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date 2007/12/1(土)08:58 sai夫さま カイザー戦では、徳島の板東ドイツ兵収容所で松江中佐が「それゆけドイツ!もう一押しだ」と演説したのが有名ですが、突起部をつくると勝ったような気がするのは事実です。 その22年後、チャーチルがパリのケードルセーの情景について、「セダンのこの小さな、しかし不気味な突起部をみながみつめた。窓の外では第3共和国の機密書類が炊かれた煙がみえた」と書いています。ガムランはセダン突破の数日後に敗北を覚悟しているんですね。 この二つの違いは何かという点です。戦術的には「速度」、戦略的には英軍の過少、米軍不存在でしょう。どちらがより大きいかといえば、後者でしょう。フランスは外交で負けたんですね。ベルサイユ条約が失敗、ルール進駐が失敗、ドイツの社会構造理解の失敗でしょう。プロイセン=ユンカーというのは、反ポーランド・親露・反仏でまずこの勢力を削がないと駄目ですよね。賠償金を取らずに、ドイツを東西に、プロイセン=ブランデンブルグ・ポンメルンとその他に分けるべきでした。 一般には突起部を攻めるには、相手側兵力を上回り、かつ突起部先端兵力の交通を断つ必要があります。これは局地兵力集中と突破力が関係しますから、用兵家は難しいですね。相手が新技術への応力がないとか訓練がないとか、弱点への着眼が要ります。いわば、戦前の陸大教育のようなことになりますが、相手に重戦車集中使用・輸送機・自動車化師団など新機軸をやられ、自軍指揮官は教科書丸暗記タイプだと、やられますよね。 別宮 |
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date 2007/12/2(日)11:14 はじめまして。 |
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date 2007/12/2(日)11:33 ま様 戦争というものは国を挙げての大イベントです。当然、大戦争だと参戦国の国民生活は毎日のおかずから始まって全部影響を受けます。 20世紀の2つの大戦争はその傾向がより強くなりました。したがって、漠然と何が変わったか?ときかれたら、「全部」と答えざるをえません。そう、全部。 どうも先生の課題の出し方に問題がありますね。たとえば、外交、経済、軍事、その他と絞っていただいたほうがいいんじゃないですか?単に戦争のおかげで大きな変動が起きてイヤですね、だから戦争はないほうがいいですね、といった程度のお話だと、400字もあれば終わります。 あえてまとめるなら、第一次大戦はドイツの、第2次大戦はこれまたドイツのイニシアチブではじまった戦争です。ではドイツ人が何を考えて何をしでかしたか、外交の軽視、戦争計画の貫徹です。目の前の戦争のほうが外交よりも優位だと第2帝政の参謀たちもヒトラーも考えたんですね。 困ぺい糖 |
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date 2007/12/2(日)11:49 >>困ぺい糖 お返事ありがとうございます。 「あえてまとめるなら、第一次大戦はドイツの、 |
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date 2007/12/2(日)13:17 ま様 宿題でお困りのことですが、まずはこうしてみてはどうですか? 1 まず、高校の世界史の教科書の、第一次大戦と第二次大戦について書いてあるところ、およびその前後を熟読してください。 大事なのは「まず自分で調べる」「自分なりに自分の頭で考える」という気構えです。 |
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date 2007/12/2(日)16:37 別宮さま、みなさま 毎年の問題になる靖国問題ですが仮に分祠するとなった場合、誰と誰を分祠すべきだとお思いでしょうか。 私個人の意見としては中韓に屈した形にしないのはもちろん、また『A級戦犯分祠』というのは東京裁判で定められた枠組みを認めることとなりますから、A級戦犯と言われる方々についてもやはりそれぞれ個別に審理すべきたど考えます。 |
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date 2007/12/2(日)17:37 ま様 確かに、「二回にわたる世界大戦を経て」、という「お題」は、結構難しいですね。大理石の塊をポーンと渡されて、「好きに彫刻してください」といわれれば、ミケランジェロやロダンならともかく、素人はフリーズしてしまいます。作文で本当に難しいのは、この点なんですよね。 でも、それをやりこなせるようになる、というのもまた勉強なんですよね。かなり漠然とした自由なお題ですけど、自由と責任を学ぶ、と言う意味もあるかもしれません。先生がどんな答えを望んでいるのかとか考え出すとキリがなくなりますしね。お題が「二回にわたる世界大戦を経て」ですから、「経て、どうなったのか」ということを聞きたいのかもしれません。これを見つければ、宿題は90%完成です。 方法論としては、やはり彫刻と同じで、まず対象物の大まかな形を把握して(そのためには、だだえもん様が言われるように、教科書を読んでみるのもすごく役に立ちます。「第一次(第二次)大戦とは何」「太平洋戦争とは」というのであれば、大きな辞書にも何か書かれています)、そこから気がつくことや気になることを大まかな文章にしてみるのがいいとおもいます。そうするうちに、さらに細かいことに疑問を持ち、調べれば細部が見えてきます。それを説明すれば、論文(作文)としては完成です。 私は性格が甘いんでしょうねぇ、困ぺい糖様の説明におまけで一言書きますけど、第一次大戦は、サラエボ事件(調べよう)のあとのオーストリアとセルビアの間の戦争に対して、オーストリアの同盟国のドイツが、セルビアの友邦ロシアの同盟国であるフランスに攻め込むことで始まりました。理由は「こうすれば勝てると思ったから」です。(ややこしい話ですね。このサイトの「シュリーフェンプラン」を見ると参考になります)。第二次大戦はドイツがポーランドに攻め込み(ポーランド侵攻)、始まりました。理由は同じく「勝てると思った」からです。日本のかかわる部分は、太平洋戦争(これも調べよう)です。 そして結果を一言で言えば、死屍累々、惨憺たる戦死者の山、でしょうか。 がんばってください。 ペルソナングラータ |
