大なんら隠し事はありません。日本の政治家はバカで「最後の1ペンスまで公開」が自分を守る一番簡単な方法とわからないんですね。公開さえすれば「その時文句いえよ」といえますよね。 爵位となると簡単ではないはずですが、ロイド=ジョージは新聞社のオーナーまで乱発しましたから、多少慈善事業をやっていれば、いいということでしょうか。とにかく、イギリスの爵位は年金なしですから。 また、ロイド=ジョージファンドは、オタワ会議のとき帝国特恵関税に賛成した自由党議員にいっさい選挙費用を出しませんでした。この結果、自由党は3分の1の選挙区にしか候補をたてられず、2大政党の地位から完全に転落しました。 別宮 |
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date 2007/6/16(土)23:02 サラエボで皇太子夫妻が拳銃で撃たれましたが、当時はオープンカーで大通りを行進することについて何も警戒を考えていなかったのでしょうか。ケネディ大統領もオープンカーで走っている時に狙撃されましたが、1914年当時支配地域とはいえ他民族の町ですから安全上オープンカー行進は危険だったと思います。 2年前ウィーンの戦争博物館を見学しました。ウィーン南駅から徒歩で15分くらいのところにある重厚な建物です。もっともウィーンの建物の殆どが重厚ですが。例のオープンカーがそのまま展示されていました。血染めの服も一緒です。オーストリア国民は古いものを大切に保存するのですね。 ブラックハンドの首領、アピスことディミトリエビッチは、写真は1914年頃となっていますが、1877年生まれの彼は当時37歳ほどで写真では50歳代後半に見えます。本当のディミトリエビッチなのかどうか。皇太子夫妻暗殺で戦争になるとは考えていなかったのか、大セルビア復活が実現可能と考えていたのか、オーストリアと戦争になった場合の勝算があったのか、わからないことが多いですね。 ガブリロ・プリンチップも何故皇太子妃まで・・・何を信じて暗殺したのか。解明したい謎が山のようにあります。 |
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date 2007/6/17(日)00:06 SLEEPさま 露仏同盟はアレクサンドル3世が申し込んだもので、フランスは一瞬逡巡してますね。フランスはできればオーストリアと同盟を結びたいところですが、ドイツ人同様「棺桶と同盟してどうする」という問いがこたえたんでしょう。バルカンをめぐって墺露も対立していました。 白ロシアとかモンゴルとか、まったく選択肢がない国以外は、現在でもロシアと同盟結びたいというのは、ムネオとか佐藤優くらいでしょう。国賊としか思えませんけどね。 フランスは1国でドイツに対抗できませんよね。要はイギリスの僕です。ルール進駐のときも、ポアンカレは陸軍に対英作戦立案を命令してますが、フォシュもガムランもご乱心という感じでした。イギリスやアメリカは完全に平和主義に支配されていました。 アメリカについてはその通りでしょう。テキサスなど広大な平地林が広がってますよね。木を伐れば、そのまま農地です。でも、日本の武蔵野というのもなかなかですよね。多摩貯水池から北上すると平地林ですよね。仙台など、青葉城から西は全平野緑です。東北大学というのは、森林の中をチャリンコで走り回らないと、校舎まわれません。そのうえ、農地など増やさずとも収量をあげる方法はいくらでもあります。満州に志願でいったのは長野県・群馬県・栃木県が多いんですが、沖縄・九州・中四国・和歌山に北米や南米、北海道に先にいかれ、慌てたんじゃないでしょうか?それに、藩がない天領のところが多いですね。 出遅れる県はいつも一緒です。その勢いで、アメリカ人満州欲望説が出るんでしょう。ノックスとかビジネスマン出してくるんですよね。 民主党員が、下手に参院選に勝つと、3トップが残って困るといっているようです。マスコミは反対でしょうが、大連立考えた方がいいかもしれません。年金みたいな失政があれば、どこの国でも普通政権もたないですよね。根本は月1万4千円払って、65歳から7万円くれる国民年金は魅力がないという問題です。慌てて、グリーンカードつくるらしいですが、早めにやるべきでした。1万4千円で14万円なら、入る気が大分しますよね。グリーンカードで1日アルバイトも雇用者に義務付ければ、できるんですけれども。 別宮 |
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date 2007/6/17(日)01:30 ルーク・小泉ですか。 http://item.rakuten.co.jp/genkiworld/lw-pcs/ |
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date 2007/6/17(日)08:30 ロック様 転落事故が起き、それでも橋とともに生活がありました。橋の利用の有無にかかわらず人が住んでいる以上は現状保存は難しいでしょう。どこにでもあるありふれた橋ならともかく、文化的価値とはカタログスペックだけで扱うものでは無いですよね。 技術とは所詮必要条件でありまして、しかし、いいモノに出会った時、何故かその心がわかる気がする、そういうもんじゃないですかね。 次郎丸 |
