過去ログ251-300

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date 2008/5/22(木)11:24
uname ロック

subject re(5):「間違っているのはせかいのほうだ!」

タオルさま みなさま

仕事が忙しくしばらく投降できないままでしたので
また時期ハズレな投降になってしまいますが

この中国の方の言葉というか字幕のままに解釈すれば
普通の事を言っているように思います
ただあまりにも普通の事を言っているので別に心に響くものでもありませんでしたが
番組側としてはもっとインパクトが欲しかったのでしょうね
一つ考えて見たのですが やっつける敵は強い方が良いのでしょう
悪の帝国でも良いし 残忍な共産主義者でも良いのですが
満身創痍の旧式戦艦がたった一隻で敵巨大帝国に立ち向かう方が格好良いわけで
そんな敵が実は弱い なんて言われてしまうと困ってしまうわけです
強いと言われた「中国の情報戦」は
インタビューで言われていたように国内外の親中の声が大きいだけで実態は伴っていない
と暴露されてしまうと一番困るのは番組側なわけでしょう
それならこのことは内密にして公開せねば良かったのに最後のコメントにはあきれました
私も対談中の様子で「しゃべり方が慣れていないみたいだし 必死なのかな」と思っていたら
最後のコメントで全てが台無しで「こいつら馬鹿か?」と思いました

コメンテータ達の言葉を聞いて感情が激しましたが
少し頭を冷やし 彼らがそう思い発言する理由を考えてみました
まず「情報戦では共産圏は絶対に強い」というところが引っかかったのですが
現実が伴っていない情報はただの虚飾のはずで それがわからないのか
現実はどうであれ放送で流せば誰でも信じる と思っているのかもしれません
放送関係者は「民衆は愚鈍でなければならない」と思い込んでいるような気がしてなりません
「一時的に騙せるかもしれないが多くの人は騙された事を覚えている」
と普通は考えるものだと思うのですけどねぇ
もうそういった感覚が麻痺しちゃっているのでしょうか?

252

date 2008/5/22(木)13:07
uname 困ぺい糖

subject re(1):塹壕戦と長篠の戦い

SLEEP様

長篠の戦いについては鳶の巣城への別働機動が決め手ではなかったでしょうか?
鳶の巣の砦群は設楽が原を見下ろすとともに、長篠城包囲の環の強い一部に当たります。
この場合、武田方の採る作戦としては、梃子に押される形で早急に織田徳川軍との決戦を求めて設楽が原に駆け下りるか、長篠包囲勢を殿にして急遽退く事です。
この選択は当時は勝頼ならずとも非常に難しかったと思われます。

当時の兵力は織田徳川35000vs武田15000です。しかし、この兵力差を勝頼周辺は把握していたでしょうか?いろいろ読んでいて、ここまでの差とは把握していなかったのでは?
もし、これが2対1程度以下と推測していたなら、信玄以来の宿将も設楽が原への進軍を止めなかったと思います。やはり敵評価で両者に見解の違いがあったのではないでしょうか。そして、鳶の巣夜襲がその判断を混乱させたと思います。つまり、勝頼は別働を抜いた織田徳川勢を過小評価し、中央突破は可能と見たのでしょう。
このあたりの死中に活を求める心理は将帥独特のものだと思いますが、このあたりに触れた論は見ませんね。

野戦築城ですが、当時の方法では、心理的な影響のほうがたぶんに大きかったでしょう。後の小牧長久手の合戦では両者野戦築城、しかし、池田勢がやはり分進夜襲を図って逆に本多勢に返り討ちにあい、戦線全般を膠着させてしまいました。
やはり、兵力差が大きくものを言ったと思います。

鉄砲が合戦を止めたというのは少し不分明ですね。むしろ兵站と訓練の必要な鉄砲の整備によって日本の軍事組織はより効率化したといえます。また、塹壕=散兵戦の必要とされた状況とは、後にライフルと野砲が射程300m以上から間断ない弾幕射撃を半端な防具など打ち抜く威力で襲い掛かるような様相でした。つまり、19世紀も後半以降の現象で、それまでの密集隊形が完全に粉砕されたからです。
火縄銃のころは、その操作上の安全確保と射程から、ようやく肩が触れ合いほどの密集隊列を導入すべきではないか、という時期にあたります。

3段撃ちはこのへんや、統合射撃の指揮をどうするかという難題もかかってきますね。

旧軍の着眼戦術史観では史実を見誤るのは当然ですが、当時からの軍事史の流れを見ないというのもどんなものでしょうか、と思います。

ちなみにご参考までに、「火器の誕生とヨーロッパの戦争」(バートン=ホール著 平凡社)をお勧めします。
絶版なので図書館で探していただくしかないんですが、これは良書と思います。復刊ドットコムに申し込もうかしら。

困ぺい糖

253

date 2008/5/22(木)18:17
uname 遼馬

subject re(2):塹壕戦と長篠の戦い

困ぺい糖様 SLEEP様 皆様

少なくとも源平の戦いでの騎馬隊は間違いなく存在しますので、武田騎馬隊は可能だったでしょう。騎馬隊の規模はいろいろな学説があって不明です。
長篠の戦の推移は困ぺい糖さまの言われる通りだと思います。

ヨーロッパでの火縄銃の使い方をみていると、長槍隊で騎馬の突撃から守られながら、撃っています。射程が50mでも、突撃蹂躙ができない状態では、騎馬は単なる大きな的です。
逆にナポレオン時代でも、戦列が崩れた後ならば、騎兵突撃で歩兵に甚大な損害な損害を与える事ができています。

ちなみに、最初に火縄銃を大規模に使用したのは、オスマン帝国で、その影響を受けて(トルコと何度も戦ったためか)、ドイツ傭兵隊が大量使用しています。
この流れについていけなくなって、スイス傭兵隊は相対的に没落していきます。

ところで、話は変わりますが、自由というのは文明の賜物なのでしょうか?
なんかもっと根源的に原始的な思想のような気がします。

平家物語、ニーベルンゲンの歌、アーサー王物語、ローランの歌、これらの物語には、上の人間に従わなければならないという、文明的?な思想が根本的に欠落しています。

命をかけて、自らの名誉の為に、自らの意志で、絶対に勝てない戦いにおもむく。
まさに、「自由かしからずんば死か」です。

254

date 2008/5/22(木)21:10
uname 海軍好き

subject re(3):塹壕戦と長篠の戦い(定説が覆らないのは何故?)

困ぺい糖様 SLEEP様 遼馬様

こんにちは。原則ROMでたまにお邪魔する海軍好きでございます。
わたし、実のところ戦国時代では武田勝頼好きなもので、長篠の戦等で勝頼が
けちょんけちょんにされる度に忸怩たる思いをしておりました。

困ぺい糖様が長篠について冷静に書いてくださったのを読んで、感動しております。
ありがとうございました。

武田騎馬隊ですが、まず、戦国日本の馬(というか日本産の馬)は頑丈ですが、
突進し辛い体型です。

http://zookan.lin.go.jp/kototen/uma/u324.htm

勿論、戦国時代は品種改良をしているでしょうが、騎兵突撃という発想そのものが
なかったのでは、とわたしは考えています。

これは、騎乗して戦う日本刀はあっても、突撃用に特化した日本刀が無い
ところから、わたしが勝手に考えていることです。
ピストルはありますが、これも、突撃に使った訳ではないでしょう。

また、例えば、長篠合戦図屏風を見ても分かります。
騎兵突撃らしい光景は全く見られません。
武田軍は騎馬武者を中心に徒歩兵がいる、といった感じです。

また、長篠の地形は騎兵突撃に向いていたとはとても思えないのですが、
あまりフロシキを広げるとまとまらなくなるので、これくらいにしておきます。

では、武田騎馬軍団とは何だったのか、という疑問が残ります。
わたしは、甲斐・信濃といった山地を領国としていた武田信玄は、迅速な行軍を
行うことを旨としていた、と言われています。例の風林火山ですな。

そこで、信玄は街道を整備した、と言われていますが、兵糧の運搬などに
他家よりも豊富に馬を使っていたのではないか、つまり、迅速な行軍を行ったこと
を、後に武田騎馬軍団と言われたのではないか、と考えています。
これは、色々な人が提唱していることの受け売りです。

そもそも、騎兵に関しては壬申の乱には存在していたようです。
しかし、その用途は専ら弓騎兵だそうで、槍を持って突進、という形態は
残念ながら、ヨーロッパ・イスラム・モンゴル(遊牧民)の騎兵、くらいしか
ないようなのです。

では、源平合戦の義経は何だったのか、という疑問が残ります。
これは推測でしかありませんが、義経は兵糧を携行した小部隊を騎乗させて
長躯遠征し、敵の裏側に出るなど、隙を突く戦略機動を見せたのではないか、
と思われます。
というのも、一の谷、屋島での義経は常に小部隊の指揮をしているからです。
このあたりは、ちゃんとした記録が無いのでなんとも言えませんが。

わたしが気にしているのは、鈴木真哉さん他の方々が『覆された長篠の定説』と、
取り上げたりしているにも関わらず、長篠というと、相変わらずああいう光景が
描写、又は映像化されることです。
(あのクロサワですら、『影武者』ではああでしたし・・・)

これは、なんでだろうか、実は根が深いのでは、と考えています。
もし、よろしかったらどなたかご教示いただけないでしょうか?