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date 2007/12/3(月)08:49 ま様 こんな程度の文章を美辞麗句と参考文献丸写しで、文字数を増やせば、満点をもらえるのではないでしょうか? 間違えても、このサイトを熟読して(ここの常連様に近づこうと勉強して)、真実に気づいてはいけません。 |
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date 2007/12/3(月)09:42 ブラックウォーターさま A級戦犯分祀論は、東京裁判に関連するので、それを評価せねばなりません。東京裁判については、米国司法における最悪の闇黒裁判とみなすべきでしょう。 この場合、バール判事のような「頭ハネ」、すなわち戦争犯罪を国際法(国際裁判)で裁くべきではない、といった論点にたつべきではないと思います。問題は訴訟手続きの誤り、法理の誤解、検事・弁護人・裁判官の無能、事実審理の誤りです。 そもそも、戦争犯罪裁判とは「平和に対する罪」=開戦責任を問うものです。戦争開始については、日本が当事者であるベルサイユ条約、ケロッグ=ブリアン条約で違法性が確定しています。では戦犯裁判の対象となる戦争とは何かといえば、「太平洋戦争」であるべきです(大東亜戦争>支那事変ではなくて)。 これにたいして、検事は「開戦責任」をバカなため理解できず、満州事変・支那事変・ノモンハン事件・太平洋戦争を「軍部≒陸軍」とその仲間達が徒党をつくって「世界征服」を企み、戦争を次から次へと引き起こした「責任」を問うといい出したんですね。日本にNSDAPがあると思ったんでしょうね。ともあれ、検事の訴追方針、法理の適用は誤っていますから、まともな国における刑事裁判であれば、全員無罪です。 東京裁判との関連だけで、分祀の是非を論じることは無理があります。問題は平時における国際裁判(BC級は国際裁判ではない)の刑死者を戦没者と同列の靖国神社の祭神としていいかという問題です。また靖国神社の祭神は国家にたいし義務として「無私」の精神で奉仕し戦没した人々です。硫黄島の戦死者とソ連兵と向き合い命を断った真岡の電話交換手と、松岡・白鳥が同じでしょうか?前者は選択がなく死亡したのですが、後者は選択に失敗した結果の死亡ですよね。とても同じ連合国による行政処分による死とは思えません。 ただ、日本じゃ「うるさい事」はいわんのだ、という意見もありますが、中央におられる神が天照大神である以上(少なくとも我が家の神棚は)、そのご子孫である昭和天皇の御遺志を靖国神社が無視するというのは納得できません(ただし私も靖国神社「協賛」会員ですが、普通の神社の総代会といった「民主的手続き」もないようだ、と申し添えます)。 別宮 |
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date 2007/12/3(月)10:12 ま様 やはり補足が必要ですね。 大体の経緯については皆さんの仰るとおりのところで、それをま様なりに考えてまとめてください。 問題は戦争後の影響です。 ところが皮肉なことに大国でない国同士の戦争や内紛はかえって増えました。それまでは大国が介入することで火種が小さいうちに消せたのですね。実はサラエボ事件以後というのはこれが失敗してしまって大戦争、という良い例なんですがね。 国連があるじゃないかという意見がありますが、大国(米英)にそっぽを向かれた国連はイラクではまったく無力でした。 そして、戦争の仕方が小汚くなりました。民間人に対する略奪、陵辱、殺害行為、非正規軍人の武装と戦闘参加は戦時国際法の禁じるところですが、戦間期以後、タガが大幅に外れました。勝つためには何でもありという唯物論至上主義が支配的になったためです。 まあ、ざっとこんなところです。 平和の尊さを考えるための課題でしたら、ここまで考え抜いてほしいと思います。材料はここの皆さんが上げられているようにたくさんあります。 また、どうしても字数オーバーするとか、間に合いそうにないなら場合がありますね。 期日までに何らかの解を提示するということが社会に出てから一番大事になります。実はこれができない大人と言うのも多いんですよ、自戒をこめて言いますが。 で、内容面、たとえば先生の考えている平和教育(戦争は大国が悪辣な企業に仕向けられてしかけるとか、いつも犠牲になるのは女子供ばかり、とか、弱い民間人も武装して正規軍に抵抗できるとか)にそぐわないといって叱られたなら。 困ぺい糖 |
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date 2007/12/3(月)13:00 別宮先生 この間、NHKで放映されたニュルンベルグ裁判の再現ドラマを見ていたのですが、『東京裁判の謎を解く』を読んだ後でしたので背景がよく理解できました。 |
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date 2007/12/3(月)20:16 ま様 そもそも二つの大戦の内容把握などというもの自体高校生レベルを逸脱しています。 もしかりに自分がその立場であったならば・・・ いかがでしょうか? SLEEP |
