過去ログ1-50

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date 2007/12/1(土)08:58
uname betsumiya

subject 1918年のドイツ大攻勢

sai夫さま

カイザー戦では、徳島の板東ドイツ兵収容所で松江中佐が「それゆけドイツ!もう一押しだ」と演説したのが有名ですが、突起部をつくると勝ったような気がするのは事実です。

その22年後、チャーチルがパリのケードルセーの情景について、「セダンのこの小さな、しかし不気味な突起部をみながみつめた。窓の外では第3共和国の機密書類が炊かれた煙がみえた」と書いています。ガムランはセダン突破の数日後に敗北を覚悟しているんですね。

この二つの違いは何かという点です。戦術的には「速度」、戦略的には英軍の過少、米軍不存在でしょう。どちらがより大きいかといえば、後者でしょう。フランスは外交で負けたんですね。ベルサイユ条約が失敗、ルール進駐が失敗、ドイツの社会構造理解の失敗でしょう。プロイセン=ユンカーというのは、反ポーランド・親露・反仏でまずこの勢力を削がないと駄目ですよね。賠償金を取らずに、ドイツを東西に、プロイセン=ブランデンブルグ・ポンメルンとその他に分けるべきでした。

一般には突起部を攻めるには、相手側兵力を上回り、かつ突起部先端兵力の交通を断つ必要があります。これは局地兵力集中と突破力が関係しますから、用兵家は難しいですね。相手が新技術への応力がないとか訓練がないとか、弱点への着眼が要ります。いわば、戦前の陸大教育のようなことになりますが、相手に重戦車集中使用・輸送機・自動車化師団など新機軸をやられ、自軍指揮官は教科書丸暗記タイプだと、やられますよね。

別宮

2

date 2007/12/2(日)11:14
uname ま

subject 教えてください(*_*;)

はじめまして。
高校の宿題で「二回にわたる世界大戦を経て」
という題材で600〜800字で文章を書かなければいけなくなったのですが
第一、二次世界大戦の内容把握が出来ていなくて
その宿題に手がつけられません(>m<)
このページを参考にさせて頂いて
書こうかと思いましたが、なかなか難しくて…
第一、ニ次世界大戦の内容を
まとめて教えて頂けませんかー?

3

date 2007/12/2(日)11:33
uname 困ぺい糖

subject re(1):教えてください(*_*;)

ま様

戦争というものは国を挙げての大イベントです。当然、大戦争だと参戦国の国民生活は毎日のおかずから始まって全部影響を受けます。

20世紀の2つの大戦争はその傾向がより強くなりました。したがって、漠然と何が変わったか?ときかれたら、「全部」と答えざるをえません。そう、全部。

どうも先生の課題の出し方に問題がありますね。たとえば、外交、経済、軍事、その他と絞っていただいたほうがいいんじゃないですか?単に戦争のおかげで大きな変動が起きてイヤですね、だから戦争はないほうがいいですね、といった程度のお話だと、400字もあれば終わります。
でも、これだとただの印象批評といって、2つの戦争の本当の姿をたとえば歴史的に論理的に解析するのとは正反対なことになってしまいます。

あえてまとめるなら、第一次大戦はドイツの、第2次大戦はこれまたドイツのイニシアチブではじまった戦争です。ではドイツ人が何を考えて何をしでかしたか、外交の軽視、戦争計画の貫徹です。目の前の戦争のほうが外交よりも優位だと第2帝政の参謀たちもヒトラーも考えたんですね。
これが今の世界の姿を作ることになりました。

困ぺい糖

4

date 2007/12/2(日)11:49
uname ま

subject re(2):教えてください(*_*;)

>>困ぺい糖

お返事ありがとうございます。

「あえてまとめるなら、第一次大戦はドイツの、
第2次大戦はこれまたドイツのイニシアチブではじまった戦争です。
ではドイツ人が何を考えて何をしでかしたか、外交の軽視、戦争計画の貫徹です。
目の前の戦争のほうが外交よりも優位だと第2帝政の参謀たちもヒトラーも考えたんですね。
これが今の世界の姿を作ることになりました。」と
まとめていただきましたが、よければ
もっと詳しく教えて頂いても大丈夫ですか?
ドイツ人が考えていたことや何をしでかしたか、など 
わからないことだらけで…すいませんっ_(._.)

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6

date 2007/12/2(日)13:17
uname だだえもん

subject re(3):教えてください(*_*;)

ま様

宿題でお困りのことですが、まずはこうしてみてはどうですか?

1 まず、高校の世界史の教科書の、第一次大戦と第二次大戦について書いてあるところ、およびその前後を熟読してください。
 一度読んで頭に入らないようなら何度でも読んでください。
 「えっ教科書?」なんてバカにしてはいけません。少なくとも、世界史の教科書はなかなか良くできているものが多いのです。
2 教科書を読むにあたっては、できれば年表も(大抵は教科書と一緒に買わされることが多いですよね)、横において見てください。
 時系列がわかったほうが理解が進みますから、こと歴史については。
3 どうしてもわからない単語があれば、最近ではネットという便利なものがあるのですから、面倒くさがらず検索してください。
 ヒットしたやつのいくつかを読めば、大体のことはわかります。
4 上の1〜3をやれば、「どこの国とどこの国がどーなってこうなって」という、事実の把握くらいはできます。
 今度はそれを、文章にしてまとめてください。
5 上の4でまとめた文章を、何度もよく読み返してください。そうすると、疑問に思うことが出てくるはずです。
 (疑問が何も浮かばない、というなら、浮かぶまで何度でも読んでください。)
 例えば「ドイツは第一次大戦で負けて、何故もう一度第二次大戦を始めたのか?」とか。
 紙の都合もありますから、この疑問はひとつかふたつくらいでいいでしょう。
6 疑問が浮かんだら、今度はその疑問について答えが書いてあるところがないか、「自分の力で」探してください。
 このサイトを読んでも良いですし(ただ、高校生の人にはかなり難しいかもしれません)、他のサイトを見ても良いですし、あるいは図書館なり本屋なりに行くとか。
7 以上の1〜6までやった上で、「どうしても」わからないところがあるというなら、そのときは、この掲示板にレスしてください。

大事なのは「まず自分で調べる」「自分なりに自分の頭で考える」という気構えです。
何でもかんでも「ネットの掲示板で質問したら教えてくれる」なんて思っては駄目です。
そういうのは「教えて君」とか呼ばれて嫌われます。参考にしてください。

7

date 2007/12/2(日)16:37
uname ブラックウォーター

subject 誰を分祠すべきか

別宮さま、みなさま

毎年の問題になる靖国問題ですが仮に分祠するとなった場合、誰と誰を分祠すべきだとお思いでしょうか。

私個人の意見としては中韓に屈した形にしないのはもちろん、また『A級戦犯分祠』というのは東京裁判で定められた枠組みを認めることとなりますから、A級戦犯と言われる方々についてもやはりそれぞれ個別に審理すべきたど考えます。
ただ別宮先生のサイトを見させていただく限りやはり東京裁判を否定したとしても少なくとも東条は分祠すべきではと思います。
私的なチャハル出兵や逆らう者を懲罰徴兵として南方に送り込んだりと当時の視点からしてもやはり罰せられるべきではと感じます。ただ簡単には実行は難しいかなと思います。中韓は間違いなくツケあがり『次はBC級にしろ!!次は参拝をヤメロ!!』というのは確実ですし。だからと言って『過ぎた事はいいじゃないか』と何もしなければ国民が納得しないように思いますからニッチもサッチも行きませんね。
『日華事変は侵略、大東亞戦争は自衛』と思っている人もいまだ多く、誰がどのように決めるのかそれだけでも頭が痛くなりそうな話ですが…

8

date 2007/12/2(日)17:37
uname ペルソナ・ングラータ

subject re(4):教えてください(*_*;)

ま様

確かに、「二回にわたる世界大戦を経て」、という「お題」は、結構難しいですね。大理石の塊をポーンと渡されて、「好きに彫刻してください」といわれれば、ミケランジェロやロダンならともかく、素人はフリーズしてしまいます。作文で本当に難しいのは、この点なんですよね。