ちなみに、わたしは20年位前に新田次郎の『武田勝頼』を読んでからの勝頼贔屓
です。本書の勝頼は・・・と止めます。もし、図書館で入手できたら読んでみて下さい。
個人的には『武田信玄』よりも好きですね。

どちらにしても、間違いなどありましたら指摘をお願いします。

こんなに書いたのはもしかして初めてかもしれない海軍好き

255

date 2008/5/22(木)23:50
uname 庵

subject re(4):塹壕戦と長篠の戦い(定説が覆らないのは何故?)

 海軍好き 様 皆様

 以前も何かの話題の折に、既に指摘されておりましたが、
 日本では騎兵集団によるショック戦術は存在しませんでした。
 つまり騎馬隊という戦闘単位はまず存在しなかったと考えていいと思います。
 「旗本八万騎」という言葉もありますが、これも「騎兵」を意味してはいません。
 義経の作戦の奇抜さは否定しませんが、騎兵単位としての認識だったかといえば強く疑問です。少数で素早く移動するための必要な処置がたまたまそうなっただけ、と言えると思います。

 さて、テレビや映画などのドラマは題材にしている以上、史実に沿っている必要はあると思いますが、史実に厳密である必要はありません。
 最近では、ネットによってそういう情報交換も頻繁になり、あるいは(それを作品の評価につなげるという意味で)「語っちゃう人」もいるせいで、「厳密な史実」か否かはより注目されるようにはなっていますが、そもそも、その学術的姿勢が、ドラマ制作どこまで必要かという点があります。
 
 つまり、観ている人の想像を裏切らない形であれば十分ではないでしょうか?(勿論、まるきり設定を裏切るという方法もありますが、それはさておき)
 
 そして、そこで優先されるのは「ドラマチックであるか否か」であり、それで十分なはずです。
 
 長篠の合戦で言えば、一般的な視点(織田VS武田など)であれば
「最新の兵器である鉄砲を揃えた革新的な織田軍と、旧態依然の武田軍」という図式が、最も観客がすんなりと、そして、映像的には観ていられる構成と言えます。

 鳶の巣城攻撃でにっちもさっちもいかず、9時間戦い、武田軍のほとんどの死傷者も他の戦いと同じく敗勢後によるもの、という他の戦と似たような展開は、定説と比べてドラマにはしにくいものがあります。

 本能寺の変で、織田信長は「是非に及ばず」と言ったと伝えられます。
 「そんなの誰が言ったのだ?」と史実を追求して、その考察の結果をドラマにするよりは、その伝えられる台詞をよりドラマチックにする方法を考えるのが、表現者であると割り切ればよろしいのではないでしょうか。

256

date 2008/5/23(金)00:20
uname ペルソナ・ングラータ

subject りばちぃー

遼馬さま、皆様

以下、私見にすぎませんが。

自由と文明(近代)ですけど、自由と言う概念自体は、そもそも「奴隷かあるいは自由民か」、みたいな話になりますと大昔からの話になりますが、近代的な意味での自由、という事になりますと、やはり「他人の自由を認めて、自分の自由に限界があることを学ぶことで、結果的に自身の自由を保障する」(つまり「他人に害を与えるまでの自由は、人間はもっていない」自覚)という事なんじゃないかと思います。それでも、やっぱり自由は必要だ(「お上に抑圧される義務はない」)、と言うことを認めて、必死にバランスを取りながら法治主義を確立する工程が、近代という事でしょうか。

以前「フラテルニテ」について書き込みをしましたが、たてのつながり(封建的主従や「忠誠」)の概念中での自由ではなくて、横のつながり(「平等・友愛」)の中の自由を真剣に考え出したのは、やはり19世紀、という事になるかと思います。

中世自由都市でリベルタス(羅)といえば、たいてい皇帝や領主さまの代官ヌキで、自分たちで物事を決めるお墨付きをもらってる、って言う意味でありました。フランス革命では、大王国の首都の騒動ですから、(神聖ローマ)皇帝もクソもなく、共和制=ローマ時代の復古趣味のようなものに走って変質したのかもしれませんね(でも反動で自分たちで皇帝を作っちゃいましたからネェ〜)。 

自由が近代文明を作ったのか、近代文明(進歩)が(近代的意味での)自由を作ったのか、と言われると、どっちなんですかね〜。「自由なくして近代なし」(「自由、しからずんば死」とほとんど同じ)とか。 でも、こう説明をすると、(一応、フランス人に言わせるとフランス生まれですけど)“共和国”アメリカで原理主義化しているかの如き「自由」に対する、ほとんど宗教的な「おせっかい精神」(押し売り)の根源は、なんとなく理解できるんじゃないかと。

ペルソナングラータ

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259

date 2008/5/23(金)07:28
uname 海軍好き

subject re(5):塹壕戦と長篠の戦い(定説が覆らないのは何故?)

庵様、他皆様

>さて、テレビや映画などのドラマは題材にしている以上、
>史実に沿っている必要はあると思いますが、史実に厳密である必要はありません。

ここ、わたしも同感なのですが、勝頼(長篠)ウォッチャーとして
気になるのは、例えば長篠の定説に対して疑問を入れているのは、
プロ(大学教授等)でなく在野(作家その他)ばかりなのです。
いわゆる大学教授の専門書で、

長篠の戦では(中略)織田信長が3000丁の鉄砲を用い(中略)、武田勝頼は
家臣の言うことを聞かず猪突し(以下略)

みたいなことを平気で書いているのを見かけます。長篠の定説への疑問を
投げかける考えは新田次郎によると結構遡る(昭和30年代くらい)のですが、
権威ある人が未だに定説を繰り返したりしています。

おかげで、最近、海外でも長篠はとりあげられることが多いのですが、いわゆる
ステレオタイプなヤツばかりなのです。これはこれで問題かな、と思うんです。

やや話が変わりますが、文藝春秋に別宮さんが書かれた『昭和十一年体制の呪縛』
を読んでから、兵頭さんの『パールハーバーの真実』を読んだのです。
兵頭さんが紹介されている山本ドクトリン(帝国海軍は空母+艦攻+航空魚雷の
3点セットを対米必勝戦術として太平洋戦争に臨んだが、それがミッドウェーで
破綻し、その後は陸攻による攻撃に切り替えた)について、書かれたものです。

わたしは、兵頭さんが紹介した山本ドクトリンを知ったときは唸りました。
そして、知人(わたしと同じくウォーゲーマーですが歴史にも詳しい)に
紹介したところ、彼も感心していました。

ところが、兵頭さんがこれを公にしたのは2001年なんですね。
それから7年経ちますが、これに同調しているいわゆる言論人は別宮さん
だけですよね(わたしの知る限りで、もし違っていたらご教示ください)?

長篠もそうですが、この鈍さってなんなんだろう、日本人の特性なのか、
それとも・・・

などと感じていて、その疑問が、

>>『覆された長篠の定説』と、取り上げたりしているにも関わらず、
>>長篠というと、相変わらずああいう光景が描写、又は映像化されることです。

を書かせました。でも、それだけ読んで、ここまで読み取れ、というのは
無理ですよね。失礼しました。

でも、上記の疑問について、どなたかご教示していただけるとありがたいのですが。

例によってこれから出勤準備を行う海軍好き

260

date 2008/5/23(金)08:25
uname 困ぺい糖

subject re(6):塹壕戦と長篠の戦い(定説が覆らないのは何故?)

海軍好きさま 庵さま 他皆様

日本の合戦史について「権威」を持ち出すと、同じ官学ということで参謀本部戦史が土台ということになります。
現在に至るも桶狭間にせよ、長篠にせよ、主流はこの参謀本部史観がベースです。

ところで、これが歴史研究資料足りうるかというと、いささか疑問を呈せざるをえません。これは元来が陸大教材として編まれたためで、当時の陸軍の作戦思想が色濃く反映します。
寡兵よく衆を倒す、決戦場における新機軸(着想戦術)、いずれも陸大お気に入りのシチェーションです。もともと史実を探求するための研究ではないと言ってしまえばそれまでですが。

放送や戯作者はこれまた自身が資料批判をしながら史実を組み立てる立場にはほとんどいません。たまにいればこれは凄いのですがね。
結局、官学直伝の「史実」に寄りかかりますし、そのほうが俗耳に受けやすいというところもあります。

問題は官学自体が検証能力のある研究者を養成できなかったところでしょう。日本の歴史学界で主流を占めるマルクス歴史学は資料批判はやりますし、本はたくさん読みますが、事実とドグマの相違ではドグマを優先しますから、結論は大概間違えます。

海軍の戦史については、もとからの隠蔽体質と戦後のダンマリが大きく影響します。戦後の海軍上がりで声のでかいのは大概軍政にいた山本子分ばかりですから、ミッドウェーについては公には具合の悪いことばかりです。
やはり戦争は勝ってなんぼですな、というのも結論として斜め上?

