過去ログ301-350

301

date 2007/9/18(火)09:25
uname betsumiya

subject re(4):岡田英弘批判?

素朴頭脳さま

秀吉の外征理由ですが、ブッシュ流にいえば「独裁者(フセイン)の頭の中などわかるか」ということになりますが、間違いないのは経済原因ではないでしょう。グリーンスパン連銀議長がイラク戦争は石油が原因だとマルクス頭の理屈をいって周囲を驚かせましたが、金勘定をやった人間は外交はわからないんですね。株式市場が戦争を引き起こすのではなく、戦争が株式市場を引きずりまわすんですね。

マルクス主義者は表面的な事象ではなく、背後にある理由もみなければいけないなどといいますよね。民主党もテロの原因は背後にある貧困(ビン・ラディンは貧しいからビルに飛行機を激突させた?)だから、食糧・医療支援をやるべきだといってますよね。それならば、麻原彰晃に食糧・医療支援をすればよかったということになります。テロ貧困原因説はパウエル国務長官、田中真紀子も説いてましたから、プラグマティズム的人間にはわかりやすいのかもしれません。

想像ですが、秀吉は朝鮮半島が日本と同じような「経済状況」にあると錯覚していたと思います。現代人が秀吉時代が現代と同じく「失対事業」が必要とされていたかのように思うのと一緒でしょう。なぜならば、秀吉は文禄役と慶長役では、戦略を変えています。すなわち慶長役では朝鮮南部沿岸部に城を築いて、直接統治しようとしています。秀吉は農業が成立するのが南部3道(全羅・忠清・慶尚)しかないと見切って、そこを日本と同様に領国化しようとしたんでしょう。

秀吉は文禄役では、北朝鮮と南満州が日本と気候・風土が一緒で、毛利攻めの播州と同じだと思ったに違いありません。これは現代日本人も同じで、人を辞令で大連に飛ばすのも、ニューヨークに飛ばすもの同じだと思っている本社人事部というのは多いですよね。農業時代では、武士・騎士・僧侶・商人・輸送業者の類の量は農業の労働生産性で決まってしまいます。ある農業家族がいったい何軒の非農業家族を支えられるかという問題です。日本では安土桃山時代の初期ある偶然から、近畿一帯で龍土水というポンプが発明され、平地で水田ができるようになったんですね。これで排水ができるようになり、日本の農業労働生産性は飛躍的に伸びました。つれて(小)都市人口も伸び、手工業・建築業が発展しました。

江戸時代の朝鮮の通信使は王命で必死になって龍土水の秘密を持ち帰ろうとしましたが、けっきょく失敗で、明治以降に持ち越しとなりました。通信使が儒学者で農業の実務家でなかったためでしょう。かくいう私も龍土水がなぜ接続部分から水が洩れないのかさっぱりわかりません。秀吉もわからず、朝鮮南部をある大名に封地として与えれば、「天気はまあまあだから、玄界灘の向こうと同じ」で喜ぶだろうと思ったんでしょう。

李舜臣水軍は秀吉の荷駄舟を襲撃したのでは?帝国海軍と一緒で、日本人に通商破壊(防衛)戦は頭にありません。まあ一種の持病でしょう。李朝存続の秘密は清の属国にうまく切り替えたことでしょう。ソ連属国のモンゴルがソ共からプーチンに乗り換えたようなものです。

別宮

302

date 2007/9/18(火)10:08
uname betsumiya

subject re(3):得利寺の闘いと間接照準射撃

枯山さま

得利寺戦は日本側の砲門数が優っていたのは事実のようです。土台、兵力が優っていました。シタケリベルグは小川又次の第4師団を見損じたようです。これは復州方面にコサックを出せなかったためで、復州湾に連合艦隊の第6戦隊を遊弋させたためです。見事な陸海共同作戦で、これが再び実行されたのがガダルカナルですから、参謀本部というのも病気ですよね。無能者の言い訳「キイテル・キイテナイ」のためのようです。

教育システムについてはその通りです。柴は即興でやったのではありません。ただ柴五郎も「遺書」(会津落城の件が7割)には書き残していいですよね。いわゆる名将の回顧録は数読みましたが、これほど「無欲・謙譲」の人には出会ったことがありません。会津士魂というのは、「主君が無能でも文句をいわないことだ」というのがありましたが、ここまで透徹されると後世の教訓という点で欠けるところがある気がします。ただ、他国と共同軍を組むときは会津から人を引っ張ってきた方がいいですね。

他国の公刊戦史はだいたい自慢話ですが、日本のものは「皆よくやった」「東京の参謀本部も赫々たる武勲をあげた」ですから、あとで兵棋を置いて検討しないと実像がわからないという面があります。ご指摘のように日本人は何も特殊な人種じゃありませんから、一つの戦果に幾多の基礎的事象・基礎的努力が原因していることは確実です。

別宮

303

date 2007/9/18(火)10:57
uname betsumiya

subject re(2):安倍vs福田

ペルソナングラータさま

昔の日中友好組に松村謙三というのがいて、アメリカ大使館にいって「是非、私に米中友好の架け橋の役割を担わして欲しい」と力説し、アメリカ側は追い返すのに往生したというのがありました。毛沢東だか寥承志だかに頼まれたんでしょうけどね。

そういえば盧武鉉も「韓国は日中友好の架け橋になりたい」とかいってましたね。

自分は嫌っていないが、相手には嫌われているというのはよくありますよね。中国人がスポーツ国際大会を開催する民度に達していないことは明らかですが、日中友好組は意に介しませんよね。田中真紀子は、大阪をさしおいて北京応援に走り回っていました。松浪が怒っていましたが、大阪差し置きだとなんかシリアスさに欠けてきて、そんなもんかと思うのが不思議ですね。

国際モノに公職選挙法はありませんから、ワイロ・ネガティブキャンペーンありなんですよね。中国におけるスポーツ国際大会阻止にもう少し力を注いでいいですよね。幣原喜重郎(大阪人)みたいな「英米共同歩調絶対反対、日本と中国には特殊な関係あり」というのが出てきますけどね。

ヒトラーは、独ソ戦のあとですが「ローマはやはり永遠の首都で、じっさいには我々北方人種がつくったものだ。パリのけばけばしさに比べれば、違いがわかる」とかいってます。そのうえイギリス人については「イギリスで演じられるシェークスピアはどこの国よりもお粗末だ。音楽は下手の横好きで、天才的な思想家もいない。美術館はあるのかね」とボロボロにいいます。

不思議なのですが、日本にも国立博物館はありますが「国立美術館」はありませんよね。近代とか西洋とかつくのはありますが。あと県立美術館の類もありますが、例えば西洋絵画のほか、日本画が並行して置いてある公立の美術館はありません。アートが全てではありませんが、唄うたいをアーチストと呼ぶテレビアナウンサーの声をきくとゾッとします。日本はイギリスに似ているのかもしれません。

歩3連隊本部を文部省天下りのための貸しギャラリーの箱にされ怒る別宮

304

date 2007/9/18(火)20:10
uname 渡来 静

subject re(2):竹橋事件

 別宮様,MUTI様,早速の御返信,ありがとうございました。

 ところで,別項の「竜吐水」(←こんな字だったかな?)ですが,わたしは,
これ,アルキメデスポンプだった…と聞いたことがあります。

じつは,アルキメデスポンプが好きなんですよ(笑)。 粉でも泥でも運べますからね。
どなたか御存知の方,いらっしゃいませんか。

   今週はあと三日だ頑張ろう,の渡来静

305

date 2007/9/18(火)21:40
uname 素朴

subject re(5):岡田英弘批判?

別宮さま
早速のご返事ありがとうございます。慶長の役の戦略が文禄の役と異なることに気付きませんでした。何故、南岸にへばり付いていたのか、朝鮮義兵の抵抗が強かったからだろうくらいにしか考えませんでした。また、勉強してみます。
李舜臣の戦略は単純な後方撹乱というかゲリラ的なものだったのかもしれませんね。ナポレオンがスペインでてこづったのと同様に、当時の日本人の発想にない戦い方に惑乱され、有効な対策を立てられなかったということかもしれません。これもまた老後の楽しみとします。
明朝を女真に乗り換えて生き延びたということは、半島国家にとっては、政権維持は内政以上に外交に依存する度合いが強いということでしょう。日本人にはピンと来ないですが、そういわれてみれば、ノムヒョンやキム一族の動きも何やらそれなりに筋の通ったものに見えます。
お返事、重ねてありがとうございました。

306

date 2007/9/19(水)00:27
uname steinbrunner

subject re(1):腐れ士官の捨て所?

ウルトラザウルスさま

お初にお目にかかります。孫子いわく「彼を知り 己を知れば百戦危ういからず」という有名な
言葉がありますが、戦争を遂行するに当たっては敵軍の情報をいかに入手するかは重要かは分かってなかったのでしょうか、
古くは陸軍の明石元次郎大将、あまり知られてはいないですが陸軍の新庄健吉大佐などはアメリカの経済新聞などを丹念に読んで
アメリカの経済力、国力を分析しましたが、日本海軍では暗号以外ではあまりそういう諜報活動、情報分析のような事は大掛かりにはやられてなかったのでしょうか。

海軍でももっと前から大砲、水雷だけでなく情報という分野でも情報将校というものがいてもよかったのでは!?と素人ながら思ってしまうのですが。

307

date 2007/9/19(水)00:34
uname steinbrunner

subject 真珠湾第三次攻撃は可能だったか!?

俗に真珠湾で第三次攻撃がなぜ実施されなかったのか?という素朴な疑問があります。

もし第三次攻撃で敵軍の燃料タンク、港湾施設を破壊されていればアメリカ太平洋艦隊の作戦行動を
更に長期間に渡って拘束する事が可能ではなかったか、という事がまず頭に浮かんでくるのですが、皆様のご見解はいかがでしょうか?