でも、それをやりこなせるようになる、というのもまた勉強なんですよね。かなり漠然とした自由なお題ですけど、自由と責任を学ぶ、と言う意味もあるかもしれません。先生がどんな答えを望んでいるのかとか考え出すとキリがなくなりますしね。お題が「二回にわたる世界大戦を経て」ですから、「経て、どうなったのか」ということを聞きたいのかもしれません。これを見つければ、宿題は90%完成です。

方法論としては、やはり彫刻と同じで、まず対象物の大まかな形を把握して(そのためには、だだえもん様が言われるように、教科書を読んでみるのもすごく役に立ちます。「第一次(第二次)大戦とは何」「太平洋戦争とは」というのであれば、大きな辞書にも何か書かれています)、そこから気がつくことや気になることを大まかな文章にしてみるのがいいとおもいます。そうするうちに、さらに細かいことに疑問を持ち、調べれば細部が見えてきます。それを説明すれば、論文(作文)としては完成です。

私は性格が甘いんでしょうねぇ、困ぺい糖様の説明におまけで一言書きますけど、第一次大戦は、サラエボ事件(調べよう)のあとのオーストリアとセルビアの間の戦争に対して、オーストリアの同盟国のドイツが、セルビアの友邦ロシアの同盟国であるフランスに攻め込むことで始まりました。理由は「こうすれば勝てると思ったから」です。(ややこしい話ですね。このサイトの「シュリーフェンプラン」を見ると参考になります)。第二次大戦はドイツがポーランドに攻め込み(ポーランド侵攻)、始まりました。理由は同じく「勝てると思った」からです。日本のかかわる部分は、太平洋戦争(これも調べよう)です。

そして結果を一言で言えば、死屍累々、惨憺たる戦死者の山、でしょうか。

がんばってください。

ペルソナングラータ

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10

date 2007/12/3(月)08:49
uname 遼馬

subject re(5):教えてください(*_*;)

ま様
 皆様、お久しぶりです。なんだかどうしょうもないぐらい忙しくてロムになっていました。
 
 たぶん、先生の意図は、大戦の経過なんかどうでも良くて、その結果、どうなったかを書いて欲しいのでしょう。
「二回の戦争で、多くの国が殺し合いの愚かさに気づいて、平和の尊さを学ぶようになり、戦後、国連を中心として平和を維持するようになった」

 こんな程度の文章を美辞麗句と参考文献丸写しで、文字数を増やせば、満点をもらえるのではないでしょうか?

 間違えても、このサイトを熟読して(ここの常連様に近づこうと勉強して)、真実に気づいてはいけません。
 そんな事をしたら(宿題を出された先生が日教組であった日には)、落第になりますよ。

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12

date 2007/12/3(月)09:42
uname betsumiya

subject 闇黒裁判

ブラックウォーターさま

A級戦犯分祀論は、東京裁判に関連するので、それを評価せねばなりません。東京裁判については、米国司法における最悪の闇黒裁判とみなすべきでしょう。

この場合、バール判事のような「頭ハネ」、すなわち戦争犯罪を国際法(国際裁判)で裁くべきではない、といった論点にたつべきではないと思います。問題は訴訟手続きの誤り、法理の誤解、検事・弁護人・裁判官の無能、事実審理の誤りです。

そもそも、戦争犯罪裁判とは「平和に対する罪」=開戦責任を問うものです。戦争開始については、日本が当事者であるベルサイユ条約、ケロッグ=ブリアン条約で違法性が確定しています。では戦犯裁判の対象となる戦争とは何かといえば、「太平洋戦争」であるべきです(大東亜戦争>支那事変ではなくて)。

これにたいして、検事は「開戦責任」をバカなため理解できず、満州事変・支那事変・ノモンハン事件・太平洋戦争を「軍部≒陸軍」とその仲間達が徒党をつくって「世界征服」を企み、戦争を次から次へと引き起こした「責任」を問うといい出したんですね。日本にNSDAPがあると思ったんでしょうね。ともあれ、検事の訴追方針、法理の適用は誤っていますから、まともな国における刑事裁判であれば、全員無罪です。

東京裁判との関連だけで、分祀の是非を論じることは無理があります。問題は平時における国際裁判(BC級は国際裁判ではない)の刑死者を戦没者と同列の靖国神社の祭神としていいかという問題です。また靖国神社の祭神は国家にたいし義務として「無私」の精神で奉仕し戦没した人々です。硫黄島の戦死者とソ連兵と向き合い命を断った真岡の電話交換手と、松岡・白鳥が同じでしょうか?前者は選択がなく死亡したのですが、後者は選択に失敗した結果の死亡ですよね。とても同じ連合国による行政処分による死とは思えません。

ただ、日本じゃ「うるさい事」はいわんのだ、という意見もありますが、中央におられる神が天照大神である以上(少なくとも我が家の神棚は)、そのご子孫である昭和天皇の御遺志を靖国神社が無視するというのは納得できません(ただし私も靖国神社「協賛」会員ですが、普通の神社の総代会といった「民主的手続き」もないようだ、と申し添えます)。

別宮

13

date 2007/12/3(月)10:12
uname 困ぺい糖

subject re(2):教えてください(*_*;)

ま様

やはり補足が必要ですね。

大体の経緯については皆さんの仰るとおりのところで、それをま様なりに考えてまとめてください。

問題は戦争後の影響です。
まず、大国同士の戦争はしにくくなりました。これは2度の大戦争のおかげでとてつもない人死にがでたからです。
いくら国民のため、国益のためといっても、肝心の国民が死んでは元も子もありません。
いわゆる7大国(米英仏独露日伊)と呼ばれる国ではこれは了解事項になりました。ソ連(露)も国際共産革命といって、武力行使を必要と掲げてはいたものの、最後まで米英仏や日とは直接戦争するのは避けるようにしていました。米ソ戦争は洒落にならんという点をソ連共産党も理解はしていたのです。

ところが皮肉なことに大国でない国同士の戦争や内紛はかえって増えました。それまでは大国が介入することで火種が小さいうちに消せたのですね。実はサラエボ事件以後というのはこれが失敗してしまって大戦争、という良い例なんですがね。
ざっと近々10年を見渡しても、コソボ、ルワンダ、スリランカ、ソマリア、コンゴ、シエラレオネ他と小国同士の紛争、大国があまり介入しない戦争が多数発生しています。新聞はよく民族紛争とか言いますが、言語や宗教や肌の色は実は戦争を始める側の言いがかりに過ぎないんですよ。勝てると踏んだ側が「をっしゃ〜!」といってはじめると言う定理は不変です。

国連があるじゃないかという意見がありますが、大国(米英)にそっぽを向かれた国連はイラクではまったく無力でした。

そして、戦争の仕方が小汚くなりました。民間人に対する略奪、陵辱、殺害行為、非正規軍人の武装と戦闘参加は戦時国際法の禁じるところですが、戦間期以後、タガが大幅に外れました。勝つためには何でもありという唯物論至上主義が支配的になったためです。

まあ、ざっとこんなところです。

平和の尊さを考えるための課題でしたら、ここまで考え抜いてほしいと思います。材料はここの皆さんが上げられているようにたくさんあります。

また、どうしても字数オーバーするとか、間に合いそうにないなら場合がありますね。
率直に先生に言って叱られちゃってください。

期日までに何らかの解を提示するということが社会に出てから一番大事になります。実はこれができない大人と言うのも多いんですよ、自戒をこめて言いますが。
もし、どんなつまらないことでもきちんと納期を守れる、という定評ができたら、ま様がどんな分野に行ってもとても頼りにされるはずですよ。

で、内容面、たとえば先生の考えている平和教育(戦争は大国が悪辣な企業に仕向けられてしかけるとか、いつも犠牲になるのは女子供ばかり、とか、弱い民間人も武装して正規軍に抵抗できるとか)にそぐわないといって叱られたなら。
そのときはごめんなさいしてから3分後に忘れて、先生の知らないところで勉強を続けてください。ちょっと策士になれるかなってところです。