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date 2007/12/4(火)09:19 ブラックウォーターさま 戦争直後の軍人自決者は阿南惟幾、畑中・椎崎・石原らも含めて合祀されています。反面、近衛文麿など文民はされていません。この点で、松岡・白鳥ら外交官と比較して奇妙ですが、A級刑死者・獄死者は「昭和殉難者」として扱われた経緯からのようです。 戦前、合祀する手続きは、陸海軍省名簿提出・勅裁・神社が祭神名簿に記載という方法で行われました。靖国神社・護国神社は陸海軍省の所轄であって、神社庁ではなかったんですね。戦後、この手続きがとれなくなった結果、厚生省援護局(陸海軍省の後継組織)が神社に名簿提出という方法に変わりました。これは国会議決を経た法令によらない省内マニュアルで定められたともいわれます。 この一連の出来事の背後には、阿南副官であった美山要蔵がいます。この男は「援護行政のドン」といわれ、私利私欲で靖国神社合祀基準を操っていったんですね。 背後には松平靖国神社宮司がいましたが、共通する思想は平泉澄の「皇国史観」です。平泉の思想の根本は儒教社会主義であって、いわゆる日本的なものとは、まったく関係がありません。本人は白山神社の神職ですけれども・・・。 彼らが昭和天皇や日本国民のことをまったく考えていなかった証左は平泉の著作で伺えます。驚くべきことに、本の中に昭和天皇という言葉が一つも登場しないのです。もちろん、美山が昭和天皇のお気持ちを忖度したことはないでしょう。 守屋涜職を聞き及ぶにつけ、次官汚職がなぜ厚生省と防衛省で発生するのか、大臣・次官という官職が何をしてもよい、国家・国民のことは考えないという遺伝子が残ってしまったとも思ってしまいます。東條大臣殿も用賀に戦時中、家を新築しましたよね。 ただ、中国・韓国の類にいわれて分祀してはならないでしょう。また、小沢一郎の主張する現行厚生行政による祭神名簿提出について過誤による取り消しというのは、また強権によるようで嫌な印象を受けます。総理大臣が靖国神社に参拝し、「東條らに頭下げたんじゃない」といえば済むことではないでしょうか。 別宮 |
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date 2007/12/4(火)10:53 別宮先生 |
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date 2007/12/4(火)18:58 皆様、MUTIです。 以前、チャイナの宇宙開発についての論評を紹介しましたが、 http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/bookreview/34/ この方の書評連載には秀逸な内容が多く、イラク情勢について書かれた本の書評 ただ、この方の書評は、読んでしまうと、 しかし、この方の書評や、宇宙開発関連の連載 |
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date 2007/12/4(火)21:16 皆様 はぐれメタル=軟体金属であります。 今朝方とりとめもなく浮かんだ疑問なのですが、どなたか教えていただけないでしょうか。 以前、1942年初頭、日本軍がミッドウェー・ハワイ方面ではなくセイロン島・インド洋方面を徹底的に攻めるべきであったということが話題になりましたが、 日本軍がインド洋の制海権を握った場合、当然、米英の輸送船(対北アフリカ、対ソ連)は攻撃対象となりますが、ソ連船籍の輸送船についてはどのような扱いになるのでしょうか。 その際、日本軍は、ドイツ潜水艦がソ連輸送船(日本にとっては中立国)を狙うことが明らかなのに、燃料や食料を補給することは許されるのでしょうか。 仮に、ドイツ潜水艦への補給が許され(中立違反ではない)、かつ実際に日本軍がドイツ潜水艦へ補給を行った場合、ソ連にはどのような出方があるのでしょうか。 |
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date 2007/12/5(水)00:06 書き込み遅くなってしまい、ごめんなさい。 |
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date 2007/12/5(水)09:12 軟体金属さま 戦時海洋法では、無警告撃沈は禁止です。これは水上船舶にある船尾に掲げる船籍国旗などの確認・運行日誌の確認がとれることが前提です。第一次大戦ではこんな悠長なことはやってられなくなりました。第1に、危険水面であれば全部の商船が中立国旗を掲げますよね。 それと船体の拿捕、戦時禁制品の押収・破砕、中立国乗組員の解放、船員士官の扱いなど、臨検自体も面倒です。戦時禁制品の範囲も曖昧で、兵員・武器弾薬はいいですが、競走馬、石炭・食料品と広げれば、定義しようがありませんよね。そのうえ臨検中、敵襲があったらという問題があります。 ドイツは潜水艦戦実施のために、グレートブリテン島の周囲に封鎖水域を設定し、ここに入る船舶は全部無警告で撃沈すると宣言し実行しました。これに反発してアメリカは参戦したんですね。ドイツの方法は前述の臨検方法から、戦時海洋法違反は明らかです。ですが、他にやり様がありませんよね。ところが第二次大戦になるとFDRはドイツの方法を容認し、そのうえ反撃をやると言い出したんですね。これを日本の軍人はアメリカの事実上の参戦だと言いましたが、逆であることは第一次大戦の経緯からはっきりしています。 「参戦以外の英国支援はなんでもやる」と言う意味は、「参戦しない」という意味です。