308

date 2007/9/19(水)02:22
uname ペルソナ・ングラータ

subject re(3):安倍vs福田

別宮様

旧歩三連隊本部(場所は東大内ですか?)でございますが、ご愁傷様でございます。大阪の有名なる弱っちょ第八連隊(第4師団)の建物は大阪城天守閣のまん前にありますが、あそこにも数年前までつまらない市立博物館が入っておりました。ま、大阪は、大阪城の土地登記を調べたらこの平成の御世にいまだに「陸軍省」になっているそうだと先日ニュースで言ってたぐらいですから、多少のお笑いは許されるでしょうね。他方、京都の第十六師団司令部は、どういうわけかキリスト系女学校になってますし、アーメン。

ところで、これらの建物を有効利用して、しょうもない解説文しかかけない靖国神社の博物館じゃなくて、本格的な国立軍事博物館を作ってくれないものですかね… 大阪城の前に、パリのアンバリッドばりに大砲か戦車等々を並べたら、中韓の観光客はきっと震撼することでしょう。それに兵器が目に付くところにあるほうが、内向的日本人(外交より、年金大事)の政治情念を呼び覚ますのに役に立つかもしれません。少なくとも、選挙時に「こんな危ないモノを、どの政治家に預けるか」ぐらいは想像するでしょうし。

京都国立博物館で、現在月末まで「風神雷神図」を特別公開してますが、「作品が痛むから」、と、ケチケチなかなか出してきません。おかげで平時はいつ行っても、「しょーもないモノしかない」という印象です。ヨーロッパ美術も、古いものは教会等の祭壇やら装飾品の「板」(タブロー)をはずして持ってきたものばかりですから、日本でもその気になって、寺社城郭等のふすまをはずしてレプリカに替え、退蔵されてる掛け軸屏風等を引っ張り出させれば、古典美術絵画館など、いくつでも出来るんですけどね… 坊主は「美術? 文化財を美術とは、けしからん」とか言い出すかもしれませんが。

今晩テレビで、「振袖火事は江戸幕府が都市改造のために企んだ陰謀」というのを見て、独ソ戦のベルリン陥落はヒトラーがベルリン大改造計画実現のために企んだ陰謀、というネタを考えてしまった
ペルソナングラータ

309

date 2007/9/19(水)07:53
uname 海軍好き

subject 李舜臣の評価

別宮様、みなさま

遅れましたが、先日(横浜の件)はいろいろとご教示いただきありがとうございました。
秀吉の朝鮮の役についての見方についても興味深いです。文禄は明への侵攻を意図、
慶長は朝鮮半島南部を領土化ですか。
初見ですが、その味方が正しいように思えます。(日本の歴史学者は何をやってるんだ!)

さて、李舜臣提督ですが、主に3つの海戦に参加しています。

閑山島海戦(大船36隻・中船24隻・小船13隻のうち63隻を撃破)
鳴梁海戦(130余隻に対して13隻で戦いを挑み、圧勝)
露梁海戦(500余隻に対して500隻で戦いを挑み、100隻捕捉、
200隻焼破、斬首五百、捕虜百八十余、溺者数知れず)

※記録は全て朝鮮側のもの

このうち前2者は、確かに日本水軍は敗北しています。閑山島海戦では脇坂安治の
家臣が戦死、他一名が切腹しています。また、鳴梁海戦では大名である来島通総
が戦死しています。

しかし、最後の露梁海戦はいかがなものか?

これは、朝鮮からの撤退時(なので、日本側は島津、立花、小西など
錚々たる面々)に追撃をくらったことになっていますが、
これだけの損害を出したからには大名か家老クラスの戦死者がいなければどうみても
おかしいのに、いません(日本側の記録は薩摩藩が戦死者二六名の名を挙げ、
「其外戦死の人々多し」とあるのみです)。

また、その1年半後には各大名とも関ヶ原戦役で全国各地で合戦を繰り広げます。
また、ここでも、「朝鮮の役で損害がでかかったので、十分な兵力を動員できなかった」
などと言われている大名は(わたしの知る限り)皆無です。

露梁海戦では、李舜臣、明側の副将など将領クラスの戦死者が多数いるのですが、
日本側は皆無(これだけの損害があれば、大名クラスが誰か戦死してもいい筈です)。

などから、この海戦については、朝鮮・明側の功を焦った将(それが李提督と
言うつもりはありませんが)が突出して逆に撃破されたのでは、と思えます。

また、これは誤解されがちなのですが、李提督の水軍により後方を遮断されて、
日本軍は補給不全に陥った、といわれますが、これはまったくのまやかしで、
確かに李舜臣の活躍は光るものの、日本軍の補給に関しては全く問題ありません
でした(石田三成を初めとする豊臣官僚の力をみくびってはいけません)。

李提督に関しては、まだまだ書き足りないのですが、それはまたの機会にさせて下さい。
(遅刻しちゃうので)

310

date 2007/9/19(水)10:19
uname betsumiya

subject 戦利品

ペルソナングラータさま

得利寺の戦闘で歩38(歩8はともかく、この連隊は無茶苦茶強いですよね。本部は奈良ですが錬兵場は京都の深草ですか?)は、初めてロシア軍旗を奪ったつもりで、大本営に報告したところ、あとで炊事場か通信用の記号の旗と判明したそうです。軍司令官は驚いて電報で陛下にお詫びを申し上げたところ、「お咎めにあらせられず」と児玉源太郎から返報があったそうです。

日露戦争のあと、真ん中に3個のMとKの字がかいてあるそのいわくつきの赤い旗は靖国神社遊就館にあったそうです。この他奉天戦では本物の軍旗を3琉奪ったと記録にあります。ところが、第2次大戦後どっかいったのか遊就館に展示されたことがないそうです。

ところが、全国社寺仏閣にはけっこう、清国兵の制服・旗、ロシア兵制服なるものが保管されています。あげく山奥にいくとロシア軍重砲まで飾ってあるそうです。多分、ベルサイユ条約でフランスがドイツに普仏戦争で奪われた軍旗を返還しろという無体な条文を入れましたから、進駐軍にとられると思って隠したのでは?今では骨董価値もあるでしょうし、個人蔵のものは店の看板に使っているのがいますから、回収が難しいですよね。

それと日本のおばさんで、血染めの制服なぞ返還したらというのがいますよね。三笠記念館には先ごろまでロシア水兵血染めの水兵帽というのが飾ってありましたが、いつのまにか隠されました。

長崎市営のグラバー邸にも、戦利品の北洋水師戦艦鎮遠の舵と清龍旗という中華皇帝旗が飾ってあったそうですが、中国人観光客がもの欲しそうな顔をするので撤去したとか。あの市長だと返還しかねませんよね。もう暫く全国社寺と役所倉庫でホコリかぶっておかせるしかないのでは?

国立新美術館は乃木神社の斜め向かいですが、米軍ヘリポートとか同一敷地で、東大の研究所がありましたが、研究員が喜んで柏に引っ越した隙に文部省にとられたものです。東大は李朝実録を嬉しがって韓国に返還していましたから、ほとんど病気でしょう。なぜ李朝実録が東大にあるかといえば、李朝実録を編纂したのは朝鮮総督府東京事務所で、それが戦後東大史料編纂所に吸収されただけなんですけどね。今度朴正熙実録を日本で編纂すると、将来返還するんですかね?

東京国立博物館にも宋の徽宗の鳩ぽっぽの絵があるんですが、これも飾られたのはみたことがありません。「返したら」という日本人がいるからでしょうか?オスマン帝国時代エルギン卿が集めた大英博物館にあるパルテノン神殿の破片について、日本人の「識者」の発言は、「帝国主義者エルギンめ、ギリシャに返せ」といのが大部分です。ギリシャ人は、ころがして朽ちるにまかせていたので仕方ないですよね。

売ったものを返せはないですよね。三田の狭い慶応大学の隣に広大なイタリア大使館がありますが、これも返せとはいい難く、靖国神社脇のイタリア文化会館の色が「ケバイ」とかいって嫌がらせのようですが、大使館立地としてはこっちの方がいいですね。西ドイツは第3帝国との継承を否定しましたから、国会議事堂前のドイツ大使館は無主物で取り壊しになりました。ベルリンの旧日本大使館は復旧して使用するようですが、ベルリンにある各国大使館のうち格調ナンバー1でやりすぎの観もあります。敗戦処理はうまくやらないといけませんね。

別宮

311

date 2007/9/19(水)20:19
uname betsumiya

subject re(1):李舜臣の評価

海軍好きさま

遅刻せずにすんだでしょうか?中世期の合戦は、評価が極めて難しく、残念なことですが明史などで史料批判ができないと「歴史」として議論するには不十分なものが多いといえましょう。秀吉の朝鮮征伐のさいの朝鮮側記録は数残っていますが、いずれも朝鮮総督府の史学委員会を経たものです。

有名な旗田魏といった人が中心で、きわめて国家主義=大アジア主義者です。歴史の見方がいわゆる「民衆史観」で、政権は「民信」に基礎をおくべきだという儒教史観でもあります。一例としては、元寇に日本側が勝利できたのは、朝鮮民衆のサボタージュ(つまりわざとボロ船をつくった)のおかげだという低レベルなものまであります。東郷平八郎が李舜臣から学んだとかいう司馬遼太郎の話もベースレスで、総督府お仲間がつくったものです。植民地官僚というのは任地をなんとか大きくみせようとするんですね。

阿片戦争における中国民衆の果敢な抵抗もその一種ですが、多くは大本営情報部が戦時中に英米にたいする敵愾心を煽るためつくったもので、国家事業ですからうまく史料を利用していることと、明治以来の蓄積がありますから、なかなか反論しづらいものがあります。このあたりは疑いない事実から、改めて考究しないと史実は現れないでしょう。次に「歴史史料」をあたるしかありません。また朝鮮人にとって「歴史」とは中国史のことで、自国史には目をむけようとせず、それを啓蒙しようと日本人二流学者が編纂しなおし、朝鮮にもこういった立派な人が歴史があったとベースレスな「つくり話」を始めたんですね。ある意味で朝鮮の人にはすまないことです。

補給についての有名な格言は「糧は敵に求めろ」です。これができなければ不毛の地ですから撤退すべきなのです。日露戦争でも戦争後半はロシア軍はシベリア鉄道1本ですが、日本軍は営口から京奉線新民屯、遼河の河川遡行、東支鉄道南線の3本を利用しており、また食糧の大半は営口で買い入れていました。ロシア軍は大外套が不足し、中国製綿入れを制服とすることを外交ルートで日本側に連絡してきましたが、大山巌は「黒鳩も大分苦労しちょるなあ」とのことでした。

朝鮮征伐のときの補給手段はさっぱり見当がつきませんが、日本の本部官僚というのはどうなんでしょうか?現地で糧を求められねば、何が原因なのか意見具申することも重要ではないでしょうか?