困ぺい糖

14

date 2007/12/3(月)13:00
uname ブラックウォーター

subject re(1):闇黒裁判

別宮先生

この間、NHKで放映されたニュルンベルグ裁判の再現ドラマを見ていたのですが、『東京裁判の謎を解く』を読んだ後でしたので背景がよく理解できました。
よく報復裁判といわれますが中国はともかく次なる戦争の抑止のためにやってたのだとわかります。
それはいいのですが必死に日独による『世界制服』の企てを暴こうとしたりトンチンカンというほかないですよね。
太平洋戦争開戦に正義がないのはもちろんですが、それを裁く裁判も目茶苦茶というのが問題をややこしくしてるのでしょう。
私も靖国には敬意を払っていますが大東亞戦争前後の合祀の規準にはしっくりこないものがあります。
あきらかに戦死ではないのに合祀されたり、遊就館に逆臣であるはずの阿南の血染めの服が展示されていたりするのはどうかなと感じます。
細木数子氏が『A級戦犯合祀のさい相当に汚いことがあった』とTVで発言しておられました。何があったか知りませんがそうしたことが靖国参拝について国民の意見を二分しているのでしょう。

15

date 2007/12/3(月)20:16
uname SLEEP

subject re(1):教えてください(*_*;)

ま様

そもそも二つの大戦の内容把握などというもの自体高校生レベルを逸脱しています。
ですから、戦線(課題範囲)を限定しましょう。敵(先生)の攻勢意図(模範的回答)をあらかじめ予想するのも大事です。

もしかりに自分がその立場であったならば・・・
手っ取り早く知識を身につけるために何本かの映画が良いように思われます。
歴史本の類はなかなか付け焼刃だけで対応するのは困難です、映像はその点理解しやすいものです。
父親たちの星条旗やメンフィス・ベルはどうでしょうか?
これらの作品に描かれるのは義務として従軍した英雄たちの素顔です。
とはいえ歳は若くま様とほぼ同世代で過酷な戦場へとおもむいたごく普通の市民としての素顔をよく描いた作品ではないかと思います。
つまり彼らの心情は特別な知識なくとも我々にも充分に理解可能ということです。

いかがでしょうか?

SLEEP

16

date 2007/12/4(火)09:19
uname betsumiya

subject re(2):闇黒裁判

ブラックウォーターさま

戦争直後の軍人自決者は阿南惟幾、畑中・椎崎・石原らも含めて合祀されています。反面、近衛文麿など文民はされていません。この点で、松岡・白鳥ら外交官と比較して奇妙ですが、A級刑死者・獄死者は「昭和殉難者」として扱われた経緯からのようです。

戦前、合祀する手続きは、陸海軍省名簿提出・勅裁・神社が祭神名簿に記載という方法で行われました。靖国神社・護国神社は陸海軍省の所轄であって、神社庁ではなかったんですね。戦後、この手続きがとれなくなった結果、厚生省援護局(陸海軍省の後継組織)が神社に名簿提出という方法に変わりました。これは国会議決を経た法令によらない省内マニュアルで定められたともいわれます。

この一連の出来事の背後には、阿南副官であった美山要蔵がいます。この男は「援護行政のドン」といわれ、私利私欲で靖国神社合祀基準を操っていったんですね。

背後には松平靖国神社宮司がいましたが、共通する思想は平泉澄の「皇国史観」です。平泉の思想の根本は儒教社会主義であって、いわゆる日本的なものとは、まったく関係がありません。本人は白山神社の神職ですけれども・・・。

彼らが昭和天皇や日本国民のことをまったく考えていなかった証左は平泉の著作で伺えます。驚くべきことに、本の中に昭和天皇という言葉が一つも登場しないのです。もちろん、美山が昭和天皇のお気持ちを忖度したことはないでしょう。

守屋涜職を聞き及ぶにつけ、次官汚職がなぜ厚生省と防衛省で発生するのか、大臣・次官という官職が何をしてもよい、国家・国民のことは考えないという遺伝子が残ってしまったとも思ってしまいます。東條大臣殿も用賀に戦時中、家を新築しましたよね。

ただ、中国・韓国の類にいわれて分祀してはならないでしょう。また、小沢一郎の主張する現行厚生行政による祭神名簿提出について過誤による取り消しというのは、また強権によるようで嫌な印象を受けます。総理大臣が靖国神社に参拝し、「東條らに頭下げたんじゃない」といえば済むことではないでしょうか。

別宮

17

date 2007/12/4(火)10:53
uname ブラックウォーター

subject 解決策

別宮先生
私も一応靖国奉参会に参加しています。(ただ行事のお手伝いはできず会費を払い、毎月会誌をパラパラみてるだけですが)
ですから中韓への屈服はもちろん、まして国立墓地など言語道断と考えています。
ですが森師団長と白石参謀を斬り殺したテロリストが祭神というのも納得いきません。
松平宮司と言えば中曽根総理の一礼のみの参拝に異議を唱えたとしか知りませんでした。『汚いことがあった』というのはそうしたことを指しているのですね。
私は何とかして首相が毎年靖国にスムーズに参拝できるようになって欲しいと思います。やはり解決策としてはA級戦犯を他所に分祠、(たしかだいぶ前に東郷神社の宮司が受入れを宣言していたような…)もしくは石原都知事のように『心の中でA級を分祠する』と宣言しての参拝するのが妥当なところでしょうか。
ただ個人的には阿南一派も分祠したいですが

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19

date 2007/12/4(火)18:58
uname MUTI

subject チャイナの食品についての本の書評紹介

 皆様、MUTIです。

 以前、チャイナの宇宙開発についての論評を紹介しましたが、
その文の作者が「中国の危ない食品」という本の書評を書いていますので紹介します。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/bookreview/34/

 この方の書評連載には秀逸な内容が多く、イラク情勢について書かれた本の書評
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/bookreview/31/
なども大変興味深い内容です。

ただ、この方の書評は、読んでしまうと、
本を買う気になれなくなる、という大きな問題点があります。

 しかし、この方の書評や、宇宙開発関連の連載
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/matsuura/space/
といい、
こちらの論説シリーズ集
http://www.nikkei.co.jp/neteye5/
等々といい、こういった企画をみますと、
日経という会社の有能なリソースは、紙の世界でなく、
ネットの世界の方に行っていってしまっているように思われます。

20

date 2007/12/4(火)21:16
uname はぐメタ=軟体金属

subject 素朴な疑問ですが・・

皆様

はぐれメタル=軟体金属であります。

今朝方とりとめもなく浮かんだ疑問なのですが、どなたか教えていただけないでしょうか。

以前、1942年初頭、日本軍がミッドウェー・ハワイ方面ではなくセイロン島・インド洋方面を徹底的に攻めるべきであったということが話題になりましたが、
今回浮かんだ疑問はその後の話、運良く日本軍がセイロン島、マダガスカル島を制圧した後の話です。

日本軍がインド洋の制海権を握った場合、当然、米英の輸送船(対北アフリカ、対ソ連)は攻撃対象となりますが、ソ連船籍の輸送船についてはどのような扱いになるのでしょうか。
もちろん日本とソ連は中立条約を結んでいますので、日本海軍がソ連の輸送船を追い回すことはできません。
しかし、ドイツの潜水艦は史実でもインド洋に来ていますから、日本軍がセイロン島を占領した日には、イラン経由の輸送路を潰すため、大量に潜水艦を送り込んでくるはずです。

その際、日本軍は、ドイツ潜水艦がソ連輸送船(日本にとっては中立国)を狙うことが明らかなのに、燃料や食料を補給することは許されるのでしょうか。

仮に、ドイツ潜水艦への補給が許され(中立違反ではない)、かつ実際に日本軍がドイツ潜水艦へ補給を行った場合、ソ連にはどのような出方があるのでしょうか。

21

date 2007/12/5(水)00:06
uname ま

subject re(2):教えてください(*_*;)

書き込み遅くなってしまい、ごめんなさい。
実は昨日から一週間の期末テストが始まってしまいました。
それなのに、提出日は世界史のテストがある明日です。
皆さんに教えて頂いたこと、全部実行したいと思っていましたが、
無理なものもいくつかあり、せっかく教えて頂いたのに申し訳ない気持ちでいっぱいです。
こんな高校生のために沢山の書き込みを有り難うございました。
教えて頂いたことが今回実行出来なくても、
次回また課題が出たときは皆さんの言葉を思い出して頑張りたいです。
もう一度、皆さんの書き込みを見て課題に取り組みたいと思います。
お忙しい中、本当に有り難うございました。
また、こちらのサイトに書き込みをすることがあったら
その時は宜しくお願いしますm(_ _)m