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date 2007/6/17(日)08:42 イタリアのなんたら、という首相だけ私には知名度がありません。 次郎丸 |
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date 2007/6/17(日)08:50 皆様へ、 本日見ると何故か87番が消えていましたのでアップし直して置きます。 日本がアメリカに宣戦布告せず、イギリスのみに対して宣戦布告するというのは、個人的には、ドイツがアメリカに宣戦布告しないという仮定よりも可能性が低いと考えますが、まあ、仮に発生したとしてみましょう。 初期段階が、真珠湾とフィリッピン以外は史実と同様として、第1段階が終了後に日本がどうするか、という話になります。 考えられる日本軍の進撃路としては、 ます、ラバウルからポートモレスビー経由での、あるいはジャワ経由でのオーストラリア上陸ですが、アメリカ軍の妨害が無ければ、取りあえずオーストラリア北部への上陸は可能だと考えます。 ビルマからインド方面はタイから地続きですが、陸路の補給線設定は論外です。 さて、重要なことは、日本軍がどちらの策を取るとしても、本腰を入れない、入れられないだろう、ということです。 日本海軍主力と陸軍の精鋭は、「アメリカからの奇襲開戦」に備えて日本とその近海に待機し続けるだろうからです。 フィリッピン、及びグアムという重要根拠地を放置したまま、日本本土をガラ空きにして主力を南方に送るという度胸が日本海軍首脳に有ったとは思えません。 日本海軍は奇襲開戦を当然としていたわけですが、これは同時に相手も奇襲開戦してくるはずだ、という思考方法でもあります。 日本は、イギリスとだけ開戦したとしても、アメリカがフィリッピン増強の素振りを見せれば、それだけでアメリカとも開戦したでしょう。 フィリッピンが攻略不可能なまでに増強されるのは日本にとっては絶対に認められない話だったわけで、逆に言えば、増強される余裕を与えるべきではないという話になります。 日本が太平洋戦争に踏み切ったのは基本的にアメリカが信用できなかったからです。そしてアメリカと戦うために南方の資源が必要になりました。 最初の結論に戻りますが、私は日本がアメリカと戦わず、イギリスとのみ戦うという話はほぼ有り得ないと考えています。 med |
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date 2007/6/17(日)08:53 MUTI様、他皆様、 本日見ましたら180番が何故か消えていましたので再度アップしておきます。 MUTI様 根源的な問題として、当時のエジプトの価値を考えておく必要があると思います。 一昔前の論説では、ロンメルがエジプトを制圧すればイギリスは大打撃だ、というものが少なくなかったように思います。ですが、これは全く根拠がありません。 当時のエジプトには工場らしい工場はありませんでした。目ぼしい鉱物資源もありません。エジプトが提供していたのは食料と水ぐらいです。人的資源としても基本的に前線の兵員は供出しておらず、若干の後方要員だけでした。 つまりエジプトを失ってもイギリスの戦争遂行能力には全く打撃は無いのです。 一方、ドイツ・イタリアが得る物も政治的権威だけです。 ここに、アメリカが「ナイル川まであるいはスエズまで退いたら」と提言した意味があります。 枢軸軍による北アフリカ戦役ですが、まともに考えると、エジプトに加えてヨルダン・シリア・イラクの西半分ぐらいは取らないと勝利とはいえないでしょう。そして、それぐらいまで進出してもイギリスはイラン・インドからの抵抗を止めなかった可能性が大です。 トルコですが、現在では枢軸側として参戦の可能性は極めて低かったことが判っています。まあ、ヒトラーは期待し続けていたようですが。 さて、リビアからの装甲4個師団での侵攻案ですが、どう考えても、どんなに早くからやってみても、イラクまで行くには兵力不足です。 現実問題としてはこれもとっても大変です。 で、ここでの問題が、部隊の輸送と進撃にも時間がかかるという現実です。 1941年4月の史実のロンメル登場の時には、ドイツ軍の戦力は第5軽装甲師団だけでした。第15装甲師団が前線に揃ったのは5月末です。 1941年4月の時点でドイツ軍の4個装甲師団が揃っていればドイツ軍の進撃は進むと思われるかもしれませんが、これはこれでまた問題があります。 ここら辺を考慮して、私なりに考えたのですが、史実のイギリス軍の第1次攻勢開始直後に、ドイツ軍の第1陣をトブルクに揚陸するのが最善ではないでしょうか。 時間的には1940年末辺りです。 まあ、ここまでがんばってみても、イギリスは中東を根拠地に戦争を継続したでしょうし、アメリカがやってきてアルジェリアに上陸したら帰ってくるしかありませんから、・・・まあ、むなしいですが。 こうしてみると、基本的にリビアの港湾の能力から、装甲4個師団程度が維持の限界というのが問題なのですね。 med |