困ぺい糖

261

date 2008/5/23(金)08:52
uname betsumiya

subject re(6):塹壕戦と長篠の戦い(定説が覆らないのは何故?)

庵さま 海軍好きさま

長篠の合戦についての「定説」の大本は明治時代の参謀本部ではないでしょうか?なぜ戦国時代の歴史考証をやったかといえば、陸軍大学や士官学校の教育のため試験のためです。試験となれば、必ず模範解答が必要であり、生徒はそれに沿って答解せねば誤りだとなります。

そして歴史書を書く歴史家の方は、自分で調べるのは大変ですから、参謀本部という権威に従えば安全ということになります。間違いと指摘されたら、参謀本部のせいだといえば済みますし、自分の本分は「経済論」であって、「戦争という表面など重要ではなく、その背後にある経済的諸要因を分析するのが本旨」とかいうんですね。戦争が経済を動かすんで、逆じゃないんですけどね。

武田勝頼が織田信長に勝てば、日本歴史は大いに変わりましたよね。ただ、進歩か反動かといえば、反動でしょう(海軍好きさまへ、怒らないでくださいね)。

第二次大戦のフランス戦におけるドイツ軍の作戦計画「黄色の件」"Fall Gelb"について、日本のミリタリー雑誌の多くは「マンシュタイン計画」といいます。でも、これを策案したのはヒトラーであって、マンシュタインは食事の席で耳打ちした程度です。でもマンシュタイン計画ときけば、シュリーフェン計画のような偉大さを感じますよね。それでどうしてこうなったかを調べると、出本は西ドイツ国防軍です。西ドイツ国防軍は、スターリンと対抗する意味もあって、ユンカーの巣だったんですね。それで、米軍のウケもよかったフォンマンシュタイン将軍を英雄として持ち上げ、次第に「黄色の件」という冴えない名前をマンシュタイン計画といい直したんですね。

日本とは逆に英米独の歴史家はマンシュタイン計画とはまずいいません。長篠については、参謀本部の意図が重要でしょう。明治陸軍の歩兵操典は、「司馬史観」からは意外かもしれませんが、火力重視で白兵戦を避け、(当時のヨーロッパの基準からは)散兵を主張しています。長州兵がいつも寡兵で戦ったことからきたようです。これもメッケルがゴチャゴチャにしました。日本人のドイツ信仰は怖いですよね。

別宮

262

date 2008/5/23(金)10:14
uname SLEEP

subject re(7):塹壕戦と長篠の戦い(定説が覆らないのは何故?)

別宮さま、困ぺい糖さま、みなさま

日本の歴史にはフィールドワークがありませんよね。長篠の地形ですとか(蒲郡に行ったことがありますがすぐ山ですよね)あるいは武装した人間や馬の最大速度、火縄銃の発射速度などそういったデータを無視して更には織田徳川連合軍が2倍以上の優勢だったことなどまったく無視です。また庵さまがおっしゃるように武田側の半数以上が討ち死にとなれば、それはやはり敗走時の掃討戦の結果ですよね。突進した騎馬隊が鉄砲で打ち倒されるのは絵になるかもしれませんが。

むしろ武田側の決心の動機などの方が講談にしても面白いでしょうね。「ナポレオン〜獅子の時代」という漫画を読むと虚実ないまぜてここまで面白く書けるものかと感動します。

グランダルメーは世界最強!SLEEP

263

date 2008/5/23(金)12:30
uname 遼馬

subject re(1):りばちぃー

ペルソナ・ングラータさま、皆様

>必死にバランスを取りながら法治主義を確立する工程
詳しい解説ありがとうございます。貴族同士のバランスから、徐々に下に降りて行って、全国民のバランスを取るようになったのが民主主義と思っています。
権力者の命令よりも、隣人の顔色の方が大切。

ヨーロッパや日本の英雄物語では、王様でも口の利き方ひとつで、あっさり裏切られるし、皆、ちょっとした事で、すぐに切れて大変な事になります。
私見ですが、こういう我侭さが自由の根源で、これを完全に否定する文化や宗教の所では、近代は根付きにくいのではないかと思います。
そして、我侭な行為を容認する神々が復活したのがルネサンスですから、近代とは意外と古代復帰なのかもしれません。

ところで、ルネサンス期のイタリアの騎士道物語は面白いですよ。みんな好き勝手に恋愛やら決闘やらをやっています。
誰か王様の命令を聞いてやれよ!

264

date 2008/5/23(金)13:01
uname 国民自由主義者

subject re(7):塹壕戦と長篠の戦い(定説が覆らないのは何故?)

betsumiyaさま 庵さま 海軍好きさま
> 第二次大戦のフランス戦におけるドイツ軍の作戦計画「黄色の件」"Fall Gelb"について、日本のミリタリー雑誌の多くは「マンシュタイン計画」といいます。でも、これを策案したのはヒトラーであって、マンシュタインは食事の席で耳打ちした程度です。でもマンシュタイン計画ときけば、シュリーフェン計画のような偉大さを感じますよね。それでどうしてこうなったかを調べると、出本は西ドイツ国防軍です。西ドイツ国防軍は、スターリンと対抗する意味もあって、ユンカーの巣だったんですね。それで、米軍のウケもよかったフォンマンシュタイン将軍を英雄として持ち上げ、次第に「黄色の件」という冴えない名前をマンシュタイン計画といい直したんですね。
マンシュタイン計画と言い募る人にききたいのは、黄色作戦の問題点はアルディンヌ森林地帯通行の困難だけなのかということです。もし、連合軍がアルディンヌから来るドイツ軍を察知して撤退したらどうするのか?そして、逆に突っ込んでくるドイツ軍を逆包囲したらどうなるのか?従来のシェリーフェンプランに見せかけるためのベルギー、オランダのおとり攻撃を考案し計画を練ったのはヒトラーですよね。黄色作戦が始まったとき連合軍がベルギー、オランダに進軍したという報を聞いたとき、ヒトラーは喜びの声を上げたそうな。 
マンシュタインは黄色計画の作成にかかわっていないはずです。(アービングの「ヒトラーの戦争」でフランス作戦がヒトラーマンシュタイン計画とよばれているのは当然だ、この作戦をヒトラーにはできない命令書に加工したのはマンシュタインだからという意味の記述がありましたが、でたらめのきわみ。アービングという歴史家があまり信用できないことはこの一文でわかる)マンシュタインがフランス戦に参戦したのは、戦の帰趨が決したあとでした。なぜ、彼をポーランド戦のときとは違って、起用しなかったのかわかりませんが。電撃戦のような戦いに向かないと思われたのか、マンシュタイン自身過大評価されているのか?最近、日本で出版された「電撃戦はな
かった」はひどい本ですね。ドイツの軍事学も地に堕ちたか?すでに、判明している事実を調べるだけでもマンシュタインの役割なぞたいしたことでないとわかりそうだけど。
国民自由主義者                                     

265

date 2008/5/23(金)16:22
uname 遼馬

subject re(4):塹壕戦と長篠の戦い(定説が覆らないのは何故?)

海軍好き様

 戦国時代の馬でも騎馬突撃は可能であったと思います。ほぼ同じ大きさのモンゴル馬で、ちゃんと騎馬突撃がありますから。
 ついでに、源平の戦いでは馬に人肉を食わして、凶暴に育てていたという記述がありますから、この真偽の程はともかく、馬を人の集団に突っ込ましたという事でしょう。
 訓練されていない歩兵に対して、騎馬を突っ込ませるのは、古今東西、普遍的な戦術ですから、日本だけがそれをしていないという事はないと思います。

 武田軍に関しては、全軍の約一割が騎兵です。 騎馬突撃せずにこれだけの騎馬武者はいらないでしょう。
 信長でさえ、騎馬のショック戦術を行っていた記述がありますし、宮本武蔵が、騎馬の戦いでは片手で剣を振るうのだから、という記述もあります。

 地形の制約から何千という騎馬隊は無理でしょうが、数十騎での突撃ぐらいはしていたでしょう。

 ただし、義経のような騎馬のみによる機動という意味での騎馬隊は、戦国ではあまりされていないと思います。
 
 義経にあういう行動が可能だったのは、範頼がきちんと正面の戦前を構築して、大部分の兵を拘束していたからですが、範頼の評価は勝頼よりも、もっと悲惨ですよね。
 だれか、範頼の復権をして欲しいです。なかなか良い武将だと思うのですが。

266

date 2008/5/23(金)23:24
uname よしくん

subject re(8):塹壕戦と長篠の戦い(定説が覆らないのは何故?)