22

date 2007/12/5(水)09:12
uname betsumiya

subject re(1):素朴な疑問ですが・・

軟体金属さま

戦時海洋法では、無警告撃沈は禁止です。これは水上船舶にある船尾に掲げる船籍国旗などの確認・運行日誌の確認がとれることが前提です。第一次大戦ではこんな悠長なことはやってられなくなりました。第1に、危険水面であれば全部の商船が中立国旗を掲げますよね。

それと船体の拿捕、戦時禁制品の押収・破砕、中立国乗組員の解放、船員士官の扱いなど、臨検自体も面倒です。戦時禁制品の範囲も曖昧で、兵員・武器弾薬はいいですが、競走馬、石炭・食料品と広げれば、定義しようがありませんよね。そのうえ臨検中、敵襲があったらという問題があります。

ドイツは潜水艦戦実施のために、グレートブリテン島の周囲に封鎖水域を設定し、ここに入る船舶は全部無警告で撃沈すると宣言し実行しました。これに反発してアメリカは参戦したんですね。ドイツの方法は前述の臨検方法から、戦時海洋法違反は明らかです。ですが、他にやり様がありませんよね。ところが第二次大戦になるとFDRはドイツの方法を容認し、そのうえ反撃をやると言い出したんですね。これを日本の軍人はアメリカの事実上の参戦だと言いましたが、逆であることは第一次大戦の経緯からはっきりしています。

「参戦以外の英国支援はなんでもやる」と言う意味は、「参戦しない」という意味です。軍人はここの所がわからないんですね。

戦時国際法による規定というのは、このように「相手がやれば、こちらもやるぞ」の世界、"tu quo que"があって、平時国際法のようにいきません。日本やドイツが無差別爆撃をやった以上、それ以上の量による同害報復、原爆投下をやられたところで、国際法違反だなどとの泣き言をいうべきではないでしょう。考えるとすれば、1941年12月に考えるべきでした。

無警告潜水艦戦について、やられて不利になる国が英・米・日であることはまた明白です。仏・独・露は内陸による交通路が確保されています。日本は戦間期にこの立法化の努力をすべきでした。元来、日本の潜水艦は艦隊決戦用につくられ、通商破壊用ではありません。英米は賛成したに違いありません。でも日本人というのは本当に立法化というのは下手なんですよね。スキーのジャンプの規則のようなもんです。おそらくアメリカは日本にたいして無警告潜水艦戦をやることを躊躇い、戦局に影響した可能性があります。

このように、「戦争とは何でも有り」は事実です。枢軸国はインド洋で、無警告潜水艦戦をやったとして、アメリカの日本本土に対する同害報復を考えればいいことでしょう。なお中立国が交戦国軍艦に補給しても24時間以内に退去させれば中立違反になりません。日露戦争で、青島やマニラに逃げ込んで抑留された露艦は退去しなかったんですね。

日本とドイツがインド洋で潜水艦戦をソ連商船(じっさいにはほとんどない)に加えたところで、ソ連は日本に参戦するか同害報復を加えるしかありません。潜水艦戦というのは、「間違えた。それがどうした」の世界です。阿波丸事件が極端な例外ですけどね(戦時中アメリカは過失を認め、日本はサンフランシスコ条約で請求権を放棄した)。

別宮

23

date 2007/12/5(水)09:39
uname betsumiya

subject re(1):解決策

ブラックウォーターさま

不思議といえば、森赳近衛師団長は合祀されていないといわれます。とにかく戦後、厚生省援護局が美山要蔵という阿南一派に牛耳られていたのが問題でしょう。文民は戦間期と同様、手を入れようとしなかったんですね。美山もそうですが覇権官僚というのは「主義主張」をもたず、徒党のために命をかけるんですね。国家・国民より徒党の方が重要です。徒党は親分に人事で恩恵にあずかり、親分は徒党によって地位が守られるんですね。

中曽根首相は国鉄民営化をやりましたから非難したくもありませんが、やる事が時々トンチンカンです。参拝をやるといいながら途中でやめてはいけないでしょう。社殿にSPを連れて行ったというのも松平宮司は文句いってますね。ただこの人は、平泉澄のところに書生にいってましたから、儒教にやられて頭がポケになったんでしょう。孔子は「役人は感情の赴くままヤレ」といってますから。

神社庁も認めているようですが、いったんその神社の神になると、居座り続けるみたいですね。教義じゃ仕方ないですよね。神田明神の祭神平将門は明治時代、一時期引退していたことあるんですけど、教義で反論する勇気も出ません。

また自殺組は靖国合祀をすべきではないでしょう。彼らには選択があったはずです。責任をとりながら戦後、復興に尽くすことも人生であったでしょう。

別宮

24

date 2007/12/5(水)13:44
uname 困ぺい糖

subject re(2):解決策

別宮様 ブラックウォーター様

終戦時の陸軍省とは酷いところで、森師団長殺害犯を追求すると言うこともしませんでした。師団長室に突入した2名(窪田、上原)のうち、上原は豊岡で自決ですが、一方の窪田のほうは逃げ延び、竹下や美山ら省部の連中はよってたかって存在を隠蔽したと見られます。
彼の存在が明らかになったのは、昭和40年代になってからで、それまで終戦反乱について書かれたものには、一番人口に膾炙した「日本の一番長い日」の初版含めて、存在や役割について明記されたものはありませんでした。

阿南他2名の自決者は、8/15の段階で祀り上げの対象者としていた(機密陸軍日誌に、三神を荼毘、とある)ようで、この段階で、他の戦闘戦病死者と、同格に扱ってしまっており、これも一派のさじ加減というもので非常にイヤらしい話です。
反乱者と同じお社というのは皆さんのお気持ち忖度するといかばかりかと。

現在、所管が厚生労働省なのですが、もし、民主や与党の一部が言っている国立慰霊施設ができても、祭祀対象者の名簿管理は厚生労働省でしょうから、実は対中以外は何も変わらないと言うのも鬱な話です。

※作業用BGMは選びましょう。Sound Horizonなんぞかけたら聴き入ってしまって作業が進まんこと 

困ぺい糖

25

date 2007/12/5(水)23:43
uname ブラックウォーター

subject 石原方式

別宮先生、困ぺい糖さま
ご教授ありがとうございます。
いろいろご意見を伺っておりますと『心の中での分祠』を宣言する『石原都知事方式』がベストに思えます。
森師団長は合祀されていなかったのですね、代わりに阿南一派が合祀されるとは何ともやり切れない話です。
毎年夏になると靖国問題を巡ってケンケンガクガクの議論になっているのを見ると無意味な戦争による敗戦がいかに国民の統合に支障をきたすのかわかります。
いずれにせよ、首相が堂々と靖国に参拝できるようになることを祈るばかりです。

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29

date 2007/12/6(木)03:54
uname 高城

subject ニセ兵頭師の出現。速やかにアク禁を。

別宮さま

国語力ゼロの頭の可愛そうな人が、また来てしまいましたねぇ。しょっぱなから時系列無視ですから、トホホな頭は相変わらずです。途中経過も分からないとか言ってて恥ずかしくないのが凄いところです。兵頭師の名でも騙れば相手にしてもらえると思ったんでしょうかねぇ。目障りなので速やかにアク禁を。読まずにポイが一番ですよね。

思わず開けてしまった高城

30

date 2007/12/6(木)07:51
uname betsumiya

subject re(1):ニセ兵頭師の出現。速やかにアク禁を。

高城さま

はい、そのようにします。以前の事実と空想の区別がつかない半島系人士と同一のようですね。

別宮

31

date 2007/12/6(木)08:14
uname 困ぺい糖

subject re(1):ニセ兵頭師の出現。速やかにアク禁を。

同意。

兵頭氏のはペンネームだからいいだろうってのは甘い甘い。
彼くらいの社会的知名度が出来るとブランドとほぼ同じだから、こういうことすれば、特定された場合名誉毀損で訴えられるのも夢じゃないぜw