ただ韓国人のいう日本戦敗説は成立しないでしょう。なぜかといえば釜山和館という港湾・城郭つき土地を事実上割譲され、つい先ごろの1910年まで保持していました。戦敗国が領土割譲をうけ朝貢されるというのはヘンですよね。

別宮

312

date 2007/9/19(水)21:43
uname 枯山

subject re(4):得利寺の闘いと間接照準射撃

別宮様

柴五郎の遺書が「会津落城」の件で7割というのも、如何にも会津人らしいところが発揮されていると思います。
しかしここまで無欲となると、これでは全く後の人が功績の裏づけだけでなく、後世の教訓の引き出しすら難儀
するのが目に浮かぶようです。日露戦争後の要塞司令官人事を閑職扱いされるのも、砲兵家としての柴の実績が
全く見えてこない弊害の最たることなのかも知れないと思います。

さて、会津士魂というのは儒教による論理構成される以前の武士道が基礎ですので、まだ幼い柴にしても会津落城は
生涯消えない恥辱として記憶していたのが窺われます。我国の人々が時々発揮する「忘れっぽさ」から対極なのが会津
士魂なので言葉は重たいですが、約束した事は下手をすると命を賭しても履行しようとしますから、他国軍から信頼を得る
にはうってつけの人材かも知れません。ただ、会津人の口の重たさは尋常ではなく有名な「会津の三泣き」があります
から、社交で舞踏会をするにはチト厳しいと思いますが。

枯山

313

date 2007/9/20(木)01:31
uname ノリ

subject re(1):真珠湾第三次攻撃は可能だったか!?

まず真珠湾攻撃において第三次攻撃は、物理的に可能であったかと
いえば可能であったそうです。
(真珠湾攻撃に参加したパイロット達もなぜ、徹底攻撃しないか
不思議がったそうです。)

となると第三次攻撃がなされなかった理由は、
ひとえにトップの人たちの決断によるものだと言えます。

米空母からの反撃が怖かったんでしょうけど、
なにより、南雲提督のキャラが大きかったのではないでしょうか?
(真珠湾、インド洋、ミッドウェイ、南太平洋とどの戦いでも徹底性を欠いてます。)

内地にいた山本長官も部下達の徹底攻撃の要請を拒否しています。
(「現場の司令官=南雲提督の判断にまかせよう」と言ってます。)

真珠湾攻撃は、南方作戦中に横から米艦隊が出てくるのを防ぐ為に
実行したという側面が強い作戦でした。

ですから、とりあえず米太平洋艦隊に大打撃を与えたので、
これで良しと山本長官、南雲提督は判断したのでは?

もし実際に第三次攻撃が、実行されたらおっしゃるとおり、
ハワイを起点にした反撃体制は遅れたと予想されます。
(この点に関しては、戦後、米側も言ってます。)

ただ、第二次攻撃終了後の真珠湾は、煙がひどくて
爆撃がやりずらかった為、命中率はひどく落ちたのでは?
という意見もあります。

314

date 2007/9/20(木)01:32
uname 海軍好き

subject re(2):李舜臣の評価

別宮先生

おかげさまで遅刻をせずに済みました。
李提督の続きに関しては、先生が書かれたとおりです。

>東郷平八郎が李舜臣から学んだとかいう司馬遼太郎の話(まやかし)
>朝鮮民衆を啓蒙しようと朝鮮にもこういった立派な人や歴史があった(つくり話)

あと、海軍が予算獲得の理屈に李提督の事跡を持ち出し、

>ちゃんとした備えをしないからこうなってしまった(だから金をよこせ)

などとまるで893まがいの脅しを帝国議会でかけたとか。
わたしは名前の通り海軍好きですが、海軍に対して「?」を感じたのはこれを
知った瞬間からです。

わたしが見たところ、李提督の活躍ぶりは、せいぜい優秀な侍大将クラスです。
韓国・朝鮮の人が評価すべき歴史上の人物としては、

泉蓋蘇文(せんがいそぶん):高句麗の大臣。極悪人として扱われることが多いが、彼の指揮の元、
              唐軍を何度も撃退させている
金ゆ信(きんゆしん):新羅による朝鮮半島統一に貢献した名将

の両名こそだと思うのですけどね。おそらく、前者は反対派を粛清しまくっているので人道的に
嫌われ、後者はあの日本軍は白村江で破っているので、旧帝国としても扱い辛かったのでしょう。

それでは、これくらいで

グスタフ

315

date 2007/9/20(木)02:38
uname SLEEP

subject re(2):真珠湾第三次攻撃は可能だったか!?

steinbrunnerさま、ノリさま

なぜ地上設備までやらなかったのか、それは立案者山本五十六の「ハワイの太平洋艦隊さえ潰せば向こうは弱音を吐くだろう」という発想が全てでしょう。要はこの人たちは政治がやりたいんです、遅れた日本人を俺達がなんとかしてやるぞ(この場合は米国の対中支援根絶)、という考えなんでしょう。ちなみに源田実は真珠湾作戦を知って、これで俺達も明治の志士のようになれる、と言ったそうですが、脱藩して無一文になり命を狙われながら革命に邁進した人達と同類とは言えませんよね。

そして仮に地上設備を破壊したとしても、ハワイというのは米本土に近すぎ日本からは遠すぎます。500kgや250kg程度の爆弾抱えた単発機でどれだけやれるのか、だいたい可燃性のガソリンや灯油は地中タンク式じゃないでしょうか?軽油や重油はよほどのことがない限り燃えませんし。

SLEEP

316

date 2007/9/20(木)05:01
uname ペルソナ・ングラータ

subject re(1):戦利品

別宮様

ベルリンの日本大使館ですが、私の記憶が確かなら、なんとそのお隣は、イタリア大使館が数年前やっと修復完工で引越し(これまた戦前に出来た、威風堂々建築)して、辺りに仲良く枢軸オーラを振りまいてるとかいないとか。ま、イタリアの大使館は、パリでもウィーンでも(分不相応に)豪華ですけどね。冗談のような話ですが、ウィーンのイタリア大使館は旧メッテルニヒ邸でした。

東京は麻布の辺りにばかり大使館が集中していて、例外は由緒ある英国大使館ぐらいでしょうか。確かに九段のイタリア文化会館の場所はもったいないですね。昔はツタのからまる平屋建ての建物で、人をあたかも拒否するお化け屋敷的雰囲気でしたが、今はへんに派手な建物になってしまい、これも困ります。でも、イタリアらしい建物を鉄筋で作れといわれると、結構苦しいですね。

ヨーロッパでも、エジプトあたりが「パリのコンコルド広場に飾ってあるオベリスクを返せ」等々言って来るらしく、イタリアも、エチオピアに一本返す羽目になりました(これは、戦利品でムッソリーニが持ち出したから、NOといいづらい…)。大英博物館は、ロゼッタストーンも危ないとかで、戦々恐々でしょう。イギリス人にも結構「返還しろ」人間がいるようですから。でも一般日本人は、明治初年の廃仏毀釈のときに欧米に流出した美術品を、「足元を見て買い叩かれたから返せ」、とはいいませんよねぇ。この辺りに「近代人」とそうでない人たちとの境目があるのかもしれません。

新美術館と東大の関係、やっとよくわかりました。文部省の官僚などは、件のスカスカ新美術館ではないですけど、物(芸術品)の価値とか、メタフィジックなことはわかりませんから、目先の判断しかできません。こういうのが一番美術とは相性悪いんですよね。建物作りじゃなければ、法外な値段で美術品を買ったりとか…(大阪市など、モディリアニを20億で買って、美術館建てる金が無くなり倉庫に眠り続けることに…)

大阪は、中ノ島になぜか軍艦最上(重巡じゃなくて、古いほう)のマストと後艦橋がたっているんですが、こっちはペンキを塗ったりする維持費が無くて解体するとかしないとか思案中らしいですから、ビンボーなのか金持ちなのか… ま、サオだけではたしかに中途半端なのですが。 鎮遠もアリヨールも、標的艦にしないで、見せしめに淀川辺りにずっと係留しておけば、テムズ川のベルファスト号みたいに、いい観光スポットになったかもしれませんのに。

ペルソナングラータ

317

date 2007/9/20(木)06:27
uname steinbrunner

subject re(3):真珠湾第三次攻撃は可能だったか!?

SLEEP様、ノリ様

1942年の枢軸軍のマルタ島空襲を鑑みてみますとのべ6700機、爆弾だけで9700トンを
投入しているのに港湾施設を破壊しきれなかったので真珠湾でも同様ではないかという見解がある掲示板でありましたが、
どうでしょうか?

海軍機動部隊の全空母の爆弾等裁量を合わせても600トン程度にしかならないので、三次攻撃は無意味ではないか?とも指摘されていました。

更に燃料タンクを攻撃を攻撃しても燃料の補給はアメリカ本土から容易に出来るとさえ言っていました。

しかし燃料タンクの施設を復旧させるのはかなりの手間もかかるでしょうし、ドックが無傷だとしてもクレーンや工作機械は通常爆弾でも十分破壊できるでしょうし
復旧はアメリカでさえ難しいかと個人的には難しいと思うのですがね。

あと真珠湾攻撃では無線封止は徹底していたのでしょうか?