軍人はここの所がわからないんですね。 戦時国際法による規定というのは、このように「相手がやれば、こちらもやるぞ」の世界、"tu quo que"があって、平時国際法のようにいきません。日本やドイツが無差別爆撃をやった以上、それ以上の量による同害報復、原爆投下をやられたところで、国際法違反だなどとの泣き言をいうべきではないでしょう。考えるとすれば、1941年12月に考えるべきでした。 無警告潜水艦戦について、やられて不利になる国が英・米・日であることはまた明白です。仏・独・露は内陸による交通路が確保されています。日本は戦間期にこの立法化の努力をすべきでした。元来、日本の潜水艦は艦隊決戦用につくられ、通商破壊用ではありません。英米は賛成したに違いありません。でも日本人というのは本当に立法化というのは下手なんですよね。スキーのジャンプの規則のようなもんです。おそらくアメリカは日本にたいして無警告潜水艦戦をやることを躊躇い、戦局に影響した可能性があります。 このように、「戦争とは何でも有り」は事実です。枢軸国はインド洋で、無警告潜水艦戦をやったとして、アメリカの日本本土に対する同害報復を考えればいいことでしょう。なお中立国が交戦国軍艦に補給しても24時間以内に退去させれば中立違反になりません。日露戦争で、青島やマニラに逃げ込んで抑留された露艦は退去しなかったんですね。 日本とドイツがインド洋で潜水艦戦をソ連商船(じっさいにはほとんどない)に加えたところで、ソ連は日本に参戦するか同害報復を加えるしかありません。潜水艦戦というのは、「間違えた。それがどうした」の世界です。阿波丸事件が極端な例外ですけどね(戦時中アメリカは過失を認め、日本はサンフランシスコ条約で請求権を放棄した)。 別宮 |
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date 2007/12/5(水)09:39 ブラックウォーターさま 不思議といえば、森赳近衛師団長は合祀されていないといわれます。とにかく戦後、厚生省援護局が美山要蔵という阿南一派に牛耳られていたのが問題でしょう。文民は戦間期と同様、手を入れようとしなかったんですね。美山もそうですが覇権官僚というのは「主義主張」をもたず、徒党のために命をかけるんですね。国家・国民より徒党の方が重要です。徒党は親分に人事で恩恵にあずかり、親分は徒党によって地位が守られるんですね。 中曽根首相は国鉄民営化をやりましたから非難したくもありませんが、やる事が時々トンチンカンです。参拝をやるといいながら途中でやめてはいけないでしょう。社殿にSPを連れて行ったというのも松平宮司は文句いってますね。ただこの人は、平泉澄のところに書生にいってましたから、儒教にやられて頭がポケになったんでしょう。孔子は「役人は感情の赴くままヤレ」といってますから。 神社庁も認めているようですが、いったんその神社の神になると、居座り続けるみたいですね。教義じゃ仕方ないですよね。神田明神の祭神平将門は明治時代、一時期引退していたことあるんですけど、教義で反論する勇気も出ません。 また自殺組は靖国合祀をすべきではないでしょう。彼らには選択があったはずです。責任をとりながら戦後、復興に尽くすことも人生であったでしょう。 別宮 |
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date 2007/12/5(水)13:44 別宮様 ブラックウォーター様 終戦時の陸軍省とは酷いところで、森師団長殺害犯を追求すると言うこともしませんでした。師団長室に突入した2名(窪田、上原)のうち、上原は豊岡で自決ですが、一方の窪田のほうは逃げ延び、竹下や美山ら省部の連中はよってたかって存在を隠蔽したと見られます。 阿南他2名の自決者は、8/15の段階で祀り上げの対象者としていた(機密陸軍日誌に、三神を荼毘、とある)ようで、この段階で、他の戦闘戦病死者と、同格に扱ってしまっており、これも一派のさじ加減というもので非常にイヤらしい話です。 現在、所管が厚生労働省なのですが、もし、民主や与党の一部が言っている国立慰霊施設ができても、祭祀対象者の名簿管理は厚生労働省でしょうから、実は対中以外は何も変わらないと言うのも鬱な話です。 ※作業用BGMは選びましょう。Sound Horizonなんぞかけたら聴き入ってしまって作業が進まんこと 困ぺい糖 |
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date 2007/12/5(水)23:43 別宮先生、困ぺい糖さま |
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date 2007/12/6(木)03:54 別宮さま 国語力ゼロの頭の可愛そうな人が、また来てしまいましたねぇ。しょっぱなから時系列無視ですから、トホホな頭は相変わらずです。途中経過も分からないとか言ってて恥ずかしくないのが凄いところです。兵頭師の名でも騙れば相手にしてもらえると思ったんでしょうかねぇ。目障りなので速やかにアク禁を。読まずにポイが一番ですよね。 思わず開けてしまった高城 |
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date 2007/12/6(木)07:51 高城さま はい、そのようにします。以前の事実と空想の区別がつかない半島系人士と同一のようですね。 別宮 |
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date 2007/12/6(木)08:14 同意。 兵頭氏のはペンネームだからいいだろうってのは甘い甘い。 困ぺい糖 |