困ぺい糖

32

date 2007/12/6(木)08:23
uname betsumiya

subject 窪田・上原

困ぺい糖さま

窪田を隠蔽する工作ははっきりしていますが、上原重太郎についても阿南グループは何か隠していますよね。けっきょく、森師団長殺害事件に関しての工作でしょう。

この二人がノンキャリで、殺し屋の役割を受け持った所がまた陰惨ですが、通説とされる畑中の関与が疑われます。窪田・上原が大量の返り血を浴びたという証言は数多くありますが、畑中はそのあとNHKにいったとき、NHK職員が返り血を浴びた姿をみていません。

加えて、いくらノンキャリ殺し屋とはいえ、畑中如きにいわれて、近衛師団長殺害命令を受け取るでしょうか?窪田は今の北の丸にあった師団司令部から全身返り血を浴びたまま、ノコノコ国会議事堂前にあった陸相官邸まで歩いています。皇居前広場を通るにせよ半蔵門を通るにせよかなりの距離です。この行動は阿南陸相に殺害を復命したとしか思えません。軍人とすれば自然の行動です。阿南側近の竹下も疑われますが、どうもこの人は最後には「阿南はやりすぎ」という感慨をもったように思え、可能性が薄いのでは?でも否定もできず、問題は「誰が殺し屋を雇ったのか、または使嗾したのか、宿などの便宜供与を誰がやったのか」という点です。

そのとき陸軍省幹部が陸相官邸に集まりごった返していました。みなで服を着替えさせ、一方、見境を失った阿南に因果を含めたのでしょう。じつは、窪田が手記を残している可能性に期待してるんですが。

別宮

33

date 2007/12/6(木)09:47
uname 困ぺい糖

subject re(1):窪田・上原

別宮様

8/15深夜の官邸というのは、半藤本にあるような静謐とは程遠く、実際は大騒動だったというのが真実で、殿押し込めに近いものだったかもしれません。
窪田が復命に到着後の足取りがないのも、寄ってたかって着替えやら逃走やらをさせていたことを考えればうなずけます。
豊岡に帰った上原に因果を含めたのもこの筋でしょう。飯尾本(「自決」)によると上司に部屋で囲まれて詰問のあとで自決のようですので。

問題は窪田をチョイスした人物ですね。彼は平泉のシンパでしたし、水戸とのつながりからも、平泉ないし近い筋がお膳立てしたと考えるのが普通かと思ってはいます。

ここで面白いのは、13日に平泉が阿南に面会を求めて断られたということです。平泉は断念したが、阿南に蹴られたんじゃないでしょうか。
そして、その日の朝の梅津=阿南の会談で梅津が反対したのがキーだったんでしょう。参謀総長がノーといったら、合法的に兵力は動かせません。近衛師団のときのように偽命令しかないでしょう。

竹下が11日の兵力使用計画(クーデタ実行案)を完成後、ぐらっとヒヨったのもこのせいでしょう。彼のいた軍務局軍事課は参本動員課と当時は兼務でしたから、参本の稲葉らと語らって幕引きを考え出したんですね。荒尾が木戸にチクリに行こうと思ったのもこのへんかと。
ところが阿南が言うことを聞かなかったんでしょう。これは当たり前で、陰謀自体が外に知れてしまった以上、彼の選択肢は失敗、断念して死ぬか、成功させるかしかありません。

畑中、椎崎は失敗した場合切捨ては予定されていたんではないでしょうか。死人口なしで酷いことではありますが。ただ一緒に現場に行った井田は、戦後の書いたものを見ればわかるとおり、ズルい男ですので、殺害後水谷参謀長と東部軍に駆け込んで何かしらの取引を持ちかけて生き延びたのかもしれません。もちろん、武辺者の田中静壱が怒鳴り飛ばさなかったので、たいしたネタも役割も始めからなかったんでしょうね。

それにしても、窪田の手記というのは本当にないのでしょうかね。断片的なインタビューしかないですね。

困ぺい糖

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35

date 2007/12/7(金)00:08
uname 庵

subject 阿南の不思議

別宮 様 皆 様

 以前、靖国神社に足を運んだ際、遊就館も見学しました。 
 その際、阿南の「一死を以って大罪を謝す……」は観ましたし、また数多くの遺影の中から阿南の写真をぱっと見つけて、「よりにもよって」と思ったものです。

 ところで、私には極めて不可解なのですが、最近、否定する論調もわずかながら増えているようながらも、なお「阿南擁護論」が根強いことです。曰く「忠臣である」。曰く「仁将だった」などなど。
 阿南を「骨太の武人」と評した方もいて、その方はその見解をWEB上で明かにしたところ、来訪者の方に、こちらのサイトの宮城事件の記載を紹介されていたのですが、それに対する見解が「行間に阿南への悪意が満ち溢れている」とか言って、「(だから)無視している」との反応をしていました(→いや、否定するのは私としては別にかまわないと思うのだけど、史的反証として何が問題なの??→とどのつまり、触れてない)。
 
 それにしても、全くもって不思議なのが、書籍なりネットを観ていても、「阿南賊徒論」と「阿南忠臣論」に史実の認識について大きな差異がないようなのです。
 勿論、細かいところでは差もありますが、宮城事件の前後について扱っている事柄、言動はほとんど同じなのです。それでいながら、結論が逆なのです。
 大方のところでは、

 1.天皇陛下の終戦への意思を伝えられていながら、東京湾上の米軍上陸船団への攻撃の提案(林秘書官証言)
 2.クーデターを企てる者たちの要望(?)を入れて、梅津参謀総長に兵力使用の話を持ちかけている。
 3.畑中などからクーデターの情報が届けられている。
 4.森近衛師団長の殺害を知った後(どれくらい後かはともかく)、切腹。

 これらは、ほぼ共通しています。
 そして、阿南擁護論で奇怪なのは、これらを踏まえつつの史的裏づけのない「解釈(つまり阿南はこうしていたんだろう)」と最後の切腹をもって、「忠臣」としていることです。基本的に資料というか当時の出来事の記述の詳細さでは、擁護論の方が圧倒的に劣っています。
 
 私個人の感覚で言うと、忠臣だろうが、仁将だろうが、あるいは骨太の武人(失笑かと)だろうが、阿南擁護論が理解できません。
 そう思う理由は極めて単純で、「クーデターを起こすならまず自分を切れ」と『本気』で口にする人間について想像してみると、阿南の言動は理解できないからです。
 「忠臣」ならクーデターの話が持ち上がっても、断って終わり、憲兵司令官に命じて賊を逮捕して終わり、たとえ、実行者どもは口だけだ、と見通しを見誤っても、本気だと知った段階で言葉通り断固たる反対をすれば、森近衛師団長は死なないか、クーデター前に賊が死ぬ(逮捕)か、クーデターの障害として自身が殺されるのかの必ずどれかが起こるはずです。
 しかし、現実ではそのどれもありませんでした。
 また本気で反対なら梅津参謀総長に話を持ち込む必要などないでしょう。

 そして、『美談』と伝えられる有名な「昭和天皇から拝領したシャツの逸話」など異様そのものです。
 事態が解決したと思われるのはどう見たところで19時過ぎです。もし、森近衛師団長殺害の責任を感じての自裁とした場合、宮城が騒然となっているのを放置して、「このシャツはな、お上が……」などとのたまわっているのです。状況を知らないままだったら、忠誠の対象たる主君の安否について「知ろうとしていない」ので、これまた異様です。
 防火責任者が燃える建物を横目にしながら、消火活動もしない、放火魔も捕まえようとせず、一人そこの住人のことを想って感傷に浸っているようなものです。
 そして、否定論も擁護論でも、クーデターのことを知って以降の阿南が身体を張って止めてないことを(直接間接問わず)認めていることです。
 職責と自身の言動が真実と考えれば、腹を切る刀があるのなら、状況的に他を切ることが求められたでしょうに。

 そういえば、石原都知事も、靖国参拝に関連して、阿南について擁護論を述べてました。
 現職の閣僚の自死、そして、現在の論調から当時も生き残りの賊徒が自身の保身もあり懸命に擁護したと思われますが、代表となる歴史小説が出る以前から、そのように忠臣として受け止められていたということでしょうか??
 