皆様

日本に限らず歴史学者はテンプレを暗記しては書き出しているだけの人士が多すぎますね。
1次資料が子供のころ読んだ小説・漫画・絵本では学者を名乗る資格はないでしょう。
柳生三厳が隻眼とか、ピラミッドは奴隷に作らせたとか、学者のいう話ではありません。
武田家も天目山の戦いで完全滅亡したのではないのですがそう信じている人が多いので困ります。
第二次大戦前は銃器の所持が比較的自由という話は大学に入ってから知りましたが、こうした事実をあまり教えずに歴史を論じている本が多いのには驚きました
(刀狩以降町人・農民が非武装になったと書いてある本ばかりなのは・・・そもそも津山事件は犯人が合法に銃器を入手して発生したのですが)。

満濃池が放置プレイで農村にされていたと聞いて驚いた よしくん

267

date 2008/5/24(土)02:03
uname 海軍好き

subject re(7):塹壕戦と長篠の戦い(定説が覆らないのは何故?)

困ぺい糖様、別宮様、他皆様

いろいろとご教示いただき、ありがとうございます。
別宮様、お気遣い頂き恐縮です。かくいうわたしも、信長と伍して一歩もひけを
とらなかった点で勝頼を評価しており、勝敗については、信長に敗北して良かった
と考えています。最終段階で信長は勝頼に対して謀略を使って勝ちますが、それは
逆に言えば、正攻法では勝てなかったことを現してもいるし・・・

むしろ、定説に対してなんとも思わない現代の歴史学会に対して嫌なものを
感じますね。

藤井尚夫さん(なんと工業デザイナーです)が長篠の定説化には参謀本部が
関わっている、と書かれている文章を読んだことがあるのですが、それって
明治時代なので、まさかそこまで・・・と思っていたのですが、官学、権威主義
といった点から考えれば、おっしゃるようにしっくりいきますね。

このあたりは、井沢元彦が『逆説』シリーズでしつこいくらいに述べていますが、
やはり、日本の歴史学会は、そういった点でそうとうダメなんですね。

帝国海軍についても、隠蔽体質と山本の子分がデカイ声をはりあげるから、
周りの連中は、アイツラがそう言うのならそのとおりなのだろう、と、ロクに
検証もしないで盲目的に信奉している、ということなのでしょうか?

こんなことではダメダメですね。中国に対してはともかく、欧米には勝てませんよ。

よく、長篠の定説に対して文句を言うと、そんな過去のことで熱くなるなよ、
と言われることがあるのですが、逆に言えば、そんな過去のことすらもしっかりと
検証できていないのでは、帝国海軍のことについてもしっかりと検証できる
訳がないですね。ああ、困った。

明日は、文藝春秋の大和&ゼロ戦特集を読みに図書館へ出かける予定の海軍好き

268

date 2008/5/24(土)02:15
uname 海軍好き

subject re(5):塹壕戦と長篠の戦い(定説が覆らないのは何故?)

遼馬さま

ご指摘、ありがとうございます。
確かに、その後調べてみたら見つけました。「総乗」「総懸」「馬入れ」
といった表現が騎馬突撃に当たりますね。

ただ、件の鈴木真哉さんの別の書によると、戦国時代の合戦は総じて
弓戦(後に鉄砲戦)が多く、あまり白兵戦は見られていない、とのことなので、
それが事実だとすれば、そうそう騎馬突撃にはお目にかかれなかったでしょう。

おそらく、本多忠勝とか馬場信春、島左近といった相当に戦場の空気を読める
猛者だけが使いこなせた戦術なのかもしれません。ここは、あれこれ調べてみる
必要がありますが。

範頼(蒲冠者)は、わたしも高く評価しています。
義経があれだけ無茶できたのも、範頼がしっかりしていたからだと思うんです。
おっしゃるとおり、勝頼は最近になって、結構復権が進んでいますが、
範頼はイマイチかもしれませんね。

海軍好き

269

date 2008/5/24(土)08:24
uname 黒田長政

subject 北海道のウタリ協会がわからん。

別宮さま

ウタリ協会の加藤忠理事長が町村官房長官にアイヌ民族の経済的困窮と社会的地位の向上
、権利を求めて会談したそうですが、よくわからない要求もあります。

英米系では先住民族を認めているところもあるが、補助金付けにされて向上心が見られなくなる
例もあります。

フランスではボルドーなど、フランク族系ではなく、先住民のケルト系の人々もいるのですが、
「フランス国民」として一体であります。

日本では司馬遼太郎も書いているとおり、日本人の成年男性は大半がふとももからすねまで黒いすね毛
が生えていますね。これはアイヌとの混血だからからだ、と随筆にありました。

この文章を読んで、「すでにアイヌと日本人は混じっているのでは?」と思いました。

日本人なら多かれ少なかれアイヌとの混血は事実ではないでしょうか?
これに「権利」とはこれいかに?

黒田                     謹言

270

date 2008/5/24(土)09:46
uname betsumiya

subject 黄色の件

国民自由主義者さま

マンシュタインは自慢癖がありますから、自分が戦後いったことだけで判断するのは危険でしょう。アービングはイギリス人ですが、ドイツ好きがこうじてベンツの工場に勤めたくらいですよね。ときどきイギリス人に多いですが、事業にはリスクがあることがわからず、イギリス自動車業界の衰退はどこに理由があるのか、などと考えすぎてしまうのでは?

一般に野戦における勝利は包囲戦しかなく、包囲をやるには片翼・両翼、近接・遠隔と4通りあります。近接とは敵との接点を失わずに包囲するカンネーのようなやり方で、遠隔とは敵との接点をなうべくもたず、到達目標を予め決めておく方法です。ヒトラーは遠隔・片翼を選択したのであって、突破地点のセダンは重要ですが、もう少し下流を突破したところで大差はなかったでしょう。またアルデンヌの森というのは日本の富士の樹海のようなところではなく、シャンパーニュやブルゴーニュより、いくらか緑が多いかな、農地がないな(泥炭地のため牧場が多い)という程度で、フランス軍が通過不能とみて防禦を軽くしたというのはウソです。

むしろヒトラーの着眼が優れていたのは、英仏軍のD計画にもとづくベルギーへの突進を見抜いたことでしょう。それでご指摘の通りヒトラーは喜んだんですね。

包囲戦を成功させるには、敵の向かってくる衝力、または現在地死守の力を利用しないとなかなか成功しません。タンネンベルグでは、サムソノフのショルツの第20軍を殲滅しようとする前進が死を招きました。日露の得利寺では、ロシア軍の金城へ向かおうとする力、上海決戦では国府中央軍の上海全周陣地を死守しようとする力をうまく利用しました。タンネンベルグのヒンデンブルグはのち英雄になりました。

でも得利寺の小川又次や上海の松井石根など、現代日本人はほとんど知りませんよね。あとの陸大教授などは戦いの推移を分析できず、また大体東京にいてヘボな命令しか出してないもんですから、英雄を消そうとするんですね。それと日本の英雄は謙虚で黙ってますよね。それが問題ともいえます。

別宮

271

date 2008/5/24(土)10:38
uname 遼馬

subject re(1):北海道のウタリ協会がわからん。

黒田長政さま

 横から失礼します。
 俘囚で検索すると出てきますが、アイヌ民族と武士の起源というのは、なかなか面白いです。
 そもそもアイヌ民族って、どこから来たのでしょう。

272

date 2008/5/24(土)10:42
uname betsumiya

subject re(1):北海道のウタリ協会がわからん。

黒田さま

アイヌ人は、他の多くの日本人やヨーロッパ人と同じく発祥はよくわからいようです。アイヌ語は金田一京助によって日本語とは別、ドイツ人の人種差別的言語分類に従って、屈折語だか膠着語だかにされてしまったんですね。最近ではこれは謬説とされ、日本語と類似した言語とされます。

米内光政・板垣征四郎・郷古潔・及川古志郎・野村胡堂・石川啄木は全員、盛岡高校の同一世代に属します。このうち米内・及川は4修で海兵、板垣は2修で仙台幼年学校にいきました。学者・文士・会社員より兵隊の方が成績がよかったんですね。

野村胡堂の話によると、このうち一番の「変わり者」は金田一だったそうです。ともあれ、金田一の説は罪作りですよね。要は関東から岐阜くらいまでアイヌ語が語源とされる地名が残りますが、こちらの方がオリジナルの日本人であった公算が強いんですね。日露戦争のころ、新聞記事に硫黄島とあるので読み進めると沖縄本島そばの硫黄島のことでした。そこが噴火で脱出せざるを得なくなり県庁から米をもって救援船を出したら島民は全員半裸で米を食べたことがなかったそうです。

明治後期の離島でこういった状態ですから、卑弥呼の時代はといわれれば現代から想像するのは無理、いわんやドイツ十九世紀的分類に従うのは無理でしょう。

ともあれピルヅスキーの弟とか、アイヌ人はヨーロッパ人の祖形だとか、日本人は白人の一種だとかいうのが流行しました。一般に先住民族について民族浄化とか一体化をやるべきではないでしょう。その点から明治の「土人保護法」は問題があります。多少の保護政策、アファーマティブ・アクションは仕方ないでしょう。中国人もチベット人に対して早くそうすべきだと思います。それと血の混じりはあまり気にしてもどうでしょうか。日本人は全員相当程度混血では?