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date 2007/12/6(木)08:23 困ぺい糖さま 窪田を隠蔽する工作ははっきりしていますが、上原重太郎についても阿南グループは何か隠していますよね。けっきょく、森師団長殺害事件に関しての工作でしょう。 この二人がノンキャリで、殺し屋の役割を受け持った所がまた陰惨ですが、通説とされる畑中の関与が疑われます。窪田・上原が大量の返り血を浴びたという証言は数多くありますが、畑中はそのあとNHKにいったとき、NHK職員が返り血を浴びた姿をみていません。 加えて、いくらノンキャリ殺し屋とはいえ、畑中如きにいわれて、近衛師団長殺害命令を受け取るでしょうか?窪田は今の北の丸にあった師団司令部から全身返り血を浴びたまま、ノコノコ国会議事堂前にあった陸相官邸まで歩いています。皇居前広場を通るにせよ半蔵門を通るにせよかなりの距離です。この行動は阿南陸相に殺害を復命したとしか思えません。軍人とすれば自然の行動です。阿南側近の竹下も疑われますが、どうもこの人は最後には「阿南はやりすぎ」という感慨をもったように思え、可能性が薄いのでは?でも否定もできず、問題は「誰が殺し屋を雇ったのか、または使嗾したのか、宿などの便宜供与を誰がやったのか」という点です。 そのとき陸軍省幹部が陸相官邸に集まりごった返していました。みなで服を着替えさせ、一方、見境を失った阿南に因果を含めたのでしょう。じつは、窪田が手記を残している可能性に期待してるんですが。 別宮 |
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date 2007/12/6(木)09:47 別宮様 8/15深夜の官邸というのは、半藤本にあるような静謐とは程遠く、実際は大騒動だったというのが真実で、殿押し込めに近いものだったかもしれません。 問題は窪田をチョイスした人物ですね。彼は平泉のシンパでしたし、水戸とのつながりからも、平泉ないし近い筋がお膳立てしたと考えるのが普通かと思ってはいます。 ここで面白いのは、13日に平泉が阿南に面会を求めて断られたということです。平泉は断念したが、阿南に蹴られたんじゃないでしょうか。 竹下が11日の兵力使用計画(クーデタ実行案)を完成後、ぐらっとヒヨったのもこのせいでしょう。彼のいた軍務局軍事課は参本動員課と当時は兼務でしたから、参本の稲葉らと語らって幕引きを考え出したんですね。荒尾が木戸にチクリに行こうと思ったのもこのへんかと。 畑中、椎崎は失敗した場合切捨ては予定されていたんではないでしょうか。死人口なしで酷いことではありますが。ただ一緒に現場に行った井田は、戦後の書いたものを見ればわかるとおり、ズルい男ですので、殺害後水谷参謀長と東部軍に駆け込んで何かしらの取引を持ちかけて生き延びたのかもしれません。もちろん、武辺者の田中静壱が怒鳴り飛ばさなかったので、たいしたネタも役割も始めからなかったんでしょうね。 それにしても、窪田の手記というのは本当にないのでしょうかね。断片的なインタビューしかないですね。 困ぺい糖 |
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date 2007/12/7(金)00:08 別宮 様 皆 様 以前、靖国神社に足を運んだ際、遊就館も見学しました。 ところで、私には極めて不可解なのですが、最近、否定する論調もわずかながら増えているようながらも、なお「阿南擁護論」が根強いことです。曰く「忠臣である」。曰く「仁将だった」などなど。 1.天皇陛下の終戦への意思を伝えられていながら、東京湾上の米軍上陸船団への攻撃の提案(林秘書官証言) これらは、ほぼ共通しています。 そして、『美談』と伝えられる有名な「昭和天皇から拝領したシャツの逸話」など異様そのものです。 そういえば、石原都知事も、靖国参拝に関連して、阿南について擁護論を述べてました。 |
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date 2007/12/7(金)02:26 別宮様、皆様 阿南忠臣説が消えない(というか、多い)のは、結局、竹下等の阿南一派の戦後の言い逃れが 阿南忠臣説を唱える人は、阿南は自決することでクーデターを阻止したといいます。 靖国神社は右にも左にもあまりに利用されすぎてますよね。 |
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date 2007/12/7(金)08:07 皆様 終戦反乱の本質は、稲葉正夫の「陸軍のホープ阿南による幕府」につきると思います。 東京湾兵団については、まず軍事面から考えてみるとわかります。いきなり、本土、しかも横須賀やら富津の要塞地帯の真ん中に着上陸する必然性も可能性もありません。むしろ、迎え撃つではなく、迎え入れる状況ではないかと。 阿南が平時のことなかれな状況での能吏にしかすぎなかったというのは、長沙作戦やビアク戦での采配振りを見ればわかります。はっきり言えば、ビルマの花谷などよりも無様です。軍人とは言いながら軍事的素質はゼロでしょう。 戦後、阿南の擁護が消えなかったのは、竹下など家之子郎党がそれなりの地位に残留して権力を維持し続けたのが大きかったと思います。GHQも彼らを保護し続けました。 昭和天皇ご自身は8/11の御前会議で決戦準備が遅滞している件で雷を落としています。なにかしらお感じになったのではないでしょうか。 困ぺい糖 |