318

date 2007/9/20(木)16:09
uname ロック

subject re(4):真珠湾第三次攻撃は可能だったか!?

steinbrunner様

物理的には可能であったと思われますが その場合空母の2〜6隻くらいの被害と
航空機搭乗員の多くが失われる事を覚悟せねばなりません
作戦としては敵艦隊撃滅が目的で 湾内で撃破してしまえば海上制圧の必要はない
この後に上陸部隊がいるなら話は別になりますが
敵艦隊を撃滅してしまったら 作戦上で留まる理由はありません
この辺は判断が難しいのかと思いますが 追加効果をどう見るか かと思います
米国軍への追加打撃と 自軍の戦力を喪失した場合の事を考えると
日本側は空母損失(艦載機や搭乗員も)を恐れたのかと思われます
大戦果を挙げた 留まる必要が無い 損失を最小にする 敵空母未確認
一応あれで撤収したのも合理的な事かと思われます

相対的な現有戦力を圧倒的な差にして米国に講和を迫る材料にする
これは本作戦を行った意義でもありますから 損害最小なのは重要です
でも普通は死力を尽くすまで白旗はあげませんよね
そして真珠湾の湾口施設に被害を与えても米国が講和したとは思えません
戦術的に圧勝したからといっても国同士の勝敗に直結できなかったので
この作戦自体が誤りで 米国の攻勢を遅らせた程度の効果しかありませんでした
一つの海戦として考えて戦術的な視点から見るとかなり大きい効果で
奇襲と空母集中が画期的で絶大な効果をあげる事がわかりましたが
戦略的に見ると 米軍を屈服させられず約2年分の余裕を稼いだだけで
政治的には講和の材料にすらなりませんでした

おそらく第三次攻撃をすれば米国をもう少し足止めできたかもしれませんが
効果は微々たる物で 米国は如何なる手段を使ってもやってくると思われ
現地施設を完全復旧しつつ 急造施設を運用する事は可能でしょう
例えば コンクリート製で潜水させながら曳航できる油槽 などは大量に作れると思います
それを湾内に設置すれば そのままタンクとして使えます
物が破壊された程度ならば米国にとって復旧や代替は比較的容易です
相対的に見れば欧州戦線での出来事の方が 米国の攻勢計画にとって変動数値は大きいでしょう

真珠湾攻撃では物の損害は大きいですが 人的被害は思ったより少ない
乗り物や武器はなくなったが それはまた作れば良い
闘志さえあれば物など後からついてくる
物に対しての価値や考え方が日本と米国では違っていたのかもしれませんね

319 削除
320

date 2007/9/20(木)18:56
uname ボストン

subject re(1):真珠湾第三次攻撃は可能だったか!?

やはり日本の思想が大きく影響していたでしょう。
とにかく敵の戦艦・空母を沈める事が重要視され、またそれが栄誉とされていた事
補給に関する重要性を把握していない事は、当時の日本潜水艦部隊による攻撃が
通商破壊狙いのものではなかった事に大きく現れていると思います。
つまり日本にとっては「戦艦を攻撃した」事が一番重要なのであって
敵の各種施設、物資への攻撃が重要視されていなかったと思われます。
またハワイ作戦における最大の目標は敵空母機動部隊であったわけで
それら空母がすべて出払っていた時点で山本長官の作戦の半分は意味を失ったと思います。

それでも敵施設に対する更なる攻撃も検討されましたが
そもそも敵の主要燃料タンクを打撃しそこねたのは地上にむき出しになっている燃料タンクを
ダミーだと判断したからで、当時日本でさえ地下燃料タンクがあるのに
先進国のアメリカが地上にむき出しのままなわけがないと考えた事も大きいです。

とにかく自軍の空母は一隻たりとも失うわけにはいかない使命と
戦艦などしか大きな戦果として見ない時代遅れの思想などが相まって追加攻撃は見送られたと思います。

321

date 2007/9/20(木)21:30
uname ノリ

subject re(4):真珠湾第三次攻撃は可能だったか!?

>海軍機動部隊の全空母の爆弾等裁量を合わせても600トン程度にしかならないので、三次攻撃は無意味ではないか?とも指摘されていました。
おっしゃるとおり、決定的な打撃を与えるのは不可能だったと予想されます。
(何しろ艦載機は、戦略爆撃機のように大量に爆弾を積めない。加えて
アメリカ側の対空砲火も想像以上に厳しい。)

だた、損害覚悟で爆撃を強攻して、それなりの損害を与え、
ハワイが太平洋艦隊の母港としての機能が(短期間とはいえ)失われれば、
アメリカは、一時的に空母群をアメリカ本土まで引き下げたのではないのでしょうか?
そうすれば、確かに数か月の時間は稼げたと思われます。

>あと真珠湾攻撃では無線封止は徹底していたのでしょうか?
真珠湾攻撃に参加したパイロットによれば、無線封鎖はされていたそうです。
(奥菜秀次さんの「陰謀論の罠」という本に、真珠湾攻撃に参加したパイロットへの
インタビュー記事が載っています。)

結局のところ、
真珠湾攻撃を研究していくとどうしても
山本五十六というキャラクターに行き着く気がしませんか?

早くから航空戦力の有効性に気がついたり、ドイツとの同盟に反対したり
優れた点も多い反面、ダメな点も多いですよね。
(駐米経験がありながら、親しいアメリカ人の友人は、一人もいなかったようですし・・・)
有能だけどバランスが欠けた軍人だと私は評価してます。

山本長官にとって、真珠湾攻撃≠日本海海戦だったじゃないのでしょうか?
ようするに、この一戦で何もかも白黒つけるいうほどの意味合いの戦いではなかったんでしょう。
まず満足出来る戦果だから、これで良しと判断したんでしょう。
(真の決戦は、真珠湾以後にあると予想したのでは?)

322

date 2007/9/21(金)00:21
uname ボストン

subject re(5):真珠湾第三次攻撃は可能だったか!?

別でも書きましたが、長官の狙った獲物との違いだと思います。
とにかく施設・物資攻撃に対する重要性の過小評価は明らかだと思います。
山本長官もハワイ攻撃で一番に狙ったものは戦艦と空母の撃沈でしょう。
戦艦をすでに全て潰し、空母はそこに存在しない以上、これ以上の攻撃で航空機だけじゃなく
下手すれば自軍空母を失って大勝利を小勝利にするのは無駄と考えても不思議じゃありません。
ハワイにいない敵空母部隊の奇襲も考慮すれば、リスクが高いと判断したんでしょう。
とにかく長官の狙いは空母機動部隊の撃滅で、米の空母部隊再建の前にハワイを攻略
例え一時的だろうと南方資源地帯を確保したまま講和に持ち込む事を狙ってたんだと思います。
全て白黒付けるとまでは行かないまでも、太平洋における米海軍の全滅を狙った一大決戦ではあったでしょう。
しかし狙った獲物がそこにいなかったと言う事だと思います。

323

date 2007/9/21(金)10:25
uname med

subject re(5):真珠湾第三次攻撃は可能だったか!?

皆様へ、

この問題に付いては、ロック様の意見に完全に賛同いたします。

真珠湾攻撃隊は、第1次、第2次併せて、29機の未帰還機と70機以上の損害機を出しています。
これは350機という総戦力からみても決して少ない数字ではありません。

そしてこの損害の多くは第2次攻撃隊から出たとされます。
史実でも、第2次攻撃の時にはアメリカ軍の迎撃機が上がっているのです。

日本軍は第1次、第2次攻撃に全力を使用していました。
第3次攻撃隊を出すとしたら帰還機を整備しなおして出すことになりますから当然時間がかかります。

第3次攻撃隊が強力な迎撃を受けることは確実です。
当然、大きな戦果は望めないでしょう。

南雲機動部隊はこれから長い道のりを帰還しなければ成りません。
アメリカ空母が不明という現状を考慮するとそれに対抗できる戦力を維持するのは当然でしょう。
第3次攻撃で予想される損害は、それができなくなる可能性があります。

アメリカ側の証言で時々出てくる、「石油タンクを爆破されていたら」という話ですが、これは、石油タンク類が完全に破壊され、かつ、アメリカ軍が何らかの代償措置を取らなかったら、という前提の話であることに注意する必要があります。
石油タンクなどは、簡単な話、タンカーを持ってきて、そのまま沖合いに係留しておけば当座の便には充分です。アメリカにはそれだけの船があったのですから。
また、港湾施設の破壊は、史実から見るとかなり困難です。
マルタ島の例もありますが、フランスのシェルブールでは、ドイツ地上軍が完全に破壊したはずの港湾施設が1ヶ月と立たないうちに使用再開されています。
どうやら港湾というものは、「波の静かな海面」が確保されていれば、後の施設は急造でなんとかなるようです。

結論として、南雲機動部隊の判断は妥当と考えます。

med

324

date 2007/9/21(金)10:44
uname med

subject 真珠湾の目標

皆様へ、

真珠湾における日本軍の目標ですが、よく「空母が第1」だったと書かれていますが、これは明らかに後付と考えます。

敵空母を沈めるためには、急降下爆撃機の250kg爆弾だけでもなんとかなります。
勿論、魚雷があった方がより良いのですが、250kg爆弾だけでもかなりの損害を与えられるのはミッドウェーでの例でも明らかでしょう。

対して、戦艦には、急降下爆撃機の250kg爆弾はほとんど効果がありません。

日本軍は真珠湾の浅い海で使用できる魚雷に拘り、戦艦の装甲を貫通する研究を繰り返して800kg爆弾の水平爆撃を実行しました。
これは全て戦艦を沈めるためです。

つまり日本軍は戦艦を沈めに真珠湾に行ったわけであり、空母はいれば一緒に沈める第2目標に過ぎませんでした。

日本軍機動部隊がその搭載機の編制を急降下爆撃機主体に、つまり主攻撃目標を敵空母に改めるのはミッドウェー以降になります。

med

325

date 2007/9/21(金)19:24
uname steinbrunner

subject re(6):真珠湾第三次攻撃は可能だったか!?

ノリ様、ボストン様、ロック様、med様、SLEEP様

仮に港湾のドック、各種施設が困難だとしても、石油タンクだけは燃えてしまえば容易に
被害が拡大できるので450万トンでしたか、これに損害を与えるのはさして困難ではなかったと思います。

アメリカの総反撃を一日でも遅らせる事が可能であるならば石油タンクは航空母艦、戦艦と並んで重要な攻撃目標にしても良かったのではないでしょうか。

仮に石油の備蓄を復旧させるのはアメリカの国力を以ってすれば容易なのでしょうが、アメリカ本土から
ハワイまでタンカーで運ぶにしても時間がかかるわけですからその分の時間は稼げるわけです。

また素人の考えですが、ハワイの各種軍需物資を焼き払う事ができれば最上ですが、そこまでの情報は掴みきれなかったですかね。

無線封止に関しては森史朗 著 「運命の夜明け」で無線封止は守られてなかったそうです。淵田中佐が戦後の座談会でその事を述べているそうです。

326

date 2007/9/21(金)22:55
uname 困ぺい糖

subject re(7):真珠湾第三次攻撃は可能だったか!?