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date 2007/6/17(日)08:59 みいこさま サラエボ事件では、プリンチップは車のステップに足をのせ、ポイントブランクで二人を射殺しました。車は地元の貴族から借りたもので、公用車ではありませんでした。当時はオープンカーの方が一般的だったようです。また、馬車でもあまり変わりなかったと思います。 問題は、護衛官がおらず、プリンチップが近づいたとき、制止する人間がいなかったことでしょう。でもSPというのは、アメリカを除いては最近の概念です。 オーストリア人は、ハプスブルグ家に愛着がありませんから、観光客を呼ぶため、いろいろ残しているんでしょう。ヨーロッパ人にとっては20世紀を決定した大事件ですから。サラエボも落ち着いてきて大繁盛のようですね。 アピスはハゲだからでしょうか、年とってみえますね。1903年にも王殺しをやり、王妃をも残虐に殺害しました。そのうえ、よその国の皇太子夫妻殺しですから、ふけるのはしょうがないでしょう。セルビアとっては、アピスをサロニカで処刑したことは、唯一の名誉といえます。隣国はまだ安重根ナゾ顕彰してますね。それで歴史認識をいうから笑わせますよね。 この事件に謎はありません。テロリストは女・子供を容赦しないだけです。両方殺せとアピスにいわれてたんでしょう。こんなものにロマンを感じてはいけません。自分の政治信条・宗教信条実現のためであれば、いかなることもやるのがテロリストです。オサマ・ビンラディンもWTCビル内の女・子供など構いませんでした。 政治的信条とは、他のヨーロッパ大国を引きずり込んで、大セルビア帝国を実現させることでした。セルビアがオーストリアに勝てなくとも、オーストリアが単独でロシアに勝てないことは自明です。アピスはニコライ二世の「平和主義」を計算に入れてたんでしょうね。 別宮 |
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date 2007/6/17(日)09:00 次郎丸> イタリアのなんたら、という首相だけ私には知名度がありません。 それなりに有名だと思いますが、・・・。 私としてはイギリスのブレア首相が入っていないことが驚きでした。 med |
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date 2007/6/17(日)09:14 別宮様、 betsumiya> 問題は、護衛官がおらず、プリンチップが近づいたとき、制止する人間がいなかったことでしょう。でもSPというのは、アメリカを除いては最近の概念です。 ここの概念がよく判らないのですが、・・・。すいません。 こちらのサイトでは、食堂を出てきたところにたまたま大公がいたと書かれていますが、予定変更だったために警官隊も少なかった、ということなのでしょうか? med |
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date 2007/6/17(日)09:37 みいこ様 サラエボ事件についての解説は別宮様のお話に尽きますが、テロリストの殺害対象と言うのは実は見境がありません。 本邦の終戦叛乱でも、森近衛師団長を殺戮した下手人どもはたまたま同席した西部軍の白石参謀(森の縁者、畑俊六第2総軍司令官に随行して広島から上京中)もまとめて始末、証拠隠滅の為に二人とも司令部裏のゴミ焼却炉に放り込みました。これは歴とした帝国軍人の犯した犯行です。 ケネディ暗殺の際もテキサス州知事が巻き添えで被弾していますよね。ただこの事件はむしろ6.5mm弾恐るべしというのが私の印象なんですが。 サラエボに関して申し上げるなら、文字通り鉄砲玉、拳銃による至近からの襲撃を方法として選んだことです。これ、爆裂弾投擲と併用して行ったんですが、陽動→標的の混乱→不用意な行動(パレード続行)という意味で、意図したのかしなかったのか、見事に襲撃セオリーに嵌っているかと思います。(もちろんそんなセオリーなんかないという説もあるでしょうが。) そして、テロに関して実はもっとも利益を得るのはこれを差し金、傍観、いずれも実際に手を汚さなかった連中です。特にマスコミ用語の「理論的指導者」とかいう輩が一番悪質です。事後テロ犯を英雄扱いするのはこいつらとその取り巻き、それに付和雷同するジャーナリストです。 9.11でもオウムでも思い出してください。盗人も三分の理を説きまくった「知識人」が溢れかえりましたよね。 困ぺい糖 |