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date 2007/12/7(金)09:06 困ぺい糖さま 皆さま 開戦、終戦とはまさに外交です。戦争ではありません。阿南一派の最大の問題は「外政」に口を出していることであり、軍人勅諭の禁止する所です。最後の陸相下村治の軍人の政治関与が大日本帝国を敗亡に陥れたというのは正しいでしょう。 そのうえ、軍人は大体、外政について無理解です。石原莞爾が錦州爆撃をやって「ヒャッ ヒャッ これで外務省と英米に一泡吹かせた。ヤツらは何もできやせんよ」といいましたが、事実、満州国は建国され石原の読みは的中したかにみえます。現在の多くの日本人もこの石原の言辞に快哉を叫ぶ人は多いようです。 このとき国際連盟日本代表部は、日本軍の鉄道守備区域への撤退を示唆しながら交渉していました。外務省と関東軍では完全に思惑が異なっていました。第3次南京事件や満州事変で日本と英米とは抜き差し難い対立関係に入っていきました。石原はこの直近の情勢に敏感なだけで「外交的配慮」など眼中になかったんですね。支那事変でも橋本欣五郎などは英艦にプライベート・ウォーを挑みました。でも日中で戦争をやっておりドイツは蒋介石の友ですから、本来は英米を味方につけねばなりませんよね。ところが、陸軍人や支那通の反英米感情は抜き難いんですね。 1945年8月には新事態、ソ連の侵攻がありました。ドイツは既にありません。こうなると、軍人というのは主敵をソ連として英米とドテンで和解できるなどと考えてしまうんですね。阿南一味が考えたのはこちらの方向としか思えません。そのあと、竹下・美山などは、米軍に知己を得ながら、官界に要職を占めていますよね。こういった「身替わりの速さ」というのは普通人には考えにくいのではないでしょうか? この4月、ドイツ軍のヨードルが攻める英軍に、「ロシア人は野蛮だ。英米軍には全面降伏するのでソ連軍と戦わせて欲しい」と要請しました。モンゴメリーは「あんた方は、それを1941年6月に考えるべきだった」と答えたそうです。外交とは身替わりの速さではどうにもならないんですね。 別宮 |
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date 2007/12/7(金)21:48 別宮様 「南チロル攻勢」、興味深く拝見いたしました。 先月は掲示板にて日華事変が長引いた理由が話題になっておりましたが、私がふと気になったのは、やはり「イタリーはカポレットののち、ピアーヴェにて踏みとどまれたのに、国府軍はダメだった。最大の理由は何ぞや?」と言うことでございました。そこで、「南京を放棄して、とっとと揚子江の対岸へ渡って、そっちにちゃんとした防衛線を引いていれば悲劇は避けられた…?」、「いやいや、イタリーの場合、やはり英仏軍の援軍が大きかった、シナ軍完全崩壊状態では、所詮無理だ…」、「そもそも、ドイツ人の顧問団は、突破されたときのことを考えていたんかいな」、「兵站(退却)のための鉄道等、ちゃんと整備しとったんかいな」等々、しょうもないことを自問自答しておりました。英仏軍はなんだかんだと言っても、対ベルギーにせよ、対イタリーにせよ、同盟国をちゃんと大事にしている感があります。 それに比べると、やはり独墺関係はどうもしっくり来ませんね。独墺は、両国で西部・東部・イタリア戦線の三面で戦ってるわけですから、もう少し協力して一緒に計画立てれば効率も良いのに、と、軍事素人の私は頭を抱えてしまいます。ドイツ軍人的思考が悪いのか、ユンカーとしての傲慢なのか、何なのか… (全部?) ところで、昔友人から「ドロミテの別荘の山小屋に来ないか」と誘われたときに聞いた話なんですが、南チロルのオーストリア軍の遺産として、ドロミテ渓谷のマルモラダ山に「氷の都市」と言う「氷下要塞」があるらしいのですが、最近は温暖化で、溶けちゃって大変だとか。すごいアイデアではありますが、こんなところに住み込みで働いていたオーストリア兵もかわいそうでございます。山岳戦と言うのは、どうも冗談と本気の間の紙一重かも。 ペルソナングラータ |
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date 2007/12/8(土)09:03 ペルソナングラータさま 中国は地勢上、丸い形しているんですよね。その開いた口は揚子江デルタ地帯で、ここを占領されると外部への出口はなくなります。ですから、上海・南京を奪われると清の道光帝、袁世凱、蒋介石も和を乞うしかなくなりました。 攻める側は南京=上海を保障占領してジッと待つだけで十分です。頑張っても汪兆銘が必ず出現します。広東や天津にも港がありますが、物資はいったん揚子江下流に集められ、それから内航船で南北に散るので、重要性は低いんですね。ところが、南京=上海の防衛は至難です。ゼークトも日本人が大発もって好きな地点に上陸してくるとは思わなかったのでは? 上海戦の国府軍兵士の大半は隴海線沿線、とりわけ徐州出身者でした。軍隊が崩壊すると兵士は故郷に帰ろうとします。松山に収容されたロシア軍捕虜が脱走し瀬戸内海まで歩き「この(ドニエステル)河を下れば、ロストフに出られるのか」と農婦にきいたそうです。 カポレットで敗れたイタリア軍兵士も故郷を目指して南に下ったと思うんですよ。ですが国府軍兵士は簡単にその道をとれませんでした。まず南京に行く必要があります。それから揚子江を渡り、浦口に出て北行300キロで徐州です。距離では東京=静岡ほどでしょう。最大の問題は制服を着ている場合、部隊行動をとらねば必ず住民に襲撃され殺されることです。つまり(南京に着いたならば)便衣になって北行するしか帰れないのです。 イタリア市民は、傷ついた自国軍兵士がいれば、糧食・宿・交通手段を与えなんとしても助けますよね。中国人はそうではなく、落ち武者狩りをやって、身包み剥いで制服を古物屋に売って儲けようとします。兵隊=強盗団という考えが根強いんですね。ディアツが脱走兵の再呼集をかけると、召集に応じた兵士が大部分だったというのも自然です。ですが蒋介石は再呼集など考えた節はありません。 石井菊次郎によると「ドイツは同盟国を馬としか思わない」そうです。トルコは戦時同盟国ですが、トルコはルーマニア戦のさい援兵をおくりましたが、ドイツは顧問団以外いっさい兵員をトルコ領内におくっていませんよね。ケマルはこれに怒り、第2次大戦でイノニュはついに枢軸に加わりませんでした。反面、露土戦争、アフリカ分割、日清戦争で妙な干渉・仲介をやって、周辺国の怒りを買ってます。ともあれ、アフガニスタン戡定戦争で海自の早逃げは上手くないですよね。反対の民主党は同時に「日本はアメリカとイスラムの仲介をやれ」と素っ頓狂なことをいっております。警察と強盗の仲介は難しいですよね。 別宮 |