皆様

私としてはロック様、SLEEP様 med様の意見に近いものです。

まず真珠湾を奇襲したのは、そこが米海軍の策源地であり、そこに敵艦隊がいたからです。
当時の海軍はまず敵主力艦(戦艦、巡戦、空母)を破壊することを最優先としていました。それまでの対米作戦案では近海での艦隊決戦を挑む、だったのを遠路敵地奇襲に切り替えたわけです。
そのため、空母上は対艦攻撃用の魚雷、80番や50番の徹甲弾が幅をとり、陸用爆弾は飛行場掃蕩用にストックしていた程度ではなかったのではないでしょうか。そして、第1次、2次で使い切ると、他の地上施設(燃料他)に対してまわす余裕はなかったかと思います。

さらに、当時の海軍の考えとして、支那大陸での長距離爆撃の経験もあって、空母機によるスポット的な敵地上施設への打撃は効果が薄いと見たのではないでしょうか。

この考えは、当たっていたと思います。すなわち、兵站の充実した敵策源地の面的広がりのある地上施設を完全に根絶やしにするためには、より大搭載量の陸上機を断続的に大量投入しない不可能であり、これは後に皮肉なことに、米軍自身によって日独本土の施設攻撃の際に図らずも証明されてしまいました。
つまり残ったなけなしの陸用25番をこれまた出撃可能な艦載機でバラバラ落としても、燃料タンクの完全破壊も油の消失も程遠い結果しか残せなかったでしょう。

そして、さらに指揮官として、奇襲を一応成功させた以上、今度は兵力の損耗を心配するということはあったと思います。つまり南雲ならずとも、ここは早々と引き上げたいところでしょうし、だからと言って彼を非難することも当時は誰もできなかったはずです。
彼も水雷屋ですし、鬼貫(鈴木貫太郎)以来、水雷屋といえば果敢な喧嘩度胸と同時に引き際のよさというのも身上だったのでは?ましてや空母討ち漏らし(これが当時どれだけ深刻に捉えられたか検討を要します。)のこともあったでしょうし。

ところで、ハワイを襲うということは、西太平洋上に米軍兵力がいなくなる大きな要因ということです。そして、極東(対中)で日本がフリーハンドを得られるということになると海軍条約派は考えたのでしょう。独ソ戦でドイツ勝利を信じていたからでもありますが、そのダメ押しのために発動したのが南方作戦です。敵艦そのものがいなければそりゃやりたい放題。
そして、この期間は山本や永野の想定では短くてもよかったと思います。つまり緒戦の大打撃で米国民は意気消沈するであろうから、その間に既成事実を、がこの大作戦のせこさのポイントとも思います。

真珠湾第3次攻撃、空母追撃掃蕩説は戦後のGHQ聴取あたりから力を持ってきたように思います。発言しているのがいずれも条約派参謀格に多いですよね。戦後の海軍もそうなのですが、日本の将帥は事の定まったあとは沈黙をこととしますが、格下の参謀とかは実にいろいろしゃべりますね。

困ぺい糖

327

date 2007/9/22(土)10:56
uname med

subject re(7):真珠湾第三次攻撃は可能だったか!?

steinbrunner様、

steinbrunner> アメリカの総反撃を一日でも遅らせる事が可能であるならば石油タンクは航空母艦、戦艦と並んで重要な攻撃目標にしても良かったのではないでしょうか。

その通りですね。損害が無いのであれば。
失礼かもしれませんが、日本軍空母の艦載機とパイロットをトマホークミサイルなんかと勘違いしていませんか?
味方の損害を考慮しない指揮官は無能でしょう。

また、ロック様が指摘されているように、反撃を受けて日本軍空母が沈むという可能性は考慮しないのでしょうか?

結局は、攻撃することによって予想される損害と戦果の比較になります。
空母2隻失ってアメリカ軍の反撃が1週間〜1ヶ月遅れる程度でしたら、私は素直に帰るべきだと考えます。

med

328

date 2007/9/22(土)11:30
uname steinbrunner

subject re(8):真珠湾第三次攻撃は可能だったか!?

med様

長期に渡る戦闘を継続するためにも戦力の温存は重要で、特にパイロットの養成は時間も費用も
かかる訳ですから南雲長官の決断は妥当であったと個人的には思うのですが、真珠湾攻撃の後に
淵田中佐が撃ちもらした残存艦艇、海軍工廠を叩き潰すべきだと主張しているのと モリソンの
「太平洋戦争アメリカ海軍史」の記述がどうも気になりまして。キンメル提督も「その場合アメリカ本土西海岸に
帰らざるをえないだろう」という回想を残している事を鑑みればタンクを攻撃すればと言う事が気になってしまいます。

329

date 2007/9/22(土)20:38
uname 海軍好き

subject re(9):真珠湾第三次攻撃は可能だったか!?

steinbrunner様

海軍好きと申します。横レス失礼します。
わたしも、南雲提督に与えられた任務は海軍工廠を叩き潰すことでない以上、
決断は妥当と判断するクチです。

淵田中佐もモリソンもキンメル大将も全て戦争が終わった後の感想だと
いうことが重要であると思います。

仮に、もし南雲提督が第三次攻撃を敢行し、結果、米艦隊を1ヶ月でなく
2ヶ月行動させなくしたとします。ただし、第三次攻撃で100機余りの航空機が
撃墜されたとしましょう。累計被害が1/3になったとします。

結果、その後の南雲機動部隊の行動に影響を来したとします(ニューギニア、ラバウル、
インドネシア、インド洋作戦など)。それにより、第一段作戦(フィリピン、インドネシア
攻略)が不十分なまま米艦隊の反撃が来たとしましょうか。

まあ、その後の経過はともかく、日本敗戦後に
関係者は何と言ったでしょうか?

・第三次攻撃を行わずに速やかに帰還すべきであった

このように言う軍人や関係者は少なからずいると思います。それと同じ事だと思います。

わたしも、第三次攻撃は必要であったのでは?と考えたことはあるのですが、
攻撃を続行しなかった南雲提督を評価している海軍関係者も結構おりまし
て(奥宮正武中佐など)、攻撃続行による損害やまだ見ぬ敵機動部隊を考慮するに
南雲提督及びその司令部の判断を是とした次第です。

330

date 2007/9/22(土)23:00
uname 庵

subject re(10):真珠湾第三次攻撃は可能だったか!?

 皆様へ 

 すっかりご無沙汰しております。
 個人的には、第三次攻撃による地上施設への攻撃は賛成の立場です。
 ニミッツだったと思いますが、真珠湾の石油がなければミッドウェーはなかったと言っております。
 アメリカにしてみれば攻撃がなかったのはほっとしたというのが、やはり率直なところだったでしょう。
 何も徹底的な壊滅をさせなくても、第三次攻撃がそれまでと同規模で行われた場合、その後のアメリカ空母の活動をかなり制限するぐらいの打撃を与えることは可能だったのではないでしょうか。
 その程度によっては、果たしてアメリカが真珠湾の基地機能を早期に復活できたか疑問です。
 これは工業力や生産力の問題ではなく、心理的なものです。真珠湾後、アメリカの東海岸では日本軍が上陸してくるとの声がありました。これはアメリカ側から見た、真珠湾攻撃の衝撃の強さと機動艦隊の神出鬼没ぶりを示す何より証左と言えます。そこを押して、大量の物資を抱えた船団を送り出す勇気があったかといえば厳しい面は否定できません。真珠湾が早期に復活したのは、石油タンクや工廠が無事で、策源地として早期に復活できる価値と確証があったからこそです。
 
 ただそれと南雲艦隊の、というか、南雲及び司令部の速やかな撤収への非難へと発展するのはやはり行き過ぎと思います。
 真珠湾のというか、基地機能を壊滅させるという軍事思想が、それまでの日本だけでなくあらゆる海軍にあったでしょうか。ある地点の占領による戦局の変化は数多ありますが、基地機能を壊滅することでの戦局が変化するといった代表的な戦訓などないと思います。
 
 また当時の分かっていることも考えねばなりません。
 今の我々は、アメリカの空母がどこで何していたのか知っています。
 ところが、南雲艦隊は「事前情報では真珠湾にいることになっていたのに、いざ攻撃してみるといなかった。どこで何してる??」状態なのです。まさか大西洋や南アメリカにいるなどといったお花畑な想像はしないでしょう。

 結局、南雲の水雷屋や艦隊派といった個性もあって論じられるのが問題なのでしょう。
 そもそも本気で第三次攻撃というか地上施設への攻撃が必要であるのなら、事前に作戦に組み込むべきですし、いざ必要となれば山本が命令すればいいことです。「南雲はどうせしない」とかなんとか言うのは、いささか将器が疑われる発言でしょうし、後年の幕僚の声も恨み言でしかありません。
 
 もし、私があの場に幕僚としていたら、更なる戦果の拡大を進言したでしょう。
 ただし、「敵の反撃があるかもしれないのだぞ。図に乗って深追いするとはこのタワケが!」と慎重派の幕僚から反論されたら、どこまで持論を主張し続けられるか自信はありません。

 余談ですが、この流動的な可能性が何より「真珠湾は日本軍による先制攻撃を誘うための餌だった」とかアメリカによる挑発や謀略といった論を否定する何よりの証拠になると思います。
 何しろ、未だに真珠湾攻撃による被害の事前想定をした資料が出てこないのですから。 
 もしこれがないのなら、ルーズベルトやハルは、軍部の意見や助言もなしに決めたとなります。どうなって戦局の見通しを考えたのでしょう?
 絶対にありえないことであり、組織というものについてまるで無知で観察力がない人の主張だと思います。
 日本人のセクショナリズムに日々身をもって苦闘していて、「昭和天皇は専制君主だった」との主張を未だに真面目に言える人に同じ考えを持っている庵より。

331

date 2007/9/23(日)10:27
uname betsumiya

subject re(2):戦利品

ペルソナングラータさま

返事が遅れて申し訳ありません。2〜3日、法事で西宮にいき、ついでに生まれて始めて姫路城をみにいきました。暑いせいか欧米系外人が多い気がしましたが、市民ボランティアのガイドは英語ばかりで、これは致し方がないかなどと思ってしまいました。松山城の天守閣にはなぜドイツ語の説明があるのかも謎ですが。

今は亡き師匠がハイデルベルグとの交換教授をやっていたときに、ベルリン大使館の復興運動をやっていましたが(けっこう本気で)、日本企業からの集まりがどうもよくなったということがありました。1990年代初頭でスキンヘッドのアジア人襲撃事件(北朝鮮が労働者を東ドイツにおくりこみ、ネオ・ナチがアジア人=新ユダヤだといって襲ってきた)が続出、日本人はなるべくネクタイ締めて街を歩けと日本のボン大使館からいわれていたころです。