 非常に不可解です。

36

date 2007/12/7(金)02:26
uname 臨界現象

subject re(1):阿南の不思議

別宮様、皆様

阿南忠臣説が消えない(というか、多い)のは、結局、竹下等の阿南一派の戦後の言い逃れが
成功してしまったということではないでしょうか。
成功の最大の原因は、窪田の存在を20年以上も隠蔽できたことではないでしょうか。

阿南忠臣説を唱える人は、阿南は自決することでクーデターを阻止したといいます。
窪田は森師団長を殺害後、8月24日には川口放送所占拠事件に関与しています。
窪田が森師団長殺害後に午前3時頃に陸相官邸に報告に来たことは、竹下自身も認めています。
この時に、窪田に対して何らかの処分をすぐにくだしていれば、事件は起きていません。
そもそも実行犯から師団長殺害の報告を受けている(竹下によれば、窪田⇒竹下⇒阿南で報告)のに
阿南は何も手をうっていません。近衛師団長殺害は極めて悪質な事件なはずです。
宮城事件、水戸教導航空通信師団事件、川口放送所占拠事件など全て、田中大将が鎮圧をしています。
彼こそ忠臣であり、国民にとっても英雄でしょう。

靖国神社は右にも左にもあまりに利用されすぎてますよね。
小泉氏が首相の時に参拝した映像をyoutubeで見たのですが、右と思われる人々が
「今更なにしに来た」と怒鳴りまくっていました。
こういうのを見ると、なんだか悲しくなってしまいます。

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38

date 2007/12/7(金)08:07
uname 困ぺい糖

subject re(2):阿南の不思議

皆様

終戦反乱の本質は、稲葉正夫の「陸軍のホープ阿南による幕府」につきると思います。
ようするに、一戦後和平と言いながら、本土決戦の決号作戦も本気にやる気はなかったんでしょう。

東京湾兵団については、まず軍事面から考えてみるとわかります。いきなり、本土、しかも横須賀やら富津の要塞地帯の真ん中に着上陸する必然性も可能性もありません。むしろ、迎え撃つではなく、迎え入れる状況ではないかと。
ここから、彼らと米軍の間の通信の可能性が疑われるわけです。
林秘書官と言う人はこの件に関しては政治的にはほぼ無色だったようなので、信頼できるソースです。

阿南が平時のことなかれな状況での能吏にしかすぎなかったというのは、長沙作戦やビアク戦での采配振りを見ればわかります。はっきり言えば、ビルマの花谷などよりも無様です。軍人とは言いながら軍事的素質はゼロでしょう。

戦後、阿南の擁護が消えなかったのは、竹下など家之子郎党がそれなりの地位に残留して権力を維持し続けたのが大きかったと思います。GHQも彼らを保護し続けました。
ただ、これは、敗戦国では必ずついて回る問題です。城下に生首を並べる中世ならいざ知らず、停戦手続き、戦後の戦勝国との交渉など、旧体制の温存は必要悪という面が多いと思います。イラク戦争の敗戦処理の失敗も政府の殲滅、バース党員の追放が大きかったと考えるべきでしょう。

昭和天皇ご自身は8/11の御前会議で決戦準備が遅滞している件で雷を落としています。なにかしらお感じになったのではないでしょうか。

困ぺい糖

39

date 2007/12/7(金)09:06
uname betsumiya

subject re(3):阿南の不思議

困ぺい糖さま 皆さま

開戦、終戦とはまさに外交です。戦争ではありません。阿南一派の最大の問題は「外政」に口を出していることであり、軍人勅諭の禁止する所です。最後の陸相下村治の軍人の政治関与が大日本帝国を敗亡に陥れたというのは正しいでしょう。

そのうえ、軍人は大体、外政について無理解です。石原莞爾が錦州爆撃をやって「ヒャッ ヒャッ これで外務省と英米に一泡吹かせた。ヤツらは何もできやせんよ」といいましたが、事実、満州国は建国され石原の読みは的中したかにみえます。現在の多くの日本人もこの石原の言辞に快哉を叫ぶ人は多いようです。

このとき国際連盟日本代表部は、日本軍の鉄道守備区域への撤退を示唆しながら交渉していました。外務省と関東軍では完全に思惑が異なっていました。第3次南京事件や満州事変で日本と英米とは抜き差し難い対立関係に入っていきました。石原はこの直近の情勢に敏感なだけで「外交的配慮」など眼中になかったんですね。支那事変でも橋本欣五郎などは英艦にプライベート・ウォーを挑みました。でも日中で戦争をやっておりドイツは蒋介石の友ですから、本来は英米を味方につけねばなりませんよね。ところが、陸軍人や支那通の反英米感情は抜き難いんですね。

1945年8月には新事態、ソ連の侵攻がありました。ドイツは既にありません。こうなると、軍人というのは主敵をソ連として英米とドテンで和解できるなどと考えてしまうんですね。阿南一味が考えたのはこちらの方向としか思えません。そのあと、竹下・美山などは、米軍に知己を得ながら、官界に要職を占めていますよね。こういった「身替わりの速さ」というのは普通人には考えにくいのではないでしょうか?

この4月、ドイツ軍のヨードルが攻める英軍に、「ロシア人は野蛮だ。英米軍には全面降伏するのでソ連軍と戦わせて欲しい」と要請しました。モンゴメリーは「あんた方は、それを1941年6月に考えるべきだった」と答えたそうです。外交とは身替わりの速さではどうにもならないんですね。

別宮

40

date 2007/12/7(金)21:48
uname ペルソナ・ングラータ

subject 同盟とは何ぞや…

別宮様

「南チロル攻勢」、興味深く拝見いたしました。

先月は掲示板にて日華事変が長引いた理由が話題になっておりましたが、私がふと気になったのは、やはり「イタリーはカポレットののち、ピアーヴェにて踏みとどまれたのに、国府軍はダメだった。最大の理由は何ぞや?」と言うことでございました。そこで、「南京を放棄して、とっとと揚子江の対岸へ渡って、そっちにちゃんとした防衛線を引いていれば悲劇は避けられた…?」、「いやいや、イタリーの場合、やはり英仏軍の援軍が大きかった、シナ軍完全崩壊状態では、所詮無理だ…」、「そもそも、ドイツ人の顧問団は、突破されたときのことを考えていたんかいな」、「兵站(退却)のための鉄道等、ちゃんと整備しとったんかいな」等々、しょうもないことを自問自答しておりました。英仏軍はなんだかんだと言っても、対ベルギーにせよ、対イタリーにせよ、同盟国をちゃんと大事にしている感があります。

それに比べると、やはり独墺関係はどうもしっくり来ませんね。独墺は、両国で西部・東部・イタリア戦線の三面で戦ってるわけですから、もう少し協力して一緒に計画立てれば効率も良いのに、と、軍事素人の私は頭を抱えてしまいます。ドイツ軍人的思考が悪いのか、ユンカーとしての傲慢なのか、何なのか… (全部?) 

ところで、昔友人から「ドロミテの別荘の山小屋に来ないか」と誘われたときに聞いた話なんですが、南チロルのオーストリア軍の遺産として、ドロミテ渓谷のマルモラダ山に「氷の都市」と言う「氷下要塞」があるらしいのですが、最近は温暖化で、溶けちゃって大変だとか。すごいアイデアではありますが、こんなところに住み込みで働いていたオーストリア兵もかわいそうでございます。山岳戦と言うのは、どうも冗談と本気の間の紙一重かも。
http://www.girovagandointrentino.it/puntate/2006/estate/fassa/fassa.htm (ページ中ごろに、写真あり)

ペルソナングラータ

41

date 2007/12/8(土)09:03
uname betsumiya

subject re(1):同盟とは何ぞや…

ペルソナングラータさま

中国は地勢上、丸い形しているんですよね。その開いた口は揚子江デルタ地帯で、ここを占領されると外部への出口はなくなります。ですから、上海・南京を奪われると清の道光帝、袁世凱、蒋介石も和を乞うしかなくなりました。

攻める側は南京=上海を保障占領してジッと待つだけで十分です。頑張っても汪兆銘が必ず出現します。広東や天津にも港がありますが、物資はいったん揚子江下流に集められ、それから内航船で南北に散るので、重要性は低いんですね。ところが、南京=上海の防衛は至難です。ゼークトも日本人が大発もって好きな地点に上陸してくるとは思わなかったのでは?