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date 2007/12/8(土)22:17 今、阿川弘之氏の新刊『大人の見識』を読んでいるところです。 海軍書記官杉田主馬の談話が長々と引用されておりまして、いわく、 余話ですが、ご登場の末次大将の子孫が、何年か前まで呉地方総監だったそうです……昭和天皇のご養育係だった川村大将の子孫も、自衛艦隊司令官やっていたな。陸海空の中では、海が一番外務省に似ているのだろうか。 |
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date 2007/12/9(日)08:40 別宮様 ひとつには、文民が外政に失敗したと言うこともあるのではないでしょうか。 直接の引き金の一つとして、バーンズ回答も口実に使われたようにも思います。このときは東郷がsubject toの意図的誤訳をやって上奏ですが、脇の甘さをつけ込まれたのでは? 実は、木戸が狙われ、近衛がなぜ言及されないのか?と思ったのですが、226のようなテロとは違いますから、8/15に直接の標的にはならなかったんでしょうね。ただ、収監直前の自殺というのは、ソ連仲介その他も絡んでいたのではないでしょうか。 困ぺい糖 |
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date 2007/12/9(日)09:09 ウルトラザウルスさま 平沼内閣のとき、米内・山本・井上のトリオが三国同盟に反対したのは事実です。じっさいのところでは、平沼首相が熱心であり、近衛・木戸が賛成、陸軍は相半ばというのが真相でしょう。ただ、この構想は海軍や重臣層(西園寺ら)の反対で潰えたのではなく、モロトフ・リッペントロップ協定成立によって、「複雑怪奇な情勢」が生じ、取り止めになりました。 なぜ、米内・山本の反対が目立ったかといえば、彼らは大臣・次官・軍務局長の要職を占める軍政畑だったからです。今の防衛省でいえば内局に相当し、人事権をもっていたのが強みだったんですね。一般に海軍人というのは「艦隊勤務」に情熱を注ぐのであって、人生の目標はキャプテンになり、敵艦と向かい合うことです。人事局長などやりたくはないが、歓心を買っておこうというところでしょう。 平沼内閣の構図でわかるように、米内・山本は西園寺の腹心原田熊雄と親しく、近衛・木戸などの革新貴族に反対で、それで英米派、親独派の分れになったんでしょうね。末次信正は近衛に引き立てられ内相になりましたが、従来のつきあいか、暴力団=テロ集団に近く、テロを取り締まろうとする警保局長を辞めさせるなど、出鱈目をやりましたから西園寺らの怒りを買いました。ですから平沼内閣当時、条約派・艦隊派というのは反近衛・親近衛のようなところでしょう。 この辺りの経緯は『西園寺公と政局』には露骨に書かれています。当時ヒヨコだった杉田氏が知るべくもないですよね。むしろ最大の問題は、米内内閣倒壊時、なぜ米内・山本が徹底抗戦しなかったかです。これについて井上成美は「(大臣現役武官制を利用して)海軍大臣を出さねばよかった」とまでいってますが、実はそうではなく、米内・山本はドテンで賛成に回ったんですね。原因については、今度、本に書こうと思います。 海軍の通商(兵站)破壊戦嫌いは、戦争の勝敗を度外視してますよね。日露戦争のとき、『和泉』『須磨』は郡司退役海軍中尉捜索のため、カムチャッカ半島ペトロパブロフスクに向かい、艦砲射撃をしたところ住民400、護境兵60は逃鼠、戸数60戸の寒村には誰もいなかったそうです。 疎林には食糧もないだろうということで、帰村を招致したところ三三五五戻ってきて、郡司退役中尉の在り処を報せてくれたそうです。それで宣撫して食糧を与え帰還したというのですが、これ何かヘンですよね。戦争やってますもんね。燈台・港湾施設・防禦施設など、要は全村破却して、補給基地として性格を喪失させるべきですよね。海軍には紳士が多いんでしょう。 別宮 |
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date 2007/12/9(日)16:19 ウルトラザウルス様 別宮様 知り合いに防衛大学で教授をしている人がいるのですが 複雑怪奇で三国同盟頓挫なのは多くの本にも出ていますが 海軍が補給軽視をするようになったのは |
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date 2007/12/9(日)19:42 先日、参加者募集を行った第2回陸風塾ですが、その後兵藤師を迎えるなど好評のため、会場を広げ、参加人数を増やすこととなりました。 つきましては、まだ前回ご応募の方以外にもお席の余裕がございますので、参加ご希望の方は下記までご連絡ください。 2008年最初の軍師の謦咳に触れるチャンスです。是非この機会をお見逃さずに。 記 内容 ゲストとして、軍学者兵頭二十八氏をお迎えして、30分程度のお話を 会費 6000円 陸風塾 困ぺい糖 |