40億円かかるといわれていた復旧費用の半額以上をドイツ政府が負担すると申し出て急遽まとまりました。

ところが、大使館前の通りはグラフシュペー通り(第一次大戦のとき、日本に太平洋から追いだされたことにたいするヒトラーの腹いせ。ヒトラーはシュペー艦隊の恨みをいい、日本との同盟に反対した)だったんですが、改修が終わると、ヒロシマ通りに変更しました。これは嫌がらせか、アメリカへの面当てだと思うんですよね。赤坂のアメリカ大使館前の通りを真珠湾通りにするようなもんでしょう。

『朝日新聞』がこれを快挙だとしていましたが、首を傾げますよね。東ドイツのスキンヘッド、日本の(国家)社会主義者、シドニーで赤旗ふってAPEC反対を叫ぶ連中の共通したスローガンは「自由貿易反対」です。『朝日新聞』も自由貿易反対の格差是正ですが、なぜドイツ人と日本の社会主義者というのは「反省」がないんでしょうかね。

軍艦の係留は金がかかるようで、けっこう多いのはドックや埠頭を使わない河川係留です。ただ、相当の基礎水量がないと、河川が氾濫した場合、軍艦が街を襲うかもしれませんから、淀川はどうなんでしょうか?多摩川・荒川の類はやめた方がいいですね。大阪ですが、大阪市内と大阪府内市町村とは景観が違うくらい、予算力が違うみたいですね。21世紀中は、人件費と箱物維持費用で大阪市財政は全部でしょう。軍艦維持費用は無理で、最上川流域にもっていった方がよさそうですね。こちらの財政はよくわかりませんが。

別宮

332

date 2007/9/23(日)10:43
uname はぐメタ=軟体金属

subject re(3):腐れ士官の捨て所?

別宮さま、困ぺい糖さま、皆様

レスが遅れて申し訳ありません。軟体金属であります。

「情報が多すぎると使いにくい」というのは事実と思いますが、そのことと情報担当軽視という風潮は繋がらないと考えます。

情報の精度の高さを判断するのも、精度を高めるのも、精度の低い情報からなんとか使えそうな情報を引き出すのも、すべて情報担当の業務です。

例えば、日本海海戦直前のバルチック艦隊の進路。
極論ですが、仮に日本に情報担当の部署が存在しなければ、バルチック艦隊がカムラン湾に来たことすら判らないのです。これでは戦いになりませぬ。
また、日露戦争で日本海軍はロシア艦隊の編成(戦艦○隻以下・・)を正確に把握していました。太平洋戦争の時のような敵兵力の読み違えは発生しておりませぬ。

また「専門家が見た情報しか信用できない」というのは正しいと思います。
であれば、情報担当の部署は、南西諸島や台湾の沿岸部や漁船に、偵察の訓練を施した専門の要員を紛れさせるという手段も考えられます。

暗号解読・目撃情報・スパイ情報、どれが信用できるかを判断するのも情報担当の業務でしょう。

少なくとも、腐れ士官の捨て所と呼ばれるほど大きな失敗をしたようには思えず、また信濃丸のように顕彰の機会も無いとは言えません。

333

date 2007/9/23(日)11:23
uname はぐメタ=軟体金属

subject re(4):岡田英弘批判?

黒田さま、別宮さま、素朴さま

>三国鼎立
古代中国の人口(より正確には農業生産力)が北に偏っていたのは確かで、そのことについては正史の裏づけもあります。
例えば、後漢時代の人口比。およそ魏:呉:蜀=30:12:7となっており、魏の人口は呉、蜀の合計を大幅に上回ります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E4%BB%A3%E3%81
%AE%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%88%B6%E5%BA%A6

ただし、諸葛亮が三国鼎立を唱えた200年頃は数少ない例外で、黄巾の乱以降、魏の領土から大量の難民が南へ移動しました。
諸葛亮自身の他、正史に名を残した人物でも、安全を求めて呉や蜀に逃げた者が多くおります。
故に、諸葛亮の三国鼎立の主張は、200〜210年の人口比を見るに、無理はなかったと考えます。

当然のことながら、魏の地域の戦乱が収まり、人口が農業生産力に従って回復してくると、呉と蜀の劣勢は明らかになります。

諸葛亮自身、そこまで長期間、三国鼎立が続くとは思っていなかったのかもしれません。
劉備の存命中に最低でも涼州・長安以西ぐらいは奪えると見通していたのではないでしょうか。

>人口と文明の進歩
自分も人口と文明の進歩には相関が無いと考えます。
文明が進歩したために人口が増えると言う傾向はあるかもしれませんが。

中国の歴史で見ると、漢代以前の方が、現代よりも文明度が高いように感じます。
春秋戦国時代は言論の自由がありましたし、漢代、三国時代までは言論・思想弾圧する君主とそれに対抗する気骨ある思想家・科学者という場面も見られました。
現代中国にはそれがありません。

334

date 2007/9/23(日)12:02
uname 高城

subject re(3):戦利品

別宮さま みなさま

横からになりますが・・・。

松山はフライブルグ市と姉妹都市で、ホームページもドイツ語でも読めるようになってます。むこうに事務所を開いたりして、何とか活用しようと必死のようです。フライブルグ通りというのもありますね。

大阪に関していつも思うことがあるのですが、中心部(大阪市)の財政が悪いのは構造的な問題もあって、大ロンドンのように大きくしないと問題は解決しないのではなかろうかと。宜しければご意見をお聞かせください。

高城

335

date 2007/9/23(日)15:31
uname ボストン

subject re(1):真珠湾の目標

その通りだと思います。
当時の建艦計画なども戦艦重視が現れていると思います。

しかし私は山本長官は当初から空母を狙っていたものと思っています。
連合艦隊のトップである山本長官が更なる攻撃を打診しなかったのは、ひとえに空母がいなかった事と陸上施設の軽視だと思われます。

336

date 2007/9/23(日)15:59
uname ボストン

subject re(11):真珠湾第三次攻撃は可能だったか!?

分散して文章を書いたので、ここに纏めてみます。

・陸上施設の重要性の軽視
・目標である太平洋艦隊主力戦艦を全て撃破した事
・空母機動部隊がいなかった事
・敵機動部隊の奇襲や潜水艦の攻撃を考慮に入れると、航空機だけじゃなく主力艦を潰される可能性があった事

が理由で第3次攻撃は見送られたと思います。

攻撃しなかった事について単純に結論を言えば
打撃を加えられれば有効だったが撤退はしょうがない。
と思います。

337

date 2007/9/23(日)22:15
uname betsumiya

subject re(4):腐れ士官の捨て所?

困ぺい糖さま 軟体金属さま

通常、軍事外交当局や「投資家」が参考にする情報は「公開情報」と「非公開情報」に分かれます。

投資家(部門)であれば、普通、公開情報しか参考にせず「非公開情報」はいっさい入れないよう遮断します。銀行であれば融資セクションであれば増資情報・合併情報が事前に入手できますが、本部の審査部門以上には普通回らないようにチャイニーズウォールが設けられ、他にはいかないようになっています。これは社内規則・管理体制も含めて銀行検査の対象になっており、厳格に守られていると思います。

公開情報は公開ゆえに関係者のチェックが入ります。それだけ価値が高く、普通、情報分析というのはこれだけによります。史料も同じで、最近になって『極秘日露海戦史』が発見され日本海海戦に大きな参考資料が現れたなどと「発見」した防衛研究所の人々は書きますが、これは歴史学の初歩がわかっていない議論です。すなわち、「公開」されていない戦史(当然"Genearl Works"ですが)は、戦争参加者によるチェックが入っていません。それゆえ、正しようがありません。それゆえ史料としての価値は劣ります。『公刊戦史』とバッティングする部分は『公刊戦史』をとるべきなのです。

この情報についての要件は戦時中の軍事当局にもあてはまると思います。バルチック艦隊がカムラン湾にきた、はタイムス以下世界中の新聞が報道した「公開」情報です。これはやはり正しいのです。このあと、ローカル新聞を初め、消息筋、信頼すべき筋、等数十の情報が連合艦隊司令部に届けられましたが、少なくとも東郷は無視しました。以降も民間船舶情報が入りましたが、東郷が採りあげたのは口之津に入港したオスカル二世情報だけです(バシー海峡でじっさいに臨検をうけた)。ローカル情報以下は非公開情報です。そして伝聞情報を無視して、実際情報だけとりました。

日本は日露戦争期間中、情報エージェントは中国を除いては置いていません。ロシアもじつは海外スパイ網をもっていませんでした。急遽、内務省所属スパイ・エージェント網を海外に派遣しました。彼らは、イギリスにも潜り込み、そこで日本海軍水雷艇基地発見、発進準備中とロジェストウェンスキーに報告しました。これがドッガー・バンク事件の始まりです。これは有害情報であることは明らかですが、彼らは内務省雇員という「プロ」ですが忠誠心も含め海軍情報のプロとはいえません。この当りが難しいといえます。

日露戦争の成功体験によって日本陸軍は支那通を中国軍閥に顧問として派遣し続けました。今でも大半の日本・中国の歴史書には直隷派は英米の安徽派は日本の支持をうけており、極端なのは安直戦争は日本対英米の「代理戦争」と書くありさまです。これは真っ赤なウソで、日本が安徽派を西原借款などで支援したのは事実ですが、英米は直隷派を支援したりはせず、スポットで武器を売った程度です。

事実は直隷派頭領の呉佩孚が顧問としてアメリカの退役軍人を雇ったということだけです。日本人現役少佐も顧問につけられていましたが、呉佩孚は意地悪をして意見具申のたびに「この者の意見は正しいか」とアメリカ退役軍人を呼び意見をきいたんですね。これで日本人は怒り、本省に「呉佩孚の背後の英米あり」と伝えたんですね。それが洩れ、日本の新聞だけが報じ、いつの間にか中国で覇権を争う英米とされました。そして、これが事実であるとして日本と中国双方の学校教科書に今でものせられているのです。中国人の「以夷制夷」の成功例ですが、陸軍情報当局が分析能力を欠いたせいでしょうか、それとも?