別宮

273

date 2008/5/25(日)07:46
uname 難民

subject re(2):塹壕戦と長篠の戦い

困平糖様

東工大 山室恭子教授のOCW

http://www.ocw.titech.ac.jp/index.php?module=General&action=T
0300&Nendo=2007&GakubuCD=150&GakkaCD=150&KougiCD=0127&vid=05&lang=JA

第13回 長篠の合戦の「音」を聴く〜日本を変えた1日

で同様なことを説明しています。

長篠の合戦は勝頼の勘違いで起こった。

このサイトは、理系学生の教育のためなので、シンプルかつ大胆に説明していて、非常に興味深い。

楽しく見れます。

274

date 2008/5/25(日)08:06
uname 困ぺい糖

subject re(9):塹壕戦と長篠の戦い(定説が覆らないのは何故?)

別宮様 SLEEPさま 他皆様

これはものすごく誤解されていることですが、銃に限らず武器というものは所持するというだけで負担が半端ではありません。
銃の火薬、弾薬はもちろんですが、刀槍弓に関してもランニングコストというものは発生します。

刀剣ひとつとっても、錆び防止や手入れ、研ぎやら曲がりの直し、そして、シコロの緩みや腐敗など、普通の農作業やらとは異質の技量を必要とします。鋤や鎌の泥落として研いでの比ではありません。
おまけに味方や自分を傷つけずに使いこなすのは、いっぱしに戦場に出られるまでさえも訓練の集積が必要です。
田舎出の小僧が魔の森で神剣をたまたま拾って大暴れというRPGのようなわけには参りません。

銃が使われるようになって、この武器の所持についてはおのずとハードルが高くなりました。まず危険(当時の暴発や同士討ちの統計は残っていませんが)、そして消耗品も安価でなかったという事情があり、さらに戦場でコンスタントに敵に発砲できる部隊運動が訓練されねばならないでしょう。
農村に火縄銃が点在したとして、害獣駆除のためにたまに持ち出される以外、使い道は無いのです。秀吉、家康の刀狩にしても、この手の「生活用具」は除外していたはずです。あっても軍事的には脅威にはならないという認識があったからでしょう。

戦前の日本の銃器犯罪で最大なのは、1932年の熱海事件です。これはスパイ松村の手引きによる共産党一斉検挙なのですが、日共側が拳銃で応戦、銃撃戦が発生しました。
スペイン製ローヤル(モーゼル1897のコピー)やコルト45が押収されていますから、どんだけ、ですな。

あの付録の解説が異様に詳しい漫画ですねわかります 困ぺい糖

275

date 2008/5/25(日)16:35
uname 遼馬

subject re(3):塹壕戦と長篠の戦い

難民様、皆様

 資料が満載で、面白いページでした。ありがとうございます。

 題名は、勝頼ファンからすれば、ちょっと酷ですが。
 どんどん崩れていく信長包囲網、どんどん強大になっていく織田軍、時がたつ程、状況が悪化していく状況で、勝頼が取りえる戦略はあまりなかったでしょう。 
 結局の所、信長の主力軍隊を正面から破る以外に解決策はなかったと思います。

 長篠の戦は、
 信長が鳶ノ巣砦攻撃による遠隔包囲を試みている間に、勝頼が近接両翼包囲を試みた戦いでしょう。
 その証拠に武田軍は両翼に有名な武将が配置されていますし、戦死者も両翼に集中しています。

 騎馬隊と鉄砲隊の戦いと言われているのは、この両翼の戦いの事だと思います。
 騎馬の指揮官として有名な山県 昌景が、織田軍の左翼をもう少しで突破しようとした時に、鉄砲に撃たれて死亡しています。

 家康も武田軍の騎馬隊に注意せよという台詞を言っていますし、鈴木氏の考察はちょっと司馬遼太郎みたいで、好きにはなれないです。

 ついで?に、イタリア産、騎士物語のあらすじのホームページ紹介します。マカロニウエスタンといい、イタリア人って面白すぎます。

 http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/2goukan/charl/story.htm

276

date 2008/5/26(月)03:24
uname ペルソナ・ングラータ

subject 騎士道物語

遼馬様、皆様

土日と遊びに出かけたもので、レスが遅くなり申し訳ありませんです。

【275】でご紹介いただいたサイト、面白いですね。ひじょーに良いところを突いておりますです。私に言わせますと、「狂乱のオルランド」の作者アリオストなんか、いっつも本題を忘れてワキのほうへと話を脱線させまくるので、読んでいてこっちが狂乱します。それにしても、英雄たちが女にそそのかされてボロボロ、と言うパターンは、その後タッソーの「解放されたエルサレム」でも続きますから(魔女アルミーダのお色気に、戦士リナルド、呼び戻しに来た騎士たちにむかって「帰りたくな〜い。戦争なんか、ど〜でもいい〜」を連発、その間、軍はボロ負け中)、勇ましい、と言うよりも、お茶目、と言う感じであります。

ま、イタリア物でなくても、アーサー王物語も、ランスロットとギネビア王妃の間の不倫劇の泥沼に落ちちゃいますし、クレティアン・ド・トロワの「トリスタンとイズー」で、イズー姫(イソルデ)は「肩車で私を運んだとき、彼は私の太ももの間に頭を入れましたよ」、なんて言い出すんで、とても良家の婦女とは…(私の持ってる「フランス詩史」には、なぜかこれが例文として引用されておりまして…) 

プロバンスの「宮廷風恋愛」詩なんかも、ご婦人の名前等々は内緒で(セニャル、と言うコードネーム多用)、言う事は好き放題、ですから、ほとんど現代のイニシャルトーク暴露本… 

おっしゃられるとおり、この時代の「宮廷」等、上の人間の間、同一身分内では相当の自由があったんでしょう。(同じように、下々の人間も結構、その中では自由に動けなくもなかったでしょう) 「恋愛至上主義」と言えば、日本の平安時代も同じような感じですね。光源氏のみならず、源平の武将も結構女性関係に引きずられてますし。ま、さすがに静御前が魔性の女だったり、義経が発狂したりはしませんけど。

ペルソナングラータ

277

date 2008/5/26(月)13:57
uname ロック

subject re(10):塹壕戦と長篠の戦い(定説が覆らないのは何故?)

よしくんさま 困ぺい糖さま 別宮さま 皆様へ

鉄砲隊も含めてですが 信長の評価でポイントは
兵農分離だと思うのですよね
信長の発明ではないし今の常備軍とは違うものですが
職業としての兵に特化させていったのは大きいと思います
その結果の一つとして鉄砲隊があり
長篠の戦いに投入された1000の鉄砲隊と見てもかなり凄い事だと思うのです

鉄砲以前の問題で兵力差や状況などをみて 武田側は完全にしてやられたのだと思いますので
鉄砲以前に勝てる見込みはほとんど無いと思われます
それより兵農分離の有用性が一番光った場面と思うのです

戦の武器と生活用の刃物では大きく違いますが
それぞれに特化しただけで扱いは同じく繊細でしょうけれど
鉄砲で生きていくのは猟師か兵になる以外では難しいですから
集団となって脅威的になるのは難しいですね

278

date 2008/5/26(月)17:47
uname タオル

subject re(11):塹壕戦と長篠の戦い(定説が覆らないのは何故?)

ロック様、皆様

兵農分離がポイントだというお話に、思い当たることがありました。
私の故郷は和歌山ですが、鉄砲先進グループの雑賀や根来寺があります。
雑賀というのは、普通の主に農民を治める豪族とちょっとちがっていて、土地柄から漁師や山仕事の人々も束ねていました。
農民だけでなく当時のことに専門家集団の頭領家でもあるということになるかと思います。
こうした特殊な物品の管理、販売にも長けて、堺のような大都市ともルートがあったのでしょう。
そして戦国世間のニーズを知り、様々な職能の総合である軍隊についても、専門職化していました。
すなわち、早くから傭兵部隊も販売品目としているのです。
大家に単に陣借りして忠誠を示すという感覚ではなく、職能者をかかえて独立して動ける単位としての軍隊を持っているから、地域社会として独立の気概も保っていたのではないかと推測されます。
鉄砲の先駆けとなったのも、差別化を図って傭兵部隊のセールスポイントにパンチをきかせるためと思われます。
いち早く看板になるまでに運用まで一貫した体制を整えられたのも、この特殊なあり方によるのでしょう。
また、根来の僧兵というのも、古くから軍事専門職の色合いが強い連中です。