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date 2007/12/10(月)08:42 ロックさま 大体、試験を通った人というのは変わり身が速いんですね。新奇な題材を出されて、それに即応することが求められるからでしょう。 阿川さんの文体には魅力はありますが、伝記的「タイトル」でありながら小説なんですね。少なくとも総合的著作であることは間違いありません。防衛大学で学ぶ人はそれと別に1次史料で、史実かどうかみる必要はあるでしょう。高校の日本史でも、阿川本と教科書が並んで、教科書を棄てるとすれば問題です。ただ高校の教科書の大半が社会主義や共産主義に立脚しているというのも恐ろしいですが・・・。 3国同盟が「複雑怪奇」のあと次に政治課題として出たのは米内内閣倒壊時(1940/7)の時点です。これは明らかにフランス戦におけるドイツ電撃戦勝利の影響でしょう。沢田参謀次長は支那事変終結のため3国同盟ということで、防共協定と同じノリで考えたようです。でも、試験秀才・若手は、変わり身速く、ドイツに乗ろうとしたんでしょう。今の社会でも、中国の要人に会えるからといって、チベット・ウィグル問題は棄ててしまおうという短絡的政党がありますよね。 じつはフランス戦のあとこのような反応となった国は、ルーマニア程度です。第3帝国と隣接するユーゴ、イタリアとアドリア海を隔てるギリシャも独伊同盟に接近せず、ギリシャと敵対するトルコも中立を守りました。「バスに乗り遅れるな」の類をいう日本人の軽佻浮薄が何とも嫌といわざるを得ません。今でも、アメリカの銀行が北京に事務所ができた、さあ我が銀行も中国に10箇所支店を置こう、中国で住宅ローンをやろうという愚かな銀行がありますよね。サブプライム問題でも米ドル預金など僅かであっても日本の銀行はきちんとひっかかっています。 昔、大蔵省の課長補佐と話していたら、以前と違うことをいうので質したところ「職がいわせるんです」とのことでした。官僚というのはそういうもんなんですね。陸海軍以前の問題でしょう。防共協定で裏切られ(支那事変勃発)、複雑怪奇で裏切られ(ソ連と同盟)、松岡・モロトフ協定で裏切られ(独ソ戦開始)、それでもドイツとの平時同盟・枢軸にたっての参戦に踏み切るというのは、海軍もドイツ張りの策略を編み出したということでしょう。策士、策に溺れるというのがありますよね。 別宮 |
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date 2007/12/10(月)09:09 困ぺい糖さま 戦時外交で難しいのは「全権確認」です。「あなたの条件で結構です。皇帝の批准を得ましょう」「あっ、やはり駄目でした。もう少し条件を譲ってくれませんか」というのは、近代外交じゃありませんよね。これは中国が得意ですがヨーロッパ諸国はまずやりません。 ところがアメリカはやるんですよ。大統領が独裁者で、議会と大統領の権限がアメリカ人以外にはわからないせいでしょう。1週間ほど前にもブッシュが金正日に親書をおくったようですが、内容は「中国とロシアに圧迫されて辛いんだろう。拉致問題など早くゲロしてとっとと楽になりな」という所でしょうが、日本の外務省には説明がないのでは?ちょっと秘密外交の雰囲気がありますよね。福田首相が外交勉強会をつくり、日本の世界の外交的地位の低下は世界の中でGNPの占める率が低下(17%→10%)しているとの珍説を承ったそうです。それより、福田首相の無能のせいでしょうけどね。 陸軍も桐工作とか妙なことをやりましたが、外交について意見はいえても直接外交はできません。軍人がノコノコ出かけても、相手国は「?」となって終わりでしょう。 1945年6月のソ連工作はそれでも成功したんでしょう。日本が講和(降伏)意志があることはスターリン経由、トルーマンに伝わりました。トルーマンは「無条件降伏」原則が崩れるのを恐れましたが、けっきょくポツダム宣言を出してきたんですね。当然内容について外務省は中立国外交官を通してアメリカとある程度の打ち合わせをしたと思いますよ。さもなくば、外務省がポツダム宣言について常に、受諾方針であったことの説明がつきません。"subject to"というのは誤訳には違いありませんが、些細な事だという昭和天皇の判断は正しかったと思います。 別宮 |
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date 2007/12/10(月)09:17 別宮さま。みなさま。 若村さきでございます。ご無沙汰しております。 ところで、 >戦時国際法による規定というのは、このように「相手がやれば、こちらもやるぞ」の世界、"tu quo que"があって、平時国際法のようにいきません。日本やドイツが無差別爆撃をやった以上、それ以上の量による同害報復、原爆投下をやられたところで、国際法違反だなどとの泣き言をいうべきではないでしょう。考えるとすれば、1941年12月に考えるべきでした。 に関してです。少々確認させてください。 日本がアメリカに対して、原爆による、あるいはそれに近い報復の能力を当時有していたならば、アメリカは当然原爆投下を躊躇したことでしょう。ですから、その点について泣き言をいうべきではない、というのはよくわかります。 ただ、日本が無差別爆撃を行ったのは、中国に対してであって、アメリカではありませんでした。そうなると、原爆投下の時点では、米中は同盟国ですので、この場合の「相手がやれば、こちらもやるぞ」という同害報復の理論は、自国だけではなく同盟国についても適用できるということでしょうか。 日本が毒ガス兵器を中国に対しては使用したのに、アメリカに対しては使用しなかったのは、まさにアメリカの同害報復を恐れたからだ、というのを読んだ記憶がありますが、実はとんちんかんな配慮だったということになりましょうか。 つまり、そもそもそういう違法を犯す以上は、どの国からであれ、敵側から報いが返ってくることを覚悟しなければならなかったということですね。 まさしく、1941年12月に、よく考えなければならないことでした。 期末試験の採点で忙しい(はずの)若村 |