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date 2007/6/17(日)10:03 med様 別宮様 近衛兵の任務が禁中警固、つまり君主などを敵兵の襲撃から守るという意味では、たしかに少しおかしいのですが、当時テロ警備などを軍の任務と認識していたかが分かれ目のような気がします。 どうも、二重帝国の官僚や軍人はこの種の「犯罪」に対するガードが低かったのではないかと思うんですが。 アメリカのSSは財務省直轄で、要人警護の始まりは1901年のマッキンリー暗殺以降の時代になってからです。それまでは偽造通貨やら不正経理やらの経済事犯追跡の部局でした。マンツーマンの警固システムが一般化するのも戦後になってからのようです。 日本でも戦前は文民や民間人の護身用拳銃所有が意外と多かったんです。 困ぺい糖 |
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date 2007/6/17(日)11:05 別宮さま 内容は異なれど実際に影の薄い存在だったのですね。陸戦隊26名に刀槍の義勇兵では仕方ありませんが。 アメリカ兵が城壁を死守した点では映画の通りですね。一方ドイツの防衛方針を見ると「らしい」好対照と思えます。民間人を多く抱え、他方補充の見込みがない篭城戦でどちらが望ましいかは議論が別れると思います。 ところで、映画のアメリカ兵が海兵隊なのはよいとして、日本も主力は水兵の陸戦隊ですよね。たまたまなのか、それとも当時、在外公館の警護は海兵なりが行うという考え方があったのでしょうか。 それにつけてもイタリアの37mm砲持ち込みは何度聞いても凄いの一言です。現在はウィーン条約がありますが、当時のような公館の武装・自力防衛は禁止でしたでしょうか。 影十字 |
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date 2007/6/17(日)11:47 medさま 困ぺい糖さま 困ぺい糖さまご指摘の通りで、マンツーマンの護衛というのは、何時頃生じたのか、戦後でしょう。ヒトラーやムッソリーニはやってますが、これは首相になる前から護衛付でした。孫文や蒋介石は前後左右護衛で、車の屋根にはライフルマンを寝かせていました。ちょっとシカゴのギャング風ですよね。 浜口雄幸暗殺のとき、東京駅南口ではそのような体制はとられたいませんでした。大体、安部政務次官殺害・浜口雄幸殺害・三月事件の背景はみな同じ岩田愛之助ですよね。警察は共産党狩は熱心でも、右系は野放しでした。理由の一つは「右」は組織でなく個人の友情のようなものに頼るので摘発が難しいのでしょう。でも、オウムに毒ガス攻撃やられて、長野県警は写真の現像液を追っていたのですから、組織テロでも難しいのかもしれません。 オーストリア=ハンガリーでは皇帝家にマンツーマンの護衛はまったくありませんでした。フランツ・ヨゼフ帝もウィーンで一人で散歩を楽しみ、道で会った人に普通に話していました。さもなくば、お忍びで女優と逢瀬というのは難しいですよね。 ただ、サラエボとなると別問題です。フェルディナンド皇太子の行啓は「軍事行事」でした。駅頭の写真が残っていますが、儀杖兵は例のローマ兵に似た「とさか」みたいな飾りのついたヘルメットで襟を正して並んでいます。この人たちは「おもちゃの兵隊」さんで、まわりに子供が走り回っても動くなといわれているんじゃないでしょうか?帝国陸軍には、第1種軍装しかなく、兵士に礼服はありません。オーストリアの操典とかどうなっていたんでしょうか?「捧げつつ」といわれたら、身構えて、動きとれませんよね。 サラエボ警察は、「軍事行事」と連絡をうけ、警察官は市内の非番刑事50人ほどを動員しただけです。土台、見物人もあまりおらず、たまたまの歩行者が手をふる程度でした。あまり知られていませんがフェルディナンド皇太子は前日もサラエボに「お忍び」できて、有名な鴨料理とかを食べて演習地宿舎に帰ったようです。つまり我儘で、行動の自由を制約されたくなかったんでしょう。わが国の閣僚もSPがつくと体重が減る人が多いようです。 日本の警察というのは、SP制度ができる前は大臣の自宅の前に交番つくって終りじゃないでしょうか。オーストリアは皇族が多く殺害(自殺も)されましたが、戦前の日本の閣僚殺害も中途半端じゃないですね。本庄日記など読むと、侍従武官長になったあとも「岩田愛之助氏」と面会などと普通に書いてますから、怖くないんでしょうね。 別宮 |
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date 2007/6/17(日)14:30 次郎丸> イタリアのなんたら、という首相だけ私には知名度がありません。 強いて例えれば、ナベツネと堤義明を合体、イタリア化(野球チームをサッカーチームにして、金儲けによりあざとく、女好きでプチ整形、植毛までさせる)して、それが首相になった人物、と言ったところでしょうか。 それにしても、黒駒の人選は酷すぎ… ペルソナングラータ |