鉄砲の二段撃ち陣や、機関銃兵のように弾ごめ係と射手を分けた早打ちの工夫も、たしか信長より早いはずです。
こうした鉄砲運用には高度な訓練が必要だ、だから無理というお話もありますが、セールスに必死なプロ射手たちなら可能かもしれません。
また困ぺい糖さまのお話からも、当時最新技術の鉄砲の維持、管理、訓練、危険性を考えると、鉄砲隊は各家お抱えでも専門的な兵科とならざるをえません。
刀や槍の手入れも難しいでしょうが、刀は錆びて黒くなってなまくらになってても重さと形で巻き藁ぐらいは切れると言います。愛刀家が聞いたら憤慨するでしょうが。
鉄砲の管理は、確かに一つ時代とグレードが違うものがあると思います。
そして信長が、兵農分離を取り入れて、すでに先行していた傭兵部隊の速射テクニックを、さらに三段撃ちにまでアップするように命じたとすれば、傭兵、足軽とりまぜて対応できる技能があったと考えられないことはありません。で、あるいは昔ながらの長篠の合戦のイメージも一部どこかに現出していたかも。
数十の騎馬突進隊が、段斉射で全滅するようなことがあったとすれば、それはもう壮観だったことでしょう。そういうのが誇張されて伝わっているのかもしれません。
長篠の定説はダメなのかもしれませんが、当時の兵農分離で鉄砲運用に萌したものがあるかもしれない、あんまり否定するのもちょっと惜しい、という気も私は少しします。
銃器の発達による堅陣地に拠った防御側の有利というのは、第一次大戦のことですが、まだまだ理想?には程遠いとはいえ、基本思想は戦国日本ですでに現れて実現に向かいつつあったのかも、当時の鉄砲専門家の頭の中にはそれがあって将来現実に実現すべき物だという認識があったのではないかと思ったりします。

そして、これらすべてが、農閑期のお百姓にはシステム上もモチベーションからも無理なことであり、兵農分離、あるいはもっと一般的に専門職のシステムの整備がなければできないですよね。
どのように現象面でとらえたらいいのかわかりませんが、鉄砲が戦を変えた(鉄砲が戦の変化を見えやすくする、それとも、あるいは戦全体のシステムが大規模に変化する促進剤となった、など色々考えられそうですが)というアイデアを完全に捨て去るのは、なにか惜しい気がします。

279

date 2008/5/26(月)20:00
uname タオル

subject 世紀末救世主伝説

遼馬様、ペルソナングラータ様

乗り遅れました。ペルソナングラータ様、お久しぶりです。

私も近代西洋以前に自由を享受した人々がいた、と思います。
しかし、自由なりえるものは英雄であり、自由にふるまえることは格別なことであったようにも思えます。
自由が尊ばれていたのは、美、腕力、血筋、武勇、功徳などと同様、優れた者の刻印であったからではないでしょうか。自由とは名誉であったのかもしれません。
無力な万人にも保障されるべきもの、という自由の観念は、むしろ昔の自由とは逆であり、昔の人には「誰が保証するんだ、そんなもの」と想像外であったと思います。
今日の自由は、むしろ解放というべきものかもしれません。
自由という概念は拡張され、変化して、今に至り、かつどこかに同一性を維持して常にあるのだと思います。
あるいは、今日自由が万人に分け与えられたのは、やはり近代に至って、国民が一兵卒という英雄であることが求められたからかもしれませんね。女性の「解放」は遅れました。

さて、1万年以上前に存在したと、文献おびただしいキンメリアのコナンは、映画でも大剣で鎖を断ち落としていましたが、他の子供は全部過酷な労働でとっくにおっちんでしまいました。マッチョにあらざれば、人にあらず。
日本にも「無抵抗は、俺には武器にはならぬ!」とか言って、ガンジーみたいなおじさんを拳骨でクラッシュした怖い王様がいました。
現代、仏教国を武力制圧して拷問なんかしている連中がいますが、なげかわしいことに国際社会は仏教国の味方です。
ことほどさように、現代の先進国ではブランド無印どころか水道水レベルに、自由は安くなってしまったのです。
もはや自由は名誉の証としてのとこがどこにもありません。若僧は「神のごとく」でなければ、誰も自由などいらないと思っているようです。
しかし中国はさすが四千年の歴史を誇る国だけあって、あそこは本国も、今や北斗の拳状態だそうで、北部では馬賊、盗賊の類いが村を占拠して王様のようにふるまっているとこもあるんだとか。黒澤明の「用心棒」の世界でしょうか。
こんなところでも自由であることも可能かもしれません。一子相伝の拳法の使い手ならわけのないことです。こういうとこなら、自由であることは神であることと同義でしょう。

280 削除
281

date 2008/5/27(火)03:15
uname 海軍好き

subject re(4):塹壕戦と長篠の戦い

難民様、遼馬様

勝頼ファンでもありますが、興味深く拝見しました。
実は、随分前のことですが、山室先生には別件で伺ったことがあります。
わたしなんぞのために一時間ばかり付き合っていただいたんですよ。
まあ、ご本人は忘れているでしょうが。

長篠合戦については、武田方の負けは動かせない事実なので、
山室先生の考え(勝頼の判断ミス)には、酷どころか賛成です。
かのナポレオン・ボナパルドですらワーテルローでは決定的な判断ミスを
しているし、これに関しては武田のほうが余裕の無いことでもあるし、
やむを得ないかと。

ただ、個人的には、当時の戦国大名家は当主が近世ヨーロッパの絶対君主
のように、やりたいようにやれる訳ではなく、家臣の意見を伺わないと機能
できない仕組みになっておりまして、勝頼個人というよりは、勝頼を含む
武田首脳陣全体の判断ミス、としていただければより良かったかな、と
思います。まあ、日本史の知識の無い人たちを前提にしているようだし、
どうでも良いことかもしれませんが。

他にも興味深い講義録が多々あり、なかなか面白かったです。
紹介していただき、ありがとうございました。

海軍好き

282

date 2008/5/27(火)08:08
uname 遼馬

subject re(6):塹壕戦と長篠の戦い(定説が覆らないのは何故?)

海軍好きさま

 範頼を高評価して頂きありがとうございます。
 堅実な実力を持ち、兄にも忠実で、でも、それ故に北条家の陰謀?で殺された。

 北条家史観の吾妻鏡では、義経にはすごく同情的なのに範頼は無視。
 ここまではわかるのですが、可哀想すぎるのは、平家物語で、なぜ、そこまで無能に書くというぐらい可哀想な書かれ方です。
 日本人は、こういう地味で堅実な武将が嫌いなのかもしれません。

 ところで、山県昌景は身長は130センチから140センチです。
 すごく小さいですよね。
 義経といい、騎馬の有効な機動には、小さい武将である事が必須なのかもしれません。

283 削除
284 削除
285

date 2008/5/27(火)10:29
uname 遼馬

subject re(1):世紀末救世主伝説

タオル様、ペルソナングラータ様

 西洋の騎士道物の能天気さって面白いですよね。昔、はまったので懐かしかったです。

 「自由の女神」ってなんぞや。近代史でいつも思うのです。
 一神教の国で、高らかに、女神を作り上げ、崇拝する。これぞ、自由の復活。古代の神々の復権です。

 騎士道物語や武士道物語では、無力な人間をいたぶって殺す英雄は、ほとんどいないし、いても非難される行為です。
 むろん、ご指摘の通り、あえて、無力な人々を守ってあげようというわけでもないですが(ただし美女は除く)。

 それが、水滸伝などの中国ものでは、一般人は、英雄に適当に虐殺されるし、だまされて食われるし、ろくなものではありません。
 その上、そういう行為を非難どころか賞賛します。

 不思議なのは、中国では民衆が民衆を虐殺するような英雄物語を喜んで読む事です。
 中国の民衆は、力を握れば、そういう事をしたいという事でしょうか?

 騎士道物語なら、力を持ってしたい事は、美女との恋愛、もしくは強者との決闘。
 こちらの方が理解できます。とくに前者!

286

date 2008/5/27(火)22:55
uname SLEEP

subject 歩いたり走ったり

タオルさま、みなさま

色々わからんなりに当時の合戦について考えてみると、歩兵が突撃するのがどの程度の速度かが重要な気がします。だいたい徒歩で時速4kmですから、いざとなれば3倍ぐらいの速さで敵陣に突っ込むと仮定して時速12kmで分速200mですね。火縄銃の射程が50mだとすると15秒、まあ場所やら疲労やらでもう少しかかることにしてだいたい25秒ぐらいですか。百発百中でもありませんし、火縄銃の装填速度を考えれば突破可能ですね。甲冑を脱いで身軽になっての決死攻撃というのもありそうですね。

ちなみに今の人間は200m20秒ですから、トレーニングというのは凄いものです。案外忍者というのも陸上選手のようなものだったのかも。

でも斜度24%を自転車で登っちゃうのはどうかと思ったSLEEP

287

date 2008/5/28(水)01:12
uname ロック

subject re(1):歩いたり走ったり

SLEEPさま タオルさま

たぶん柵と歩兵で前線を膠着させていたのだろうと思うのですよね
織田徳川の足軽も被害が大きいみたいなので 実際に戦線を支えていたのは足軽で
鉄砲は火力支援だったのかもしれません
将も狙い撃ちされたのでしょう
慣れれば再装填に30秒くらいのようですし 射撃体勢や照準にも時間がかかり
照準をすると視界も狭まりますから 3人で1組 10組ずつで統制射撃 という感じかもしれませんねぇ

288

date 2008/5/28(水)12:38
uname ペルソナ・ングラータ

subject re(2):世紀末救世主伝説

タオル様、遼馬さま、

タオル様ありがとうございます。ご壮健の様子、何よりでございます。

私も、考えてみれば、(少なくともガソリンよりは安いかな〜、という)自由を気軽に享受する身の上でございますが、今回、世界中を喧騒に巻き込んだ聖火リレー騒動とビルマや中国での天災=人災の様子を見るにつけ、つくづく日本(自由国家)に生まれてよかったな〜、と思います。次にイタリアへ帰るときは、京都新京極のお土産やで「北斗の拳」のTシャツを買い込んで、イタリアで五割増で売り飛ばしてやろう、とか、せこいことを考える自由も、考えてみれば日本に生まれたおかげであります。(ちなみに、私、本名がケンちゃんなもんで、ケンシローがらみで欧州ではいつもいい思いをしておりまして… そんなこと、どうでもいいって?)