別宮

338

date 2007/9/24(月)08:58
uname betsumiya

subject re(4):戦利品

高城さま

松山城については、市が小天主復興時のビデオを実演していますが、「松山城は封建権力が関係したものであるが、じっさいに建造にあたったのはここに住む職人であり」と1時代も2時代も古いマルクス主義的歴史解釈をやっており、吹き出してしまいました。この一方で、秋山兄弟で町興しをやろうというのですから、矛盾ですよね。

市民感情で桑名から転封になった松平氏(維新後久松氏)に未だ馴染をもてないという所があるようですが、秋山好古は久松家当主が騎兵学校入学のため、フランスに留学したのが本邦一の騎兵家になるきっかけです。正岡子規は関係ありません。ここの下りが『坂の上の雲』とか市史にもきちんとしていないんですよね。明治維新をやりそのあと帝国陸海軍の中心をになったのは武士階級であって、百姓・町人が陸大・海大を卒業し、エリート軍人になってから急速におかしくなったのは紛れもない事実です。

ドイツのフライブルグもいいんですが、文化財行政をやる教育委員会もなんとかせねばいけないのでは?

大阪府は東京都と違って、固定資産税や法人市民税、法人税の市町村への還元分は市内の区はともかく、府下の各市へは人口による頭割りはやっていないと思います。それで租税収入が大きいため、市起債枠が広がり、借金で箱モノを乱発したんじゃないでしょうか。日本の国庫も同じですが、収入が大きいほど借り入れが簡単で、不必要な投資をやってしまうことはよく起きます。消費税をあてにして国債乱発・大盤振る舞いをやった竹下内閣が好例でしょう。

ご提案のように東京都と同じく、大阪府で市町村収入を一本化し、そのあと割り振れば、「大阪市」の収入は減りますが節度は保たれます。これだと借金の肩代わりはできるにせよ、一時的に投資が難しくなります。それでいいのですが、それまで利権に預かってきた出入り業者などは反対でしょう。そのうえ日共・公明・反差別団体がそれら利権団体の中心ですから、議会多数は反対です。市民の政治意識が向上し、まず投票にいかないと無理でしょう。

別宮

339

date 2007/9/24(月)11:46
uname steinbrunner

subject re(11):真珠湾第三次攻撃は可能だったか!?

皆様の中にも様々なご見解があることを知る事が出来てとても勉強になりました。

海軍に関してはあまり知識がないので、様々な見解に触れる事ができてとても参考になりました。

やはり損害を省みず戦果を拡大するか、長期に渡る戦闘を考慮して攻撃を中断して戦力を温存するか、
やはり難しい決断であったのだろうと思います。パイロットを養成するには時間も費用もかかりますから
戦力を温存したいという気持ちに傾いたのも分かる気がします。車に親しんだアメリカの青年と車すら触れた事のない
日本の青年を一人前のパイロットに育成するのにはやはりパイロット養成の土壌も違ったでしょうし。
また航空機の生産能力も桁違いに違うという認識もあったのだと思います。

話は違うのですが、帝国海軍の艦艇に電信機というのは搭載されていたのでしょうか?ご教授戴ければ幸いです。

あと家に海軍大学校の所蔵印のあるNEVAL OPERATIONSという第一次世界大戦の海戦に関する書籍が数冊あるんですが
貴重な本なのでしょうか?

340

date 2007/9/25(火)07:07
uname 高城

subject re(5):戦利品

別宮さま

松山城は子供時代以来建物内には入ってないので知りませんでしたが、建てたのは職人とは恥ずかしいですね・・・。ということは、本を作ったのは印刷業者なので、ヘボマルクス主義者の駄文の文責はそっちにあるのかもしれません。・・・といいますか、関係者のみなさま、もしこれを読むようなことがあれば、直ぐに直してくださいね。郷土の恥ですよ。

松平氏には馴染んでないでしょうね・・・。外来の上に「朝敵」で簡単にやられてますから人気はキビシイものがあります。古代においては今でいう道後温泉に数多くの皇族方が行幸されたという話は有名で、今でも道後温泉は重要な観光資源です。昭和天皇も来湯されてますね。中世に一貫して支配してるのは土着の河野氏ですが、承久の乱や南北朝期に上皇・南朝方というのもあります。河野氏ゆかりの湯築城址は日本庭園にするとかいう話をつぶして保存の方向にしました(市民運動?)から、土着の意地もあるかもしれません。加藤嘉明なんかは松山の命名者でランドマーク松山城の(それこそ本当の)建築者なので有利なところがあります。また、加藤嘉明の家臣足立重信は大土木工事を行って、日本では珍しい個人名つきの重信川(松山平野では最大)というのもあったりします。江戸期にはありがちですが、松平氏も血統がコロコロ変わって養子が多く、訳分からんということもありますね。

ただ、別宮さまの仰る通り、秋山好古は久松家に世話になってますし、松平氏のつくった明教館出身でもあります。明教館の後身松山中学からは秋山真之・白川義則上海派遣軍司令官も出てます。(実はそのまた後身松山東高が我が母校だったりもして、移築され今に残る明教館の周りの掃除とか当時よくしてました・・・どうでもいいか。) ともあれ、秋山兄弟で町興しをやるのなら、その辺をハッキリさせなければいけませんね。朝敵だったらどうした?武士が悪いか?でしょう。自分は百姓の類の子孫だとは思いますが、明治の元武士階級の活躍は賛成で、全く別宮さまの仰る通りだと思います。急速な改革・変革の悪影響はもっと考えられなければいけない問題ですね。漸進だと「革命」に比べ、論のキレが鈍るのが難点ではありますが。

実は松山総合公園という所にフライブルグ城とかいう中途半端なしょーもない城壁建築(しかも松山城に対抗してか山の上で結構目立つ)がありまして・・・。姉妹都市という奴も特になんのゆかりもない急な義姉妹ですから、上手に利用しないとおかしなことになります。視察旅行だとか身から出た錆ではあるんですが。どう見ても無駄なハコモノはイラッとしてしまいます。

大阪の苦境は自業自得と思いますが、巨大な大阪の問題は大阪だけの問題ではすまないので・・・。奈良や兵庫あたりの「府民」にも関係しますしね。伝統の問題もありますし、とりあえず出来るところから市と府の関係は見直した方がいいと思いました。ただ、大阪都構想なるものは(誰でも考えることで当たり前といえば当たり前ですが)既にあるらしく、大阪市問題だとか泥沼みたいですね。気軽に書いて失敗しました。失礼しました。

高城

341

date 2007/9/25(火)08:28
uname betsumiya

subject re(6):戦利品

高城さま

松山市の例のビデオや城内の説明については、マルクス主義系「教育委員会」のせいで、全般的に大間違いです。

松山城は平山城です。平地にある独立高地に城を築くものですが、こういった城は城下まで攻め込まれたら、脱出路・兵站路がなく継戦が難しいんですね。抵抗は時間稼ぎに過ぎません。ですから姫路城や名古屋城のように街道沿いに大規模ななものが造営されるのが普通です。この場合、外堀・土塁は同心円状に築かれるのが普通です。

そしていわゆる城自体は、最後の抵抗拠点ではありますが、そこまで攻め込まれたら終わりというのは、当然でしょう。

松山城の場合、外堀は、ご指摘の重信川でしょう。次なる防衛線は石手川です。これらは人工物ですが、同心円状ではないので、明らかに敵なるものの想定は、宇和島=土佐でしょう。河野氏も加藤氏もあまり攻勢を考えなかった大名なんでしょうね。ともかく松山城大工建造説になると、おそらく足立重信が主君から命令された防衛構想については、まったく想起できないことになり、歴史の浅い理解になってしまいますよね。

秋山兄弟、白川大将は希に見る優秀な軍人です。とくに政治性がないところが偉大というべきでしょう。山縣が倒れ、田中義一が失脚すると長州派は「さようせい」だから秋山大将を陸軍大臣に起用せよといっています。陸軍の「政治」とは武藤・佐藤ら社会主義者が幅をきかせるまで、人事のことでした。この3人は、自分・徒党の人事に興味がなく、また大アジア主義に染まらない国益だけを考えるところがありました。いずれも英米仏留学経験者で、世間が広かったんでしょうね。

奥道後に銅像のある勝田主計など西原借款関係者も松山出身にはいますけどね。この対抗のためにも秋山兄弟の銅像はけっこうなことだと思います。

別宮

342

date 2007/9/25(火)16:26
uname ロック

subject re(12):真珠湾第三次攻撃は可能だったか!

steinbrunner様

「帝国海軍の艦艇に電信機というのは搭載されていたのでしょうか?」
という質問に対してですが
日本海軍の電信機は日露戦争の時にもかなり活躍しております
三六式無線電信機はかなり有名かと思われます
また当時の世界水準からみますと質と量 錬度において優れていたと思われます
二次大戦になりますと少し状況がかわりますけれども

343

date 2007/9/25(火)21:06
uname steinbrunner

subject re(13):真珠湾第三次攻撃は可能だったか!?

ロック様

早速のご教授ありがとうございます。日本海海戦の時に使用された無線機が三六式無線電信機でしたか。
あの信濃丸にも搭載されていたのでしょうね。

どうして日露戦争では電波兵器に関しては最先端を走っていたのにも関わらず、第二次世界大戦では電波兵器に関しては
遅れをとったのでしょうか?あの欧米でさえ八木博士のアンテナを採用したのに。不思議です。

344

date 2007/9/26(水)00:08
uname 海軍好き

subject 古代中国 >> 古代中国

はぐメタ=軟体金属さま

横浜ではお世話になりました。海軍好きでございます。
三国時代についての考察、ありがとうございます。
なんか、戦略家としての孔明の考えていたことが分かってきた気がしました。

[前提]戦乱が起きる度に北から南へ人口が移動する

・劉備の人材に蜀の人材(法政など)を合わせて、魏に対して攻勢に出る
・涼州、長安以西を獲得する
・戦乱が起きれば北から南へ人口が移動するので、蜀にとって幸い
・劉備存命中に魏呉蜀比を25:12:12くらいにする

これができれば、国力では呉と合わせて魏に対抗できるし、人材面でも引けを
とらないでしょう(あとは活用と運用で決まる)。

なので、孔明にとっての誤算は劉備が漢中王になったあと、呉とガチンコの戦争を
やることになるとは思っていなかったところでしょうか。呉としては蜀と共闘する
他ナシだから呉から攻めてはこれまいと考えていたのかもしれません。

にしても、おっしゃるとおりに『貞観政要』に見られるように唐くらいまでは、

賢臣の命を張った諫言

というのがありますが、それが明代以降になると全く見られなくなりますね。
何故でしょうか?