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date 2007/6/17(日)15:57 みいこ様、困ぺい糖様 少しだけ、シシィ暗殺の死の話をば。 シシィの暗殺犯ルッケーニにですが、実際、本当は他の要人(フランスの王統継承者オルレアン公)を殺したかったが予定変更されて来なかったので、それなら、と、適当に刺した相手がオーストリア皇妃だった、という事のようですね。その時シシィは同行のハンガリー貴婦人と二人連れだったみたいですし、もちろんSPは居りませんでした。 ルッケーニのことは、たぶん以前にも書き込みしたと思うのですが、彼の座右の銘は「働かざるもの食うべからず」だそうで、「労働者を愛し、金持ちの死を望む」から殺したそうで、最後はルソーを読みながら監獄で自殺したとか… (「死刑にしてくれ」と獅子吼したが、ジュネーブでは刑法上死刑に出来なかったから、ベルトで首をくくったとか)。 現場から逃げたのも、逃走するためじゃなくて「観衆にボコボコにされたくなかった」(数年前に仏大統領暗殺犯カゼリオのときの前例があった)から、だとか言いますし、ただのキ印小心者でしょうね。「労働者のため」に働いてるのに、なんで街頭で彼らにリンチされると自覚していたのやら… 9.11のときは酷かったですね。 テロリストの言質よりも現実を見る習慣をつけないと、最後はお決まりの「犯行は政府自体が仕組んだ」とか「陰謀論」まで出てきますから、こわ〜いですよねぇ。 そういえば、シシィの死はミュージカルにもなってるそうな |
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date 2007/6/17(日)16:32 後年チュブリロビッチが加瀬俊一に、「なにしろ十歩おきくらいに警官が立っていたのですから」と語っているところを見ると、非番の警官50人でアペルキューの要所を固めれば当時としてはオープンカーの警備は十分だったのかもしれませんね。 タンコシッチは入念に暗殺メンバーを選んだのでしょう。入念にというのは、貧しい生まれかつ病弱で洗脳しやすく、またとない暗殺の場面で決して討ち漏らさない、逮捕されても口を割らずやがて獄中で病死するであろういう人選です。オーストリア官憲の追及がよもやブラックハンドにまで達することはなかろうと。指揮官のホイッスルで一斉に塹壕を飛び出していくのとは違い、民間人が通りで皇族を殺すというのは凄まじいエネルギーが必要です。 大いなる野心家アピスは、二重帝国に「かかってこいや、ロシアがついているんだぞ」と挑戦したのでしょう。資料がないので推測ですが、五月クーデターの後イギリスが新しい王室をなかなか承認しなかったのは、バルカン戦争で自信をつけたセルビアがなにかやらかすぞという不安を持ったからかもしれません。 |
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date 2007/6/17(日)16:42 ペルソナ・ングラータ様 横よりわりこみ失礼致します。 ここからは仮説ですが、どうも白昼堂々人前で殺人を犯す行為をなす人物に対して、周囲の人間にとりその人物が「自らの生命を脅かす危険物」として認識するのではないのかと思います。その人物が脅威を保持(拳銃・刀剣・鈍器・鍛えられた五体)している間は、周囲の人物が「回避」を選択しますが、もしその危険対象が脅威を手放したと認識した瞬間に「回避」行動が、将来の安全確保のための「危険物の排除(平たく言えばリンチ)」に瞬時に切り替わるのではないのでしょうか。 枯山 |
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date 2007/6/18(月)09:13 みいこさま 20世紀初頭はまだラジオもなく、演説のためのマイクもありませんでした。メディアの中心は新聞でしたが、宅配制度も普及せず、学生はコーヒーショップに集まって議論してたんですね。 話題の中心は専ら政治でした。日本もテレビが大々的に普及する昭和40年代まではそうで、学生は喫茶店に2〜3時間粘って、くだらない議論をやってたんですね。ですから昔は、テロリストの大半が学生であり、十分な情報が集まりませんから、流行の国家主義・社会主義に染まったんですね。アピスらは、この雰囲気をうまく利用したんでしょう。 またご指摘の通りで、当時のマスコミは「未熟な殺人者」と名づけましたが、これは誤りです。テロリストの大半は25歳以下で健全な思想にたどり着くことがなかった人物群であって、ゴルゴ13のようなプロが実行者として要人暗殺に成功することはまずありません。またテロリストは、一般に生涯信念を変えず、テロ実行はやめますが、テロ賛美または国家主義などの信念をもち続けます。凄まじいエネルギーは間違いありません。 ですから、テロを合理化し独裁を合理化する国家主義・社会主義・宗教原理主義・復古主義がなくなれば、テロはなくなります。また、それら全体主義がいったん成功し、独裁者または独裁政治家が政治権力を握ればテロはなくなります。ただし、一般国民にたいする大量殺人が起きます。国家主義・社会主義・宗教原理主義・復古主義の全部の特徴をもつ北朝鮮が好例でしょう。 アピスの信条は政治権力を握ろうというものではなかったようです。クーデターを成功させたあとも、自ら身を引いています。ミロシェビッチはかつて「我々セルビア人は、あるいは働くことが上手ではないかもしれない。しかし戦うことはできる」と演説し、喝采をあびました。これをきけば、アピスも喝采をおくったんじゃないでしょうか。でも、セルビア人以外にはわかりにくいですよね。 別宮 |