北斗の拳が伊仏等で大人気なのは、(一部の人士には嫌われてますけど・・・たとえば仏の大統領候補だった社会党のロワイヤル女史)、たぶん19世紀から20世紀初頭に欧州で異様なまでに「中世回帰」がはやったのと同じようなものかもしれませんね。イギリスなど、あちこちに人口の廃墟を作ったり、国会議事堂まで偽ゴシック様式で作ってしまいましたし、さらに「スコットランドもの」が流行して(なんか、田舎ちっく=ロマンチックだったんでしょうかねぇ)、ウォルター・スコットの歴史小説が人気だったりしました。(「アイヴァンホー」など、なかなか面白いですし、映画のネタにはもってこいと言う感じ)。たぶん、法的、身分的に生活がものすごく自由になって、なおかつ、生活はもちろん経済的などの面ですべてが自由になるわけでなく、そのような日常生活の中では、とんでもない(非日常的=非常識的な)困難と戦う英雄像は魅力的だったのでございましょう。

日本で、田舎チック、未開・野蛮チック、かつ歴史的でロマンチック、と言うと、なんかチャイナものに走っちゃう傾向があるんであぶないんですけどね〜。欧州中世騎士道だと、騎士としてLiberty(自由)のなかにある以前に、君主や愛する女性にLoyalty(忠誠)を示さなきゃだめですけど、中国モノは、下克上世界かつ、女性は愛人、お飾り、好き放題ですからネェ。(これのほうが楽は楽ですけど… その代わり、日本のアジア好きはやっぱり下品かも。ついつい山拓なんかを思い出しちゃうんですよね。)

それにしても、アメリカ人はどうして、映画で自由の女神像を爆破させたり、津波に襲わせたり、首をはねたり、ちょっといじめすぎじゃありませんかな〜。日米は二大自虐民族だから、仕方ないですかね。

ペルソナングラータ

289

date 2008/5/29(木)01:39
uname 遼馬

subject re(3):世紀末救世主伝説

ペルソナ・ングラータ様、タオル様、皆さま

 例え映画であっても、自由の女神以外の神像もしくは、宗教書を破壊したら大変な事になりますから。
 破壊される自由もあるのが、自由の女神たる証なのかもしれません。

 やはり、自由は与えられるものではなくて、奪い取るものでしょう。
 ゲルマンの女性の強い事。小学生の時にニーベルンゲンの歌を読んだので、トラウマになりかけました。
 女1人、怒らしたら、一族郎党、全滅させられるのですから、なんというか、とんでもない。
 (ブルグンド族が途中でキリスト教の祭司を投げ捨てますが、今、考えれば深い意味がありますよね)

 北条政子は別格としても、他の日本の女性も強いです。むざむざ殺されたりはしません。
 
 どんな剣豪でも、薬丸じげん流(わりと簡単に習得できる)数人がかりなら簡単に倒せる事は、幕末で証明されています。
 つまり、映画のような1人が圧倒的な力を持ちえる事は、組織がない限り無理です。
 
「じつは、人類の進化の形態には、二種類あったのである。一つは個が進化を続けるマッドサイエンティストの道、もうひとつは全体が個をのみこむ官僚機構の道である」

 http://www009.upp.so-net.ne.jp/TDSF/text/mad05.html

290

date 2008/5/30(金)19:29
uname 遼馬

subject 近衛文麿

 別宮様、皆様

>主張の内容は私有財産制度を廃止すれば、全ての人間はバイロン、ビクトル・ユーゴー、モーパッサンのようになれる。慈善は今の貧困を固定化する。国家が収入を管理すれば、貧困はなくなり(慈善で総量は足りていることがわかるから)、個人主義を発展させることができるとした。

 すいません。一般人には意味がわかりません(笑)。
 「私有財産制度を廃止すれば、全ての人間は社会保険庁の役人、大阪府の公務員、金正日のようになれる」
 これならわかるのですが。

 近衛文麿が本気でこんな事を信じていたとするなら、経験以前の問題で、単なる馬鹿です。

 日中戦争が始まって、情報統制が取られる前ならば、近衛文麿の経歴は十分に報道可能なはずです。 
 どのマスコミ関係者も、近衛の危険性を感じなかったというのが信じられません。
 はるかに近衛文麿よりもましな、大正期の首相をあそこまで攻撃していたマスコミが、近衛に関してだけは沈黙した理由とは何なのでしょうか?

 何か研究があれば、お教えして下さい。

291

date 2008/5/31(土)09:24
uname betsumiya

subject re(1):近衛文麿

僚馬さま

近衛文麿がオスカー・ワイルドの"The soul of man under socialism"を訳し(一部、伏字になった)ましたが、その中の一節です。近衛の訳のオリジナルが手に入らず、英文からとりました。

「現在では個人主義の発展のためには多かれ少なかれ個人資産が必要である。だが、そういった個人資産の廃止が個人主義の発展に役立つかということも考えねばならない。答えは単純である。既存の情況では、バイロン、シェリー、ブラウニング、ビクトル・ユーゴー、ボードレールのような少数の固有財産を得ている人々の場合は、多かれ少なかれ完全に自らの個性を実現できる。こういった人間は雇われて1日も働いたことがない。彼らと貧困は無縁だ」

「彼らは有利な立場にある。疑問なのはその有利性が失われたときその個人主義はどう働くかである。なくなったとき、個人主義は一体どうなるのか?一体、個人主義とは益のあるものだろうか?」「(私有財産が廃止された)新しい条件の下では個人主義ははるかに発展できる。私がいった詩人の想像上の創造性ではなくて、人類の隠れたポテンシャルのある偉大な現実の個人主義について語っているのだ。私有財産は個人主義に害がある。個人財産をもつことによって人間を混乱させ、むしろ曖昧なものにしてしまう」

いいたいことは、優秀は詩人は皆金持ちだ。なぜならば労働しないから。もし、金持ちがなくなり、ある一定時間、人類全部が働か無くて済むならば、みな優秀な詩人になれるかもしれない、という所でしょう。

オスカー・ワイルドは劇作家ですが、なぜか昔から詩人というのは暇人ですよね。そこから着想を得たのでは?当時の英仏の貴族の生活が念頭にあったのは事実でしょう。武者小路実篤とか「白樺運動」というのがありました(今でも我孫子でやってるんですか?)。兄は三国同盟の公共ですか・・・。当時の貴族は無為徒食に忸怩たるものがあったのでしょうが、ひっこんで何もしなかった方がよかったですね。

マスコミが近衛文麿を持ち上げたのは他の軍官僚・官僚上がり首相よりも、よかったからでしょう。近衛は演説がうまいですし、国民がわかるように説明しました。議会説明については、犬養毅以来、最高の出来でした。ここが民主主義社会の難しい所です。

別宮

292

date 2008/5/31(土)10:21
uname 困ぺい糖

subject re(2):近衛文麿

別宮様 遼馬様

横から失礼いたします。

昔はヒマな貴族しか詩や小説をひねるのはいなかった、は確かなところです。(小説は叙事詩、劇の台本からの派生品)
あれはやってみられるとわかりますが、才能とかエネルギー以上に時間を食う作業です。まず、語彙量が豊富ではないとできません。最近の学校教育で学童に「考えたとおり書きなさい」とやるのはその意味では非常に酷な話ではあるんです。
そして、読み書きが当時できたのは、ある程度の階層以上の人間とどこの国でも決まっていました。幕末、商家の手代が勘定ができ、女中が暇して絵草子眺めているのを見て腰を抜かす欧米人というのは日本以外どこの庶民も字や数字なんか知らなかったからおきた出来事です。

でも、作家詩人脚本家が貴族であるゆえその作品が「換金作物」でなかった時代は終わりました。公教育の普及のおかげでしょう。いまやちょっと野心や志のあるのはブログやら携帯やらでパカパカお話を紡ぎだします。80年代以降、WPが普及したおかげで欧米のベストセラーは軒並み500p以上です。たまに300pとか出すと、こいつ体の具合悪いんじゃないか?と言われます。
これ、もちろん小説の印税が「私有財産」として莫迦にならなくなったせいですね。おかげでたぶん、ワイルドの危惧は杞憂に終わった感もあります。

もちろん、換金作物を作る者として売れなきゃしょうがないですね。SF作家のP.K.ディックは極貧時代にペットフード用のジャンク肉をおかずにしてましたが、肉屋の親父に「おめえが食うんだろ」と図星指されてビビッたそうな。
それでもやっぱりみんなJK・サーリングには憧れちゃうんですよ。(ハリーポッター何巻目?)