上海戦の国府軍兵士の大半は隴海線沿線、とりわけ徐州出身者でした。軍隊が崩壊すると兵士は故郷に帰ろうとします。松山に収容されたロシア軍捕虜が脱走し瀬戸内海まで歩き「この(ドニエステル)河を下れば、ロストフに出られるのか」と農婦にきいたそうです。

カポレットで敗れたイタリア軍兵士も故郷を目指して南に下ったと思うんですよ。ですが国府軍兵士は簡単にその道をとれませんでした。まず南京に行く必要があります。それから揚子江を渡り、浦口に出て北行300キロで徐州です。距離では東京=静岡ほどでしょう。最大の問題は制服を着ている場合、部隊行動をとらねば必ず住民に襲撃され殺されることです。つまり(南京に着いたならば)便衣になって北行するしか帰れないのです。

イタリア市民は、傷ついた自国軍兵士がいれば、糧食・宿・交通手段を与えなんとしても助けますよね。中国人はそうではなく、落ち武者狩りをやって、身包み剥いで制服を古物屋に売って儲けようとします。兵隊=強盗団という考えが根強いんですね。ディアツが脱走兵の再呼集をかけると、召集に応じた兵士が大部分だったというのも自然です。ですが蒋介石は再呼集など考えた節はありません。

石井菊次郎によると「ドイツは同盟国を馬としか思わない」そうです。トルコは戦時同盟国ですが、トルコはルーマニア戦のさい援兵をおくりましたが、ドイツは顧問団以外いっさい兵員をトルコ領内におくっていませんよね。ケマルはこれに怒り、第2次大戦でイノニュはついに枢軸に加わりませんでした。反面、露土戦争、アフリカ分割、日清戦争で妙な干渉・仲介をやって、周辺国の怒りを買ってます。ともあれ、アフガニスタン戡定戦争で海自の早逃げは上手くないですよね。反対の民主党は同時に「日本はアメリカとイスラムの仲介をやれ」と素っ頓狂なことをいっております。警察と強盗の仲介は難しいですよね。

別宮

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43

date 2007/12/8(土)22:17
uname ウルトラザウルス
subject 条約派と三国同盟

 今、阿川弘之氏の新刊『大人の見識』を読んでいるところです。
 昔からの一貫した姿勢で、
「条約派=親英米=良識派」「艦隊派=親独伊=軍国主義」
 の書き方は相変わらずですが、米内・山本らが三国同盟に反対していたのは事実でして、当時の内閣官制からして海軍部として何らかの態度を示す必要がある以上、その限りでは正しかったと思えますがいかがでしょう。

 海軍書記官杉田主馬の談話が長々と引用されておりまして、いわく、
「満州事変の頃からそれ(海軍部内)が段々おかしくなって来る。体質が段々陸軍に似て来る。末次信正大将みたいな政治的野心のあるのが、時流に迎合、陸軍に同調して権力を握り、英米協調派の提督たちは次々海軍を追われる(大角人事のことかな?)。米内さんや古賀さん、井上成美さんら何人かが奇蹟的に現役に残ったけど、結局は少数派でしかなかった。若手の血を沸き立たせるような強硬派が主流を占め、やがて対米一戦辞さずとまで言い出す。かくて海軍は、やるべからざるいくさに捲き込まれ亡びるべくして亡んでしまった。」
 艦隊派が間違っていて、条約派が正しかったという主張は、こういう海軍部内にルーツがあるのでしょうか。

 余話ですが、ご登場の末次大将の子孫が、何年か前まで呉地方総監だったそうです……昭和天皇のご養育係だった川村大将の子孫も、自衛艦隊司令官やっていたな。陸海空の中では、海が一番外務省に似ているのだろうか。
 少し前、海に面した海自某術科学校の近くの居酒屋で、友人たちと飲んでいた時、話題が比島作戦になりました。
 少々酔っていた私は、「比島の敗北は、全部海軍が悪い。源田が幻の大戦果を報告し、栗田がレイテ湾前にして逃げ出したから、陸軍の兵隊が何十万も犠牲になったんだ!」と持論を披露しました。
 後日、一緒にいた土建官庁の友人いわく「近くにいた術科学校の学生たち、お前を近くの港に沈める相談していたぞ」聞いた私は、(-_-;)。

44

date 2007/12/9(日)08:40
uname 困ぺい糖

subject re(4):阿南の不思議

別宮様

ひとつには、文民が外政に失敗したと言うこともあるのではないでしょうか。
近衛らが言い出し、海軍が後押ししたソ連仲介和平案がソ連参戦で頓挫してしまったわけですが、支那事変以後、自前外交をなんとも思わなくなっていた陸軍はますます頭に乗ったのでは。

直接の引き金の一つとして、バーンズ回答も口実に使われたようにも思います。このときは東郷がsubject toの意図的誤訳をやって上奏ですが、脇の甘さをつけ込まれたのでは?
外務省の当事者意識の甘さというのが非常に問題だった(今でも)と考えます。

実は、木戸が狙われ、近衛がなぜ言及されないのか?と思ったのですが、226のようなテロとは違いますから、8/15に直接の標的にはならなかったんでしょうね。ただ、収監直前の自殺というのは、ソ連仲介その他も絡んでいたのではないでしょうか。

困ぺい糖

45

date 2007/12/9(日)09:09
uname betsumiya

subject re(1):条約派と三国同盟

ウルトラザウルスさま

平沼内閣のとき、米内・山本・井上のトリオが三国同盟に反対したのは事実です。じっさいのところでは、平沼首相が熱心であり、近衛・木戸が賛成、陸軍は相半ばというのが真相でしょう。ただ、この構想は海軍や重臣層(西園寺ら)の反対で潰えたのではなく、モロトフ・リッペントロップ協定成立によって、「複雑怪奇な情勢」が生じ、取り止めになりました。

なぜ、米内・山本の反対が目立ったかといえば、彼らは大臣・次官・軍務局長の要職を占める軍政畑だったからです。今の防衛省でいえば内局に相当し、人事権をもっていたのが強みだったんですね。一般に海軍人というのは「艦隊勤務」に情熱を注ぐのであって、人生の目標はキャプテンになり、敵艦と向かい合うことです。人事局長などやりたくはないが、歓心を買っておこうというところでしょう。

平沼内閣の構図でわかるように、米内・山本は西園寺の腹心原田熊雄と親しく、近衛・木戸などの革新貴族に反対で、それで英米派、親独派の分れになったんでしょうね。末次信正は近衛に引き立てられ内相になりましたが、従来のつきあいか、暴力団=テロ集団に近く、テロを取り締まろうとする警保局長を辞めさせるなど、出鱈目をやりましたから西園寺らの怒りを買いました。ですから平沼内閣当時、条約派・艦隊派というのは反近衛・親近衛のようなところでしょう。

この辺りの経緯は『西園寺公と政局』には露骨に書かれています。当時ヒヨコだった杉田氏が知るべくもないですよね。むしろ最大の問題は、米内内閣倒壊時、なぜ米内・山本が徹底抗戦しなかったかです。これについて井上成美は「(大臣現役武官制を利用して)海軍大臣を出さねばよかった」とまでいってますが、実はそうではなく、米内・山本はドテンで賛成に回ったんですね。原因については、今度、本に書こうと思います。

海軍の通商(兵站)破壊戦嫌いは、戦争の勝敗を度外視してますよね。日露戦争のとき、『和泉』『須磨』は郡司退役海軍中尉捜索のため、カムチャッカ半島ペトロパブロフスクに向かい、艦砲射撃をしたところ住民400、護境兵60は逃鼠、戸数60戸の寒村には誰もいなかったそうです。

疎林には食糧もないだろうということで、帰村を招致したところ三三五五戻ってきて、郡司退役中尉の在り処を報せてくれたそうです。それで宣撫して食糧を与え帰還したというのですが、これ何かヘンですよね。戦争やってますもんね。燈台・港湾施設・防禦施設など、要は全村破却して、補給基地として性格を喪失させるべきですよね。海軍には紳士が多いんでしょう。