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date 2007/6/18(月)09:46 影十字さま 戦前の日本の在中国公館の警備は領事館警察が原則で、軍隊は、華北が陸軍、華南が海軍が在外公館と日本のもつ重要施設の警備にあたっていました。中国以外では、とりたてて軍隊を置くことはなかったと思います。 華南・華北の分かれは、日本の役人根性からです。また、北京公使館の守備にあたっていた兵士は公使に敬礼することがなかったといわれます。外交官はかえって身の危険を感じていたかもしれません。テロの横行ということもありましたが、敬礼はせずとも、請願にきた中国人学生などを問答無用で右胸を銃剣で刺したということがありました。徴兵でもけっこう日本兵は士気が高いですから、危険は危険でした。 アメリカも海兵隊に在外公館の警備をやらせているのは、軍艦に予備兵力がいてすぐ増派できるということがあったのと、志願制度ということがあったのでしょう。日本は今でも、イラク出兵というと真珠湾をやるかのような議論が横行しますよね。軽い気持ちですぐさま出兵、すぐさま撤兵が、小紛争解決のコツですよね。海兵隊がいれば、これがやりやすいでしょう。動員のため充員召集令状うつのは大変です。 イタリア兵の37ミリ持ち込みは、恐れ入ったですね。これも日本だと「制式」にするかしないかで、殴り合いやってやらないでお終いでしょう。テンション高すぎですよね。中国やイラク、アフガニスタンの在外公館の警備は海上自衛隊が陸戦隊をつくってやるべきです。現地でガードマン雇っていても、逃げちゃったらどうしようもないですよね。ただ、帝国陸軍のケースがありますから、納税者を恐怖に陥らせるとまずいですよね。また納税者も最低のマナーがないと維持できないと思います。門番と違いますからね。 別宮 |
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date 2007/6/18(月)12:25 別宮様 ペルソナングラータ様 次郎丸様 東京に至る川は上流部で高低差が大きく 本来は橋ではありませんが歩行者専用橋として岩淵水門を残すようです |
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date 2007/6/18(月)18:39 枯山様 群集の心理状況について、まったくおっしゃるとおりだと思います。 シシィ暗殺の数年前に起こったサンテ・カゼリオ(こいつもやっぱりイタリア人…)による仏大統領サディ=カルノー暗殺事件が前例としてルッケーニの脳内にあったのはほぼ間違いないと思われるのですが、興味深い事に、お話の渋谷の通り魔事件と同じような状況だったという犯人自身の証言があります。犯人が大統領をナイフで刺殺後、「革命万歳」「無政府主義万歳」と怒鳴りながら馬車の周りを動いている間、護衛たちも観客達も凍りついたように動かなくなっていたものの、ある一瞬、群衆の後ろから「捕まえろ」と声がかかり、その途端、一人の憲兵が我に返ったようにカゼリオに跳びかかってナイフを持った手を締め上げたところ、あとは大人数が襲いかかって、よってたかってのリンチ状態になった、という流れのようですね。 それにしても、19世紀のテロリストはオルシーニからルッケーニまで、とにかくイタリア人ばっかりなんで嫌になります。 ペルソナングラータ |
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date 2007/6/18(月)20:02 「能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」という耳障りのよい言葉に、いったい世界中でどれほど多くのインテリが幻惑されたのでしょう。これが詐欺師のトリックであることに気がつかないほど、インテリを夢中にさせたのでしょうね。空想的平和主義の旧社会党が掲げた名文句「非武装中立」がかっこよく聞こえるのと同様だと思います。 ヨーロッパの町には作家・作曲家・画家が集まって、安いコーヒー代で何時間も議論をする場所があったんですね。ウィーンのカフェみたいに。プリンチップもカフェ(シラーの店?)で学生仲間と議論を戦わせたのかもしれません。 学校の教科書では、セルビアの青年プリンチップがオーストリア皇太子夫妻を暗殺した結果、第一次世界大戦が勃発したという注釈しかなかったので、最初このサイトの文章を読んだ時アピスが第一次世界大戦を画策したかのように感じました。アピスは暗殺の結果戦争になり、マッケンゼンが攻めてきて叩きのめされるとは夢にも考えていなかったのですね。