わたしは、元滅亡後の中国にはあまり関心が無いのですが、多分、そのあたりが
原因なのかなあと考えます。

とはいえ、詳しい訳でもないのでそのあたりについて異論のある方がいらっしゃれば
ご教示下さいませ。

345

date 2007/9/26(水)00:12
uname 海軍好き

subject 古代中国 >> 近現代中国 のあやまりです

自己レスですいません。
タイトル間違えていました。

古代中国 >> 古代中国

では訳分からんですよね(爆)。

346

date 2007/9/26(水)01:22
uname ペルソナ・ングラータ

subject re(1):古代中国 >> 近現代中国

軟体金属様、海軍好き様、皆々様

>賢臣の命を張った諫言というのがありますが、それが明代以降になると全く見られなくなりますね。何故でしょうか?

個人的には、科挙と宦官の制度が原因だと思うんですよね。唐代までに存在したような、科挙関係なし、高名な家門の出身者の宮廷人だと、たとえば司馬遷のようにタマタマをとられてまでも諫言する勇気(義務感)も生まれてくるでしょうが、勉強に貴重な青春を犠牲にし、あるいは自分の男性器を犠牲にしてまで宮廷に入ろうと努力する人間には、たぶんそういう自負は生まれてこないでしょうね。当然保身が第一になります。

宦官は増え続け、特に明代にすごい数になりましたけど、日本と西欧はそういうシステムを持ちませんでした。(欧州に虚勢歌手はいましたけど)。こんなこと、たとえ高級官僚になれるとしても、私は、絶対にいやですねぇ。(お受験ママさんたちならば、何をやらかすかわかりませんが…)

ペルソナングラータ

347

date 2007/9/26(水)01:49
uname だだえもん

subject re(1):古代中国 >> 古代中国

軟体金属様、海軍好き様、ペルソナ・ングラータ様

ごくごく個人的な感想ですが、宋と元の間で、ある種の断層がみられるように思えます。
宋は中国歴代の王朝の中では領土も一番狭く、あまりぱっとしないように思われていますが、総合的には一番優れた王朝だったのではないか、と私は思っています。
前の王朝の皇族の人々を根絶やしにせず厚遇していますし、政治的な言動が元で粛清された人もいません。

それが、元になってから、いったん士大夫の伝統は途切れました。

元が亡び明になって、再び漢民族の王朝になったものの、明は元の悪いところ(武断主義、士大夫軽視、あからさまな実利志向、重臣を大切にしないところ、等)をかなり濃厚に受け継いでいるように思われます。
明の太祖洪武帝が、功臣を大規模に粛清したのは余りに有名ですし、その後も方孝儒、于謙、袁崇煥といった忠臣が次々に粛清されています。

現代中国の性格は、この頃に大体出来上がったのではないか、とすら私は思っています。

348

date 2007/9/26(水)07:52
uname 海軍好き

subject re(2):古代中国 >> 古代中国

ペルソナ・ングラータ様、だだえもん様

ありがとうございます。
科挙・宦官の保守化、そして士大夫軽視ですか。なんとなく分かった気がします。

仰るとおり、宋までと元は王朝として全く違いますね。
そして、明は元のアカンところを引き継いでしまい、それがそのまま現代に至る、
ということですね。なるほど。

確か、NHKの歴史講座を見ていて、明の太祖洪武帝のところで嫌気がさしたのを
良く覚えています。また、明の滅び方も情けないですね。

せめて、どこかで古き良き(宋までの)中国が復活してくれれば、
隣国としても付き合いがいがあるのですけどね・・・

海軍好き

349

date 2007/9/26(水)08:25
uname betsumiya

subject 現代中国 >> 古代中国

だだえもんさま 皆さま

清代の政治史をみて驚くのは、清朝に貴族がいないことです。皇族はいますが、世襲身分として特権があるのは八旗だけです。八旗の特権は科挙官僚に隷属する吏僚になれるだけです。西太后の実家も八旗ですが、生活は苦しく、父親は満州語と漢語の通訳から日本でいえば財務省理財局係長程度です。16歳までが知られていないだけでなく、男兄弟の動静は不明です。

科挙官僚を出す家系、日本人東洋史歴史家(大半がマルクス主義者)が読書人階級(郷神は既に科挙官僚を出した係累)と呼ぶ家柄は何ら特権をもっていません。さらに日本人は中国が地主社会という認識ですが、19世紀初頭の中緯度の国家で自作農比率が一番高かったのが中国(清)です。つまり、18世紀における人口爆発が現代中国の原型をつくったとみていいと思います。それより以前は夢のまた夢です。18世紀における河南・直隷・山東以外における耕地面積の拡大が人口爆発の鍵であり、結果として開拓農民が自作地をもったということでしょう。

中国人は自由・平等は古代(せいぜい秦の一時代を除き)からあった、また中国の税金は常に安かった(=圧制はなかった)という認識です。孫文などはルソーの人権思想は誤りだ、中国に自由・平等は不必要、とまで述べています。このあたりは中国人独特の社会ダーウィニズム(または選民思想)で、中国人は他の国民より「頭がいい」ので、(ヒトラーのように武力でなく)、他国民(=遊牧民)を文化的に吸収したという自信にもとづきます。

そのうえで「日本の人口と土地とは、中国の八分の一か十分の一である。そこで日本が八年か十年で完成する仕事は、中国は一年か二年で出来るはずである」と続けます。この自信が中国を誤らせたのでしょう。

世襲貴族が絶えたのは遊牧民に占領されたためですが、それでも「忠臣」の概念は日本とは異なります。『孟子』(離婁章句・下)には、「君主は臣下を土やゴミのようにしかみないのだから、臣下が君主をみるのは外敵や仇のようにみるのは当然だ」とあります。春秋戦国のころ、官僚は主君を選んで転々としていたのであって、世襲ではありません。明代、君主が科挙官僚を次から次へと撲殺したのは、彼らの大半が日本的な意味での「忠」臣ではなく、私利・私欲から国益に反することを主張したり実行したからでしょう。財務官僚や厚生官僚が、首相・大臣になり好き放題始めたら恐ろしいですよね。李氏朝鮮がその状態になり、人事をめぐって党争となり、出鱈目と化しました。昭和前期の陸軍にも「陸大試験」のためですが、その傾向があります。橋本欣五郎はトロツキー主義者で「天皇中心」をいいましたが、忠臣かといわれればどうでしょうか?明代、官僚とは責任をとれず、世襲でないので責任をとらせるのは死罪しかなかったんですね。

この事態は今の社会保険庁ネコババ役人をどうしようもないのと一緒です。世襲であれば「お家断絶」だと責任をとらせることが可能です。終身雇用を前提とする国家(地方)公務員法が悪法で、警官・自衛隊員・消防署員以外スト権を認めてしまえばいいんでしょう。官僚の終身雇用は世襲と裏返しの話で、科挙(試験)で終身雇用をやれば人間、徒党に走り、自分の役職を自分で決めたくなります。中華文明が誤りで、政治体制は「自由・平等」を基礎にした民主主義しかないんでしょう。日本は明治立憲でそれを実現しましたが、昭和初期、(国家・国際)社会主義者がそれを中断しました。それでも社会主義軍人はみな「天皇中心」を叫んでいました。2・26事件決起軍人もそうですが、民間人・北一輝はそれを欺瞞と知って最後に「天皇陛下万歳」を叫ばなかったんでしょう。

宦官も中華文明における科挙制度の裏返しです。世襲貴族から主に后を選べば、浮気などすれば実家が潰れます。それに日本やヨーロッパでは后の生活費は実家もちです。ところが中国の後宮は、庶民・蛮族からの子女で構成されています。明代の宦官は朝鮮族・苗族・荘族が中心でしたが、清代には漢民族になったのもこの被征服民族からという表れです。なぜ中国から東ヨーロッパにかけてこういった制度ができたかといえば農業労働生産性の低さが原因のような気がします。

別宮

350

date 2007/9/26(水)09:59
uname med

subject re(3):古代中国 >> 古代中国

海軍好き様、だだえもん様、皆様、

大変失礼な言い方ですが、古代中国が良い国だった、というのはある意味幻想かと。

中国史でまともに資料が、つまり複数系統の資料が出てくるのは元以降、厳密には、明以降なわけです。
それ以前は、「正史」しかありません。
この正史とは、大本営発表であり、最も都合の悪いことは隠されていると見てよいでしょう。また、結構いい加減なものも目立ちます。

正史以外は燃やされて残っていないという中国の風習が特異なのだと思います。

元、明以降の中国に粗が目立つのは事実ですが、それだけ判っているということでもあるかと。
逆にそれ以前が「正しい」という保証も全く無いように考えます。
まあ、「悪い」と決め付ける論拠も無いのですが。
この辺り、別宮様が時々「神話」と書いておられますが、確かにそういう面があります。

三国志の戦略、戦術などあまり深入りされないほうがよろしいかと。
私も昔、少し研究したのですが、すればするほど矛盾が大きくなります。

孔明の「北伐」は蜀の桟道を利用した物で補給に苦しんだ。このため孔明は「木牛」、だか「木馬」だかを発明しこれを克服した。などなど、・・・
この孔明の発明、しょせんは人力の補助です。
人力で過酷で長い山道に補給路を設定し、前線の1万人だか3万人だかを補給した、・・・どう考えても無理です。
まともに計算すると、前線1万人の補給に、輜重兵が最低でも3万人ぐらい、恐らくはその倍が必要となります。
そもそも当時の蜀の人口からしてどうなのか、食料生産性と余剰人員なんてことを考えていくと、なんか全てが嘘としか思えなくなってきます。

山道の補給路という点に付いては、第二次大戦の南海支隊の例などを参考にすると判りやすいかと。

中国の三国志の時代というのは、良く考えてみると、一流の英傑のいなかった時代です。
「三国志」というのは実は「三国志演技」と50歩100歩の世界であり、イリアッドを基に古代ギリシア軍の戦術を論議するのとさして変わらないのではないかと考えています。
曹操、孔明というのはアキレウスやヘクトールのように当時の、狭い範囲の中では英雄だったという人物でしょう。

med