別宮

46

date 2007/12/9(日)16:19
uname ロック

subject re(2):条約派と三国同盟

ウルトラザウルス様 別宮様

知り合いに防衛大学で教授をしている人がいるのですが
若い人の中では阿川本支持が約半数はいる との事
「流行っているらしいから 来る者は結構読んでいるようですが
私はそういう色を抜いて客観的に戦史を見られるように教えねばならないので苦慮します
関心を持ってくれるのは有難いのだけれど」とボヤいておりました
いつの世も 若手にはまずは考えてもらう事が大切なのでしょう

複雑怪奇で三国同盟頓挫なのは多くの本にも出ていますが
阿川本ではその後も積極的に持ち出してきたのは陸軍側だという事です
でも陸軍も一枚岩ではないし 
この手の本が言うように陸軍の強固な思惑という表現は短絡すぎて行き過ぎのように思います

海軍が補給軽視をするようになったのは
艦隊決戦勝利の残照で海軍は戦場で兵力対兵力で勝てば良い
という認識をもってしまったからかもしれません
でもそれは手段であって目的は敵の補給を破壊し 味方の補給を確保する事のはずで
「補給軽視を反省」などと生易しいものでは無い気がします
海軍は海軍だけの戦争を夢想していたのでは? と思われます

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date 2007/12/9(日)19:42
uname 困ぺい糖

subject 第2回陸風塾追加出席者募集のお知らせ

先日、参加者募集を行った第2回陸風塾ですが、その後兵藤師を迎えるなど好評のため、会場を広げ、参加人数を増やすこととなりました。

つきましては、まだ前回ご応募の方以外にもお席の余裕がございますので、参加ご希望の方は下記までご連絡ください。
way_kompeito@yahoo.co.jp

2008年最初の軍師の謦咳に触れるチャンスです。是非この機会をお見逃さずに。


月日 平成20年1月20日11:30〜13:30

場所 新橋亭新館 東京都港区新橋2-4-2 http://www.shinkyotei.com/shop.htm

内容 ゲストとして、軍学者兵頭二十八氏をお迎えして、30分程度のお話を
頂戴し、会食していただきます。

会費 6000円 

陸風塾 困ぺい糖

48

date 2007/12/10(月)08:42
uname betsumiya

subject re(3):条約派と三国同盟

ロックさま

大体、試験を通った人というのは変わり身が速いんですね。新奇な題材を出されて、それに即応することが求められるからでしょう。

阿川さんの文体には魅力はありますが、伝記的「タイトル」でありながら小説なんですね。少なくとも総合的著作であることは間違いありません。防衛大学で学ぶ人はそれと別に1次史料で、史実かどうかみる必要はあるでしょう。高校の日本史でも、阿川本と教科書が並んで、教科書を棄てるとすれば問題です。ただ高校の教科書の大半が社会主義や共産主義に立脚しているというのも恐ろしいですが・・・。

3国同盟が「複雑怪奇」のあと次に政治課題として出たのは米内内閣倒壊時(1940/7)の時点です。これは明らかにフランス戦におけるドイツ電撃戦勝利の影響でしょう。沢田参謀次長は支那事変終結のため3国同盟ということで、防共協定と同じノリで考えたようです。でも、試験秀才・若手は、変わり身速く、ドイツに乗ろうとしたんでしょう。今の社会でも、中国の要人に会えるからといって、チベット・ウィグル問題は棄ててしまおうという短絡的政党がありますよね。

じつはフランス戦のあとこのような反応となった国は、ルーマニア程度です。第3帝国と隣接するユーゴ、イタリアとアドリア海を隔てるギリシャも独伊同盟に接近せず、ギリシャと敵対するトルコも中立を守りました。「バスに乗り遅れるな」の類をいう日本人の軽佻浮薄が何とも嫌といわざるを得ません。今でも、アメリカの銀行が北京に事務所ができた、さあ我が銀行も中国に10箇所支店を置こう、中国で住宅ローンをやろうという愚かな銀行がありますよね。サブプライム問題でも米ドル預金など僅かであっても日本の銀行はきちんとひっかかっています。

昔、大蔵省の課長補佐と話していたら、以前と違うことをいうので質したところ「職がいわせるんです」とのことでした。官僚というのはそういうもんなんですね。陸海軍以前の問題でしょう。防共協定で裏切られ(支那事変勃発)、複雑怪奇で裏切られ(ソ連と同盟)、松岡・モロトフ協定で裏切られ(独ソ戦開始)、それでもドイツとの平時同盟・枢軸にたっての参戦に踏み切るというのは、海軍もドイツ張りの策略を編み出したということでしょう。策士、策に溺れるというのがありますよね。

別宮

49

date 2007/12/10(月)09:09
uname betsumiya

subject re(5):阿南の不思議

困ぺい糖さま

戦時外交で難しいのは「全権確認」です。「あなたの条件で結構です。皇帝の批准を得ましょう」「あっ、やはり駄目でした。もう少し条件を譲ってくれませんか」というのは、近代外交じゃありませんよね。これは中国が得意ですがヨーロッパ諸国はまずやりません。

ところがアメリカはやるんですよ。大統領が独裁者で、議会と大統領の権限がアメリカ人以外にはわからないせいでしょう。1週間ほど前にもブッシュが金正日に親書をおくったようですが、内容は「中国とロシアに圧迫されて辛いんだろう。拉致問題など早くゲロしてとっとと楽になりな」という所でしょうが、日本の外務省には説明がないのでは?ちょっと秘密外交の雰囲気がありますよね。福田首相が外交勉強会をつくり、日本の世界の外交的地位の低下は世界の中でGNPの占める率が低下(17%→10%)しているとの珍説を承ったそうです。それより、福田首相の無能のせいでしょうけどね。

陸軍も桐工作とか妙なことをやりましたが、外交について意見はいえても直接外交はできません。軍人がノコノコ出かけても、相手国は「?」となって終わりでしょう。

1945年6月のソ連工作はそれでも成功したんでしょう。日本が講和(降伏)意志があることはスターリン経由、トルーマンに伝わりました。トルーマンは「無条件降伏」原則が崩れるのを恐れましたが、けっきょくポツダム宣言を出してきたんですね。当然内容について外務省は中立国外交官を通してアメリカとある程度の打ち合わせをしたと思いますよ。さもなくば、外務省がポツダム宣言について常に、受諾方針であったことの説明がつきません。"subject to"というのは誤訳には違いありませんが、些細な事だという昭和天皇の判断は正しかったと思います。

別宮

50

date 2007/12/10(月)09:17
uname 若村 さき

subject re(2):素朴な疑問ですが・・(同害報復の理論)

別宮さま。みなさま。

若村さきでございます。ご無沙汰しております。
だいぶROM状態でございました。

ところで、

>戦時国際法による規定というのは、このように「相手がやれば、こちらもやるぞ」の世界、"tu quo que"があって、平時国際法のようにいきません。日本やドイツが無差別爆撃をやった以上、それ以上の量による同害報復、原爆投下をやられたところで、国際法違反だなどとの泣き言をいうべきではないでしょう。考えるとすれば、1941年12月に考えるべきでした。

に関してです。少々確認させてください。

日本がアメリカに対して、原爆による、あるいはそれに近い報復の能力を当時有していたならば、アメリカは当然原爆投下を躊躇したことでしょう。ですから、その点について泣き言をいうべきではない、というのはよくわかります。

ただ、日本が無差別爆撃を行ったのは、中国に対してであって、アメリカではありませんでした。そうなると、原爆投下の時点では、米中は同盟国ですので、この場合の「相手がやれば、こちらもやるぞ」という同害報復の理論は、自国だけではなく同盟国についても適用できるということでしょうか。

日本が毒ガス兵器を中国に対しては使用したのに、アメリカに対しては使用しなかったのは、まさにアメリカの同害報復を恐れたからだ、というのを読んだ記憶がありますが、実はとんちんかんな配慮だったということになりましょうか。

つまり、そもそもそういう違法を犯す以上は、どの国からであれ、敵側から報いが返ってくることを覚悟しなければならなかったということですね。

まさしく、1941年12月に、よく考えなければならないことでした。

期末試験の採点で忙しい(はずの)若村