ちなみに最近「蟹工船」がまた売れてるようなんですが、書いたのは拓銀の人だからね。

困ぺい糖

293

date 2008/5/31(土)15:45
uname 夢幻

subject パールハーバーの真実

海軍好き様 皆様
 先日、押井守と岡部いさくの共著「戦争のリアル」を読んでいましたら
押井氏が日本海軍の航空魚雷と艦攻の組み合わせのシステム自体が大欠陥だったんだと述べていまして注には兵頭二十八著書の「パールハーバーの真実」の事が触れられていました。(名前が二八氏に誤記)
押井氏は結構戦争のことについて発言していますので兵頭氏との対談が将来実現するかもしれません。
他にも「アヴァロン」の撮影でポーランドでRPG−7を撃ったとか日本は軽空母とハリアーを持てとか主張するなど氏のファンには興味深い話が満載なのでぜひご一読を。
以上簡単ですが報告いたします。
夢幻

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295

date 2008/6/1(日)06:12
uname 難民

subject re(5):塹壕戦と長篠の戦い

海軍好き様

あの授業の目的は、高度な資料の読解力を養うことで、歴史の真実を解き明かすことではないと思います。

勝頼が賢かったか愚かだったかはひとまず置いて、信長公記や長篠合戦絵巻等の資料をあるロジックで読み解くと、勝頼の判断ミスという結論に至るというだけです。

他の信頼できる、または信頼できるということにした資料があれば、同じロジックでも結論が変わる可能性もあります。

ただ、あの結論は、常識的には無理のないものだと言えるでしょう。

損害が続出しても遮二無二敵陣に殺到する行為は、傍から見ると愚かに見えるが、万単位の人間を組織的に動かすにはそれが最適であるのも事実です。鉄の規律というやつです。

鉄砲の三段撃ちは、当時確立していたと思われますが、長篠では使う必然もなかったようです。

戦国時代の鉄砲の組織的活用もですが、ナポレオン戦争なみの鉄の規律が確立していたことは、もっと驚くべきことだと思います。

しかし、鉄の規律は、言うだけなら誰でも言えることで、いざ実行となると具体的な方法論の説明は難しい。その点、鉄砲は説明が簡単でわかりやすい。

今でも、似たようなことがあります。ガダルカナルでは、アメリカは自動小銃で日本は三八小銃だったから負けたとね。

296

date 2008/6/1(日)07:53
uname 海軍好き

subject re(1):パールハーバーの真実

夢幻さま

ありがとうございます。
わたしゃあ、『パールハーバーの真実』に書かれていたことはあまりにも斬新すぎて、今でも時々夢に見てしまいます。
押井守さんですか、今度チェックしてみます。

兵頭さんも、メジャーで活躍されている方から見れば、異端視されているのかもしれません。
『文藝春秋』で述べられていましたが、大和型を伊勢・日向ばりに油送艦として用いるか、兵員輸送として用いる、という発想は非常に優れていると感じました。とはいえ、帝国海軍の採用は絶対にないでしょうが・・・

海軍好き

297

date 2008/6/1(日)09:07
uname betsumiya

subject re(3):近衛文麿

困ぺい糖さま

オスカー・ワイルドは十九世紀後半の人間であり、家産は相当にあった人で、いわば金持ちが地主としての貴族を批判しているんでしょう。十九世紀後半になると西ヨーロッパでは義務教育が普及して、文盲率は3割程度に落ち、作家も大衆を需要層として考えねばならない時節に入りました。

それでラジオもない時代でしたから、人々の情報媒体は活字でしかなかったんですね。オスカー・ワイルドの社会主義は、サッチャーにいわせれば「金持ちを貧乏人にしたところで、貧乏人が金持ちになれるわけではない」でお終いでしょう。オスカー・ワイルドが配慮する必要があったのは、労働者階級ではなくて中産階級だったんですね。ところが、より窮乏化しているようにみえた労働者にどうしても目がいくんですね。共産主義の啓蒙主義に対する反論は「皆、労働者階級になるのだから、労働者を代表する政党が独裁をやっても、それは民主主義だ」というものでしょう。

近衛文麿の場合は、「日本人はみな労働者階級だから、政党政治は必要なく官僚独裁であるべきだ」となったんでしょう。大正時代、思想は百花繚乱ですが、けっきょく社会主義が勝利し、統制経済採用となり、戦争以前に経済競争・技術競争で日本は敗北していました。

ハイチの元大統領が「富める国は益々富み、貧しい国は益々貧しくなっている」といいましたが、十九世紀と異なり、現代において貧しい国が近代化することは至難になりました。それでもアイルランドはイギリスと対立しているうちは、ヨーロッパ後進国でしたが、ECに加入したとたん高度成長を遂げました。労働力や資本の自由化を同時にやったためです。東ヨーロッパの旧共産圏も後を追うでしょう。小国にとって繁栄の道は鎖国でなく自由化です。国家主義と社会主義が最大の敵です(国家社会主義は指導者が優秀であれば成功することがありますが)。

アジア諸国はこの逆で、貿易・資本とも自由化してませんよね。韓国・台湾ともにアイルランドに抜かれつつあります。中国は見栄だけ張りますが、インドに抜かれるのは時間の問題でしょう。加藤紘一が「玉蜀黍をバイオ燃料にするアメリカがけしからん、ブッシュに文句いう」といってました。アメリカは自由経済の国ですが、加藤はどうしてもそこがわからないんでしょうね。日本のビジネスマンで「どうも売上が落ちたので政府に文句つける」というのは、土建業界を除いて狂気の沙汰でしょうが、東北の庄内地方農家にはあるんですね。

別宮

298

date 2008/6/1(日)23:57
uname 黒田長政

subject 『乃木希典』福田和也

別宮さま

福田和也著『乃木希典』を読みました。納得できません。
学者ならば学問上の業績で語られるのが常で、
軍人の評価ならば戦場での働きが主題になると思っていたのですが…。
乃木の心理描写ばかりで、旅順攻防戦など華麗にすっ飛ばして書かれています。
確かに従来よりも細かな心理描写であるかもしれませんが、司馬遼太郎の『殉死』
と同様に時代が変わればまた次の文学者が新たな乃木の心理描写を試みるでしょう。

福田和也は明らかに勘違いしています。でなければ編集者からおだてられて木にのばった
肥満児です。なぜ自分が軍事に疎いことを自覚しないのか?文芸春秋はなぜ彼を甘やかす
のか?なぜ文芸春秋は養老猛の寄稿した文章に対して「文章の質を読者の質に合わせて
グレードダウンしているな?うちの読者を舐めないでください!」と言えないのか?

座談会では平気に「わたしは司令官という立場でものを見る」などと言っていますが、
私大の肥満教授が司令官とは恐れ入る。そんなに司令官になりたいなら実家の福田製麺
を継げばいつでもなれるのに…。

この肥満児が付け焼刃の軍事の知識で保守系雑誌に戦前・戦争に関する文章を書きなぐるのを
この先ずっと読まされると思うと、げんなりします。

別宮師、いつぞやの文藝春秋の記事、まことに感服いたしました。福田との力量の差は歴然としています。
あの肥満児がこの先も文学で生きてゆくのはいいとして、別宮師は軍事の達人として文藝春秋
で腕をふるっていただくことはできないのでしょうか?

黒田                      謹言

299 削除
300

date 2008/6/2(月)08:38
uname 遼馬

subject re(4):近衛文麿

別宮さま 困ぺい糖さま

 レスありがとうございます。
 金持ちは、より働いて、より他人の為になる事をしているから金持ちである。
 金持ちは、労働者以上に労働者である事に気づかないのが、近衛が破産貴族たる所以でしょうか?
 貴族でも何らかの経営をしていたなら、こんな事にはすぐに気づくと思うのです。

 近衛の演説が上手かったのは事実だと思います。でも、同じように上手かった犬養毅は暗殺されています。
 それに、実際に仕事をするまでは、騙されても仕方がないとしても、普通、「蒋介石を相手にせず」なんて事を言ったら、首が飛びますよ。
 それでも、日本のマスコミはヨイショを続けたのだから、わけがわかりません。
 戦前のマスコミも馬鹿だったのでしょうか? そして、近衛を支持し続けた大衆も馬鹿だったのでしょうか?

 ところで、金持ちを貧乏人にしたら、貧乏人が中産階級になれるというのは、公務員については当てはまると思います。
 平均年収760万の公務員をすべて、400万ぐらいに代えれば、多くの人がすくわれるはずです。
 優秀な人材は民間に行って、より社会の生産性があがりますし、一石二鳥です。

 日本の社会主義者の誰も、この点には触れないのが不思議です。
 
 明治維新って、膨大な公務員(武士という名の)をリストラできたのが、最大の成果ではないかと思うのですが、如何でしょう?