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date 2007/6/19(火)08:33 みいこさま 毛沢東が「人民食堂」制度を導入しようとしたとき、「能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」とコミューンの理想を、フルシチョフに説いたところ、「気でも狂ったか」といわれたようですね。ただ、ソ連式共産主義は一応、衣食住はほぼ無料で全国民に提供することに成功したんですね。 食糧の内容はパンと牛乳と砂糖だけでした。ソ連の末期、女性はほぼ全員肥満でした。タダならむしゃむしゃ食べますよね。要は、人間は物質だけでは生きられないんですね。東京都が浮浪者を、ただの寝場所と食事を提供する施設を埋立地に用意しても1週間でいなくなるといいます。唯物論・物質主義はインテリの傲慢です。中国の政治家以外の女性はほぼ痩身ですが、ウーロン茶のせいでないことは間違いないでしょう。 日本の愚かしいインテリが、「歴史の現象面だけをみず、背後にある経済的な要因(場合によると階級闘争の進展)をみつめねばならない」というのは詭弁です。事実や書物に裏付けられていない歴史分析とは、(デマ)ドクトリン主義でしょう。 毛沢東の政策は地方政府が「虚偽」の農産物作況を中央に報告し、中央は地方に「農産物が余るので」作付け中止を命令しました。結果は3年続きの大飢饉で3000万人が餓死しました。今のノルマを課せられた中国の地方政府が正確な経済指標を報告するわけもなく、能力もないでしょう。ですがNHKは北京市民の5人に1人、すなわち1世帯に1台自動車をもっていると政府発表のまま報道します。こういったマスコミが、数千万人の死を招くんですね。 マッケンゼンがセルビアに進攻するとき、セルビア政府ではブルガリアの参戦をみて「マケドニアを与えて、宥和策をとるか」「ブルガリアを先制攻撃するか」でもめました。アピスはこのとき大佐でティモク方面軍参謀長をつとめ、熱心に先制攻撃を主張したといわれます。ただ、ニコライ二世に禁止され、実現しませんでした。先制攻撃をやれば、おそらく結果は、現実の歴史よりセルビアに悲惨なものになったでしょう。 アピス・河本大作・オサマビンラディンは似たところがあります。破壊のあと、全てが好転すると楽観していること、体制の中にありながら反王制主義者です。さらに、妙に上司に可愛がられています。アピス=プトニック、河本=村岡、オサマ=ワッハーブ教団神学者です。いずれのケースも上司はそんなヘンな人物ではないのですが・・・。 別宮 |
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date 2007/6/19(火)20:53 別宮様,早速の御教示,ありがとうございました。 お礼を申し上げるのが遅くなって,すみませんでした。 家内が購入した件の本,私も読みました。 面白かった。 エドワード7世の王妃, 私は,英国の美女というと,ネルソン提督とのロマンスで有名なエマ・ハミルトンを |
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date 2007/6/19(火)23:32 ご説明ありがとうございます。 自然科学の場合、頭で考えた理論は実験と観測によって検証しなければなりません。それに反して思想や社会科学の場合は、実験や観測がありませんから、各人がどう信じるかになってしまいます。この場合、冷静で正確な観察力がなければしばしば危険な事態を引き起こすことにつながります。 20世紀はサラエボに始まって、コソボに終わったのかもしれません。ひょっとしたら、まだ20世紀は続いているかもしれません。9.11の時、せっかちなインテリは「21世紀型の戦争」が始まったといいました。 正確な数字は掴みようがありませんが、20世紀に共産主義は推定一億人を殺したといわれています。知能の高いインテリが正しい観察力を失った結果だと思います。 セルビアの一青年がオーストリアの皇太子を暗殺した。その結果第一次世界大戦が起こり、帝国主義が終わりロシアで共産主義政権が樹立された。教科書の教えではまるで、風が吹けば桶屋が儲かるですね。しっかり勉強したいものです。 |
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date 2007/6/20(水)01:05 別宮さま 確かに当時、中国以外で軍隊を置く必要というのは薄いのですね。 日本人が両極端というのはその通りですね。110番をかける、とまでは言い過ぎですが、それくらい気軽に出兵・撤退出来れば支那事変はなかったのでしょう。 日の丸つけた装甲アシモが闊歩する世界を夢想する影十字 |
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date 2007/6/20(水)07:57 皆様へ 私はどうしても明確に処理できないのが テロと抵抗や独立運動です |
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date 2007/6/20(水)09:11 影十字さま 戦前でも、一人日本人が死ぬと大事件で報道されました。ただ、社会面で4段くらいでしょうか。当時も日本の新聞は、政府発表、領事館発表に頼っており、迫力ないんですね。ただ、思想警察の問題はあります。外地だとなんの理由もなく報道差し止めで、情報が入りませんから、多くは社会主義系(いわゆる進歩的文化人)”権威”が解説を書いて、トンチンカンなことをいいました。なんか、政府(外務省)が拡大を怖れるんですね。第3次南京事件典型ではないでしょうか。 そのあとの中村大尉事件でも、外務省は真相隠しに走りました。このあたりは、幣原の問題かもしれません。 怒った建川美次(参本2部長)が、全国キャラバン演説会というのをやって南京政府・張学良批判をやると、国民は大喝采でした。参謀将校が演説会やってはいけないと思いますが、警察・外務省の手が届かないのは軍隊だけでした。建川はそのあとの満州事変・十月事件の黒幕の一人ですから、毒が体にまわりつつありますよね。 でも、昨日もジェトロの役人が出てきて「中国政府は(汚染)輸出農産物について真摯な対応している。輸入業者の問題もあるし・・・」といってました。そんなゴタクより、八百屋や外食屋に野菜の原産地証明をつけさせる方が重要ですよね。ジェトロというのは通産省外郭で「輸入促進」をやっていて、「任地惚れ」になります。今も昔も、日本の役人は大差ありません。外交官が自分の応接する相手と仲良くなったところで、国益には関係ありません。外国に共同軍組んで出かけていって、同盟軍将校に「国威発揚」やったってっしょうがないですよね。この二つは日本人が陥りやすいんですね。 当時の中国におけるテロは、現在のイラクを超えていました。問題は日本人だけ内地雑居権が認められていたことでしょう。ただ、繊維・医薬・食品を除くと、中国にでかけていった人の大半は、「官」関連でした。日本人が3次産業弱いのが問題で、これも今と共通です。銀行・報道・ホテルなど普通植民地やるときの最初の事業が、まったく駄目でした。規制のやりすぎと、兵隊よりカラユキサンの方が進出が早いんですよね。空挺やゲリコマより早いとお手上げでしょう。現在、ロンドンやニューヨークのようなところでも、日本の出先は、現地日本字紙はとりません。ホテルも日航ホテルが日本人団体は入れません、なんかいってますよね。銀行もカリフォリルニア除くと影薄いですよね。 別宮 |
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date 2007/6/20(水)09:30 sai夫さま 森鴎外にオットーという長男いましたね。でも、漢字が凝りすぎのような。昔、東ベルリンにいったとき、森鴎外故居というのにいきましたが、明治のまま残っていました。昔ビル風の採光の関係か中庭があるタイプでした。ただ、その中庭にはゴミがうず高く積まれ、悪臭を発散、爆発でもするかという雰囲気でした。シュプレー川もドス黒く、大きなビルには弾痕がそのまま残っていました。 でも、ベルリン・ツェントルム駅から歩いて5分で、こんなところに下宿するのかね、とも思いました。どうして、森鴎外がドイツにいれ込んだのか不思議でした。19世紀のベルリンはどんな雰囲気だったのかとも思います。加えるに、駅の切符の自動販売機が、電気式ではなくて、鉄のクランク棒が出ていて、コインを入れると、ぐるぐる回すのがコツでした。 アレクサンドラ王妃は、美形ですが、大柄で怖いタイプですよね。http://ww1.m78.com/question/komura.html 小村寿太郎は偉い人なんですね。私であれば、「大津事件」などいわれたら体がブルブル震えて「勘弁してください」と逃げ出します。 別宮 |
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date 2007/6/20(水)10:22 ロックさま テロと口実(大義)はまったく関係がありません。目的は手段を合理化しません。分離・独立を掲げようが、統一を掲げようが、違法行為とされる(国家間の戦争に伴うものや治安維持部隊によるものを除き)殺人や誘拐、大量殺人準備(貯水池に毒をまくなど)がテロです。 ガンジーは、合法的反対運動を行い、結果として運動に加わった一部の人の暴力行為の責任を問われ、有罪とされましたが、独立運動に伴う行きすぎにすぎません。自身へのテロは宗教的狂信者によるテロで、よくあるタイプです。 IRAの保守党本部、シティ爆発事件は、殺人ですからテロです。インティファーダは、情況不明ですが、石があたって人が死ねば、扇動した人間はテロを煽ったということになります。 イスラエル国内のテロは壁をつくった結果、最早消滅です。壁越し迫撃砲・ロケット砲打ち込みは、根拠地をたたきましたから、ほとんどなくなりました。テロの大半の目的は、じつは独立などの大義ではなくて、暴力による他人支配ですから、今度はパレスチナゲリラ内部のテロ合戦に移るでしょう。 テロは人命を奪う違法な暴力行為です。抵抗(運動)は非合法かもしれませんが、人命を奪うような暴力行為を伴いません。 テロの典型はオウムサリン事件です。もし、地下鉄事件が発生したあと警察が「テロの連鎖を恐れる」といって、取り締まらねば、麻原彰光はもっとテロをやったことでしょう。テロは、「目的がいい」といって取り締まり・処罰に反対する勢力があるので、繰り返されます。張作霖爆殺事件が好例でしょう。 別宮 |